ユグドラシル・レムリア 1 故郷へ

 妙にふわふわした感触で目が覚めた。

 胃が押し上げられているようだった。クエルは、いつも使っているお気に入りの抱き枕をぎゅっと抱きしめる。

「んん……?」

 やっぱり、何かがいつもと違う。妙にそわそわする。

 このふわっとした感じ、風邪でも引いたのだろうか。起き上がってみる。

 コンクリートの壁に焦点がぴったり合った。ぼやけたりせず、何も問題ない。

「あれ……?」

 そこでおかしさに気付いた。クエルが住む古いアパートメントはコンクリート壁ではあるが、こんなに小綺麗ではないはずだ。

「ど、どこだここ……!?」

 驚いた。クエルは、いつのまにか知らない部屋にいた。

 いつもと同じなのは抱き枕だけで、それ以外は何もかも違う。見覚えのない場所である。

「い……いや。知ってる……かも」

 少しの閉塞感、無骨で近代的な設計。どこかでこんなものを見た気がする。

 部屋に扉は一つだけ。窓がなく、妙に気密性が高い構造だ。クエルは扉に近づき、手を伸ばす。

 金属か石か、何の素材かわからない重い自動扉に指が触れる。ロックはされておらず、触れたことであっさり開いてしまった。

「……!」

 すると、視界いっぱいに巨大な空間が広がった。

 先が白んで見えないほど、どこまでも灰色が続いている。ファウンデーショングレーの壁面。照明されて少しまぶしい一色だけで全てが覆われた世界だった。

「トンネルだ……」

 クエルはつぶやく。ここはおそらくトンネル状の構造物だ。

 広い場所で幅四キロ、天井までおよそ二キロの高さがある。見ただけで寸法までわかってしまう。

 なぜならこれは、超存在メテオライトがもたらした地下都市のフォーマットに違いないからだ。

 ノストークにあるLD犯罪者専用の収容所に利用されたものだ。あれもかなり大規模だが、ここはそれ以上の規模である。

 光景に圧倒され、クエルはついふらふらと扉の外に歩み出た。

 新しい建築のにおいがする。この巨大な空間が建造物の中、室内だとは信じられない。

 だが、このフォーマットで作られる地下は本来はこのくらいを想定しているのだ。クエルは過去の実例を知っている。

 それにしても何もない。あるのはクエルがいた部屋くらいで、振り返ってみるとそれはコンテナのような作りのスロット型住宅だった。

 他はただ灰色が広がっているだけだ。クエルは呆然とし、ただ歩く。

 歩いていると、やっぱりなんだかふわふわする。どうも安定しない。まるで体がわたあめになってしまったかのようだ。

「これって、低重力?」

 経験はないが、そう思った。ここは普通よりも重力が少ないのではないかと。

「シミュレーションなのか……?」

 クエルはつぶやく。前にVR、バーチャルリアリティ空間のゲームをした時は現実さながらの体験した。

 地球よりも重力が少ない場所、つまり宇宙を再現したバーチャル空間ではないか。しかも宇宙の中では比較的身近と言える場所だ。

 それは、地球以外で人類が到達した記録がある唯一の天体の上。

『夢ではないし、VRでもないよ』

 声が聞こえた。

 声の方向を見ると誰もおらず、灰色の路面に何かがぽつんと置かれていた。

「おまえは……東京の時のやつ?」

 ロボット掃除機だった。見覚えのある見た目である。

『そうだよ』

 ロボット掃除機は返事をした。

 白いボディ、シンプルで洒落たデザイン。市販の家庭用ロボット掃除機よりも少し分厚いが、地を這う姿はまさにそれである。

 商品名なのか、こんなものにつけていいかわからない名前がボディの上面に書かれている。やはりあの時のロボットに間違いない。

 事情があって東京都内のアパートで過ごしていた時、このロボット掃除機に宿った存在から超存在メテオの歴史を教わった。このトンネルのことを含め、クエルがメテオの技術に詳しいのはそのおかげだ。

 声を聞いて、クエルは一つ思い出したことがあった。

「もしかして……アイさん?」

 クエルは思った名前を口にしてみた。さきほど話したVRで出会ったキャラクターの名前だ。

『あれが私だって、よくわかったね』

 ロボット掃除機は関心したように言った。

「あなただったんですね……あの傭兵のNPC」

 アイという名のキャラクターは、ゲームの中でNPCという位置付けだった。クエルにはあのキャラクターにどこか既視感を覚えていた。

 その時は誰なのかわからなかったが、今はわかる。あのNPCとロボット掃除機は、声と話し方が同じなのだ。

『ほんとは、アイじゃなくて柊っていうんだ。よろしく』

 ロボット掃除機はあっさりと本名を言い、前面をクエルの顔に向けてきた。名乗られたところで、そんな姿では何かを明かされたという感覚は希薄だ。

 本当はどんな姿なのだろう。あのNPCは長身に濃灰色の髪、冷たさと温かさが同居する不思議な雰囲気だった。ロボット掃除機の中にいる存在は元人間と聞いているので、あれが本来の姿なのかもしれない。

「待ってくださいよ。それじゃあ……」

 クエルは声を震わせる。名前や姿など今はどうでもいいことだ。

 今の状況、感じている不思議な感触。これは夢ではないし、VRでもないとさっき柊は言っていた。

『おめでとうクエル。きみは、月面に足をつけた初めての民間人になった』



 ユグドラシル・レムリア



『少し歩こう』

 あまり多くを説明してくれないロボット掃除機は、ファウンデーショングレーの路面を音もなく走行し始めた。

 路面には等間隔にドットが配置されていて、工業製品らしい様相だ。それが視界の果てまで続いている。

『かつて、私たちの世界レムリアの外には何もないと思われていた。しかし、ある学者が黒耀星――この太陽系でいう火星で観測を続け、そうではないとわかった』

 掃除機の中の存在、柊が語る。メテオの根源となるクラスターコアが存在した「レムリア」という世界の話だ。

 レムリアは外界と断絶されていて、夜の星空ですら再現されたもので、小さくも一つの世界として成立していた場所だそうだ。

 そしてここは、かつてレムリアに存在した月面都市の再現。ブロッサムアースでは比類するものがない巨大構造物だ。

『このブロッサムアースも、今が観測と進歩の時だ』

 柊は語る。ブロッサムアースの月面にこんなものを作り上げたのは、驚くべきことにここの企業連合らしい。

 最低限の機材を積み込んだロケットを打ち上げ、自動化された建造装置によってここまでのものを生み出した。メテオの助力があったとはいえ、人類が自力でこれほどのものを作り上げたのか。驚くべきことだ。

『月面着陸が済んでいてよかった。そうでなければ地上からやることになっていたから』

 柊は不可解なことを言った。よく意味がわからない。人類の月着陸計画は三十年くらい前のことで、その時の機材が活かせたとは思えない。

「な、何をしようとしているんです?」

 知らない相手でもないので、クエルは率直に質問してみた。

『することより、させようとしていることを聞くべきだ』

 柊はまた言葉が不足した説明をした。どこか機械的で、しかしなんとなく愛嬌のある不思議な話し方である。

「じゃ、じゃあ。なんでここに連れてこられたんですか。同意した覚えはないですけど!」

 クエルは少し強気になって言った。

 なんとなくここまで流されてしまったが、なぜこんな場所に連れてこられたのか聞いていない。きちんと話しておくべきことだ。

『同意ならあるよ。昨日の映像』

 言って、柊は自身の頭上に立体映像を映し出した。

 自宅に調査局の知人が遊びに来た時の映像であった。確かに記憶にある光景だ。

『まぁ~ったくよう……あの女たらし、わらしがいなくなって、老後にさびしくなったって知らないぞ』

 映像の中、クエルが話している。酔っ払ってへろへろだ。

 少し気分が高揚し、メリッサへの愚痴がつい出ていた。それを聞きながら頷いてくれているセーブル、なぜかちょっと胸を抑えているシェイウッドがいる。

『それなら、ちょっとアルバイトします~? アリシアちゃんからお話があって~』

 セーブルが言っている。そういえばそんな話をしていたかもしれない。

 あのバイク事件があった頃、事件を担当したセーブルと巻き込まれたアリシアは接点ができた。今は交友があるらしい。

『なにこれ……新しいCPUの開発か何か?』

 映像の中のクエルが言っている。アリシアといえば、先端技術を扱うエーテル社の社長。おおかた新プロセッサ関連の仕事だろうと思っていた。

『そのような~そうでもないような~。よく読んで、問題なければサインをどうぞ~』

 うっすら記憶にある。ちょうどバイトが途切れる頃だったので、クエルはその新しい仕事にとびついた。

 アリシアが持ってくる仕事なら問題はないだろう。そう思ってサインをし、セーブルに返した。

『それがこの契約書』

 柊は言って、立体映像の最後を契約書の表示で終えた。

 月面基地での活動、宇宙開発に関する全般をサポートするための技術者として雇われるという内容の契約書だった。覚えがない、と言えればよかったが、酔ってテンションが上がってサインをした覚えがある。

 それを裏付けて、堅苦しい文面の後にへろへろの線でクエルの名前が書かれている。

「こ、こんなの詐欺だ……帰してください!」

 クエルは思わずわめいた。

『いいよ。宇宙船があれば帰れる』

 柊は絶望的なことを口にした。どうやって連れてこられたか不明なままだが、今ここに宇宙船は見当たらない。

「いいです、それならねーさんに……!」

 クエルは叫ぼうとして、しかし勢いが弱まった。

 脱力感だ。膝に手を置いて息をつく。少し歩いただけなのに、どうしたのだろう。

『忘れてた。酸素吸う?』

「へ……?」

『ずいぶん離れたからね』

 ロボット掃除機の白いボディがクエルに近づいてきて、上面のフタを開いた。

 ボディ内部には、円盤型の斧のような形のデバイスが収まっていた。それが生命維持装置らしい。取り出して口をつけると、苦しかった肺に酸素を含む大気が満たされた。

 少し歩いただけで気が遠くなったのは酸欠のせい。この場所がどこかを思い出し、クエルはぞくっとした。

「ま、まさか空気が薄い……?」

『うん』

「うん、じゃないんですよ。死んじゃうでしょうが!」

 クエルは息も絶え絶えに叫んだ。

『あ、普通はそうか』

 生身でない柊が言った。冗談ではない。こちらはか弱い人間だ。

 寝て起きたら月面だったのですっかり忘れていたが、月には呼吸可能な大気がない。息ができるのは当たり前ではないのだ。

 さっきの住宅付近に呼吸可能な大気を作る装置があったらしいが、歩いてきたので距離が離れ酸素濃度が薄くなった。そんな重要なことを見落としてほしくない。

 外は死の世界。そして、頼りになるのかわからない変な天然のロボットがいるだけだ。

 またくらくらしてきて、クエルは装置から酸素を吸った。

「はあ……はあ……一体どれだけ機能があるんです」

 クエルは言う。鞄くらいの大きさのロボットをどれほど改造すればこうなるのか。

『大抵の家事はできる。私には必要な技能だったから』

 柊が答えた。レムリアでは政府関係のエージェントだったと聞いた覚えがあるが、こんなに危険への警戒心がないことがあるのか。メイドか料理人の間違いではないかと言いたくなる。

『大丈夫。高い山の上みたいなものだ』

 柊はそんな大雑把なフォローをした。

 これほど巨大な空間全てに十分な酸素を行き渡らせるのが無駄なのはわかる。居住空間から移動していればいきなりゼロになるわけではないとのことだ。しかし、危険なことに変わりはないとクエルは思う。

『だからテストに最適なんだ。火星探査用の装備を開発してほしい』

「え……?」

 火星。なぜ今そんな星の話が出てくるのか。

 月面にいるだけでも驚きなのに、まさか火星まで視野に入れているというのか。立て続けの情報に麻痺してきて、もうめまいさえ起きなかった。

『人類は火星に行かなければならない。そのために乗り越えるべき課題がある』

 柊は、少し真剣さを感じさせる声色で言った。

 この少し後、クエルはじっくり聞かされることになる。

 人類が火星に行かなければならない理由。地球での資源の問題や人口の増加など、そんな容易に想像できるような理由とは次元の違う理由を。

 しかし、クエルはまだそれを知らない。だから心配と不満でいっぱいだ。

「わ、私みたいな一般人が月面で仕事するなんて無理ですよ」

 クエルは言った。できることといえば壊れたテレビの修理くらいで、他は生体LDを少し知っているだけ。そんなクエルに人類を代表するような仕事などできない。

 宇宙開発なんてエリート中のエリートのやることだ。クエルには荷が重すぎる。

『それは私の考えと違うけど、そうだな……』

 柊は言って、少しの沈黙を挟んだ。

『シリウスの願い、と言ったら力を貸してくれる?』

 そして、出されると弱い名前を口にした。



 一方、民間人初の月面活動と同じ頃の日本にて。

 成田に一人の少女がいた。合衆国から旅客機で移動してきた詩季祇しきがみエイリは、慣れた様子で電車のホームに向かっていた。

 夏にはまだ少し早い時期だが、特有の湿った熱気は懐かしい。合衆国の海岸に慣れた体では特にそう感じる。

 中学時代、友達と遊んだ各所が思い出される。ブロッサムアースの東京はエイリが知っているそれとよく似ていて、全く同じ場所も数多く存在している。

 文明の種であるクラスターコアはこの東京を中心に生み出されたため共通性が強くなる傾向があると聞いた。間違い探しをしたくなる。前にここをさまよっていた時はそれどころではなかったが、立場が安定した今のエイリには懐かしさを探してしまう町だ。

「いやいや、遊びに来たんじゃないんだぞ……」

 自分の頬を叩き、気合を入れた。わがままを言ってここに来たのだ。イルが手を尽くしてくれたことを忘れてはならない。

「リネ……あんたもここにいるの?」

 エイリは、空に向けて懐かしい名を呼んだ。

 楪世しじょう理音りおん、あだ名は理音リネ。滅びる前の宇宙でのエイリの友達。科学者の家系である楪世家に生まれた同年代の子だった。

 最近、エイリにはそのリネの呼び声が聞こえる。だから、彼女を探しに東京にやってきた。

「すぐ行くから」

 リネはかつて助けを求めていた。この東京があの頃のものとは違うとわかっていても、確かめずにはいられない。



(「ユグドラシル・レムリア2」へつづく)

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