EP1 狼の子供たち 23 オックス・3
オックスの娘のジリアン・オックスリーが行方不明になっている。柩に命じられてオックスの自宅を調べたところ、それが判明した。
「車が盗まれた?」
「ええ。ここじゃしょっちゅうありますよ」
警官がルーシーに教えてくれた。同じ日にこのあたりで起きた犯罪は、乗用車の盗難だけだそうだ。
小さな白いハッチバック車が盗まれた。どこにでもあるような車だ。隣にはもっといい車がいくらでも停めてあったのに、目立たないものを選んでいる。
記録によれば、ジリアンは運転免許をとっていない。不良学生なら運転できた可能性はあるが、調べてみたところ素行が悪いという証拠はなかった。彼女ではないだろう。
聞き込みではよくない噂ばかりだったが、補導歴はない。ルーシーの見立ててではジリアンはごく真面目な学生だ。父親がマフィアということで根も葉もない噂を立てられていたのだろう。
なら、一体どこに消えたのか?
現場である自宅のテーブルには食べかけのトーストとベーコンが残されていた。父親に変化した術者と食事をしていたようだ。
争った形跡がある。どこかで偽物の父親だと気づいてしまったか。居間で採取された少量の毛髪を顕微鏡で拡大すると、刃物で切断されたと思しき断面があった。
小型のリボルバー拳銃が一つ転がっていた。発砲音を聞いた者がいるが、弾丸は見つかっていない。
「……なんてこった」
情報を整理し、ルーシーは思わずつぶやいた。
拳銃にはジリアンのものと思われる指紋。刃物で襲われて反撃したのだろう。部屋に弾がないなら、数発発射された弾丸は全て命中した。
だが、ジリアンはいない。目撃証言は何もない。
GLD術者が相手だったのなら、銃弾など効かなかったかもしれない。そして、その術者は盗難車で逃げた。
変化魔法の使い手には車などかえって目立つ手段。ならなぜ盗んだのか。それは、術者ではない連れがいたからだ。
事件とは関係ない学生が連れ去られたということだ。よりによって、最も追跡しにくいGLDの使い手に。
わざわざ連れ去るようなマネをしたのなら、理由があるはずだ。まだ生きていることを願うしかない。
人工超存在の奪取という今回の任務は失敗に終わった。任務が続けられなくなり、シノは早々にイルの隠れ家に帰った。
「残念です。でも、もっと大きな流れの一つにすぎなかったようです。よしとしましょう」
どうやら、イルは今回の失敗でそれほど困らないらしい。安心した。
「それで、その可愛い子がお土産なんですか? 私への」
イルが尋ねてくる。シノの背中に、シノより背丈が大きい黒髪の少女が隠れている。
「ううん。この子は、わたしの」
シノは答えた。これはイルへのお土産ではない。
ジリアン・オックスリー。オックスの娘。イルと同じように手下を持つということをやってみたかった。そんな気まぐれで、イルはジリアンを殺さずに連れ出した。
それに、ジリアンを見た瞬間にシノは何かを感じた。胸がちくちく、もやもやするみたいな。その直感に従ってみることにした。
「あなたは私の、でいい?」
シノは言う。これは、気まぐれの思いつきであった。
この命は今、シノの手の中にある。
刃物がなくても簡単に抑え込むことができる。今まで命じられた任務は難しいものばかりで、こんなに弱い人間を相手にしたことはなかった。
この娘を殺そうとすると、シノの中の何かがもやもやする。
ジリアン・オックスリー。ジムの娘。役に立ってもらう予定だった、と記憶している。
オックスはこの娘を利用して何かしようとしていた。シノはそこから学び、殺す以外の選択をした。
そうだ。無理に殺す必要なんてないのだ。見られた以上は野放しにできないが、それなら捕まえてしまえばいい。
そう考えると、モヤモヤは一気に晴れていった。
イルがシノを「カウンター」にしたのと同じようなものだ。シノは賢くなっている。いろいろな人間の考えを体験したおかげだ。
嫌な感覚ではない。むしろ、このアイデアが浮かんだ事への高揚がある。
シノはジリアンの手を引き、人が集まってくるアパートを脱出した。
ジリアンは、手綱をつけたようにおとなしくシノに従っている。その様子に、シノは少し気持ちが浮ついた。
オックスの体と家を使ってしばらくはこの町で潜伏するつもりだったが、その計画はだめになってしまった。だが、シノにとってはそれ以上の収穫があったと言える。
シノは路肩にあった車のドアを壊し、GLDを使って電気系統をジャックした。エンジンがかかり、命が吹き込まれる。
「乗って」
ジリアンを助手席に乗せ、シノはスロットルを踏んだ。車は静かに発進した。
そうしてここまで連れてこられたジリアンは、シノの背に隠れたまま目の前にいるイルをじっと観察していた。
「どこかで見た顔のような……」
ジリアンがイルの顔を見ながらつぶやいた。少し落ち着いたように見える。
「あら。あらあら。シノもそんな火遊びをするようになりましたか。午後から動画撮影がありますから、手伝ってくれるならここで寝泊まりしてもいいです」
イルは言い、海辺の家の中にジリアンを招いた。
「ジルって呼んでもいいでしょうか。カメラ使ったことあります? 今日は料理動画ですから、夕飯は期待してくださいね~」
料理動画、という言葉を聞き、シノは少しテンションが下がった。イルがそういう動画を出す時は、ろくなものが出てこないか大量のものが出てくるかのどちらかだ。
「動画……まさかあの人、フェブラリーサイダーケーキなんじゃ……?」
イルは有名人なので、ジリアンは名前を知っていたようだ。知っているのなら、なぜ今更驚くのか。シノにはよくわからない。
イルは忙しそうに動画を撮影していた。せっかく連れてきたジリアンをとられて少し不満だったが、身代わりにはちょうどいいとも言える。シノは一人で出かけることにした。
シノは買い出し担当なので、一人で出かけていても不審に思われることはない。買い物に行くふりをして別荘の近くに隠しておいた車に乗り、ある場所へと向かった。
行き先は、トーラス社が保有する雑多な不動産の一つ。建て直しされずに長く放置されている廃ビル施設だ。
入り口に近づいただけで湿気とカビの匂いがする。嫌な所だ。森の中にこんな場所があったら近づかない。
やってくるなり、汚い身なりの人間たちがシノを囲んだ。シノはそいつらを全員殺した。
建物の奥に進むと、鍵つきの扉がある。オックスの記憶の通りだった。番号を合わせて扉をあけると、地下へ続く階段が現れた。
かすかな照明しかない薄暗い地下室には、円筒形のものが五つ並んでいた。
見上げるくらいの大きさで、透明なガラスで出来ている。曇っていて中が見えないが、シノはそこに何があるのかを知っている。
粗末なテーブルの上にいくつかの道具が置かれている。古い形の携帯電話があった。着信履歴を見ると、最近まで頻繁に電話がかかってきていた。
シノは電話してきた相手から適当な誰かを選び、リダイヤルした。
『……誰だ』
相手はすぐに電話に出て、低い声で威圧的に言った。
これはオックスの携帯電話だ。オックスは死んだ。テレビでも報道されているので、人間たちの世界には知れ渡っている。電話の主はオックスではないと気づかれている。
「私はジル。ジル・オックスリー。オックスの娘だよ」
シノは声色を作り、電話の主に話しかけた。
声帯を真似ている。今のシノは、ジリアン・オックスリーと同じ声だ。
『娘だと?』
「うん。どうでもいいことだけど」
シノは言う。完全ではないが、口調もジリアンを模倣している。
人間は血統を重視する。オックスの血筋であることを明かせば、この相手にも信用されやすいはずだ。
「欲しいものがあるんじゃない? だからこれに電話してた。違う?」
『……お前、いくつなんだ?』
「年齢なんてどうだっていいよ。私にはお金が必要なの。生きていくための」
シノは言った。そして、電話越しに相手の息遣いを聞く。
きっと、シノの話に惹かれている。そういう気配がある。有益なものを目の前にした時の、人間特有の気配だ。
『お前が親父の仕事を引き継ぐってのか。それがどういう事かわかっているのか?』
電話口の声が言った。
「殺されかけた。あいつが残したもの、利用してもバチはあたらない。そうでしょ?」
シノは言う。そして、相手の言葉を待った。
『テストさせろ。ブツを持ってこれるか見てやろう』
電話の相手は言い、場所を指定してきた。
「持つくらいできるよ。なにしろ私は……」
全て言う前に電話が切れた。シノは電話を置き、目の前にあるガラスの円筒についた曇りを手でぬぐった。
結露に覆われていた円筒の中が明らかになる。そこに入れられていたのは、SLDに感染した人間だった。
SLDは危険な毒で、すぐに外に漏れ出す。だが、別の種類のLDと同時に生き物の体内に入れれば、SLDの萌芽を抑制できる。オックスは、この方法でSLDの在庫を保管していた。
ボスが死んだ時、オックスは先のことを考えなければならなかった。そこで、次世代の商材としてLDに目をつけた。
オックスはライトハンドにLDをもたらした運び屋。それだけではない。組織外にもSLDを流通させる手広い売人だった。
「私は、カウンターだから」
シノは、もう誰も声を聞いていない地下でつぶやいた。
まずは大金を稼ぐ。イルのような方法はシノにはできないが、ここには金になる材料が眠っている。
こういう備蓄場所は他にもある。いくつかを回収できれば、イルのように独自の拠点を持てるだけの資金が手に入るだろう。
人間は顔と書類が一致していれば納得し、なんでも売ってくれる。変化魔法を使えば他人になりすますことは簡単だ。あとは、自由にできる大金が必要だ。
そして、投資家たちのように外国の山奥に家を買う。誰にも知られないように。
シノは、これから役に立つであろう少女のことを思い浮かべた。
ジル・オックスリー。かわいい手駒。シノは、今までにない胸の高鳴りを感じていた。
精神の容量が増えていく。それに応じて、シノの身長はまた一インチほど伸びた。
そろそろダリアに近い身長になってきた。この成長も、まだ変化魔法で隠しておかなければ。
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