EP1 超存在の恋 11 楽園
眼前に広がる紺碧の中、白いドレスを身に着けたシリウスがいる。
サンダルをはいた足が、小さな足跡をつけていく。そのたび心地いい砂の音がする。南国の木々が風に吹かれ、浜に落とした影を揺らす。
命の香りと、穏やかに流れる時間。メリッサは、あちこちを見ながら歩くシリウスの後ろをついていく。
以前のメリッサなら、風景など見ることはなかっただろう。見たとしても、何かを感じることができたかどうか。ここにシリウスの存在があるだけで、メリッサの心は凪のように穏やかに、優しく変わっていく。
この島にはそれほど大勢の従業員がいない。機材も少ない。真水が使える水道がある他は、多くのものを近くの大きな島から運んできている。
つまり、二人だけでゆっくり過ごせるということだ。
やかましいガイドは現地につくとすぐ二人を茅葺きの水上コテージに案内し、去っていった。事務所にいるので何かあれば呼んでほしいとだけ言って、そっとしておいてくれている。意外に気が使えるらしい。
「メリッサ、やどかりがいる」
「そうだな」
「かにも」
「ああ。貝殻もあるな」
他愛無い会話をしながら、砂浜にしゃがみこむ。シリウスの胸にある、土産物屋で買ってやったネックレスが目に入る。彼女はそれをとても大事にしてくれている。
シリウスの言葉は少なく、明確に笑顔をみせることはない。だが、様々なものに興味を示し、楽しんでくれていると感じる。
何と言えばいいのだろう。この感じは、悪くない気分だ。それ以上の表現が思いつかない。
これが、休暇ということなのだろうか。
メリッサは、もしかすると人生で初めてそういう気分なのかもしれなかった。
「……ありがとう」
メリッサは言い、シリウスの肩に額を触れて目を閉じた。
シリウスはメリッサの頭を抱きしめ、額にそっとキスをした。
シリウスには、メリッサの言葉の意味がわからなかったかもしれない。でも、今の状況やシリウスと一緒にいることを良く思っていることは伝わったのではないかと思う。
「……」
その一瞬、メリッサの心の中に何かが見えた。
こんな穏やかな場所に、家を持つという将来を考えてしまった。家は決して大きくないが、それでいい。時々こうして海を見ながら、なんでもない時間を過ごすのだ。
生活をするという望み。これまで想像すらできなかった考えが、メリッサの中に生まれつつあった。
この島にはコテージの他に、大きなホールのような茅葺きの建物がある。夕方にはそこで宴会を催す予定だそうだ。
客はメリッサとシリウスの他にいるように見えないが、それで宴になるのだろうか。そういうものは落ち着かないので、いつもなら遠慮したかもしれない。
しかし、珍しいこともある。今日のメリッサは、その宴会に出てやってもいいという気持ちになっている。
あのホールは砂浜の近くで、壁がなく風通しがいい作りだ。そこのテーブルについて、ゆったり食事を楽しんでみてもいい。
メリッサは想像する。そこには波の音が聞こえてきて、昼間の熱が残る大地に清々しい風が吹く。メリッサの隣にはシリウスがいて、その暖かさを感じる。
そんな夜は、きっと悪くない。そう感じている自分がいる。
シリウスも自分も、この思い出を忘れることはないだろう。メリッサは、自らの命の存在を自覚する。
酒にあまり強くないことも忘れて一杯飲んだのは失敗だったが、その後はずっと、コテージでシリウスの膝枕の感触を味わっていた。
ほのかに甘く、すっきりした味のカクテルだった。酒などずいぶん縁がなかったが、ひさびさに口にしたその味が悪くなかったのだ。
少しひんやりするシリウスの体温は、アルコールで上がった体温には心地よかった。悪酔いまでせずに済んだのは、前よりは体が強くなったせいだろうか。そうだとしたら、それもシリウスのおかげである。
宴会は悪いものではなかった。最後までいることができたし、食事もよかった。メリッサの手からシリウスにいろいろ食べさせてやったし、食べさせられもした。
少しふらつきながら帰ったコテージで、なにかの曲をハミングしているシリウスの声をなんとなく聞いていた。二日酔いするのではないかと頭によぎりながらもメリッサは眠り、そして目覚めた。
目覚めた時にはもう明るかった。幸いにも体調はいい。シリウスの姿がないと思ったら、コテージの外で泳いでいた。
愛らしい水着とシュノーケルを着用したシリウスが、色とりどりの魚と一緒に泳いでいる。バルコニーからそれを眺めていると、水上コテージにつながる桟橋に誰かが来た。
「どうですかあ。いいでしょう、ここ」
アロハシャツに着替えたあのガイドが、トレーにサンドイッチを載せてやってきた。朝食ということだろう。
「悪くない」
メリッサがそう言うと、ガイドは太陽のように笑った。
シリウスが戻ってきて、朝食を食べることになった。ガイドをどこかにやるのもそろそろ気が引けてきたので、メリッサは同席を薦めた。すると、ガイドはこの島で他にどんな楽しみができるかを教えてくれた。
森の中で珍しい生き物を探すことができる。ヨットで少し沖に出て、そこでダイビングのようなこともできるらしい。静かに過ごしたければ、一番風が穏やかな浜にビーチチェアを用意してくれるそうだ。
どれも悪くないとメリッサは思う。休暇は長いし、思いついたことをシリウスに体験させてやればいいだろう。
朝食のサンドイッチもうまかった。メリッサは名前を知らない琥珀色のお茶を飲み干し、今日も太陽の下へと出ていく。
どこに行きたいかとシリウスに聞くと、彼女が口にしたのは「島の服屋」であった。
何かほしいものがあるのかと思ったが、シリウスの目当ては自分のでなくメリッサの衣類であった。
「もっと楽しいかっこうがあるはずだ」
シリウスは、メリッサに黒い瞳を向けながらそう言っていた。
いくらメリッサでも、南の島でコートを着るはずもない。持ってきた適当なシャツを着て過ごしていた。しかしシリウスはそれを見てたっぷり五分ほど首をかしげた後、さっきの言葉を口にしたのだ。
「あなたすごく顔がいいものねぇ! これも似合うんじゃない~?」
陽気な現地の店員が色とりどりの柄もののシャツを持ってきて、メリッサを褒めちぎっていた。お世辞か本音なのかよくわからないが、シリウスはいろいろな服を前にすごく真剣に考えていた。
もしかすると、ネックレスを買ってやったことを恩義に感じてくれているのかもしれない。木の実を彫刻にして下げただけのシンプルなものだが、華美すぎないのが二人とも気に入った。シリウスにとてもよく似合っている。
「メリッサを完璧にしあげるのが、わたしの使命だ……」
いや、単に楽しんでいるだけなのだろうか。わからないが、メリッサはシリウスのしたいようにさせた。
結局、シリウスはメリッサに黄色い花の柄の派手なシャツを着せ、薄い色をした大きなレンズのサングラスをつけさせた。
「こんなギャングがいた気がするな」
メリッサは鏡を見て、こういう浮かれた格好をするファミリーがマイアミあたりに一組いたという記憶を掘り起こしていた。
あの組の奴らは、本当にこんな格好のままマフィアの集会にも来るのだ。そいつらはギャンブルが好きで、いつも何かの賭け事をしていた。
急におかしくなり、メリッサはほんの一瞬、注意して見ていなければ気づかないような、小さな笑みをうかべた。
自分自身でさえ、そんなことには気付いていなかった。店員とシリウスだけがそれに気付いていたことを、メリッサは知らない。
島での時間は、時に慌ただしく時に穏やかだ。服を買った日の夜は初日のような宴会はなく、コテージで夕食をとった。その食事も、二人を満足させるものだった。
翌日少し早く起きたメリッサはベッドに座って、まだ薄暗い海からする波の音を聞いていた。
遊び疲れるということが超存在にあるのかはわからないが、シリウスはとてもよく眠っている。その存在を背中に感じながら、メリッサは充実していた。
シリウスは大事にしている狼のぬいぐるみをスーツケースから出して抱きしめつつ、安らかな寝息をたてている。それを見た時、なんとも言えない満ち足りた気持ちになった。
自分から酒を飲みたいと思ったのは、人生で初めてかもしれない。しかもこんな朝から。どうしてしまったのかと思いつつ、コテージから見える事務所に明かりがついているのに気付いてしまった。
散歩がてら、そこまで歩く。飲み物があるかどうか尋ねると、例のガイドは手際よくカクテルを作ってくれた。
ストレートのバーボンか何かでもよかったのに。朝から働かせてしまって申し訳ない気持ちになると、彼女は「こういうのも楽しいですよ」と微笑んだ。
「何でもできるんだな」
メリッサは酒を受け取りながら言った。ガイドは、代理店での仕事から島の案内、それにバーテンダーのようなことまでこなす。その働きぶりには関心するばかりだ。
「あはは……あんまり会社大きくないすからね。実は、このウトピ島以外には物件を持ってませんし……」
「いい島じゃないか」
「あ、ありがとうございます」
素直な感想を述べると、ガイドは驚いていた。
メリッサは、感情が表に出にくいらしい。なので、こうして言葉に出して伝えることを最近は覚えた。
「うれしいなあ」
酒の材料の余りを少し口にしたガイドは、少しゆるんだ口調で言った。
気を使わせないために飲んだのだろう。彼女の頬はもうほんのりと赤くなっている。メリッサと同じで、さほど酒に強くなさそうだ。
「私の故郷は東海岸にある漁村だったんです。でも小さい頃にリゾート開発の話があって……いろいろ変わっていっちゃってね」
その酒気のせいなのか、彼女は海に向けて自分のことを喋りだす。
「大きいホテル作って、大量生産の商品を置いて。悪いことじゃないし、儲かるからって大人たちは喜んだけど……子供の私は嫌だったな。この島にも目をつけた人がいて、想像できちゃったんです」
彼女の故郷の話と、この島の開発の話。それが理由で、少し無理をして島の開発の権利を獲得したという。
「みんな同じように作り変えられちゃう。もったいないなと思ったんですよ」
営業には苦労しているらしいが、彼女にはポリシーがあるそうだ。確かに、この島ではよくあるリゾートのイメージとは少し違う体験をした。
快適なホテルや、小綺麗なレストランはない。冷房がきいている場所も少ない。土産物屋にあるのは本当に現地で作ったものばかりで、値札やバーコードの類を目にしない。
過度に開発を入れないために、水道と電気は島の住民がもともと使っているものを分けてもらっている。だから、使える量は多くない。
不便は多い。電源が限られているので、コテージには冷蔵庫がない。通信も快適とはいえない。
それでも、この場所は他よりも落ち着く。
島の風は心地よくて、冷房などなくても十分だ。事務所や食堂が開いている時は、島のコックが何かうまいものを作ってくれる。今は客が少ないのもあるが、多くいたとしても満足しただろう。
「だから……うれしいです。ここを好きになってくれて」
ガイドがつぶやく。それと同時に、地平線がうっすらと色づいた。
夜明けが来る。事務所の前の砂浜に立ち、メリッサは変わっていく水平線の色を見る。
不吉な予感は、その時にやってきた。
夜明けの色とは明らかに違う、鋭い光。その光で、酒でぼんやりした頭を急に刺されたかのように感じる。
光は音もなくメリッサに迫ってきて、はじけた。
「……うっ!」
酔ってふらつくメリッサに、それは容赦なく降り注いでいく。
紫色の光だ。何らかのLD術による攻撃だということは、ぼんやりする頭でもわかった。
「な、なんなの……?」
ガイドも驚いている。メリッサは彼女をかばうように、とっさに前に出る。
破壊的な力を持つ光線を照射されている。近くではない。ずっと沖からだ。メリッサの体内の神核が反応し、それに対して防御を行う。
肌がちりちりと熱い。メリッサのとっさの防御反応より、相手の火力の方が強いのだ。
「!」
瞬間、紫色だった視界が一瞬で青く変わった。
深い海のような美しい濃紺の炎。それが目の前に立ちはだかって、メリッサを守っていた。
「こいつは……」
光がおさまると、そこには見慣れたものが浮かんでいた。
手に取ってみる。これは、シリウスが大事にしている狼のぬいぐるみだ。
『ぶじか? メリッサ』
ぬいぐるみが喋った。シリウスの声だ。
長く一緒にいるからだろう。こいつはシリウスの因子を浴び、いまや眷属のようになっていると気付く。生物を同化していく特性を持つシリウスは、非生命でも自分の一部にしていくらしい。
シリウスの持ち物はみんなそうなるのだろうか。ぬいぐるみは空中に浮遊したまま、コテージの方に飛んでいく。
そのコテージから、シリウス本人が出てくるのが見えた。
被害が気になり、周囲を確認する。とっさの防御のおかげか、島のものにダメージはないようだ。メリッサはほっとする。
ガイドはびっくりして気絶してしまっているが、無事のようだ。事務所に連れて行って、簡易ベッドに寝かせてやった。
メリッサの酔いは、すっかりさめてしまった。
シリウスと合流し、光線が来た沖を見た。
発射点はすごく遠い。シリウスやメリッサが気配に気づかないほどの距離だ。だが、夜明けの中にかすかに影が見える。
「船か……?」
メリッサはつぶやく。遠くで、黒い小山のようなものがゆっくりと動いている。一つではない。複数の群れだ。
よく集中すると、それがLDの何かであることはわかる。さっきのは明らかに現実干渉を利用した攻撃だ。そういう砲台を搭載した船が撃ってきたのだろうか。
「ちがう」
メリッサの考えに対し、シリウスは短くつぶやく。
「あれは……わたしたちの敵となる何かだ」
群体のうちのひとつが、こちらに向かってきている。その動きを見て、確かにあれは船などではないとメリッサも気付く。
酔いがさめたメリッサの目が、ようやくそれの姿をとらえた。どうやら生物のようだ。逆光なので識別には限界があるが、地球上のどんな生物とも違うように見える。
「……わかった」
敵であることがわかれば、それで十分だ。メリッサは、シリウスの首にかけられたネックレスを外して預かる。
これからすることの邪魔になるからだ。メリッサは持ち物を守りながら、海に向いているシリウスの背後に立つ。
「いいぞ」
そして、肩に手を置く。
敵はこちらに向かってきている。今のメリッサには武器がない。この距離で迎撃できるのは、シリウスだけだ。
シリウスの体内に渦巻く膨大なエネルギーが胸部に集中。神核から、余剰の力が光となって溢れ出す。
シリウスの髪の付け根と首の後ろが、青白く発光する。凝縮された力が今にも弾けそうだ。
秘めた熱量は、メリッサを襲ったあの紫色のビームを軽く凌駕している。これなら、相手を破壊するのに十分だろう。
「う……っ」
しかし、そのエネルギーが突然暴れだした。
「あ……っ……!」
シリウスが動揺の声を上げたのが、メリッサにはわかった。
防風のような巨大なエネルギーが波打って、コントロールできなくなっている。このままでは危険だ。敵はおろか、周囲のものまで破壊してしまう。
「よせ」
メリッサは言い、そうなる前に背後からシリウスを抱きしめた。
シリウスの激しい力が収まっていく。メリッサのカウンター因子がシリウスの力を抑え込んでいるからだ。暴走は止まり、シリウスは再びそのエネルギーを神核の奥へと封じる。
メリッサはほっとする。だが、これで終わりではない。
敵が来ているのだ。もう光線は撃ってこないが、そのかわりまっすぐこちらに向かってくる。
敵意を感じる。メリッサ一人で、あの正体の知れない生き物をやれるだろうか。
そう身構えた時、空が光った。
「あれは……」
白い一筋の光が空から降り注いだ。それはシリウスの光に負けず劣らずの密度を持ち、海上にいる何かを貫いた。
気配が消える。今の白い光によって、敵は倒されたようだ。
「あいつか」
空を見上げ、シリウスが言う。
「……ああ」
上空に何か見える。黒く大きな、軍用輸送機のような航空機だ。それが、この島に着陸しようと近づいてくる。
輸送機は島の小さな滑走路に着陸した。エンジンの音が小さい、鋭角的な面を持った不思議な輸送機であった。
騒ぎに気づき、島の者たちが起きてくる。滑走路に人が集まる中、輸送機のドアが開いて誰かが降りてくる。
「太平洋には行かないようにって言っといたのに」
その誰かは、メリッサの顔を見るなり呆れた声で言った。
そういえば言われたかもしれない。シリウスの不調について診断を受けた際、太平洋やアジアには行くなと。
「でも、そんな浮かれた格好されちゃうとあんまり強くは叱れないね。楽しんでる~?」
メリッサの服装を見て、彼女は言った。
島の服を着るメリッサと対象的な黒いコートが、彼女の特異性を際立たせている。南国の風に揺れる白銀の前髪からのぞく瞳は、いつ会っても同じ色をしている。
「アロハ~、おふたり」
浮かれた声で言うのは綺柩。メテオライトの超存在にして、調査局の長でもある。そんな人物が、この辺境の島に降り立ったのだ。
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