LDC.FILE No.06012000A 「仮面」1
東海岸の広範囲が霧に覆われた。大西洋で活動する航空母艦ミドルアークはたびたび異常現象に遭遇しており、こういう時はすっかり中心に置かれるようになっていた。
ノストーク事変では航空機隊を飛ばした。ブロッサムでの異変の際は救助に動員された。今回の事件もまた異常なもの。他の空母の航空部隊であれば判断を間違えていたかもしれない。
「IFFは信じるな。各機、目視にてよく攻撃対象を識別しろ」
指揮官機が命じる。レーダー反応がめちゃくちゃだ。幻のような架空の機影がいくつも出現している。
「……とは、言ったもののな」
無線を切り、指揮官機のパイロットがつぶやく。薄い霧だが目視は厳しい。
味方の艦隊が攻撃してきたという情報まである。どこまで本当なのだろう。テロの疑いばかりか、国内左派によるクーデターなどという噂まで飛び交っている。
パイロットは、かつて地中海で起きたという「悪霊」のテロと似ていると考えていた。
すべての電子機器がことごとく異常をきたし、軍隊がまともに機能しなくなるというもの。ノストークの電波妨害とは違う。
制式化し先行配備されたF-32戦闘機はどこか愛らしいずんぐりとしたフォルムをしているが、さすが最新式。対LD戦闘を想定して厳重に電子機器がシールドされており、飛行機能をハッキングされることを防いでいる。
だが、霧の中にこうあやふやな反応が増えては同士討ちになりかねない。これらは作られた偽の反応。ならば、敵をよく確認すれば対処できるはずだ。
この程度で済めば、である。
悪霊の時は海上で大規模な同士討ちを引き起こされた。陸では発電所やネットワークが停止させられ混乱が起きた。一連の騒ぎで犠牲になった者は数十万人と聞いている。
ノストークの傭兵と空戦経験のある指揮官機には、それと同格だという悪霊がこんなものとはどうしても思えない。必ずなにか仕掛けてくる。対処を間違えば、取り返しのつかない被害が出るだろう。
LD術者用の特別収容所は、半壊しつつもその機能を十分に果たしていた。
まだ少しコンクリート片が散らばる草原を歩く。その先に、巨大な要塞のような施設が存在している。
要塞のようなというより、事実ここは要塞として機能するよう作られていた。深淵との戦いで防波堤の役目を果たしたのだ。
だからこそ傷が深く、現在は地下に収容することができなくなっている。
深淵との戦いの時、ルーシーはここから出撃した。あの時もっと役立てていれば、施設の機能は今よりも保持されていただろうか。
かつては地下に存在することで位置を隠蔽し、囚人を厳重に封じ込めることもしていた。現在も通常の収容所以上の厳重さを維持しているものの、壊れていなければクレアがいなくなることはなかったかもしれない。
「しけた顔をしていますね」
考えるルーシーに話しかけるのは、軍用のジャケットを羽織った小柄な女性兵士。フェルナンダ・ホールテイル准尉であった。
彼女は調査局の実行部隊に所属する同僚で、近くのノストーク基地に勤務している。この要塞の一部の管理もしているらしい。
「……まあな」
ルーシーは返事をする。自分でも驚くほど冷たい声だ。
「ふむ。覇気がないのかと思ったが、そうでもないらしいな」
フェルは言い、ルーシーの目を覗きこんだ。
「あんだよ。からかってんのか?」
ルーシーは言う。今は気分が最悪なのに、フェルにはどう見えているのか。
「何か考えている時の目だ。だからここに来た。そうではないですか?」
フェルはそう言い、ルーシーを見据えてきた。
考えている。確かにそれはそうだ。
東海岸全域に無線通信の不調が発生している。しかし、有線にはあまり影響が起きていない。まだ各所との通信が完全に死んだわけではない。
フェルはすぐに有線による通信体制を配備して情報を整理していた。ここからリトルアークへの最低限の連絡もとれる。流石に手際がいい。
「悪霊なのか?」
フェルが単刀直入に問いかけてきた。
「いいや、まだだと思う」
ルーシーは答えた。確かに状況は似ているが、今の東海岸の状況はクレアの仕業ではないと思う。
悪霊事件の時とは明らかに違う。あの時は無線でも有線でも、スタンドアロンの機材でさえ影響を受けていた。
まるで本当に呪いを受けているかのように。携帯が繋がりにくい程度の今は、そこまでの状況ではない。
「少なくともまだ、この異常の中心にはいないってことだ……」
収容所から脱走したと発覚したのはつい先ごろだ。行き先は不明で、情報はない。
だから手がかりを求めてルーシーはクレアがいた場所に来た。ここに来るのが最も近道だと考えて行動した。フェルの言う通り、呆けていたわけではない。
「クレア、お前どうするつもりなんだ?」
なぜクレアは脱走したのか。テロに合流するつもりなのか。
あるいは、たった一人で止めるつもりなのか。だとして、なぜルーシーに相談しない。
「ほら行くぞ、二等兵」
フェルが言い、ルーシーの背中を強く叩いた。
感傷にひたっている場合ではない。クレアの行き先や考えを知るために、なんとしても手かがりを掴まなくては。
収容所は巨大なトンネル状の施設で、内部は三つの区画に分けられている。
最も手前の第一区画は軽度なLD犯罪者を収容する場所。ひとつ奥の第二区画は多くの悪質な術者を収容する場所だ。区画の決定は、その犯罪者のLD資質の強さや犯罪性の高さを総合的に評価し決定される。奥に行くほど現実干渉の妨害が強くなり、能力を強固に封じられていく。
第一、第二区画は外の町に似せられた地下都市の様相で、普通の収容所とは違う。ファウンデーション・ウォールという特別な外壁ディスプレイで空や風景を投影し、まるで外にいるかのように感じられる。
現在は地下ではなく実際に外に出ているが、密閉されているのは同じだ。空気は澄んでいて風まであり、ここなら何年いても苦痛ではないと思える。
しかし、この先に存在する第三区画だけは別である。
第三区画は最も厳重に管理されている最奥の小さな区画だ。町並みは存在せず、すべての囚人がそれぞれ専用の独房に入れられて生活する。
現実干渉の阻害も最も強力だ。埋葬花を応用した高度な封印があり、カウンタークラスの能力者でさえ容易に力をふるえないだろう。
クレアは、クレア個人の罪の多寡と関係なくこの場所に封印するしかなかった。資質食いと称される彼女は他のLD術者の力を奪う。現実干渉の全てを封じるこの場所でなくては、彼女の力がどう作用するかわからない。
ルーシーがあの少女をここに閉じ込めた。暗く冷たく、人と接することもないところに。
ずっと会っていなかった。彼女が何を考えているかさえ知らない。その結果がこれなのか。
クレアがいなくなり、現在ここに収容されているのはたった一人である。
リオ・ロペス。ライトハンドファミリーの幹部の一人だった彼女は、深淵と深く融合した危険人物としてここに閉じ込められている。
クレアと顔を合わせる機会があった囚人はリオだけだ。まずは彼女から話を聞くことにする。
フェルに案内され、厳重に閉じられた第三区画へと入る。ゲスト用のIDカードを通そうとするが、最後のゲートには読み込み装置が見当たらない。
「ここにはありませんよ。全て物理的に閉鎖するように作られています」
フェルは言い、外側からしか操作できない巨大なかんぬきを手動で解除した。たっぷり数分をかけ、やっとロックが開かれた。
これほどの装置をもクレアは突破したということになる。LDも使えないのにどうやって。
内部は思ったより明るかった。ファウンデーションウォールはなく、白い壁で覆われているだけだ。
その中にある一つの檻に、目的の人物がいた。
透明金属のパネルで覆われた部屋の中、背を向けて本を読んでいる姿があった。あれがリオ。自らの肉体の多くを深淵に食わせたという。
「調査局のルーシー・パロット調査官……いや、局長代理だ。ちょっと話が聞きたい」
マイクを通じてルーシーが言うと、リオは本を閉じてこちらを見た。
「東京でうろちょろしてた局員だね。久しぶり……といっても、一方的かな」
リオは笑みを浮かべながら言った。陰鬱な喋り方だ。
「見てたのか?」
「遠くから。あの時のあたしは視力がよかったもんでね」
言って、リオは自分の目を指さした。
深淵を受け入れた話をしているのだろう。そんな異物を体内に入れるなど、想像するだけでぞっとする。
「今はおいぼれちまって、本を読むのにもメガネがいる始末だよ」
リオは言いながらメガネを外し、ベッドの上に放り投げた。
彼女の両手足はMLDによる再生治療が進められている。神経も同じだ。深淵によって破壊された彼女の体は、LDのつぎはぎだらけである。
「クレアのことを聞かせてほしい。この区画にいた少女だ」
ルーシーは言う。同じ区画にいたリオは、普段のクレアの様子を見ていたはずだ。
「あのガキのことか。脱走したんだってな。部屋どころか飯すら別だったし、よく知らないねェ」
リオは大仰に両手を広げ、そう答えた。
「会って話さなくても、最近の様子とか。こんな何もない場所、他に見るもんもなかったろ?」
素直に話が聞けるとは思っていなかったが、現実になると焦燥感が勝つ。ルーシーは少し前のめりになってしまう。
「じろじろ見たりしないよ。あたしはもっと大人っぽい女が好きなんだ」
リオは透明な壁ごしにルーシーに顔を近づけ、言った。
「パロットだっけ。あんたはなかなか好みだな。キスしてくれたら何でも教えてやる」
暗い笑みを浮かべ、リオはそんなことを言った。
「立場をわきまえろ、犯罪者。お前の手足をもぎ取ってもいいんだぞ」
ルーシーの背後、フェルが迫力のある声を出した。
「お前も、のぼせて聞くなよ」
「き、聞かねぇよ」
フェルが耳元で言い含めてきて、ルーシーは思わず声を裏返した。
リオの振る舞いは冗談とは思えなかった。しかし、応じれば知りたいことが聞けるという保証はない。
「つれないね。面会も制限されてて退屈だってのに」
リオは言って、椅子に座り直した。
「リオ・ロペス。貴様も疑われている。言動には気をつけることだな」
フェルがまた口をはさむ。リオはそっぽを向いた。
「疑われてるって?」
ルーシーはフェルに聞いた。
「第三区画にはこいつしかいなかった。関与を疑うのは当然です」
ライトハンドとハーキュリーの一派に直接の関係はないが、リオはマフィアである。何らかの対価で脱獄を手引きすることは考えられるということだろう。
クレアに資質を貸す程度のことなら簡単だ。そのやり方ならリオには特にリスクがない。
「無いな。クレアは能力を使いたがらないはずだ」
ルーシーは断言した。
クレアは自分の力を使うことを恐れていた。特に、リオのような危険人物から能力を借りるなど不自然だ。
「お人好しだねェ。あの所長の元部下ってだけある」
リオはため息まじりに言った。所長とは、ここの管理を任されているアルバートのことか。
「脱獄の件でもずいぶん意気消沈していたよ、所長サマは。あのガキが何か不満に思ってたんじゃないかっていじけていたね」
リオによれば、事件の後でアルバートは一度ここに来たらしい。その時はずいぶんしょんぼりした様子だったようだ。
「ついでにあたしにまで心配を向けてきやがって……調査局ってのはどいつもこいつも」
リオはぶつくさと言っている。
「そうか。じゃあセンパイを呼んできてやろうか」
ルーシーがそう言うと、リオの表情が固まった。
「お前が寂しそうだって伝えてやる。きっと今以上に面倒見てくれるぞ」
「……やめろ」
リオの余裕がなくなっている。どうやら弱点をついたらしい。
「わかった……話してやるよ。あの所長は苦手なんだ」
リオはギブアップし、素直な態度になってくれた。
「変わったことねェ……まあ無口なやつだったし、とりたてて変化があったとも思えなかったけど」
リオが語るクレアの様子は、ルーシーにとってあまり気持ちの良いものではなかった。
「毎日暗い顔して、房と食堂を行き来するだけだぜ。ここは看守もいないから、誰と話すってこともない」
きっと自責の念があったのだろう。自分のせいで大勢を死なせたことに。想像して、ルーシーは胸が苦しくなる。
「所長、キャシーだっけ。あいつとは多少は口きいてるようだったけどな」
クレアがこの収容所内で会話する相手はキャシー、つまりキャスリン・アルバート所長だけだったようだ。所長と話す時だけは顔を上げ、そしてたまに笑顔を見せることもあったらしい。
ルーシーは、脱走事件のせいで奔走していてここにいない、穏やかで器の大きい先輩の人柄に感謝した。
「……そういや」
そこでリオは、なにか思い出したように言った。
「最近、よくつけてたペンダントをつけてなかったな。不格好な、黒いカギ型みたいなやつ」
リオの言葉を聞いて、ルーシーはそれが何かすぐわかった。
局章のかけらだ。お守りとしてクレアに持たせた。きっとそれに間違いない。
「これ持ってろ。お守りだ」
ルーシーは言って、砕けたMLDのかけらを少女の手に握らせてやった。
「パロット。これはもうLDではないぞ」
クレアはそう言った。
MLDは構造を完全に破壊されていた。LDとしては確かに使えない状態だったが、その方があの時のクレアにはいいと思った。
「こいつはあたしの命を救ってくれたもんだ。ご利益があるかもしれないだろ」
縁起、などという概念が意味をなすかはわからない。だが、柩はLDでないものにも因果という守護を付与できる。
壊れた局章にまだその力があるかはわからない。それでもルーシーは、目の前の少女に何かをしてやりたかった。
「わかった。信じるよ」
クレアは言って、ルーシーが渡したかけらをぎゅっと握りしめて収容所へと消えていった。
大事そうに、ルーシーの気休めを信じて。胸が苦しくなった。
使命を貫くというのは、時に苦しいものだ。こんな苦しみを柩は、グレイスは味わっていたのだと気付いた。
自分の道を信じ続けたグレイス。その姿がルーシーの心を魅了するが、光に焦がされる思いでもあった。
「悪霊はそのMLDの残骸を利用し、脱獄のための道具を作ったということなのか?」
フェルは、思い出して悩むルーシーにそんな意見を述べた。
クレアは最後にはペンダントをしていなかった。リオのその言葉を解釈すればそういうことになるのかもしれない。
「わかんねぇ……そんなことができるのかな」
局章はLDとしての機能を完全に喪失していた。MLDの悪用にとりわけ神経質な柩のこと、そのあたりの機能は完璧だろう。
クレアの能力はとても特殊だが、よもや超存在の防衛策を上回るとは考えられない。
そして、クレアが悪意で法を破るとは思えない。一体なぜ脱走などしたのだ。
「ああ……くそ。考えがまとまらねぇ」
ルーシーがもっと現実干渉に詳しければ可不可の判断もできようものだが、あいにくあまり勉強してこなかった。MLDの復活は本当にできないか、そればかりはわからない。
「贅沢な悩みですね。私など無資質で仕事をしてきたというのに」
フェルは不満そうに言った。ルーシーの態度が気に障ったのだろうか。
「お前はなんで兵士なんだ? しかもLD能力者相手の」
ルーシーは、ついそんな質問をしてしまった。
「力もないのになんでやってるか、だと? 無礼なやつだな」
「わ、悪い。そうじゃなくて」
「謝らなくていい。別にお前などにコンプレックスを感じたことはないからな」
そうぞんざいに返事した後、フェルは一息ついて言った。
「できることをし、信じるべき相手を信じるだけだ。大尉殿はそうしていた。お前は、クレア・レインディアを信じないのか?」
信じる。フェルの答えは、彼女らしくシンプルだった。
「そうか……」
わからないことをいつまでも考えていても仕方がない。その通りかもしれない。
LDを使えば超常現象が起きてしまう。まじめに推理などしてもすぐ前提が崩されるのだ。小説のようにルールが通用するわけではない。
だったらいっそ、クレアを信じるところから始めればいい。
クレアに脱走の意思はなかったし、能力も使わなかった。そう考えることにする。こんな先入観は危険だが、ようは結果次第だ。
真実でなくても、この状況を打開する鍵が手に入るならいい。ルーシーはこだわりを捨て、思考を開始した。
クレアが自ら脱走しなかったのであれば外部からの干渉だ。それが最初の手がかりで、ルーシーの考えの新たな出発点である。
(LDC.FILE No.06012000Bへ続く)
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