EP1 狼の子供たち 25 デリック・ヘイズ
ベーコンファミリーのチンピラが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。ボスは銃をつきつけて脅していた右手を下げ、口の端で笑った。
町で一方的に殴られているトーラスとオックスを見つけると、ボスが追い払ってくれた。そういう時のボスはいつも楽しそうに見えた。
力のある者の振る舞いだ。人を殴るのが嫌いなトーラスとは全く違う。
「ボス、怪我を……」
「あ? ああ……」
ボスの手に血が滲んでいた。相手を殴った時に拳を傷つけたのだろう。人を殴り慣れた彼の拳はトーラスの華奢な手とは全く違い、ゴツゴツしていた。
「持ってろ」
大型の拳銃をトーラスに投げ渡し、ボスはポケットから包帯とナイフを出した。
狼の彫刻が施された異形の銃。トーラスは、ライトハンドにとって象徴的な武器の重みに慄いた。
「そんなビビるんじゃねぇよ。ただの不良品だ」
ボスはトーラスの様子を見て苦笑いし、包帯を巻いた右手で拳銃を取った。
古い拳銃だ。実験的に作られたマグナムピストルであるこいつは、拳銃というよりライフルに近い構造をしている。
不具合が多く、実用している人間はまず見ない。侮られる事が多い銃だが、ボスが持つと異様に迫力があった。
「ボスはなんで、俺らを助けてくれるんです」
ずっと聞いてみたかった。なぜ、トーラスやオックスのような弱虫をここまで気にかけるのだろうか。
「まあ、おれがやっちまったほうが早いからだな」
ボスの答えは単純明快だった。
「学校の先生には、若い時の苦労は買ってでもしろって言われましたがね」
トーラスは言う。トーラスが育ったところでは、弱さに甘えるな、苦労をしろと言われ続けていた。周りの大人たちは子供が苦労するのを見て喜んだ。
マフィアの世界でも苦労させられた。人を殴れるようになるまで、トーラスは半人前として扱われた。
だが、ボスは違う。まだ他の組の兄貴分だった時から、下っ端の喧嘩を全て肩代わりしていた。楽しそうに。
「できねえやつにはできねえのさ。できたとしても苦労しすぎる。そんなのはムダだろ?」
「はぁ」
「半人前は二人で一人分くらい結果を出しな。まじめに働きゃ、二〇人で一〇人の精鋭ってことだぜ」
弱者は弱者、強者は強者。ボスは、良くも悪くも力に対して誠実な人間だった。
「そういうの、烏合の衆っていうんじゃ?」
「そりゃ無能なボスの言うことだ。それに、おれにはお前らしかいないんだぜ。贅沢は言えねェのさ!」
そう言って、ボスはトーラスとオックスの背中をばしばしと叩いた。
「こっちは研いどいてくれ。切れ味が鈍ってきてる」
ボスは、包帯を切るのに使ったナイフをトーラスに渡してきた。古くからボスが使っているもので、持ち手の部分に拳銃と同じ狼の彫刻がされている。
預けられたナイフを返す機会がないまま、ボスは殺し屋に殺されてしまった。そして、血で血を洗う内部抗争が始まった。
象徴を失ったライトハンド。トーラスはボスのナイフを握る度胸がなく、金庫に隠した。
ボスの死後、武闘派ではないトーラスは存在感が薄かった。稼ぐ金が多くても、臆病者と笑われ続けた。
そして、人工超存在のコントローラーグローブをはめた。トーラスの右手には意思がなく、「正しくない手」になっていた。
「結局、器ではなかったんだな」
本質を見極める目は、リオやアリーを含む他の幹部よりもあったはずだ。だが、今のライトハンドに必要なのは武力だ。
ボスが抜けた穴は大きかった。トーラスが持つビジネスのセンスは武器になったが、それは先代ボスがいたから成り立っていたことだ。リオやアリーのようにハッタリがきかない。
同じ弱者でも、オックスはどこ吹く風だった。もっと狡猾で謙虚であり、さらなる弱者を見つけて迷いなく利用する。そういう男だった。
だが、トーラスは違う。そんなふうにはなれなかった。
「俺にはあんたみたいな人が必要だったんだよ、ボス」
誰もいない留置場で、トーラスは細い声でつぶやいた。
全ては、あの三十首の存在で狂ってしまったのだ。
その日、ボスはある殺しを調べるように命じてきた。
「拳銃で五発も撃たれてる。どういう事かわかるか?」
ライトハンド構成員の一人の死体を見せられた。頭と腹、胸を撃たれている。
「いえ……普通の殺しにしか見えませんが」
トーラスはそう答えた。不用心に一人で歩いていたところ、無抵抗にやられている。ただそれだけの、ありふれた射殺体にしか見えない。
「やったのがそこらへんの小僧ならな。だが、これは三十首とかいうのの仕事だ」
ボスは言った。その名前を聞いて、トーラスは背筋が寒くなるのを感じた。
身内を守ることにかけてはほとんど完璧なボスが、唯一手こずっている相手だ。報復しようにも奴には身内はなく、防ごうにも強力すぎる。
執念深くターゲットを追い詰めるタフさ。機械のように正確無比な射撃。今や、その名前を聞くだけで暗黒街の重鎮が震え上がる。
「お前、おふくろが死んだ時はどう思った?」
「は……?」
ボスが唐突に妙な質問をしてきた。
「おれには親がいなかったもんでな。お前の時はどう感じた?」
「どうって……親はろくでなしだったんで」
「そうかい……それは嘆かわしいねェ。おれも、まともなのは姉さんだけなんだが」
質問の意味がよくわからなかった。その後、ボスが命じてきたのは三十首の身元の調査であった。
「こいつは簡単な殺しだ。三発でも多いくらいの。それが、五発も弾丸を費やした。あいつの身に何かあった、ってことかも。おれはそれを知りたいんだ」
ボスは言い、トーラスにその調査を任せた。
「こういうのはオックスの方が得意だけど、俺が仕切っていいんですか」
疑問に思い、トーラスは尋ねた。感情が入りがちなトーラスはこの手の探りが苦手である。
「オックスはダメだ。お前の方が見込みがある」
言いながらボスは笑っていた。からかっているのかと思ったが、ボスは能力に関しては嘘を言わない。
「どうも、こいつには政治が絡んでるようだ」
ボスが言う。三十首は暗黒街で恐れられていたが、この頃は表の世界でも無関係ではなくなってきていた。
政治家が利用しているという噂は事実なのか。どちらにせよ、このままのさばらせてはおけない。だから、弱みを探るために調査する。そういうことだと考えていた。
「止めてやりたいが……おれはただのやくざだしな」
ボスは、妙にこの殺し屋に入れ込んでいた。
おかしかったのだ。確かに三十首は危険な殺し屋だ。だが、弱みを調べるなどボスらしくない。自分の手こそ正しい手だと豪語し武闘派の頂点に君臨する男が思いつくことではなかった。
その後、ボスは三十首とやりあって死んだ。一発も発砲せずに。トーラスには、まるで意味がわからなかった。
真相がわかったのは、ボスが三十首に殺されてからだ。
結局ボスには伝えられなかったが、三十首の母親がわかったのだ。例の仕損じた殺しがあった日の前日、三十首の母親は病院で亡くなっていた。
そして、その女は前にボスと愛人関係にあったという。三十首の父は不明。記録からわかったのはそれだけだが、トーラスはバカじゃない。そこまでわかれば、三十首がボスの娘だということくらい推測できる。
しばらくしてから、三十首は警察に逮捕された。その時、トーラスは遠くから三十首を見た。
コヨーテ色の髪と獰猛な瞳。彼女の出で立ちは、懐かしいボスを想起させるものだった。
トーラスの右手は、コントロールグローブの影響でぼろぼろになっていた。
放電による発熱で焼けただれている。傷は手から広がり、肩や喉にまで達している。
この手は正しくなかったのだろう。留置場の中、トーラスはまだ鈍く痛む皮膚をなでていた。
「なあヘイズさん。俺たちを利用したんだろ?」
トーラスは、留置場に現れた人影に声をかけた。傷のせいで声がかすれている。
フォルマについて、トーラスはある筋から情報を得た。
あれは、ストレリチアが作ろうとしている何かのパーツに過ぎなかった。しかも、あの時点では未完成だったそうだ。
フォルマは既存のLDテクノロジーを駆使して作られたもので、手持ちの材料では性能に限界があった。そこで、その完成をシリウスに手伝ってもらうことにしたのではないか。
「そのために、シリウスのカウンターであるメリッサと関係する俺たちを選んだ。そうだな?」
聞けば、ストレリチアはメテオライトに拒まれたのだという。だからシリウスを必要とした。メリッサにフォルマの未完成品をけしかけることで、シリウスをおびき出すことに成功した。
シリウスは通信回線を使ってフォルマを持つトーラスに接触してきた。その時期は、なんとトーラスがフォルマを受け取るよりも前からだ。
計画していた通信事業が想定以上の性能で動き始めた時、トーラスは不思議に思った。設計よりも性能が出ており、そのおかげでサービスは成長した。その時点で何かがおかしかったのだ。
シリウスは未来予知じみた因果分析を常に行っており、トーラスが近い将来メリッサの脅威になることを感知したのだ。そこで、フォルマが登場するよりも以前からトーラスのサービスにSLD超通信をねじ込んでいた。
とんでもない存在だ。ラスボスなどという表現でもまだ足りない。
ストレリチアはトーラスにフォルマを渡した。だが、本当に必要だったのは超存在シリウスだ。ライトハンドの抗争も、あのメリッサでさえも、ストレリチアにとってはただのエサだったというわけだ。
「……あなたの発想ではなさそうね。誰から聞いたのかしら」
「教えないね。あんたは俺を殺しに来たんだろう。口封じのために」
トーラスは言った。ストレリチアのこの行動も、全て情報通りだった。
「あんたは慎重だ。直接会った相手は確実に消したい。そうなんだろう?」
言いながら、トーラスはポケットから小さい箱を取り出した。
情報をくれたあの濃紺色の女の言う通りなら、これも効き目があるということだ。
トーラスは右手に小箱を置き、蓋を開いた。
小箱からメロディが流れ始める。オルゴールだ。トーラスが知らない曲が流れている。
「なんのつもり……?」
ストレリチアは意味がわからないようで、黙ってオルゴールの音を聞いている。
「まっとうなあんたから見れば俺たちヤクザなんざ半端者かもしれねえが、半分でも人間。使い捨てじゃないんだぜ。それに、
トーラスは、今までと別人のような低くしゃがれた声で言う。
「うっ……」
最初は何も起きなかったが、徐々に相手の様子がおかしくなっていった。呼吸が激しくなり、ストレリチアは胸を抑えて苦しんでいる。
やがて、ストレリチアはトーラスをそのままに留置場を去っていってしまった。
乗り切ったようだ。暗殺を逃れれば、トーラスはこのままLD犯罪者用の特別収容所に入れられる。以後はそう簡単に命を狙われることはないだろう。
「セドナとかいったか……最後まで、全部あいつの言う通りだったな」
面会に来た濃紺色の髪の女のことを思い出した。ヘイズの情報やこのオルゴールはその女から受け取ったものだ。
役目を終えると、オルゴールが溶けるように消えていく。MLDで作られていたそれは白い光に変わり、最初からそこに存在しなかったように消えた。
あとに残ったのは、トーラス一人がいる留置場の静寂だけだった。
留置場から出て、建物に寄りかかって頭を押さえる。
意識が混濁し、手足が痺れている。何が起きたのかわからない。
懐かしいメロディ。かつて屋敷の地下室で聞いたあの曲だ。
「私は……何を……」
くせ毛の長い黒髪をかきあげ、言葉を発する。
これが自分の声。自分の体だ。だが、こんな場所に来た覚えはない。
「レン……お姉さま……?」
オルゴールの音を聞いて意識が不調をきたした。自分のものとは思えない記憶が飛び交っていき、まるで嵐の中に突き落とされたようだった。
電話が鳴った。仕事用のスマートフォンだ。
「デリックだ……ああ、すまない。今少し忙しいので、後で聞かせてもらう」
ヘイズは通話を終わらせ、呼吸を整えてその場に立った。
街角のショーケースに写った姿を見た。少し髪が乱れているが、間違いなく自分だ。
反射して見える自分の顔。姉のストレリチアではない。成長した
長い髪をスーツの中に隠さなくては。今の自分は「デリック」だ。こんな姿は見せられない。
オルゴールの音色が頭から離れてくれない。吐き気を感じた。
ヘイズはよろよろと歩きながら、来た覚えのない場所を歩く。
ここはどこだ。ナビを起動する。GPSログが残っている。ここに来たのは自分自身の足らしい。
そういえば覚えがある。このあたりに取引のある企業がある。あるいは、行きつけの喫茶店がある。何でもいい。とにかく、そう思い込む。
体は間違いなく
ヘイズ家に残された唯一の体。この地球上に残された最後のヘイズの血。アリシア・ヘイズ。それが自分だ。
だから、これはアリシア。さもなくば演じているデリックだ。ここにいる自分は、その二つ以外にありえないのだから。
(狼の子供たち・終)
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