第20話
毎日コツコツと手を入れていた衣装も大体は完成したのだけれど、その頃になって私の衣装が出来たという連絡が入った。一応写真では見せてもらったのだけれど、自分がきている姿を想像してみてもどうなっているのかは思い浮かばなかった。
どうしても自分が衣装を纏い舞台に立っている姿が想像できない。私の作った衣装に袖を通して立っている信寛君の姿は想像できるのだけれど、どうしてもその隣に立っている自分の姿は想像出来なかった。
「泉はさ、最近頑張りすぎてないかな?」
「え、そんなことは無いと思うけど。でも、信寛君の衣装はもうすぐ完璧に仕上がるよ。ほら、こことか結構こだわって刺繍を入れてみたんだ。凄いでしょ」
「うん、凄い細かい刺繍だね。でもさ、これをやるために凄い時間をかけたんじゃないかな?」
「どうだろう。あんまり覚えてはいないんだけどさ、毎日コツコツやってたからそれなりには時間が経ってるかもしれないな」
「凄く疲れているように見えるんだけどさ、泉はちゃんと寝てるのかな?」
「私は結構寝ないとダメな方だからちゃんと睡眠はとってるよ。昨日だって三時前には寝てたしね。あ、睡眠時間は短くなってるかもしれないけど、その分深い眠りにつけるようになってるから心配しなくても大丈夫だよ。今だけはどうしてもこの衣装を完璧に仕上げたいからさ、やっぱり信寛君には私が一番いい衣装を作ってさ、それを着てもらいたいって思ってるからね」
「俺はさ、泉が作ってくれている衣装がとても楽しみだよ。今の状態でも凄い良いって思ってるし。その衣装を完成させるために泉が細かい修正をしているのも嬉しいよ。でもさ、その修正って本当に終わるのかな?」
「え、どういうこと?」
「俺は衣装作りの事は全然わかってないけどさ、先週も先々週も泉はその衣装をちょっとずつ修正してるよね。それって、そんなに細かいところまで手直ししないといけないのかな?」
「だって、このままじゃ完璧じゃないし、完璧に仕上げないと信寛君に着てもらえないと思うし」
「そんな事は無いよ。今の仕上がりでも完璧だと思うよ。もしかしたら、今よりもっと素敵なものが出来るのかもしれないけど、そこまで完璧にこだわらなくても素敵なものが出来上がっていると思うな」
「違うの。違う、今のままじゃまだ駄目なの。今の衣装は私も素敵だと思うんだけど、これは私が作ったって言えるようなものじゃないの」
「知ってるよ。恭也さんが泉が好きそうな感じで作ったって言ってたよね。俺には二人がどんな完成形を見ているのかわからないけど、最初に見た時とは全然違うものが出来上がっていると思うんだけどな。どこまで頑張ったら泉は満足出来るのかな?」
「どこまでって、そんなのわからないよ。でも、今のままじゃ私が作ったって言えないの。これを作ったのは私じゃなくて恭也さんなの。信寛君には私が作った衣装を着てもらいたいの。でも、私の力じゃ一年かけたって今以上の衣装なんて作れないんだよ。私には作れないのに、恭也さんは私以上に私が作りたい衣装を作っちゃったんだよ。ねえ、私は信寛君のために何が出来るのかな?」
「俺のためにって、泉は俺のために今も頑張ってくれているじゃないか。今以上に頑張らないくてもいいと思うけど」
「そうじゃないの。私は私の出来ることをやり切りたいの。信寛君は舞台以外にもたくさん頑張ってるって知ってるし、勉強だって美春ちゃんと頑張ってるのも知ってるよ。それにさ、舞台上だって私は黙って立ってるだけなんだよ。それだけしか出来ない私が信寛君のために良いモノを作ろうと思うのって駄目な事なのかな。私に出来ることなんてこれしかないのに、どうしたらいいのかわからないよ」
「そんなに思い詰めなくてもいいんだよ。俺はさ、泉が辛そうだから無理して欲しくないだけで、今はもうそれ以上頑張らなくてもいいと思ってるよ。頑張るならさ、衣装作りは終わらせて他の事をしてみるってのはどうかな?」
「他の事って何?」
「そうだな。気分転換に何か甘いものでも食べに行かないかな?」
「ごめん、衣装が入らなくなるかもだから、甘いものはちょっと」
「それならさ、ボウリングとかはどうかな?」
「ボウリングってちゃんとやったことないからやりたくないかも」
「じゃあさ、博物館に行かないかな。あそこにある展示品もそうだけど、屋上にある展望フロアから見える景色を見ようよ」
「博物館ね。うん、博物館に行ってみたいかも」
「良かった。泉もきっと博物館から見える景色が気に入ると思うよ」
「ねえ、泉も気に入ると思うって、私以外にも気に入ってる人がいるってこと?」
「うん。美春がさ、博物館から見える景色が好きなんだよ。俺がどこかへ出かける時って大体カメラを回してるんだよ。俺って落ち着きが無いから手振れとかも酷くて見てられないって怒られるんだけどさ、その中でも時々は美春が褒めてくれる映像ってのもあってね、その一つが博物館の展望フロアから見える景色なんだよ。あの時は俺も立ち止まって景色に見とれていたってのもあるんだけど、ちゃんとしてる映像だって褒めてもらえたんだよね」
「そっか、信寛君は美春ちゃんの為にも色々と頑張ってるんだもんね。でもさ、カメラを回しているのに手振れが酷いって良くないと思うな。私は結構映像とかで酔っちゃうことが多いんだけど、そんな映像を見せられたら私も怒っちゃうかもな」
「美春は外に出られないからいろんなものを見せてやりたいなって思うんだけどさ、その思いが空回りしてついつい勢いよくカメラを動かしてしまうのかもな。そうだ、これから見に行ったらちょうど夕日も撮れると思うし、その様子を撮影しててもいいかな?」
「なんで私にそんな事を聞くの?」
「だってさ、綺麗な夕日に可愛い泉が一緒に居たら最高だと思うんだよね。美春だって今までの映像よりずっといいって褒めてくれると思うからさ。ダメかな?」
「駄目ではないけど、夕日だけじゃなくて私の事も綺麗に撮ってくれなきゃ怒るからね」
「それは大丈夫だよ。泉が映った映像はどう見たって綺麗だからね。俺がそう思ってるだけじゃなくて、みんなそうだと思ってるからさ」
私はいつまでも完璧にならない衣装の事で悩んでいたけれど、そこまで思いつめなくても大丈夫なのかなと思った。でも、私に出来ることはこれからもちゃんとやっておこうと思った。
学校から博物館まではそこまで遠くないのだけれど、二人で自転車を漕いでいる時間は久しぶりに体を動かしていて気持ちが良かった。今まではずっと手元に集中する時間が長かった分、体を動かすことで気分転換にもなったんだと思う。
博物館についた私達は展示品を見ずに真っ先に展望フロアへと向かっていた。先客は何組かいたのだけれど、みんなベンチに座って同じ方向を向いている。私達もそれに倣って沈みゆく太陽をただ黙って眺めていた。
「ごめん。夕日と泉に見とれててカメラを回すのを忘れてた。今日の事は美春には内緒にしてもらってもいいかな?」
「黙ってた方がいいの?」
「うん、たぶんだけど、美春は俺が泉と出かけた事を知ると映像をよこせって怒ると思うからね」
「そんな事で怒っちゃうの?」
「美春は怒ると思うよ。あいつはさ、泉と山口の事が好きなんだよ。二人とも美春にとっては優しいお姉ちゃんって感じだって言ってたし、身近であいつに仲良くして遊んでくれる人って今までいなかったからね。俺は優しくしてると思うけどさ、家族と友達ってやっぱり違うもんだと思うしな」
「そっか。私はそこまで考えてなかったけど、美春ちゃんが喜んでくれるなら今まで以上に仲良くしていかないとね」
「ああ、よろしく頼むよ。衣装を真剣に作っている泉も好きだけどさ、今みたいに笑っている泉の方が俺は好きだな」
信寛君は恥ずかしそうにそう言ってくれたのだけれど、言った後にすぐ恥ずかしそうに後ろを向いてしまった。
私はそんな信寛君の姿を見ていとおしいなと思っていた。今すぐその背中に抱き着いてみたいという気持ちのもなっていた。でも、私はそれをすることが出来なかった。
今は信寛君に触れることが出来なかった。今信寛君に触れてしまえば、きっと抑えてきた自分の感情を抑えきれることが出来なくなってしまいそうだった。冷静に抑えられているんだし、今は信寛君に触れたいって気持ちを抑えるので精一杯だった。
夕日が完璧に地平線のかなたへ沈む様子を眺めながら、私はどうして衣装の事で悩んでいたのかわからなくなってしまった。わからなくなってしまったけれど、今こうして思い返してみると、恭也さんが作ってくれた衣装と今私が手直ししている衣装が全然違うものになっているんじゃないかと気づくことが出来た。そんな気がしていた。
頭上に輝く一番星を見ていると、なぜだかそう思えていた。
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