EP2 イクリプス・レムリア 28 柩

 柩が巡ってきた世界。それが、この保管庫にあるものたちだ。

 これはきっと、柩の人間性の残骸だ。他愛のないものばかりで、柩が人としての感情で愛着を持ったものだということが伝わってくる。こんなにも多く並んでいるのを見て、グレイスの胸は苦しくなる。

「もう少しだけ、わたしの話を聞いてくれる?」

 彼方は言い、保管庫を出て二階のカフェテリアへと歩いていった。

 グレイスはそれについていく。カフェテリアの存在と位置も、局本部と同じだ。

「析はどこにいるんです。仲間たちは?」

 グレイスは尋ねる。ここはメテオの内部世界だ。彼方以外にも仲間がいるに違いない。

「いないよ。ここにはいない。わたししか」

 しかし、彼方は寂しそうにそう答えるだけだった。

「誰も……? どこに行けば会えますか」

 グレイスは、再び彼方に問いかけた。

 メテオの管理人格は四人いるという話だったので、最低でもあと二人いるはずだ。この内部空間は広い。別の場所にいるのだろう。

 柩は何かをしようとしている。いい予感がしない。止めにいくべきだ。それが、グレイスがメテオコアを手にしてブロッサムに行こうとした理由だ。

 いないなら呼ぶことはできないのだろうか。特に、析の力は頼りになる。クラッドでも、ノストークでも見た。あれほどの力を借りられれば、柩を連れ戻すことに希望が見える。

「無理だよ。今はひーちゃんの時間。わたしにしても、ひーちゃんの代理として起きているだけなんだ」

 彼方は言い、手袋をした手を胸に当てた。

 グレイスは知っている。そこには、柩から移植を受けた心臓があると。

 それによって彼方は部分的に柩と同じ力が使えるようになり、超存在の一角となったらしい。つまり、柩の代理として時間を操作できるということだ。

 柩の命が危険な場合に、そのバックアップとして。つまり今、柩は危険な状態ということだ。

「……わかりました。なら、あなたの力を貸してください。私は、私に手を差し伸べてくれたあの人を止めたい」

 事情はわからないが、それでも構わない。彼方は超存在であり、その力を借りられるなら心強い。

「逆だよ。グレイスちゃんが、わたしに力を貸すことになるんだ」

 言って、彼方はカフェテリアの席を立った。

 そしてグレイスの手を握り、引いて歩きだす。

「ど、どういうことですか? 私はただの人間ですよ!」

 グレイスは言う。ここで、壮大な宇宙の物語を聞いた。一介の調査官のグレイスがそれほど重要である要素など、ひとつも見つからなかった。

「あなたはね、自分で思っているよりもずっとひーちゃんにとっての特別なんだよ」

 彼方は言い、グレイスに笑いかけた。

「あなたがいれば簡単だよ。を、あなただけが止められる」

 カフェテリアを抜けて、彼方はさらにその上の階へと登っていく。グレイスの手を引いたまま。

「待って、待ってください!」

 歩いていく彼方の言葉が気になって、グレイスはその手を振りほどいた。

「今、何と言いましたか?」

 グレイスは、彼方の言葉を問いただした。

 時空から消滅する、という言い回しが気になった。柩が決死の覚悟をしているにしても、そんな表現は普通ではない。

「……本当は、もう気付いてるよね? 違うかな」

 まっすぐにグレイスを見据え、彼方は言った。

 グレイスは、心臓を刺されたような気持ちになった。

「それ……は……」

 なんとなく、そうではないかと考えていたことがあった。だが、それだけは違うと思いたかった。

 この考えは荒唐無稽なことだ。だが、そう考える根拠はある。ありえるということが、実感としてわかってしまう。

 思い出すのは、ブロッサムで出会った分身体のことである。

 分身体によって閉じられた因果で、グレイスは記憶を封じられた。超存在であるシリウスがそれを紐解いた。それで封じられた記憶を取り戻したのに、あの分身体との出会いはいまだに思い出せない。

 記憶の欠損ではないのだ。もっと規模の大きい何かが起きたことが、シリウスの口から語られていた。

 分身体の存在は、グレイスの記憶から消えたのではない。この世界から消えたのだ。まるで、最初から存在しなかったかのように。

「そうだよ。命は一つの大きな因果なんだ。超存在は特に。なにかに使い切れば、その因果は無くなっちゃうんだ」

 彼方は言う。その言葉は、グレイスが感じたことと合致する。

 分身体について残った記憶は、因果の隙間にこぼれ落ちた残像だけだ。それが誰のことかもわからないほどの。シリウスがいなければ、それすらも闇の中にあっただろう。

「いくら何でも……そんなこと」

 ずっと避けていた考えが、グレイスの中に再び浮かんでくる。

「ひーちゃんは他者の気持ちがわかる、って、ジョゼちゃんが言ったでしょ。それなのに、あなたや析ちゃんをただ置いていくと思う?」

 彼方は、背中を向けたまま言った。

 柩はグレイスから記憶を奪って去ったが、戻るようにもしてあった。おかしな話だ。他人の気持ちがわかるはずの柩が、グレイスや局員が感じるであろう悲しさを無視した。

 身の回りから人がいなくなることは、グレイスにとって一つのトラウマのようなものだ。だから柩は、グレイスの前からいなくならないと言っていた。

 グレイスもそうだが、何よりも析が悲しむ。彼方だって苦しむ。それがわからない柩ではない。

 だから、ずっとひっかかっていた。

 柩の存在そのものが世界から消えるなら、そういう問題はなくなるはずだ。残酷に辻褄が合ってしまう。

「ひーちゃんのところに連れてってあげる」

 彼方はそう言って、最上階への階段を登っていった。

 この場所が調査局と同じ構造になっているのなら、その先にあるものが何となくわかる。

 想像通りだった。局と同じで、柩の事務室と私室が設置されていた。

 彼方はその部屋の中心に立ち、床に手をかざした。

 すると、床から何かがせり出してきた。

「これは……!」

 それは、おとぎ話に出てくるような透明な棺桶であった。

 その中に、グレイスがよく知る姿が横たえられていた。

「一体、どういうことですか!?」

 グレイスは質問する。そこにいるのは、どう見ても綺柩だ。

 去ってしまったはずではないのか。それが、なぜここにいるのだろう。

「本体なんだ。まだ少しだけ残った、生身の」

 彼方は言い、手袋をした手で柩の頬に触れた。

 クラッド世界で、柩の肉体がMLDに蝕まれていくのを見た。だか、完全にMLDになってしまったわけではない。

 これは、あの時の肉体だ。ほとんどMLDになってしまったが、頭部や胸部はまだ生身で残っている。

 柩が今使っている体は、コアの外にMLDを生成して作り出した操り人形のようなもの。その魂、本質はコアの中、つまりはここに保管されているということだ。

「でもわたしには、どうすることもできない。この体に干渉する権限がないから」

 言って、彼方はつけていた手袋を外した。

 出会った時からずっとつけていたものだ。その下の手を見て、グレイスは驚く。

 彼方の手は、痛々しく焼けただれていた。一体どうしてしまったというのだろう。

「何度もやろうとしたんだ。でも、空間剣リツィフェルに触れることはできなかった」

 柩の起伏の上、複雑な形をした黒い楔形の何かが置かれている。これが空間剣だ。

 柩の力の源。メテオライトの四つの最上権限の一つである。柩の肉体とともに、空間剣の本体もここにあったのだ。

「こうなったのは、全部わたしのせい。わたしがあの日、あんなバカなことしたから。でもわたしには、ひーちゃんを止められない」

 彼方は肩を震わせ、柩の胸にある空間剣を持った。

 しかし、その瞬間に彼方の指が焼け焦げていく。

「ぐっ……う……!」

 彼方はそれ以上剣を持っていられず、床に落としてしまう。

「彼方……!」

 グレイスは駆け寄り、焼けた彼方の手を見た。

 彼方も超存在のはずだが、手の傷が再生しない。現実干渉さえも拒む、因果による火傷のようだ。

 グレイスは直感する。もしそのまま持ち続けていれば、彼方は手を失っていただろう。

 柩の心臓を受け継いだ彼方でさえ、この剣を持つことはできない。強大な力が目の前にあるのに、触れることができないのだ。

「権利がないからだよ……この剣はひーちゃんのもの。他の誰にも渡しちゃいけない力だから」

 彼方は言い、グレイスに目線を送ってくる。

「でも、グレイスちゃんは空間剣を手にできたよね?」

 その彼方の言葉で、グレイスは思い出した。

 そうだ。ノストークで、グレイスは空間剣を抜いた。あの時も彼方の声が聞こえ、そうするように促されたのだ。

 その権利を持っていることを、彼方はわかっていたということだ。ノストークの戦いで、それはしっかり確認された。

「この剣で柩と戦って止める、ということですか」

 グレイスは言う。話がわかってきた。柩と同じ力を扱えるなら、対抗することが可能かもしれない。

「ううん。もっと簡単な方法だよ」

 しかし、彼方は微笑みながら横に首をふった。

「ここにあるひーちゃんの体を、空間剣で殺せばいい。そうすれば、ひーちゃんは戻ってくる」

「え……?」

 彼方が言う手段は、グレイスが全く思いつかなかったものだった。

「殺す……ですか……?」

「そう。ひーちゃんがこのまま目的を遂げて、因果かたちを失ってしまう前に。終わらせてあげよう」

 消える前に終わらせる。

 彼方の言っていることが、グレイスの胸に深く刺さる。

「あなたにもわかるよね。現在からも、過去からも、未来からも、綺柩という存在とその役目がなくなってしまうってこと。析ちゃんだけが残って、双子の姉の柩なんていなかったことになる」

 あの分身体と同じことが起きる。今度は分身ではなく、柩本体で。

「そうなれば、析ちゃんもわたしも悲しまない。だって、思い出すこともできなくなるから」

 そうなる前に、命を止める。それが彼方の考えらしい。

 彼方は柩の頬に触れた。その手もまた、禁じられた干渉として焼け焦げていく。彼方は、柩に触れることさえ許されていないのだ。

「ここにあるのは、ひーちゃんの最後のひとひら。わずかに残った肉体。それを摘み取れば、消えてしまうことだけは避けられる」

 彼方は柩からそっと手を離しながら、穏やかな口調で言った。

 手袋で隠されていた彼方の手は、ずっと前からひどく焼けただれていたのだろう。おそらく、何度も柩を止めようとしたのだ。痛ましい傷が、その気持ちの大きさを物語っている。

 しかし、彼方にはできなかった。その権限が与えられていないからだ。

 空間剣を使えば、ここに残った柩という存在を収集できる。この剣にはそういう力がある。保管庫の世界を収集してきた保存能力と同じものだ。

 ガラスの棺桶にいれて、永遠のものとする。綺柩を、この保管庫の最後の収蔵品にする。それが、彼方の考える唯一の救済法らしい。

 この話をするために、彼方は全てを見せたのだ。柩が背負うものと、それを生み出した歴史を。

 柩のあり方を。その行き着く先の虚無を。

 そして、終わらせる唯一の方法を。

 柩は数々の世界で悲運を埋葬しながら、身を粉にしてきた。こぼれ出てすくいきれない命に手を伸ばして。それは、柩自身がすりきれてなくなるまで続くのだ。

 それが、綺柩という形なのだ。そのことは、クラッドの経験で痛いほど理解している。

 全てを理解したグレイスに対し、彼方は最後に言った。

「だから、綺柩を殺して。あなたの手で」

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