第38話 誘拐

「聖女様がいなくなったとはどういうことだ!」


 カナメが自室から姿を消した。

 館内が朝から騒然とする中、飛び込んできたのは公国の貴族である地味な青年だった。先日突然やって来て不法侵入の上、王国の人間は無駄に動き回るなと忠告してきた彼だ。カナメに馴れ馴れしい態度を取っていたのを覚えている。


「なぜあなたがそれを……」

「こちらも護衛をつけていると言っただろう、そんなことはどうでもいい! 先日私が尋ねてからなんの対策もしていなかったのか? 王国の魔法士たちはなにをしていた!」


 戸惑いながらも代表として文官が進み出る。


「ご忠告いただいたのに情けない限りです。現在追跡を試みておりますが……」

「生かされぬ反省などなんの意味もない! 昨夜から異変を感じた者は? 一人もいないのか?」


 誰よりもその場を支配する隣国の青年に、ただ呆然とする。


「ああそうか、面倒だな。これを見破れる者もいないのか」


 そう言って雑な動作で左手にはまる大振りな指輪を外せば、眼前で起こった変化に誰もが息を呑んだ。

 地味だと印象付けられた冴えないブラウンの髪は輝くゴールドに、暗く重たい印象の奥二重はくっきりと、その奥は醒めるようなイエローグリーンに。


「ルーフレッド殿下……」


 貴族の端に位置するエリルシアでもよく知る、アウタイン王国の第二王子殿下だった。



✳︎



 ガタゴトと馬車に揺られることそこそこ長い時間。途中まで気を失っていたので時間など正直分からない。最初から起きていたとしても計る自信はないが。


 目を開けても真っ暗だ。まだ夜なのだろうか? いや、全身が何かに包まれているのを感じる。口には布のようなものが挟まっている。まさかこれは猿轡というものではないだろうか。

 意識が浮上してから時間をかけて現状を把握しようとしたが理解できなかった。


 視点を変えよう、昨夜はいつも通り布団に入って寝た。起きたらすでに馬車の中だった。なぜなら馬車の揺れでおでこをなにかに打ちつけ、目が覚めたからだ。今も額がジンジンと痛む。

「……」

 やはりなにひとつ理解できない。

 だが、ベッドに眠る私をこっそり馬車に乗せた人間がいるのだろう。身動きを取れなくして。


 共にいた王国の人たちがそんなことをするわけない。動き回って危ない私をそれでも野放しにしてくれる優しい人たちだ。間違っても手足を縛ったりはしない、今のように。


 考えているうちに段々と速度が落ち、馬車が止まった。私の現実逃避も終わりを告げた。


 誘拐ですね、これ。





 とくかく必死で寝たふりをした。

 あのあと馬車から運び出され、どこかの建物へ入ったあと床にどさっと投げ落とされた。

 これでも聖女サマだぞ丁重に扱えだの、まだ起きないのは図太すぎるだの随分な言われようだが、私の意識がないからと油断して喋る相手がもたらすもので、ひたすら状況把握に努めた。


 場所などはさすがに分からなかった。芸達者な鳥ではない限り自分の住処など口にしないだろう。ふふん、鳥の方が利口だな。

 頭の中では散々悪態をついたが、正直恐怖心でどうにかなりそうだった。


 見知らぬ土地で誘拐された。相手は人一人かつげるような屈強そうな人間が複数。最低でも五人はいるようだった。


 床に落とされた後、被っていた布は取られ縛られた手足も口元も楽になった。目を閉じているが瞼の向こうに明るさを感じる。身動きができるようになったとはいえ、恐ろしさは変わらない。

 足音が遠ざかり扉の閉まる音がした。


(話し声はしなくなったけど、まだ人が残ってるかもしれない)


 恐怖で力の籠りそうな目元を必死に我慢していれば、すんすんと啜り泣く音が聞こえた。

 えっさっきの男どもが泣いてるの!?

 びっくりして思わず目を開いてしまった。そこには見覚えのある少女が一人。埃っぽい小部屋で他には誰も見当たらない。


「ひ……っ」

 バチリと合った視線に怯えた声を出された。少し離れた床に座り込んでいたのは公国でお世話をしてくれた侍女だった。


「ごっごめんなさい……っ」

 青ざめながらこちらへ何度も謝る様子を見て想像を巡らせる。聖女が正体を知られた上でうっかり事件に巻き込まれるという可能性は低いだろう。

 彼女が手引きをしたのだろうか。それならなぜ一緒に捕まっているのか。ひとつしか思い浮かばなかった。


「あの、ちょっと聞きたいんですが……」

 泣き続ける彼女と会話を試みようと口を開けば、同時に部屋のドアも乱暴に開かれた。


「あ? 目ぇ覚めてんじゃねぇか」


 先程も聞いた声に目を向けると、顔に大きな傷のある威圧感バリバリな大男が入ってくる。その後ろには似たような体格の男たち。大袈裟に肩が揺れた。

 反社の人相じゃん。平和な島国でもニュースで見たことあるぞ、危険な部類の人種じゃん。


 下手に口を開けば危害を加えられるかもしれないと向こうの出方を伺っていれば、怯えて話せないのだと判断されたようだった。

 よし、か弱い少女を演じよう。未成年に見えると王国の人には評判のこの童顔で罪悪感を刺激……できるかは分からないが、無害な聖女を装うと決める。


「聖女サマにはちょーっとばかしご協力いただきたいんでね、わざわざ来てもらったわけなんですよぉ」

 勝手に連れてきたくせに!


「しばらくここで過ごしてもらいますからねー」

「きゃ……っ」

 小馬鹿にするような調子で言ったかと思えば、座り込んでいた侍女である少女を掴み上げて後ろにいた男に投げつけた。


「その女は片付けておけ」


「待って!」

 予定変更だ。

 こいつらは私の力が目当てと言った。安易に殺されはしないだろう。多分。おそらく。そうであってください。


「私は一人では身の回りのことができないのにしばらく居ろって、彼女以外に面倒見てくれる人はいるんですか? あとお世話係は美人かそこの可愛い子じゃなきゃ嫌です! でないと力だってうまく出せません!」


 一人ではなにもできない、少々わがままな聖女を装うことにした。溢れそうな涙は演技ではない。

 正直、泣き喚きたいほどにビビり散らかしていた。

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