ファイナルエピソード 前編 「荊棘のLICHT」 10 願い

 あの瞬間、虐殺の魔法が発動したのだ。

「……のろまで……でもやさしい、イルのままでいれば……よかった……のにね」

 ガイア世界での出来事。イルの前の前で殺されたヨハンナは、最後にそんな言葉を口にした。

 玉座に押しかけた兵士たち。今にもイルを突き刺そうと迫る刃。

 そして、その刃からイルを庇って串刺しにされた愛しい幼馴染。

 ヨハンナの魂は砕けた。それを救う術を、イルは持たなかった。

「あはは……」

 あの時、イルの中で何かが壊れた。

 そして目覚めた。いにしえの魔法の一つが。

 ガイア世界に古来から存在する神淵魔法。その種類は少ない。

 魂を不滅のものとする久遠流転アイオーン、人の魂を操る幻喪転トラウム

 そしてもう一つ。神淵魔法で唯一の攻撃魔法。

「あはははっ……あははははは!」

 玉座の間は炎で包まれた。イルが放った魔法によって。

 人体が発火していった。その場にいた罪深き兵士たちは体内のマナを魔力に変換され、自らの頭部から赤い炎を吹き出して絶命していった。

 罪を焼く炎。その魔法こそ、神淵魔法ナハト荊棘リヒト。神淵魔法の中で唯一にして究極の攻撃魔法だ。

 この魔法は、まず特定の形に連結した魔力を広範囲にばらまく。そして、範囲にある魂のうち規範にそぐわない邪悪を見つけ問答無用で焼き尽くす。

 法に背く精神傾向を持つ者を見つけ出し、その者だけを殺す。処刑の魔法。

 それが、イルが掲げてきたリヒトの正体だ。

 ヨハンナ・キルシュの命が奪われた時、イルはこの神淵魔法を発動させた。そして、イルの力が及ぶ範囲にいた罪深き者たちの命を一瞬で焼き尽くした。

 容赦なく、イルの意思さえも介在せずに。

「そうか……」

 あの時、イルは理解した。古の時代、ガイア教はこの魔法によって人々の罪を暴き出していたのだと。

 荊棘リヒトが古代魔法で唯一の攻撃魔法であることには理由がある。他の攻撃魔法はいらなかったからだ。

 善良な者には効き目がない魔法だ。しかし、善良な者を攻撃する必要などない。

 必要な悪だけを容赦なく消すこの魔法だけが、人類にとって唯一必要な攻撃手段なのだ。

「光にそぐわぬ者は……全て消せばいいんだ」

 その時、イルは魔王となった。

 古代のガイア教ではこの魔法を恐れ、封印を選んだのだろう。

 そして魔法は衰退した。悪魔のような魔法を生み出したことを戒めたからだろう。

 イルはそのどちらでもなかった。

 真実を知ったイルがしたことは一つ。荊棘リヒトを受け入れ、その力を最大にすることであった。

 イルが優れた術者でも、世界全てを照らせるほどの力はなかった。だが荊棘リヒトはそこにマナ、幽子がある限りは増殖して魔力を吸い出すように作られていた。

 人の魂があれば術式の材料となる魔力を作れる。信者となる人間さえいれば、この魔法は無限に範囲を広げていく。

 そして恐ろしいことに、処刑された人間の魔力の全てが術者へと吸い上げられる。

 だから、イルは信者を増やすための活動をした。時に話術を駆使し、時に人の精神を操って。

 それだけではない。荊棘リヒトを更に細かく分解して新たな魔法を作った。

 それが新生ガイア教の中核、同じ名を与えた煌神魔法リヒト。信者に力を与え、ガイア教を受け入れさせるための魔法であった。

 ガイア教は瞬く間に広がり、世界は業火に包まれた。罪人の死から吐き出される膨大な魔力を吸って、イルは誰もかなわない強さを手に入れた。

 それで終わりではなかった。イルは自身の生まれた銀河を支配すると、広大な宇宙に旅立った。

 そして、その先で救うべき人類を見つけていった。

 新しい星に降り立つと、イルはまず小さな集団を支配した。そこから魔法を広め、次第に世界を支配していった。

 話術や魔法による誘惑。それだけではない。印刷やラジオなど、発達したメディアがあれば積極的に利用した。

 偽りの光をかざし、人々を欺いた。十分にガイア教が広まった時、荊棘リヒトが起動して人類を裁く。それこそが、イルが行ってきた救済であった。

 星鏡が取り込んできた世界は数多い。それらは、今もイルの魔法の下で存続している。

 イルは人殺しだ。シリウスよりも大勢を殺しているかもしれない。

 なんと罪深いことか。処刑の魔法は、そんな罪深いイルにも襲いかかった。

 荊棘リヒトの術者であるイルも断罪の例外ではなかった。例外があっては意味のない魔法だ。だがイルは並の人間とは違う。罰を受けて苦しんでも、死ぬことはできなかった。

 久遠流転アイオーンによって魂の強度が増していたからだ。痛みを感じはしても、消滅はできない。

 おそらく、不死の魔法はこのためのものだった。この苦しみは教祖としての宿命だ。終わらせるためには、不死を打ち砕く剣が必要である。

 火梛のそれや、メテオライトの灰燼剣のような。イルはその剣を持たない。

 そして現代。この地球では、荊棘リヒトが作る魔力をGLDと呼んでいる。

 小さな術式が集まって巨大な魔法を完成させる。それが荊棘リヒトの特徴である。これは、まさにリンカー・デバイスと呼ぶにふさわしい情報素子といえるだろう。

 GLDとは荊棘リヒトそのもの。GLDが持つ他の機能は全てイルが作った副産物に過ぎない。

 そしてこの地球でも、GLDはもう世界じゅうに浸透している。



「深淵が動き出しましたか」

 イルは言い、周囲の気配を分析した。

 激しい戦闘によって魔力が大地から吸い上げられている。愚鈍な深淵でも流石にこの場の異常に気づいたか。

 あるいは、シノが忠告したか。こちらに注視している。ダリアの肉体と繋がった深淵の因子が反応している。

 いい頃合だ。グレイスは、ガイアの本質を十分に理解した頃だろう。

 完全でないとはいえ、超存在であるこちらと対等にやりあえていたグレイスの実力は大したものだ。しかし、この場にGLDが充満していくと形勢は変わった。

 この空間はイルに有利。そして、痛覚魔法によってグレイスの能力はガタ落ちした。激痛の中で戦うことになり、防戦一方になっていった。

「く……」

 イル自身にも、禁呪の反動によるリヒトの荊棘が突き刺さっていた。

 この地球ではまだだが、イルの体内では常に荊棘リヒトが起動している。心理喪壊ガイストは教えに背く魔法に指定している。イルは、常人ならとっくに死んでいるほどの罰を浴びている。

煌神魔法リヒト業火鎚シュラーク!」

 イルの魔法が再び発動し、焼けた溶岩の雨のような魔力を降らせる。動きが鈍くなったグレイスはその攻撃を回避できない。

「払え、灰燼剣アッシュよ!」

 それでもグレイスは、残された力でイルの苛烈な魔法攻撃を弾く。しかし、灰燼剣の輝きは失われつつある。

 イルの魔法を浴びて飛ばされ、グレイスは地底に転がり剣を手放した。

「っ……」

 見ていて辛い。本当はこんなことをしたい相手ではない。

 でも、憎んでもらわなければならない。嫌ってもらわなければならない。

 イルは許されてはいけない存在だから。

 いくつもの世界を統治してきた。荊棘リヒトによって世界は浄化され、人々を救うことができた。

 最初は罰を恐れ、我慢から従うだけだ。だが教えを広め世代交代を繰り返せば、次第に人々は慈悲深く変わっていく。

 平和な世界は作れるのだ。完全世界メテンプリコシスでなくとも、持続可能な世界を数多く作った。

 魔法のおかげで過剰な科学技術の発展が起きることもない。自然の中でいつまでも平和に暮らしていける。

 しかし、それは傲慢な欲望によって生み出された世界だ。

 それが唯一の方法と信じてやってきた。だが違ったのだ。

 メテオライトは違った。悪を悪と理解しつつ、変えることはしなかった。高い壁を作り、それぞれの世界で存在させたのだ。

 結果はイルの世界と同じだが、そこに傲慢さはない。全てを受け入れる器の大きさがあった。

 イルはそんな方法を思いつきもしなかった。憎しみから生まれ、人を信じることができず、壊れた魂を持つイルには。

 今、ガイアそのものを委ねるべきなのだ。正しく世界を導いてくれる本当の光に。

「だから……もう少し付き合ってください」

 イルは、この広い地底空間で戦うその光と向き合う。

 同じ超存在でもメテオとガイアでは違う。羨ましかった。

 そして、メテオのカウンターであるグレイスもイルとは違う。

 イルのような禍々しい光ではない。白くまっすぐな光だ。

 その光を纏う者、誇り高き騎士グレイス・ハート。彼女の様子はどうだろうか。

 力は尽き、魔法を防ぐこともできなくなってきた。かなり辛いはずだ。イルは少しずつグレイスに近づいて、その表情を見た。

 そして、驚いた。

 グレイスの銀色の瞳には、少しも衰えない光が宿っていた。

「……イル」

 グレイスは立ち上がり、こちらを向いて言う。

「苦しんでいるのですか?」

「……!」

 まっすぐな瞳で射抜かれ、思わずイルは竦んでしまう。

「ずっと考えていた。あなたが私をここに呼んだ理由を」

 言って、グレイスは足元の剣を重力で引き寄せ拾った。

「理由……それは、あなたが苦しむ姿を見たかったからですよ」

 イルは気持ちを奮い立たせ、グレイスの言葉に返した。

「私から大事な人を奪った醜い人間ども。そいつらが自らの業に焼かれる姿を、何度も見てきた。人は苦しんで死ぬべき存在ということです」

 この言葉の半分は事実だ。イルは、幾多の世界で荊棘リヒトを発動させて罪人を焼き払ってきた。

 いや。罪人と勝手に決めた存在を、だ。ある世界では人口の一割、他の世界では五割に及ぶこともあった。

「だから私は、あなたのように正しいふりをしている人間が一番嫌いなんです」

 そして、言葉の半分は嘘。イルはグレイスのような者こそを好み、求めている。

「……だから、優しいあなたには辛すぎた?」

 グレイスは言って、イルに眼差しを向けてきた。

「……」

 それは何だ。憐れむような、いや、慈愛を注ぐかのような目。イルはあの玉座の間を思い出す。

 あの日あの場を包んだ炎の熱さ。肌に感じる。

「ここでの戦いで、私はずっとあなたを見ていた」

 グレイスは言い、灰燼剣の機能を端末に収納した。

「行動には感情が出るものだ。これまでのあなたの行い、言葉、残されたメッセージ……」

 何をしているのだ。まさか、灰燼剣を使わずイルと戦うつもりなのか。

「その全てを、私は見た」

 それは無理だ。いくらグレイスが優れた術者でも。

「イル。あなたと私はきっとそう遠くない」

 再び強い眼差しに戻り、グレイスは言った。

「まだ、友達でいられます」

「え……?」

 グレイスの言葉に、イルは思わず問い返す。

 凛々しく揺れて瑠璃色に光る黒髪。まっすぐな決意の目。その姿は、あの日の幼馴染のものと重なる。

「ダメですよ……」

 グレイスには聞こえない小ささで、イルはつぶやいた。

 当時はわからなかった。ヨハンナがイルを見る強い目は、魔王に対する嫌悪ではなかったということを。

 イルがヨハンナに討たれようと考えた時、その意図はヨハンナに見透かされていた。結局ヨハンナはイルの側につき、イルの目の前で悲惨な最後を遂げることになった。

 何をしても不器用だったイルは、悪役になりきれなかったのだ。

 フェンヤもそうだ。イルのことを想って、彼女はガイアを封印した。自らの幸福と長い人生を全て投げ捨てて死んだ。

 そしてディズだ。イルの過ちを許し、共に生きようと言ってくれた。イルと友になったばかりに、彼女は痛みの中で命を落とすことになった。

「それだけは、許さない……!」

 今度こそ、失敗しない相手を選んだはずだった。

 グレイスがお人好しなのだろうか。だとしても、あまりにもだ。

 さほど付き合いのないイルに。それも、他人の姿を利用してグレイスに近づいていたイルに。グレイスにとって縁深いダリアを今また利用するイルに、なぜそんな目を向けるのか。

 そんなグレイスが好きだ。心を砕かれそうなほど。

 だからこそ、なんとしても敵対しなければならない。

「ガイアの名において、古き騎士の魂に告げる……」

 イルは、使う予定のなかった呪文を詠唱し始める。

 使いたくはなかった。イルの決意にこの子を巻き込みたくはなかったから。

「志は我が炎に。亡骸は我が涙に。永久なる時を超え――目覚めよ」

 欠けた星鏡が輝きを放ち、魔土に力を流し込んでいく。素材は十分。大地が盛り上がり、空中に集まっていく。

 大地が激しく揺れる。土の塊が次第に赤く光りはじめ、太陽のようにまばゆく周囲を照らす。

「煌神召喚!」

 円盤の門を通り抜け、魔土が生物に変化していく。

「強き姿に甦れ、聖大騎思竜アイヴァーンナ!」

 イルの言葉とともに、それは現れた。

 赤く輝く土から翼が飛び出る。幅九メートルの竜の翼だ。

 咆哮が地底に響く。思竜召喚はイルにとって特別な魔法。最も強力な魔法の一つであり、イルの本気でもある。

 思竜の姿は、いつもと少し違っていた。

 輝く純白のはずの鱗が、血のように赤い魔力で染まっている。それは全身を駆け巡って、瞳から溢れ出ている。

 まるで血の涙のように。

「いらない……私に友達なんて!」

 同じ悲劇を繰り返させない。イルのそんな強い思いが影響を与え、竜の姿を痛ましく歪めていた。

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