シノカ編 6

 壊れたペンダントから現れた煙は次第に形を作り、有翼の魔獣へと変化した。人間の倍ほどの背丈の魔獣は、こちらを威嚇するように咆哮した。

 周囲の物質と一体化し、肉体を作ろうとしている。かつてシノカがカナレイカの土壌で見たものと同じだ。シルエットを変えながら、いくつかの動物が混ざったような外見に固定化していく。

 ダリアはトラップを疑ったようだが、それは違う。シノには、あれの中に渦巻く魂が見えている。

 あれは、この場に溜まった魂の無念が集まって出来た亡霊。複数の死者による合成獣だ。命が終わる瞬間の強烈な思念が人間数人分の魔力となり、ペンダントの中でGLDと融合して形を得た。

 きっと、この場所で大勢が虐殺された。シノはそれを知っている気がした。

 シノは慎重に相手を観察する。その横でダリアはリボルバー式の拳銃を抜き、魔獣に向けて放っていた。

 弾丸はただすりぬけていく。相手は半融体の肉体。形を持った炎のような存在だ。ダリアが持つリボルバー銃は一般的な拳銃よりもパワーがあるが、さほどダメージを与えられないようだ。

 ダリアは懐からブレスレットを取り出し、左手首につけた。あれはLDを使ったアクセサリーで、詠唱器として使っているらしい。

「シノ、手持ちの魔法は?」

 ダリアが聞いてくる。銃が効かないということで、シノの魔法をあてにしてくれているようだ。

 詠唱器は消耗品な上、フラグメントLDという貴重な素材を使っている。むやみに消費したくないに違いない。

「すぐできるのは、簡単なものだけ」

 シノは答えた。シノが一人で使える魔法はそう多くない。

 魔法には、二つのものが必要となる。一つは魔力残量。もう一つは、複雑な術式を展開する思考力だ。

 この二つのうち、魔力量は十分だ。シノはその点で比類なき資質を持っている。しかし、思考力は並以下であった。

 高度な魔法では、この世界を動かしている魔力層を改変する。現実の法則に代わる新たな法則を記述した術式を正確に思い浮かべる必要がある。シノはその手の思考や計算が得意ではない。

 そこで、初心者は術式を思い出しやすくする言葉、「呪文」を詠唱するのが一般的だが、シノは暗記も読み書きも苦手ときている。

 イルが一緒なら、呪文を記録したテキストを読み上げてイメージを構築する時間を稼いでもらえる。ここにはダリアがいるが、共闘した経験はあまりない。連携がとれるだろうか。

「私が囮になります。どのくらい必要ですか?」

 そんなシノの考えを見抜いてくれたのか、ダリアが背中を向けたまま言った。

「魔力分解なら……五分」

 相手は融体。シノは有効そうな魔法を提案した。

「わかりました」

 ダリアは言い、何もかも未知な敵に対して走り出した。

 勇敢な行動だ。仲間を守るために真っ先に敵に挑んでいく狼のリーダーのようだ。一匹で隠れているシノとは考え方が違う。

 ダリアにはそれほどの魔力量がないらしい。詠唱器の助けを借りて使い捨ての破砕魔法を使いこなせるほかは、簡単な炎の魔法と防御魔法を使えるだけだと聞いている。

 銃が効かない相手にどうやって戦いを挑むのか。その様子を見ながら、シノは呪文の詠唱を開始した。

 ダリアは拳銃に別の弾丸を込め直し、改めて赤い炎のような魔獣に向けて撃った。

 弾丸は途中で砕け、無数の光る粒になって魔獣に当たった。あれはなんだろう。破壊することはできなかったが、魔獣の体を形成する炎が少しだけ弱まったように見えた。

 対LD弾、というものだろうか。そういうものがあると話には聞いたことがある。

 いいや、シノは知っている。

 魔法用の結界。埋葬花と呼ばれる生き物の、あの嫌な感覚を。

「シノ! 準備はどうですか!」

 ダリアから声がかかり、シノははっとなった。

「あと一分……!」

 気が散って呪文詠唱が途絶していた。いつのまにかダリアは壁際に追い詰められ、服と皮膚の一部が焼け焦げていた。

「本当は使いたくありませんが……!」

 言って、ダリアは詠唱器の一つをちぎって相手に投げた。そこから小範囲の破砕魔法が発動し、魔獣の体の一部が削られた。

「くっ……あ……ッ!」

 炎に焼かれながらも、その空間を利用してダリアは壁際から脱出していた。シノは胸を撫で下ろす。

 だが、魔獣はすぐに再生してしまう。体を吹き飛ばせば一時的に分散できるが、魔力を減らさない限りは再び集まってしまう。

 GLDを分解するなり、力を吐き出させるなりだ。その体内の魔力を尽きさせない限り、魔獣は死なない。

 今の間に、そのための分解魔法の詠唱が終わった。術式が完成し、すぐに魔法を発動できる状態だ。

「シノ、早く!」

 ダリアが苦しそうな声で言った。あとは、敵に向けて魔法を放つだけだ。

「……」

 本当にそれでいいのか?

 ダリアは床に座り込んでいる。シノは思う。今なら、どっちも巻き込んで殺ることができる、と。

 ダリアは優しい。シノのことをいつも気遣ってくれるし、手助けが必要な時はしてくれる。報酬の払いもいい。

 だが、彼女の目的はLD技術の撲滅らしい。

 強い力は嫌われるものだ。イルもいつもそう言っている。だからダリアの行動は理解できるが、それだとシノは困る。

 シノは、この力を失いたくないからだ。

 森の中でかわりばえしない日々を過ごし、自分より大きな動物から逃げ回る生活。あそこに戻されていいのか?

 誰かの後についていかなければ生きていけなかった。そんな頃に戻ってもいいのか?

 そして何より、ヨハンナを救えなかった弱い自分に戻ってもいいのか?

 それは嫌だ。その障害になるというのなら、たとえ相手がダリアであっても。

 最大のチャンスだ。シノが体験してきた大勢の人間たちの思考、記憶。そういったものが流れ込んできて、絶え間なくシノに囁いてくる。

 胸がちくちく痛む。自分が本当は何を望んでいるのかわからない。しかし、恐怖には抗えない。

 そうだ。ダリアはいつか敵になる。そして、シノが得たものをぜんぶ奪っていくのだ。

 自由にできる姿も、自由に使えるお金も。

 シノが求める、山奥の穏やかな家での暮らしも。

「シノ……!」

 ダリアが言う。動く力がないのか、迫り来る魔獣を前に逃げられないようだ。

 魔法の効果範囲を少し調節すれば、ダリアと魔獣をまとめて葬れる。

 あるいは、このままもう少し待つか。魔獣がダリアが食らい、その体内に収めてしまってから魔法を使ってもいい。

 一瞬の迷い。その間に、予期しなかったことが起きた。

 その瞬間、シノはすべての考えを投げ捨てた。魔法の発動を中止し、四つんばいで素早く疾駆した。

 そして、小さな体を研究室の物陰に滑り込ませて隠れた。

 息を止める。それだけでは不十分だと思い、全身のマナを体内に押し込め、隠した。

 絶対に気づかれてはいけない。本能的にそう感じた。

 シノはしゃがみ、手で両耳をぎゅっとふさいだ。恐怖からの行動だ。

 壊れた培養槽に反射して、ハブ内部の広い空間が少し見えた。

 先程までは絶対にこの場になかったはずのものが、不自然に空中に浮かんでいた。

 黒色の楔形の何か。何の前触れもなくここに出現した。その威圧感に慄き、シノは反射的に隠れた。

 あれは何だ。そうだ、一度だけ見たことがある。

 ノストークでイルに連れられて戦った、メテオライトという超存在。あれによく似ている。

 イルと同じ、この宇宙の頂点に位置する種族。その一つだ。

 メテオライトの本体コアは楔形の石。それは知っている。

 あの時の本体よりシンプルな形をしている。ノストークの夜空で出会った時、メテオライトが本体の他にいくつもつけていたものの一つに思えた。分身か、一部といったところだろう。

 あの時は遠かったし、すぐそばにイルがいた。だが、イルがいない上にこんな近距離にいるとわかる。あれは恐ろしいまでに濃密な魔力を内部に秘めた物体。絶対に触れてはいけないものだ。人間が信じる神や悪魔のように、この世の法則から逸脱した何かだ。

 ここでの戦闘を察知し、一瞬にして飛んできたのだろうか。現れた痕跡がない。それが怖い。全身が震え、手足は固まって動かない。

 恐ろしさに耐えられず、シノは目を閉じた。

 シノはマナを直接感じることができる。危機的状況で感覚が研ぎ澄まされている今は、目で見るようにこの場の状況がわかる。

 魔獣も、ダリアも、楔も、その場で止まっていた。沈黙が広がっている。

 最初に動いたのは、魔獣だった。

 ダリアではなく、楔を敵視して動き出した。魔獣には知性がない。だから、この場でより大きな脅威を優先したのだろうか。

 そんなのは絶対に間違いだ、とシノは思う。

 魔獣は全身の炎を解き放った。そして、空中に浮かぶ楔に飛びかかっていく。それを、シノは壁越しに感じていた。

 その瞬間、魔獣の濃密なマナの気配が一瞬にして消滅した。

「……っ!!」

 シノは、その急激な気配の変化に思わず声を出しそうになった。

 声は出せない。絶対だめだ。ここにいるということを知られてはいけない。あいつにだけは、絶対に。口を抑え、悲鳴が出るのを防ぐ。

 あの魔獣が一瞬にして食われた。人間数人分の魔力があり、決して弱い存在ではなかったのに。下半身から上半身に悪寒が流れ、シノは縮み上がった。

 隠した耳が出てきてしまう。シノはその三角の耳をふさぎ、声と呼吸を押し殺した。GLDによる隠蔽を最大に発揮し、混乱した精神とは思えないほどの正確さで操った。

 壁越しに感じ取れる楔の気配は、人型の魔力へと変わっていった。食ったばかりの魔獣の力を使って体を作ったのか。まるでイルのようだ。

 残されたのはダリアだ。火傷を負ったまま立ち上がり、目の前に立つ魔力のかたまりを見ていた。

 そして、手に持った拳銃を相手に向けた。

 そんなことをしてはいけないのに。シノは、魔獣の時と同じ結末を想像した。

 しかし、ダリアの気配が一瞬で消えることはなかった。

「くっ……!」

 そのかわり、ハブの内部に彼女の苦痛の声が聞こえてきた。

「あはっ……はっ……う……この……!」

 悶えるような声がする。何が起きているのだろう。きっと恐ろしいことに違いないが、もう確認できない。

 魔獣が消えるのを見てしまって、気配を探ることが怖くなった。もちろん肉眼でも見れない。シノはぎゅっと目をつむる。

 リボルバーの発砲音が何発かした。その後は、抵抗らしい音は聞こえてこなかった。

「ちょっと、脇の下……!」

 ダリアが何か言っている。よく聞き取れない。

「――! ――……!」

 叫び声だろうか。耳をふさいでいても、広い空間に反響する声が聞こえてくる。

 シノは耐えた。苦しんでいるダリアを無視し、恐ろしい悪魔の気配が消えるのをただじっと待ち続けた。



 どのくらいその場でじっとしていただろう。

 楔の気配が消え、何の物音もしなくなった。どこかに去っていったようだ。

 だが、竦んでしまったシノはしばらく動けなかった。

 シノは勇気を出して、一本ずつ手足を動かす。ダリアの様子が気になるのだ。かすかだが、彼女のマナの気配が残っている。

「ダリア……?」

 シノはおそるおそる歩き、倒れたダリアに近づいた。

「う……」

 シノが近づくと、ダリアはかすかに反応した。まだ息があるようだ。

 その場にしゃがみ、治癒魔法をかけようとした。だが、体に傷が見られない。

 精神も傷ついていない。魔力の消耗はあるが、至って健康のようだ。

「シノ……? 無事でしたか」

「うん……」

 シノは、目を覚ましたダリアをゆっくりと優しく抱き起こした。

「どうやら見逃された……ようです」

 言って、ダリアは自分の手を見ていた。

 シノは気づく。ダリアは魔獣との戦いで傷を負っていたはずだ。服は焼け焦げているが、肌に火傷はない。

「アレに治療までされました。余計なマネを……それに」

「それに?」

 悔しそうに語るダリアに、シノは続きを促す。少し間を置いてダリアは答えた。

「今私を捕まえても意味がない、それより気をつけろ……と言われました」

 あの楔によれば、ブロッサム人が消える事件が発生しているらしい。何の話か、シノにはよくわからない。

「持ち物は無粋に調べられましたけどね。大したものを持っていなくて幸いでしたが」

 ダリアは言う。メテオライトと明確に敵対しているそうだが、相手はダリアを殺すのではなく捕まえようとしているのか。

 意味がないというのは、今は捕まえても突然消えてしまうからだそうだ。心配までされたという。

 意味不明だ。あれほどの力を持った者がどう考えているか、シノにはイメージがつかめなかった。

 だが、シノもそうかもしれない。

 戦闘中はとっさにダリアの死を望んでしまったが、こうして彼女が生きていてくれることに安心している自分がいた。自分の気持ちがよくわからない。

「……どうしました?」

 ダリアは困ったように言い、考えるシノの頭を撫でた。

 今回はお互い命拾いしたらしい。それだけはシノにもわかった。シノは思わず、ダリアの腰にぎゅっと抱きついた。

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