旅行なはずがない。
七月に入り、期末テストや終業式といった行事を順調に終わらせていった俺達は、夏休み初日、いつかの七瀬さんとの約束通り、軽井沢へと旅に出ようとしていた。
最寄り駅から東京方面の電車へ乗り込んで、山鳴市駅で乗り込んできた七瀬さんと合流した。
「おはよう」
「うん。おはよう」
随分と前から楽しみにしていたこともあってか、七瀬さんは随分と楽しそうな笑顔で俺に挨拶を返してきた。
ボックス席の向かいに座り込んだ七瀬さんは、しばらく乗車客の少ない電車の中で、一人楽しそうに車窓からの景色を楽しんでいた。
ちなみに俺はと言えば、車窓を楽しそうに見る七瀬さんの出で立ちを見て、違和感を覚えていた。
「七瀬さん、なんというか……随分と軽装だね」
七瀬さんの恰好は、Tシャツの上にレインウェア。ボトムはタイツにショートパンツ。
なんというかこれは……。
「なんだか登山でもしに行く恰好に見える」
「あら、そう見える?」
「うん……」
不安げに頷きながら、俺は自分が発した言葉が妙に腑に落ちていた。
「まさか、本当に?」
「大丈夫よ」
七瀬さんは苦笑して続けた。
「登山はしない」
良かったー。
……登山は、か。
「ということは、別の運動はするの?」
「うーん。運動とはまた違うわね。どちらかと言えば、観光?」
「観光、か」
観光でその恰好って、どれだけ歩くつもりだろう。
「まあ、大丈夫よ。あたしに任せて」
「今日ほど君を信用出来ないと思った日はないよ」
嫌味っぽく呟くと、七瀬さんは気にも留めていないようで、再び車窓からの景色を楽しみだした。
正直、この辺で俺はこのまま次の駅で降りて、反対ホームに滑り込む電車を待ちたい衝動に駆られていた。
だけど、遠出するこの状況で、まだ高校生である七瀬さんを一人置いて帰るのも気が引けて、渋々そのまま電車に揺られ続けた。
中央本線は高尾駅で終点となり、そこから中央線に乗り換えて、西国分寺から大宮に向かった。高尾に入ったあたりから、電車は休日出勤や遊びに出かける都会人で溢れかえっていた。
七瀬さんの恰好は明らかに高尾山に登る登山客だったが、電車の旅を止める気がなかったみたいで、本当に助かった。
そうして電車に揺られて、久々の乗り換えや早起きにも疲れ始めて、東所沢駅を電車が発車した頃に、夢の世界に旅立っていた。
「古田君、降りるわよ」
「えぇ、うん」
寝ぼけながら七瀬さんに手を引かれて、大宮駅に辿り着いた。駅のホームから階段を昇って、新幹線のホームの方へ歩いた。
大あくびを掻きながら、七瀬さんの買ってきた切符を受け取って、彼女に手を引かれるままに新幹線に乗り込んだ。
「昨日、遅くまで起きてたの?」
「うん。今日が、大概俺も楽しみだったんだ」
誰かさんの言葉を借りるなら、俺にとっても異性と二人きりでの旅行は初めてだったから。だから、緊張していたのだと思った。
「ふーん。嬉しいこと言ってくれるのね」
「嬉しいの?」
「勿論。嫌々連れまわすより、全然いいわ」
七瀬さんは笑って続けた。
「とりあえず、今の内に体を休めておいて。この後も色々あるんだから」
眠気のせいで、この色々と言う部分を、俺が気に留めることはなかった。
轟音響かせる新幹線のシートに持たれていると、俺は再び夢の世界へと旅立っていた。
ここで見ていた夢は、時たま見るリアリティな夢とは違って、まるで現実離れしたくだらない夢だった。
「古田君。着いたから起きて」
「うぅん」
目を擦っていると、慌てていた七瀬さんに手を引っ張られた。
新幹線から飛び降りて、すぐに発車ベルが鳴った。新幹線は走り去っていった。
「着いたの、軽井沢」
大あくびを再び掻いて、俺は七瀬さんに尋ねた。
長野新幹線であれば、軽井沢駅は停車駅の一つだったはずだ。
「ううん。あと五時間くらいかしら」
「へえ……」
彼女の示した到着までの想定時間を聞きながら、俺は眠ったおかげで気だるい体を伸ばしていた。
「……はあ?」
そして、ようやく彼女が言った言葉を俺は理解した。
五時間だと?
意味が分からず周囲を見渡せば、目に映ったのはここが高崎駅であることを告げる看板だった。
「七瀬さん、乗る新幹線間違えてるよ」
うっかりさんだなあ、もう。
「俺達が乗る予定だった新幹線は、長野新幹線。でも高崎ってことは、ここは上越新幹線のホームかな? まったく、うっかりさんだなあ、もう」
おどけて言うも、
「何を言っているのかしら、古田君。あたし達が乗る予定だった新幹線は、最初から上越新幹線よ。ほら、切符を見てみて」
七瀬さんは微笑んでいた。
慌てて七瀬さんから手渡された切符を見ると、確かに切符は大宮駅から高崎駅までの乗車券となっていた。
……と、いうことは?
「アハハハハ。七瀬さん、君にしては面白い間違いだなー。軽井沢は、長野県にあるんだぞっ。高崎は群馬県。隣県だよー、隣県」
七瀬さんから日頃勉強を教えてもらっているから、彼女の自頭の良さは知っている。彼女がそんな間違いをしないことは、知っている。
だけどなー。
そりゃあない。
ああ、なるほど。
倉橋さんや綾部さんが、七瀬さんとの軽井沢旅行断ったの、これが理由か。
七瀬さん、だから直前まで俺にそのこと、黙っていたんだ。
「先に言ってよ」
「言ったら、着いてきてくれないと思って」
悪びれた様子もなく、七瀬さんは微笑んでいた。
「古田君。良いことを教えてあげるわね」
「はい、何でしょう」
「仰る通り、軽井沢はここ群馬県からは、隣の県にある町になります。ですが、ここから電車を乗り換えた先にある横川駅から、軽井沢は歩いて行くことが出来ます。
山を越えて歩けばね」
俺は頭を抱えていた。
「やっぱり登山じゃないか」
少し怒って言った。
「いいえ、違うわ」
「何がさ」
「これからするのは、廃線巡りよ」
廃線巡りぃ?
「横川駅から軽井沢駅って、実は昔は信越本線っていう路線が走っていたの」
「へえ」
「県境にある碓氷峠を超える路線だったんだけど、長野新幹線が開業したことを理由に廃線してね。
今日は、これからそこを歩いてみようと思います」
楽しげに話す七瀬さんの言葉を聞き終えてまず思ったのは、まあ確かに、彼女は嘘はついていないということだった。
それでいてここまで呑気に付き合ってきてしまった以上、後に引き返せないことも理解させられてしまった。
「七瀬さん、君ってそんなにアクティブな人だったかい?」
「誰かさんの言葉を借りるなら、あたし変わったのよ」
そうですか。
七瀬さんが心変わりしそうな出来事を、俺はぼんやりと考えていた。
まあ確かに、町おこしの一件から始まり、色々なことを七瀬さんと解決してきた身としては、彼女がふと好奇心に目覚めて変わろうとするのもおかしくない気はしてきた。
……とはいえ。
「次からはちゃんと事前に教えてくれよ?」
「はい……」
七瀬さん自身もそれだけは後ろめたい気持ちがあったのか、随分とシュンとして俺に謝罪をしてきた。
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