EP1 狼の子供たち 6 喫茶店にて

「ほ、ほら。しろくまシリーズの絵本ですよ~……」

「にゃむ……グレイス……メリッサはどこだ?」

 シリウスが寝ぼけた口調で言っている。昨日、メリッサは帰らなかった。どうやら調査に時間がかかっているようだ。

 眠りたくないというシリウスのために、グレイスは持ち込んだしろくまシリーズの絵本や児童向け文庫を読ませようとしていた。

 このシリーズを買い与えられた時、幼少のグレイスは寝ずに読んでしまったのだ。だから効果があると思ったが、シリウスは本を読めるほど意識がはっきりしていない様子だ。失敗した。

「あのグレイスさん」

「はい?」

 クエルがグレイスに話しかけてくる。何か問題だろうか。

「この本面白いすね……ちょっと借りても?」

 シリウスには効果がなかった本だが、クエルは気に入ってくれたようだ。持ってきた甲斐はあった。

 しかしどうしたものだろう。会話はなかなか続かず、本もだめだ。あとは外に出て運動するくらいしかいい手が思いつかない。超存在との運動なら経験はあるが、適した場所があるかが問題だ。

「目を覚ますならビデオゲームがいいんじゃないかな。子供が夜に寝ない理由の一位でしょ」

 悩んでいると、クエルがそう提案してくれた。

「そういうものか……知り合いに頼んで貸してもらいます」

 膝で寝てしまったシリウスをあやしつつ、グレイスはゲーム機を持っていそうな人を思い浮かべていた。



「RNCというのは、無線ネットワークを制御する装置ノードだよ」

 喫茶店のテーブルでメリッサと向き合うセドナは、グラスや食器を並べつつ話した。何をしているのだろう。

 メリッサは持ち出した書類をセドナに見せた。自分で見てもよくわからないからだ。すると、彼女はテーブルの上のものを手にとって並べ始めたのだ。

「端末は無線基地局と通信を行って、そこからネットにつながる。基地局はたくさんあって、それをまとめてるのがRNCだ。トーラスは、このRNCだけ自社製品でまかなっている」

 セドナは言いながら、水やコーヒーが入った三つのグラスを置く。そして、少し離れたところにケーキがのった皿を置いた。

「さて、これはケーキ屋さんの販売ルートだとしよう」

 準備が整ったのだろうか。セドナはテーブルの上を示しながら、楽しそうに説明を開始する。

「小売店が三つあって、ケーキは工場で作っている。人気のお店なんだね。各店舗にケーキを仕入れたいけど、数分で売り切れてしまう。小売店も工場もてんてこまいだ」

 無線インターネットの例え話。セドナが並べた食器を見る。ケーキが乗った皿が真ん中にあり、離れた位置に三つのグラスが並んでいる。

 ケーキがインターネット、グラスが基地局のつもりらしい。セドナは細い指で、グラスからケーキへの道筋を示した。

「あまりわかりやすい例えではない」

「あはは、そうだったかも。でも重要なのはここからなんだ」

 セドナは言い、小さなミルクカップを手に取った。そして、グラスとケーキの間にそれを置いてみせた。

 そして、冷たい飲み物が入ったグラスに付着した水滴を指先につける。水滴を指で伸ばし、ミルクカップにつなげてみせた。

「RNCは三つの基地局をまとめている。注文のまとめ役だよ。これで販売がスムーズになるんだ。役目はわかったかな」

 どこでも電波を届けるために、基地局はたくさんある。そうなると、基地局を統率するものが必要だ。それがRNCであり、基地局と交換機の間に置かれている。なんとなく理解はできた。

「ただ、トーラスのRNCはこうなんだ」

 セドナはフォークでケーキを切り、ミルクカップの上に一口分のケーキを乗せた。

「意味がわからない」

「ちゃんと説明するってば。これはね……」

 セドナは謎の行動の意味を以下のように説明した。

「あまりに注文が多いもんだから、本店に発注せず自分でケーキを作って売ってしまうんだよ」

 トーラス社はRNCにサーバーのような機能を持たせ、よく参照されるデータを自前の記憶領域にキャッシュしておくことで通信速度を上げているという。それによって通信経路を減らし、高速かつ安定したコンテンツ供給を実現している。

 通信アンテナは普通のものだ。交換機も平凡な他社製である。だが中継を行うRNCを高性能にし補助させることで、快適な無線インターネット環境を提供することに成功している。

 RNCは地域ごとにいくつも存在する。そこにキャッシュがあれば中央との通信量が少なく済み、高速化するだろう。

 おぼろげに話が見えてきた。メリッサは素人だが、これは高いサーバー性能がなければ実現できないサービスではないかという推測くらいはできる。

「そうだよ。きっと、ここにはLDが使われてる。それも高性能なやつが」

 セドナは結論を言った。

 やはり、トーラスは申請していない違法なLDコンピューターを使っている。その可能性がより確実になった。

「この水滴がSLDだよ」

 セドナは言い、濡れた人差し指を見せた。テーブルの上に水滴を伸ばしたように、各々のノードをつなぐ経路にSLDが使われていると言いたいのだろう。

 やはり、わかりやすい例えではない。このくだりは必要だったのだろうか。

 重要なのはLD技術の有無で、それがなんという名前の機械に入っているかだけだ。RNCを調べればいいということだけは理解できた。

「私に教える目的は何だ」

 メリッサは聞く。セドナはやけに事情に詳しい。何者なのだろうか。

 メリッサにとって、LD技術が使用されている場所は最も知りたい情報だ。それをあっさりと示したセドナは、一体何を目的にしているのだろうか。

「内緒」

「ふざけるな」

「冗談だよ。でも、言っても本気にはしないかな」

 セドナの会話に振り回され、メリッサは疲労を感じる。こういう会話は得意ではない。

「探しものがあるんだ。おそらくトーラス社に流れたと思われる、ある大事なものを探している」

 セドナは言い、残ったケーキを食べて喫茶店の席を立った。

「さて、私は自分の探しものに戻るよ。また会おう、メリッサ」

 そんな言葉を残し、セドナは濃紺色の長い髪を揺らしながら立ち去っていこうとする。

「探しものとは何だ」

 メリッサはセドナの背に問いかける。肝心なことが聞けていない。具体的には何を探しているのか。

 セドナは振り返り、かがんでメリッサに顔を近づけた。

「人工的に作られた超存在、そのコア」

 そして、メリッサの耳元でそう囁いた。

 言葉を聞いたメリッサは、店を出ていくセドナを見送るしかなかった。彼女の話が信じられなかったからだ。

 勘定書きは置いたままだ。メリッサは水も飲んでいないが、残された支払いをする羽目になった。



 これが普通の殺しではないことは、元市警のルーシー・パロットにはよくわかった。

 折り重なるように倒れた遺体に眉をひそめる。これは異常だ。

 現場は人気のない裏通り。LD犯罪の可能性がある。こういった特殊犯罪の場合のみ、調査局は捜査権を持つ。警察と共同で動くことができる。

「被害者の身元は?」

 ルーシーは所轄の刑事に近づいて話しかけた。

「あんたか。身元はこれからだ。だが、格好からしてカタギじゃなさそうだってことはわかるね」

 刑事は答えた。この刑事は、犯罪者の移送の際に知り合った顔見知りである。偶然この現場の所轄だったようだ。

「この近くにマフィアのアジトは?」

「トーラス・メディア株式会社がある」

 刑事は言い、少し離れた場所にある商業ビルを指さした。

 身元を詳しく調べてみたところ、殺されていたのは皆そのトーラス社の社員。マフィアの構成員のチンピラだということがわかった。

 血なまぐさい事件だ。そして、よくある抗争とは様子が違う。

 被害者は全員不意打ちを受けている。獲物はナイフだけ。銃声も悲鳴もなく行われた殺しなのだろう。翌日の朝になるまで発見されなかった。

 急所を正確に狙われている。こいつらはろくな抵抗もできず、持っていた銃を抜くこともできずやられている。

「精神操作……GLDか? 好きじゃないな」

 ルーシーは愚痴を言う。マフィアとはいえ、得体の知れない力で殺された人間たちに憐憫の情を抱いた。

 ルーシーは、すぐ近くにあるトーラス社のオフィスに向かった。



「悪いが、話すことはありませんね」

 言いながら、社長のトーラス・ロペスはオフィスに押しかけたルーシーを睨んできた。

「うちは被害者なんですよ。何で、犯罪者みたいな扱いされなきゃいけないんです」

 トーラスは吐き捨てるように言う。一応は捜査機関であるこちらに対し、この威圧するような態度。まともな経営者ではないことは一目瞭然だ。

「では、従業員を狙われる心当たりはないと?」

 ルーシーは聞く。オフィスこそ普通の出で立ちをしているものの、ここがカタギの会社ではないことはわかっている。狙われる理由はいくつもあるだろう。

「ありませんね。ただ、三十首のメリッササーティヘッドとかいう殺し屋がうろちょろしてるとか。そいつの仕業じゃないんですかね」

 トーラスは憎々しげにつぶやいた。

「三十首は何年も前に死んだでしょう。もし生きていたとしても、あいつの仕業じゃないでしょ?」

 ルーシーは煽るように軽薄な口調で言い返した。

「なんでわかるんです?」

 トーラスは不満そうに言う。

「見たことないんです? 三十首はね、こいつと同じくらい大きいんですよ」

 ルーシーは言いながら、後ろに控えている六フィート近い身長のアルバートの手をとった。

「被害者は腹部や胸部を刺されている。やつの身長で刺そうとしたらほら、こういう角度になる」

 ルーシーは言いながら、アルバートの手をつかんで動かす。アルバートは居づらそうにしながらも、おとなしくされるがままになっている。

「ところが、今回の殺しはこう。角度が違う」

 言いながら、ルーシーは自分の指先をアルバートのみぞおちに下から当てた。

 ナイフ傷は、どれも低い位置から深々と刺されたもの。もし犯人がメリッサなら、しゃがんで刺すか、伏せるように低い姿勢から刺したことになる。

 それは不自然だ。現場には争った形跡がないので、低い姿勢から刺すシチュエーションは考えられない。

 つまり犯人は小柄な人物。しかも一瞬で仕留めている。三十首とは別の殺し屋だろう。

 ルーシーの情報を聞き、トーラスは考え込んでいる。どうやら本当に三十首を疑っていたようだ。

 なら、メリッサがこのあたりで活動しているというのは本当なのかもしれない。

「この調子じゃ続くかもしれません」

 ルーシーは言った。他に犯人の心当たりがないなら厄介だ。手がかりがないということになる。

「調査局でしたっけ。あんたらの仕事でしょう。なんとかしてください」

「ウチはLDが専門なんで、殺しの捜査は警察に言ってください。顔見知りでしょ? それに、うちの武闘派はだいたい出払ってるんでね」

 ルーシーは脅しをかけるように言った。本当はブラフで、ここにいるアルバートが戦闘部隊の隊長である。しかし、それを知らないトーラスの目は少し泳いでいる。

 LD術者による殺しは脅威である。これが普通の手口ではないことはマフィアならわかるはずだ。

 今はROGログなどという不届きな名前の反LD過激派活動も存在する。トーラス社には違法なLD開発の噂がある。ログの連中ならそんな噂だけでもこの会社に攻撃を仕掛けるだろう。

 相手はそういう危険なテロリストかもしれない。マフィアの抗争などとはわけが違う。死体の山を増やしたくないなら、知っている限りの情報を吐いてもらいたい。

「……内部犯の可能性もある。昨晩、うちのオフィスに不審者がいたらしい」

 トーラスは、やむをえないという顔で話し始めた。

「そいつは初耳だ。どんな奴です?」

「わからない。一人は社員で、他にも二、三人ほど侵入したらしい。一部の奴は監視カメラに写ってない」

 本社でそんな動きがあったとは知らなかった。昨晩に限って何人か同時に侵入があったという。

 ルーシーはすぐに市警に電話し、このビルの管理人に情報提供してもらうように依頼した。その監視カメラ映像を見てみたい。

「今度からもっと早く教えてくださいよ」

「こそ泥か産業スパイだとばかり。警察の手を煩わせるほどじゃない、と思ったもんでね」

 トーラスは慇懃無礼に言った。今更大物ぶっても格好がつかないとルーシーは思う。

 こんな奴でも、命を狙われる可能性がある以上は守ってやらなければならない。ルーシーはアルバートに目配せした。即応分隊を動かし、ビルの周辺を見張らせることにする。



 侵入者を調べると、確かに奇妙だった。

 一人は電子錠をハッキングして入ったと思われる。巧妙にカメラの死角をついているが、腕やコートの端、影などが見える。一番自然な侵入者だ。

 もう一人はカードキーつきの社員証を持って深夜に訪れ、それで鍵を開けている。この時間に一人でオフィスにやってきた理由は不明だが、社員のようだ。

 そして、最後の一人が全くわからない。体の一部が監視カメラに写っているが、どうやって侵入したのかの痕跡が一切ない。まるで瞬間移動でもしてきたように、唐突に現れている。

 社員証を持って堂々と入った社員らしき人物だけは監視カメラにしっかり写っている。忘れ物か何かで戻っただけかもしれないが、ルーシーの目には怪しく見えた。

 いかにも会社員風の痩せた男性だ。調べると、社員名簿に顔と名前があった。

 ジェームズ・オックスリー。若く見えるがトーラスでは古株の社員のようだ。なぜ深夜にオフィスに来たのか。組織の裏切り者の可能性もあるが、別の可能性も考慮しなければならない。

 GLDによる変化へんげ魔法ならば、対象にそっくりの人物に変身することができるそうだ。肉体と同調し、記憶や技術も再現できるらしい。

 漫画に出てくる変身宇宙人シェイプシフターのようだ。LD術者には捜査の常識が通用しない。

 この少し前の時間、近くの通りでトーラスの組員が虐殺された。だが、こいつの遺体は見つかっていない。もしその時、このオックスリーという人物も現場にいたらどうだろう?

 ルーシーは考える。カメラに写っているのは本人ではないかもしれない。組への外部侵入者の可能性が浮上する。

 それはすなわち、例の殺人の犯人だ。知られているGLD変身者の中には小柄な人物がいるという報告があり、傷跡の状態と一致する。

「まずはこいつを調べてみるか。なあセンパイ」

 共にいるアルバートに話しかける。アルバートは戦闘部隊の隊長だが、元捜査官でもある。

 捜査活動においても先輩ということである。頼りになる人だ。

「うん」

 アルバートは返事をしつつ、ポケットからビスケットを取り出して食べていた。

 頼りになる先輩だ。本当に、本当に頼りになる先輩なのだが、そういえば昼食を省かせてしまった。後でちゃんとしたものを食べさせてやらなくてはいけない。

 グレイスにばかり負担をかけたくない。柩は南米に出張中。となれば、ルーシーとアルバートだけで捜査を進めていかなければならない。



 トーラス社のRNCが置かれた建物の場所はすぐわかった。メリッサはそのうちの一つに向かった。

 時刻は深夜。ここは本社とは違い、深夜になっても保守管理のためのスタッフがいる。今度こそ変装が必要だろうかと考えながら近づいていくと、そこに知っている顔があった。

「待ってたよ、メリッサ」

 濃紺色の髪がなびかせた長身が立っていた。

 セドナであった。壁に寄りかかりながらメリッサに微笑みかけている。

「……どうやって」

 ここに来ることは誰にも連絡していない。どうやってメリッサを待ち構えていたのだろう。

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