シノカ編 8

「私は同郷人の失踪が気になります。シノはどうしますか?」

 施設を出て、ダリアはそう言ってきた。

「私は、まだ遺体探し……」

 シノは当初の言い訳を思い出しながら答えた。

「すみません、埋め合わせはいずれ」

 ダリアは、いつものバイクに乗って行ってしまった。どこか思いつめた顔をして。

「ばいばい……」

 シノは去っていくダリアに小さく手を振った。

 そして、懐から壊れたペンダントを取り出す。

 宝石は砕けてしまった。だが、ここにあった記憶を読み取ることはできた。

 ペンダントに記録されていたのは、培養槽の中にいたある少女の記憶。この記憶は、シノの体と極めてよく同調する。

 理由があって残された記憶のはずだ。重要な情報かもしれない。あの時は魔獣が出てきて余裕がなかったので、シノは受け取った記憶をもう一度思い出してみた。



「目覚めなさい、ディー」

 くぐもった声が聞こえる。培養槽を満たす溶液が抜かれ、空気の音がした。

 何度かこれを経験した。検査があって、また槽に戻される。その繰り返ししか知らない。

 ディー、というのが自分の名前らしい。培養時に最低限の記憶を植え付けられた自分には、言葉の意味がわかる。

「話はできますか?」

 目の前にいたのは、見慣れない壮年の女性だった。

 色あせた灰鳩色の髪。どこか険しい表情をしている。この記憶を読み取っているシノにはわかる。眼の前の人物は、アルマ・シュエットだ。

 ディーは培養槽から出て、床に足を触れる。冷たい感触に驚いていると、周囲にいた白衣の一人がスリッパを持ってきてくれた。

 あたりを見回す。すると、今ディーが出てきたのと同じ培養槽がいくつも並んでいた。

「健康状態を調べてください」

 アルマは、研究員たちにそう言った。

「問題ありませんよ。昨日したばかりですから」

「それでも、です。これは異世界の技術なのですから」

 研究員の楽観的な態度に対し、アルマは冷たく言い放った。

 そこでシノは気づく。アルマの記憶は見たが、こんな光景はなかった。

 なぜだ。やはり、アルマの記憶は不完全なのだ。

 損傷はなかったはずだ。死ぬ前に重要な記憶を消し、遺体に証拠が残らないようにしたのだろうか。

 なら、この記憶には価値があるかもしれない。

「カウンター用に、人工的に資質者を生み出す研究。うまくいってますよ。GLDの記憶操作技術で加速培養も可能になりました」

「それでも、もう少し慎重に研究を進めてもらいたいですね」

 研究員とアルマが会話している。ディーはそれを聞いていた。

 ディーはよく理解できなかったようだが、その記憶を見るシノにはだいたいの事情はわかった。

 これは、人間を人工的に作り出す実験のようだ。それもただの人間ではない。魔法の資質、つまりはLD資質を持つ人間を生み出す実験だ。

 シノはLD資質を持っている。これは、人間より上位の能力を持つことだとシノは理解している。

 資質者は数が少なく貴重らしい。そんな人間をたくさん作り出そうというなら、なるほど重要で隠したい研究だろう。

「記憶を操作する技術は完成していますが、クローンに基礎教育をすることはまだ未知数です。慎重にならなくては」

 アルマの話を聞いている間、ディーの体がタオルで拭われていた。拭き取られても、培養液のべたべたする感じと嫌なにおいが残っている。

「でもね、こういう開発はトライアンドエラーでしょ。代わりの個体はいるし」

 研究員が言った。アルマはそれには答えず、ディーに近づいてきた。

「こんな洗浄方法ではだめです。ちゃんとシャワーを使って」

 ディーを拭いていた研究員からタオルを取り、アルマは言った。

 ディーはアルマに手を引かれ、施設のシャワールームに連れていかれた。被検体の洗浄用ではなく研究員が使うための場所だ。そこで、改めて研究員に洗浄してもらった。

「本気で外に連れて行くので?」

 洗浄が終わり、先ほどの研究員が口をはさんだ。

「ええ。服もちゃんと用意していますから」

 アルマがそう答えている間、ディーは自分の体についた甘い香りを気にしていた。さっき体を洗った時の泡の匂いがずっと残っている。

「着替えはできますか?」

 アルマがディーの顔を覗き込んで質問してきた。ディーは首をかしげる。

 アルマが指さした先に、折りたたまれた服が置かれていた。

 ディーは目を奪われる。その服の上に、きらきらと輝く赤い石がついた鎖が置かれていた。

 GLDで植え付けられた知識で知っている。あれは、ペンダントという装飾品だ。

 手にとってみる。とても綺麗だ。こんなものは見たことがない。ディーは、その重みと輝きに心を奪われてしまった。

 その後、検査着と比べると極めて窮屈な衣装を着せられた。

 襟のあるシャツに、腰にベルトがついたワイン色のスカート。苦しくて息が詰まる。しかし、町のショーケースのガラスに写った自分の胸に光る赤いペンダントを見るたび、気分が高揚した。

 何度も手で触ってしまう。重みや手触りも心地よかった。服のことなど忘れてしまう。

「さあ行きますよ、ディー」

 アルマに手を引かれ、ディーは初めて町を歩いた。

 地下空間とは何もかも違っていた。色鮮やかな看板。街路樹の美しい緑。吸い込むとすっきりする空気。ディーの気分はさらに飛び跳ねていった。

 前を歩くアルマの手の温度を感じる。見上げると、アルマは少し寂しそうにこちらに微笑みかけた。



 町から戻ると、アルマはすぐに帰ってしまった。

 もう培養槽には戻らなくていいようだが、ディーはこの地下施設ハブから出ることは許されないようだ。落胆を覚える。

「親子ごっこなんかして、何がしたいんだかね」

 研究員がディーの服を脱がしながら言う。窮屈な服はここまでで、ほんのり培養液の匂いが染み付いた検査着に戻されるようだ。

「さあ。あの人って娘いたんでしたっけ」

「確かヨハンナって子がいたはずだけど」

「あれは姪御さんでしょう。エーテル社の副社長のとこの」

 ディーはされるがままにし、そんな話を聞いていた。

「っ……!」

 研究員が胸のペンダントをとろうと手を伸ばしてきた時、ディーは思わずその手を払ってしまった。

「気に入ったの? どうしたもんかな」

 研究員は困った顔をした。ディーは従順で、こんな反抗をするのは初めてだ。

 だが、これだけは手放したくないと思った。

「別にいいんじゃないですか?」

「シュエット家が用意したものだし、高いんじゃないのかなぁ。この服だってブランドのだし」

「銀行家がそのくらい、何とも思わないでしょう。それに、どうせ……その。今くらいはいいんじゃないですか」

 ディーは研究員をにらみながら、話のなりゆきを見守っていた。どうやら、これを持つことは許されたようだ。

 ディーはその日から、培養槽ではなく鍵のかかる個室に入れられた。

 快適ではなかった。外で食べたものと比べると施設内の食事はあまり楽しくないし、すっきりした空気を吸うこともできない。だが、それでも我慢できる。

 ディーは固いベッドに仰向けになり、胸に下げたペンダントを見つめた。

 これは、他のものと何か違う。ただきれいというだけじゃなく、気配みたいなものを感じるのだ。

 楽しかった思い出をこれに込めると、もう一度握りしめた時にそれが蘇ってくる。まるで、自分の思いをここに閉じ込めて保存できるみたいに。

 ディーは気づいていない。それは、GLDを介した魔法の力によって行われていることなのだと。

 照明を反射してきらきらと光る宝石は、いくらでもディーの心を穏やかにしてくれる。

 でも、それは長くは続かなかった。

『このまま進めてかまいません』

 また、あのやさしい人の声がする。きてくれたんだ。

『もうだいぶ成長しましたからね。これが次の服?』

 研究員の声もする。服の話だ。また外の町に出してくれるのだろうか。

 ディーがいるのは部屋ではない。体の調子を見るためと言われ、また培養槽に入れられていた。

 培養槽の中はきゅうくつだ。しかも、前よりももっと窮屈になってきている。

『記憶のデータは?』

 研究員が話している。何の話だろうか。

『ここに。完全に――してください』

 やさしいあの人の言葉を聞いて、ディーは耳を疑った。

『かわいそうですけどね。あんなにはしゃいでいたのに』

『……』

 培養槽を見るあの人。目が合う。

 あの人の目を見て、本気なのだとわかってしまった。

『記憶が全部消えてしまうなんて、死ぬのと同じだ。残酷ですよ、あんた』

 最後に、研究員がそう言った。

 失いたくない。この宝石も、宝石みたいな記憶も。ディーは自分の記憶を宝石に詰め込み、培養槽の底に隠した。



 ディーと呼ばれるクローンの記憶にはアルマが登場している。それなのに、手に入れたアルマの記憶にはこの時のことがない。

 遺体に損傷はなかったはずなのに、不自然に記憶が抜け落ちている。クローンの少女のことも、その少女と町で出歩いたことも、アルマは何もかも忘れている。この事実に関わることだけがきれいに消えている。

 無いものを無いと気付くのは難しい。ペンダントの記憶がなければ絶対に気付かなかっただろう。そのくらい違和感なく、明らかに意図的に切り取られている。

 GLDなら記憶の操作はそう難しくない。問題は、なぜアルマは自分の記憶を消したかっただ。

 アルマは他人からそんなことをされる立場の人間ではない。自ら消したとしか思えない。守る必要がある秘密だったからか、それとも忘れたい出来事だったからか。

 そして、ペンダントがきっかけになってだんだん思い出してきた。シノが使うこの少女の体にかつて何があったのか。

 かすかに、この体が覚えている。

 銃声。襲われたハブ。死んでいった仲間たち。そして、その中で唯一生き延びたのが自分だったこと。

 おぼろげに思い出す。一人で生き延びた後、カナレイカの施設に移されて実験を続けられた。

 そして、ヨハンナはカナレイカでこの少女を星鏡とともに連れ出した。

 きっと、守るために。かすかに、逃げる時のヨハンナの表情と手の温度を覚えている。

 逃げ延びた後もそうだ。カナレイカの反乱軍に加わり、イルに体を貸して戦っていた時。亜人となったシノのことも、ヨハンナはずっと大事にしてくれていた。

「ヨハンナ……」

 彼女の存在が遠くなっている。抜け落ちているのはアルマの記憶だけじゃない。シノの記憶も壊れてきている。

 ヨハンナの記憶が薄れてきているのだ。そのことに気づき、シノは小さなショックを受ける。

 あまりにも大勢の人間に変化しすぎたせいなのか。変化した人間の記憶はすぐに薄れてしまうが、完全になくなるわけじゃない。

 だんだんとわかってきた。

 シュエットの実験によって悪意のあるLD制御プログラムを大量に植え付けられたシノの体。変化魔法を繰り返したことで、問題が顔を出した。

 自分自身で持つことができる個人的な記憶の容量が極端に少ないのだ。だから呪文の暗記は苦手だし、ヨハンナの顔、声さえも思い出せない。思い出そうとしてもぼやける。

「やだ……」

 頭が熱い。額に触れると熱っぽい。

 本当は何が大事だったのか。大切な記憶を宝石に封じた少女のように、どこかに記憶を残しておくべきだったのか。

 生存という課題に追われ、心が薄れる。まるで、森で一人で生きていた時のように。

「ジル……」

 シノはつい、今はっきりと思い出せる人の名前を呼んでいた。

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