第十二話 来襲

 ——その時が来たんだと、すぐに分かった。いつもは聞こえる筈の音が聞こえなくて、代わりにたくさんの叫び声が聞こえる。


 これで最後と、立て付けの悪い鉄格子を蹴破る。目の前に広がる光景にも、もう覚悟は出来ていた。


 数えきれないくらいのあの黒いものが、そこら中を暴れ回っている。本当に、凄まじい数だ。


「ぃよぉ、勇者! 最悪の朝だな!」


 鍛冶屋が笑って、目の前に来たそれを焼き払う。


「……はい」

「やることは分かってんな?」

「はい」

「なら行け! ここは俺らが——」


 ガゴン、と凄まじい音がして、鍛冶屋が後方に吹き飛ばされる。下手人は、これまた全身真っ黒の人影だった。


「——とうとう見つけましたよ……『勇者』」


 人影から、聞いたことのある男の声がした。なんの影響か、あの黒いものと同じような胸の奥を這いずるような声に変わっていたが、はっきりと分かった。


 倒した筈の、魔王の側近。名前も、存在も、何もかもを捨て去って挑んで来た、あの男だった。


「何故、という顔はしないのですね」

「今更だろ。俺がここに居るんだから」

「……相変わらずですね。勇者、大義の為に貴方にはここで完全に消えて貰います」


 人影の右腕が、筋肉質に膨らんだ。どうやらあの時と同じように、言葉など聞く気はないらしい。


 一呼吸置いての踏み込み。凄まじい膂力なのだろうが、それを受けるようなことはせず、真っ直ぐに上へと跳躍する。


「まさか、逃げる気——」

「——どこ見てやがる?」


 足元が、真っ赤に塗り潰される。煌々と燃え盛る炎の中に、鍛冶屋は堂々と立っていた。


「私を殺しても無駄です。この数、最早捌き切ることは出来ない」

「……確かに、負け戦かもな。だからよ、いっちょ気合い入れさせて貰うぜ——そぉら! 聞けや馬鹿共!」


 カーンと、あの朝を告げる音が鳴る。それから、鍛冶屋は高らかに叫んだ。


「俺らは廃雄。世界を愛せねぇ、ロクデナシ。もう居ねぇ誰かを想っていた、馬鹿の残滓。今や失うもんなんて一つしか無ぇ! 心と魂があれば十二分! 最後に残った使命くらい、立派に果たして見せろやッ!」

「そうらっ!」

「斬り伏せる」


 騎士と道具屋の声と共に、炎が一層強く燃える音がした。俺は振り返らずにただ、上だけを見る。


 黒いものは、俺の姿に気づいた途端飛びかかってくる。一つ一つなら大したことはないが、いかんせん数が多過ぎる。


「勇者ちゃん!」


 飛びかかって来た塊を一体、聖女が引き裂く。その後方にあと三体見えたが、全てが射手の矢にその身を撃ち抜かれている。


「ここは任せろ!」

「ありがとうございます!」

「ほら、投げるよ! せーのっ!」


 空中で器用に身体を捻り、聖女が俺の身体を更に上へと放り投げる。屋上まではまだ半分、道のりはまだ長い。


 だけれど、これっぽっちも無理だという気はしない。


「ほらほらー! こっちに来るっすよー!」


 不思議な香が、鼻を掠める。それは黒いもの達も同じのようで、次々とそちらに吸い寄せられていく。


「画家ぁ! 君も少しは働いたらどうだい!?」

「やってるけどよん、俺っち非戦闘員よ?」

「私だってそうだよ!?」


 花屋、探偵、画家の三人が、それらを一箇所へと誘導していく。それである程度の数が集まったところで——


「うるさいねぇ! 黙って伏せな!」


 司書の魔術が炸裂する。轟音と爆風の中、またあの栞が飛んできて、壁に階段状に突き刺さった。


「登んな、坊ちゃん! あと少しさぁ!」

「はい!」


 時々壁に手をつくと、塔が揺れているのが分かる。上に行けば行くほどあの黒いものの数は減っているけれど、油断なんて微塵も出来はしない。


「しまっ……」


 足場にしていた煉瓦を打ち崩すように、黒い弾丸が飛来する。それ自体に対応するのは不可能ではないが、それをすると身体を支えられない。


「——どうも。ご注文の助けですぜ?」

「盗賊さん!」


 落下の寸前、壁の僅かな影から盗賊が顔を出す。弾丸をナイフで裂き、俺の身体を抱えると、そのまま影を伝って垂直に壁を登り始めた。


「このまま突っ切んぜ! 捕まってろよ!」

「あの、盗賊さん……」

「皆まで言わなくても、分かってらぁな。その辺で下ろすぜ」

「……ありがとうございます。かっこいいですね」

「よせよ、そんなもん柄じゃないない。ただ、邪魔すんのは野暮ってだけだ」


 なんだか今日は、お礼を言ってばかりだ。目の奥が少し熱くなっているのが嫌でも分かる。


 そうしてもう屋上が寸前に迫ると、全て心得て居る盗賊が、俺を足場に下ろしてくれた。


「じゃあな。しっかりケリつけて来いよ」


 そう言って、彼が下に戻っていく。もう周りは静まって、ほとんど誰もいない。


「……やっぱり、居るよな」


 居るのはただ一人。琥珀の杖を携え、未だに残る踊り場に仁王立ちした、不機嫌そうな女。


「——ここは、通さないから」


 あの馬鹿——預言者だった。

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