LDC.FILE No.04072000B 「思い出の少女」2
「エフェメラは?」
欧州を出る前、クレアはその名を口にしていた。
悪霊の正体と目されて追われていたエフェメラ。クレアはどこかせつなそうにその元軍人ことを気にしていた。
「今頃どっかで追われてるだろう。でも、あの様子じゃ逮捕するのは無理だろうな」
ルーシーは正直に答えた。エフェメラを直接見ていないが、聞いた様子では現地の警察や軍が総出でも捕まえられないと思う。
追いやすいようあえて姿を見せていたようにさえ思える。それは、もしかするとクレアの居場所を隠すために。
「そうか」
クレアは、安堵を含んだ声色でつぶやいた。
逮捕時にクレアが着ていた穴だらけの軍用ジャケットはエフェメラのものだった。階級章を外され誇らしさが剥がれた襤褸が、クレアの小柄な体を保護しているように見えた。
そんなものしか頼りがなかったのか。この世から外れてしまったような少女だった。現実の物理法則を逸脱し、どこにも居場所がなかったのだ。
クレアは合衆国の国籍を持っている。だが死亡扱いになっていること、テロ事件の容疑者ということで簡単な身分ではなかった。帰国にはいくつもの手続きが必要で、欧州で身柄を強奪しようとする動きもあった。
ルーシーはなんとしてもクレアを国に返してやりたかった。ちゃんとした償いが必要だと思ったからだ。そのために、時間がかかっても全ての障害を乗り越えることにした。
その間、クレアと行動を共にした。着るものの面倒をみたり、アイスクリームを買い与えたりした。
思い起こすといささか子供扱いしすぎた気がするが、クレアはおとなしくルーシーについてきてくれた。
およそ十日間ほどだろうか。ホテルを転々としながら一緒に過ごし、いろいろな話を聞いた。
身の上のことや、小国ハーキュリーで起きていたこと。
そして、エフェメラのことも。
「信頼できる大人だった気がするんだ。あの人だけは」
クレアはエフェメラをそう評価していた。
エフェメラの本当の名前も顔も知らないと言っていた。それでも、唯一の仲間だったのだろう。
「……きみも、なんだぞ」
「え?」
「信頼できる大人。二人目だ」
そっぽを向いて、クレアはそんな事を言った。
「パロット。見捨てたってよかったのに、きみは私の手を離さなかったな」
クレアの言葉は、ルーシーのつたない行動をしみじみと語るものだった。
「……本当なのか、それは」
車を止め、ルーシーは助手席にいるダリアに言った。
「ええ。まだ記録を確認しただけですけどね」
ダリアは言う。冗談や嘘ではなさそうだ。
「これは二〇年ほど前の卒業写真。端っこにいるのがエドワード先生です」
壮年の教師。ルーシーが会ったあのエドにそっくりだ。
「こっちが、あなたが知っているその軍人です」
その写真には、ルーシーが思いもしなかった人物が写っていた。
「本名、アンブレ・ビソン。エフェメラと呼ばれた軍人くずれの若き日の姿です」
ダリアの説明を聞いてルーシーは言葉を失う。
エフェメラ。彼女はエドワードのクラスにいたのだ。
いいや、その逆というべきか。エドワードがこの件の関係者として発見されたのは、あの幻の軍人の担任教師だったからである。
写真のエフェメラはごく普通の学生に見えた。ほとんど黒に近いダークブラウンの髪、桃色の虹彩。目立つタイプではないが、地味というわけでもない。
クレアさえ知らない本名と姿をルーシーは知った。不思議な気持ちだ。
「エドワードはすでに亡くなっていますが、まだ存命の教師もいます。当時のことを聞けるかもしれませんね」
ダリアはルーシーの目を見て言った。存命、話を聞ける人物ということだ。
「つまり……その、この店にその人が来てるのか?」
ルーシーは言い、現在地について話した。
ここはある店の駐車場。色とりどりのネオンサインが目に入る。ルーシーが自分から来ることがないような店だ。
「ほ、ほんとにこの店?」
昔、従姉妹に連れられてこういう店に何度か来たことがある。もちろん大人になってからのことだ。
ここがダリアが言う関係者の行きつけであり、これから会おうというのだろうか。
「いえ」
「違うのか? じゃあなんで」
「私が来たかったんです」
ダリアは言って、さっさと車から降りて店へと入っていった。
「エフェメラは欧州からの留学組で、仲良くしていた人は少なかったようです。電話ではそのくらいの情報しか手に入りませんでした」
ダリアは淡々と補足説明をした。
「入ってこねえって。こんな場所で話されてもさあ!」
ルーシーは文句を言った。動揺して声が裏返りかける。
ステージの女性にじっと見つめられて目をそらすと、そっちにも際どい格好をした店員がいた。こんな場所で集中して話を聞けるはずがない。
「情報を教える代償と言ったじゃないですか。それに、嫌いじゃないでしょう?」
「…………それはまあ。いや、そうじゃなくて」
ここは女性客向けに開かれている店だそうだ。嗜好はともかく、こういう場所を探した経験はない。
「息抜きも必要でしょう? 思いつめているようでしたし」
言って、ダリアは微笑んだ。
「そういうの、息抜きと思う気はないんだよ」
「じゃあ本気で? 私みたいに」
ダリアはグラスを傾けつつ言った。声には少しの寂しさを感じる。
ダリアはグレイスと似た孤独の気配を放つ人だ。だが女癖が悪く、各地にお相手がいると聞いたことがある。
「今のあなた、ひとりぼっちに見えますから」
それは、どうしようもない孤独を埋めるための行為なのだろうか。
ダリアはテーブルに頬杖をついて目を細めている。超存在を相手にするという重圧の中で、彼女はそうやって心を保っていたのかもしれない。
そして今、彼女なりにルーシーを気遣ってくれている。
「しかしなるほど、本気。この店に来たこと、グレイスには言えませんね?」
その一言を聞いて、ちょっとでもダリアを見直したことを後悔した。
「何が目的なんだ、悪党……」
「別に。ふふふ」
ルーシーをゆすろうという魂胆である。局長代理の便宜を引き出してフロリダ支部を潤わせようと企んでいるのか。なんてやつだ。
柩やグレイスとの仕事が恋しい。最近、こういう姑息でいやらしいのばかり相手させられている。
「もう来てしまったんですし、今日は楽しんでください。怖くないですよ。こんな感じですが、基本は飲むだけのお店ですから」
ダリアは言う。それは、飲むだけ以外の店にも行くということなのだろうか。
「お客さん、何にします~?」
甘い匂いを放つ店員がルーシーに話しかけてきた。座った位置から細い腰が見え、ドキドキする。
「勤務中なんで……お、オレンジジュース」
上ずった声でルーシーは言う。ダリアはバーボンを飲んでいる。あとでフロリダ支部に報告し、今日の勤務をオフにしてやらなければならない。
「エフェメラのこと、やっぱり気になりますか?」
ダリアはグラスを揺らしながら言った。話の続きだ。
「……まあな。事件に関係あるだろ」
エドワードとして船に現れた人物、その正体はきっと変身魔法を使ったエフェメラだろう。他に考えられない。
ミレイユの手がかりが少ない以上、こちらから当たるべきだ。霧の中に現れた巨大な黒い影は何なのかを知るために。
「嘘。別の人のことを気にしてますね」
「……んだよ。誰を」
「決まってるじゃないですか」
考え込むルーシーにダリアが言ってくる。何が言いたいのだ。ルーシーはダリアを睨む。
「クレア・レインディア。彼女について、あなたは妙に神経質になる傾向がある」
面白そうにしながら、ダリアはそう言った。
「いいだろ、クレアの話は……」
ルーシーは話題を逸らす。考えないようにしていることだ。
霧を使う犯罪者ミレイユ。再び現れたエフェメラ。それらは、あの不運な少女の過去をどうしても思い起こさせる。
支援ボランティアの両親を紛争で失い戦場に放り出されたクレアには、資質食いの力があった。クレアは大人の言いなりになって世の中に混乱をもたらし、大勢の命を奪ってしまった。
逮捕された時、クレアは自分がしたことの意味をよく理解できる年齢だった。そして、彼女の力は危険すぎた。
しかし、一人で背負うには重すぎる罪ではないのか。
ルーシーはクレアを逮捕しなければならなかったが、その後は何もしてやれなかった。
LD術者の特別収容所の中でも最奥、最も自由が少ない第三区画まで送り届けただけだ。監獄のような場所に入っていくクレアの小さな背中を、ルーシーはよく覚えている。
入っていく時、クレアは振り返ってルーシーの顔を見た。
どんな顔をしていただろう。
助けを求めてはいなかったか。
もしくは、心細さを感じてはいなかっただろうか。
まっすぐに見られなかった。だからよく覚えていないのだ。
ただ壁の向こうに送って、あとを任せるしかなかった。局長、柩ならうまくやってくれると考えて。
無責任で無力であった。大きな業を背負う柩に向き合ったグレイスも、こんな気持ちだったのだろうか。
グレイスはその願いを成し遂げた。立派だと思う。
「そんなに入れ込んでるなら、素直に会いに行けばいいじゃないですか」
一杯目を飲み干しつつ、ダリアは言った。
「……あたしのツラなんか見たくないだろ。逮捕した人間なんだぞ」
ルーシーはつぶやく。思いのほか、言い訳じみた拗ねた声が出てしまう。
向き合ったとして何を話せばいいのだろう。お前を外に出してはやれないと繰り返せばいいのか。
まだこの世界はお前が息をするのに苦しすぎるからと。クレアの資質はあまりにも特異すぎて研究のしようがない。力を抑制する方法が見つからない。ルーシーは、グレイスのように立派ではない。
「わかってんだよ……」
しかし、いつまでも逃げてはいられない。
霧が使われ、エフェメラが現れた。もし悪霊の事件がまだ続いているというなら、ルーシーはそれを解決しなければならない。
改めてクレアから話を聞くべき時ではないか。収容所は分隊の管轄。連絡をいれてみよう。
「もしもし、ベル?」
ルーシーは、最近一緒に仕事をしたベルに電話をかけた。
『急にかけてこないで』
ベルがいつものとげとげしい声で応答した。電話はだいたい急にするものではないのだろうか。
「悪いな。この前の件……」
『それはもういいです。いつまでも落ち込んでいる私ではありませんから』
ベルははきはきと言った。メロウ事件の直後は落ち込んでいたのが、もうすっかり立ち直っているようだ。
ルーシーもこうしていられない。言い訳するより行動を起こすべきだ。
「あのさ――」
「お飲み物ぉ、お待たせしましたあ~♡」
話そうとした瞬間、ルーシーの耳元で店員が囁いた。
甘い声を出し、肩越しにオレンジジュースのグラスを置いた。背中に柔らかい感触がする。
店員はルーシーの肩を撫でつつ、色っぽい目線をへばりつかせて去っていった。
『……ルーシー先輩?』
「あ、ああ。ベル。話の続きだけど」
『今どこにいらっしゃるんです。いえ、いいです。こっちで照会しますから』
冷たい声がする。まるでグラスの氷のような。
『ルーシー・パロット使用車両、番号C03をチェック。ええ……現在地、バー“J”の駐車場……』
そうだった。最新の捜査車両はデータリンクによって居場所を共有できる仕組みだ。
『そうですか』
「あの、ベル」
『捜査車両でそんなお店に。私が落ち込んでる間に……あなたという人は』
ベルの声がどんどん冷えていく。グラスについた結露がたらりと流れ落ちる。
『今からそこに向かいます。覚悟しなさい。今日から一週間、特別訓練です!』
端末が壊れそうな大声が聞こえ、通話がぶつりと切れた。
誰のせいでこうなった。横を睨むと、さっそく店員を口説く犯人の姿があった。
(LDC.FILE No.04072000 解決済み)
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