第17話 件のハンカチ

「そのですね……」


 あれからとりあえず家に入り、身だしなみを整え、食事を済ませていざゆっくりお話をと質の良いソファに横並びに座ること早数分。


 二人とは和気藹々とお茶をしただけでなにかされたり言われたわけではないと先に説明していたけれど、どうにも信じていないようだ。

 シンディア様はともかくクリスティーナ様までそのような扱いとは、二人の間に一体なにが……は置いておくとして。


 私がなぜ言い淀んでいるのかなんて、さすがに心の準備なしには話せない。そうしてここまで引っ張ってしまったわけだけれど。

 さすがにこれ以上待たせるわけにはいかないと深呼吸をして切り出した。


「お二人と庭でお茶をした後に、部屋でも少しお話したんですけれど」

「うん」

 あ、可愛い。癒される。

「帰りがけに少々、デイヴ様の部屋にお邪魔しまして……勝手に入ってしまってごめんなさい」

「うん?」


 なぜ視線を外し少し考えているのだろう。まさかクリスティーナ様の言う「なにが出てくるか分からないあれそれ」について思い浮かべているのだろうか。

 私の止まった声に気づいたのか、


「いや、違う。怒っているのではなくて。どうせシンディが率先して入っていったのだろう? 昔からだ、気にしていない」


 カナメはいつでも入って構わないと言われれば、後ろ暗いところを微塵でも疑った自分の心根を漂白したくなった。


「先程部屋に戻ったときは違和感などなかったから、言い淀む原因が浮かばないのだが」


 うっ


「…………デイヴ様は浄化の旅のはじめ頃を覚えてますか?」

「大体なら」

「私が宿の部屋にこもって泣いてた日」

「ああ、リネルの街の宿で……」


 ハッとするデイヴ様と顔を覆う私。


 勘違いではなかった! あのとき水桶置いてくれたのこの人だ! 消えたい!!


「ハンカチの入った箱を落としてしまって……ごめんなさい……」

 あとあの日はありがとうございました……。


 蚊の鳴くような声が出た。あんなに情けない姿を見られていたなんて。


 しばらくそのままでいたが、返事がないことを不思議に思い隣の様子をそっと窺えば、なぜか彼も同じように手で額を覆って項垂れている。


「デイヴ様?」

「見られたのか、あれを……」


 見られたことにダメージを受けるのは私ではないだろうか。デイヴ様が打ちひしがれる要素がどこに?


「さぞ気分を害しただろう……」

「えっ?」

「え?」


 お互い覆っていた手が離れ、間抜けな体勢で見合う。

 確実に食い違っていることだけは分かった。


「……カナメはなぜそんなに項垂れているんだ?」

「あまりに情けない姿を見られていて居た堪れないんです」


 現実を受け入れられずただ一番安全な場所で言われるがままに過ごしていた。

 さらには部屋に引きこもり、恋しさのあまり両親や友人を呼びながら泣いてた気がする。


 そんな未熟な自分は彼の目にどう映ったのかなんて、想像したくない。恥ずかしいし逃げ出したい。


「情けないなんてあるはずが…」


 強まった語気に思わず肩を揺らせば、それ以上続くことはなかった。

 ただ静かに抑えた声で、悔いる必要も恥じることもないと言われた。ちょっと涙が出そうになったのは内緒だ。


「俺は女々しく取っておいたことを気持ちが悪いと怒られるのかと」


 え? なにが? あのときのハンカチを持ってることが?


「貴族の方ってハンカチの使用期間が決まってたりするんですか?」三ケ月に一度は新品にするとか。

 は? という顔をされた。違うようだ。


 女々しく取っておいたとは、あれはただの箱収納ではなく、わざわざ箱にしまっていたということ?

 大切にされていたのか。洗濯済みの荷物に積んで返したものを。


 にやけそうになるのをじっと見られていることに気づき、慌てて顔を逸らした。

 そうして思い出す。あのハンカチはたしか自分で洗って返したのだ。


 待って。これはいただけないぞ。


「あの頃は魔法も未熟で皺だって残ってると思うんですよ……」


 というか残ってた。触った感覚もくたっとしてた。あのときの精一杯とはいえ、なんという状態で返してしまったのだ自分よ。


「せめて洗濯し直させてください」

「嫌だ」

 い、いやだ!?


「では新しいものを用意するのであれは」

「捨てない」


 さっきはあれほど項垂れていたというのにすっかりいつも通りではないか。いや、私に対してこんな強気なデイヴ様はレアなのでは?

 だからと言ってこちらも許容できないものがある。


 彼の物をどうしようと私に文句を言える筋合いはない。だがせめて整えさせてほしい。今ならクリーニング店並みの魔法コントロールが可能ですから!


「あれは俺の思い出でありカナメの魔法の成長記録でもある」

 成長記録て。

「そんな、親みたいな!」

「親…!?」


 お互いの言葉に受けたショックから先に立ち直ったのは彼だった。

 背もたれに腕を乗せ、一人分もなかった隙間をほぼゼロにされた。


「俺はカナメの親になったつもりはない。今のは撤回してくれ。好きな相手との思い出を大切にしているだけだ」

 すぐそうやって距離を詰めてくるー!


「その顔で押せばなんでも許されると思ってますね……!?」

「カナメに限っては」


 まったくもってその通りですけれども!

 大切にするのはできれば居た堪れない思い出以外にしてほしいのですが!



 やいやいと言い合う中で使用人はニコニコと冷めたお茶を入れ直して去っていくし、終いにはもう知られてしまったのだからと開き直ったデイヴ様が額縁に入れて飾るなどと言い出すし、こうしたことに慣れていない自分が正直なにを口にしたのかあまり定かではない。


 初めての喧嘩だった。


 ただ、子供っぽい態度を取ってしまったと後になって思ったが、デイヴ様だって十分大人気なかった気もするしおあいこだろう。

 結局ハンカチの行方はあやふやなまま。


 後日、エリーに話せばくだらなさすぎて意味が分からないと言われた。

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