第26話 不審

 公国へ向かうまであと数日。

 こっそり練習していた刺繍はだいぶカクカクとしているものの、誰が見ても間違え様のない形だ。デザインの選択を実力に寄せに行った私は間違っていないはず。リベンジはさせてもらいます。



 魔力コントロールの精度を上げようと休日も魔法師団に入り浸ることが増えた。デイヴ様も度々貴族の集まりへ呼ばれるので、一日中一緒にいられる日は滅多にない。毎日顔を合わせているのに物足りなさを感じ、贅沢になっている自分に気づいた。姿を見るだけで癒されていた頃にはもう戻れそうもない。


「人間って欲深い……」

「俺のことですか」

「違います」

 思わず溢してしまったのはアイザックさんの前であった。繰り返される実験の現状に不満を呈したわけではないです。


 現在は集中力を鍛えるためにひたすら魔法で部屋を散らかしては片付けることを繰り返している。時折水を零したり物を壊そうと邪魔が入るので気を抜けない。意味のないことを繰り返す空虚感はなかなか鍛えられそうだった、主に集中力よりも精神力が。


「婚約者と離れるのが寂しいって話です」

「はぁ」

 心底興味なさそう。

「アイザックさんだって魔法を数ヶ月禁止されたら寂しいでしょう」

「それは死にます」

 そこまで。


「それならば公国の依頼など受けなければよかったのでは?」

「うーん……外交問題になるのが怖いっていうのが大前提ですけど」


 自分にしか解決できない問題を見て見ぬふりしたら、自信を持って彼の隣に立てないと思うんですよね。


「はぁ」

 この人は魔法以外どこまでも興味がないな。清々しい。先程まで他の魔法士もいたが呼び出しを受け席を外している。二人きりにしてもなにも起こらないという信頼が厚い。


「アイザックさんみたいな人、私のいた世界では残念なイケメンって言うんですよ」

「残念がつくので貶されていることは分かります」

「そんな直球の悪口じゃないです! あっ」

 パリンと音を立ててカップが割れた。私の感情の揺らぎと死角を狙われたのだ。

「い、陰湿~」

「直球の悪口ですね」

 文句くらい言わせてほしい。


「カナメ」

「デイヴ様!」

 呼ばれた方を振り返れば、先程席を外した魔法士と共に近衛の制服に身を包んだ青年がいた。しんどさの境地に立っていたところへ突然与えられた至高の癒し。満面の笑顔で尋ねた。

「どうしてこちらに?」

「帰宅時間に戻らないので寄らせてもらった」

「えっ」

 気づかない間にだいぶ時間が経っていたようだ。アルバートさんは帰らせたという。


「ごめんなさい、すぐ片付けます」

「焦らなくていい」

「我々がやっておきますよ」


 ありがたいが散らかしたこの惨状をさすがに放置できない。とりあえず割れたカップはアイザックさんに任せるとして、手早く物を移動させる。少々手荒くなってしまったのはご愛嬌だ。


「お待たせしました……どうかしましたか?」

 振り返れば彼はどこか別のところを見ていた。目線の先には割れたカップを魔法で回収しているアイザックさんの背中。


「そんなに警戒しなくても、聖女様はあんたのことしか見えてませんよ。さっきもずっと離れたくない~寂しい~って惚気てましたから」

「そんな言い方してませんよね!?」


 こちらを向いたと思えばとんでもないことを言い出した。悪意を感じる。


「アイザックさんなんてしばらく魔法が使えなくなってしまえ!」

「うわっ聖女様がそれ言うと洒落にならないんで」

 焦っている彼を無視してもう一人の魔法士に挨拶する。ドアの手前にいたデイヴ様の手をとり素早くその場を後にした。



 馬車留めに着いたところで青年の手を握ったままだったことに気づく。はしたないことをしてしまったと謝ろうと、顔を合わせて違和感を覚えた。彼は先程から一言も喋っていない。


「デイヴ様?」

 ハッとしたように目が合うが、そのまま馬車に促され乗り込む。


「先程……一緒にいた彼は公国へ同行する者だったか」

「アイザックさんですか?たしかそうです」


 それっきり、難しそうな顔は消えていつもの表情に戻っていた。家に着くまで今日の出来事を話し合う。





 様子がおかしい。

 食事を済ませたあとも緩やかに会話をしていたが、時折ぼうっとするように言葉が途切れていた。そもそもアイザックさんのからかう言葉に反応しなかったのは、私の心臓には優しいが彼らしくない。


 具合は悪くないというが、心配ごとでもあるのだろうか。少し様子を見た方がいいかもしれない。でも今日ばかりはこちらにも事情があった。


 部屋に戻ろうとする彼を呼び止める。

「明日のご予定はお昼からでしたよね。朝はゆっくりできそうですか?」

「そうだな、久しぶりに寝坊ができる」

 なんて言いつつ、朝が早いのを知っている。けれど明日は本当に寝坊させてしまうかもしれません。


 就寝の挨拶を済ませ部屋に戻った。上着を羽織ったままベットに座り手元を見る。こちらの準備は万端だ。天気は良好、明日の予定も確認した。少々気になる様子ではあるが決行は今夜。


 みんなが寝静まった頃、聖女は婚約者の部屋に忍び込みます。





 痛っ。

 ガタリと立てた音にヒヤリとする。気配に集中するあまり足元の棚に気づかなかった。自分は隠密行動に向いていない。


 デイヴ様は寝る前に持ち帰りの書類仕事やなにやらでニ時間は起きていると家令から聞いていた。多少の邪魔は覚悟の上で、彼が完全に寝てしまう前に部屋に向かう。姿隠しを施して。


 さすがに婚前なので遅い時間に堂々とは行けなかった。やましいことがなくてもあったことになってしまう。私は構わないが彼に悪評が立つのは嫌だ。夜中に戻るつもりだが、自分のベッドには枕とクッションを詰めてきた。

(でも話が無理そうなら大人しく戻ろう)


 部屋の前に着き、周りに人気がないのを確認したあと慎重にドアを開く。通れるギリギリの隙間にするりと忍び込んだ。ドアを戻して部屋を見回せば、こちらを背にしたソファに座っている姿を捉えたところで、私の中の悪戯心が疼いた。


 姿を隠したまま近づく。肩を叩いて振り返ったところで誰もいない。そこで声をかけて種明かしをするのだ。幸い足元は絨毯で目標までの障害物はない。いける。


 彼の驚いた顔が見たいという単純な動機だった。甘やかされてきた聖女は仕掛ける相手への認識がとてつもなく緩かった。


 息を殺して距離を詰める。心臓の音で気づかれてしまったらどうしようとドキドキしながら肩に触れた瞬間、勢いよくソファに引きずり込まれ強かに腰を打った。魔法が解ける。


「い……っ」

「カナメ!?」

 押さえ込まれた体は一瞬で自由になったが、掴まれた手首の違和はしばらく消えなかった。





 軽々と持ち上げられてソファに座らされる。

「すまない、どこが痛む?」

「大丈夫です」

自業自得なので。それよりも、


「黙って近づいてすみませんでした……」

 私にとっては軽い悪戯でも、彼にとってはただの不審者だった。思い至らなかった自分が情けない。


「殺気は感じなかったが、その……」


 少し考えたところで言い淀む理由に思い至る。もしかして夜這いに来た女性と間違えられたのか!


「すみませんただお話をしたかっただけなんです忍び寄ったのも下心ではなくちょっと驚かせたいお茶目心からで」

 必死に言い訳するが、カナメなら正面から来てくれて構わないと言われてますます困惑する。


 本当に! 違うん! です!

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