EP1 狼の子供たち 4 セドナ
ノストークの一件から、政府はLD開発を管理する方針を明確にした。そして、申し出のないナノテクノロジーコンピューターの開発を禁じる法律が施行された。
これまでは武器に関する法律で代用していたが、正式にLD用の法律ができたということだ。LDはあらゆる意味で危険である。開発するためには調査局の立ち入り審査を受けなければならない。
申請されていない違法なLD開発の証拠を手に入れれば、トーラスに対して有利になる。調査局を動かすことができれば業務停止は難しくなく、その後は詳しい調査が可能だ。
メリッサは社屋に入り、身を隠せる場所を探した。用があるようなふりをしてエントランスホールの中に滞在し、ビルの構造にあたりをつけていく。
複数の会社があるビルなので共通の受付はなく、誰もが勝手に出入りしている。ビジネスマンが横目でメリッサを見て歩いているが、さほど気にされていない。好都合だ。
見取り図は手に入らなかったが、インターネットの不動産情報を見ておおまかな構造は把握している。監視カメラの死角を計算にいれつつ使われていなそうな廊下の分岐に隠れ、時間が経過するのを待った。
深夜になり、メリッサは活動を開始した。
早朝に近い時間だ。残業をしている人間は流石にいない。メリッサは階段を使い、警備の巡回に気をつけながらトーラス社が入っている階に移動した。
ここまでは慣れたものだ。建物への侵入は殺し屋時代に何度か経験している。
オフィスには鍵がかかっており、強引に開ければ警報が鳴る。以前ならそれでも壊したところだが、今はこのくらい何とかなる。
メリッサはシリウスのカウンターだ。その肉体はSLDと似た能力を持っている。メリッサは自身の神核に命じ、電子ロックやセキュリティの構造を把握、そこに侵入して鍵を開いた。
練習したのでこの程度はできるが、神核をコンピューターとして使用することにはまだ慣れない。エーテル社が制御用のソフトウェアを開発してくれているが、難航しているようだ。
中はマフィアの会社と思えないほど小綺麗だった。煙草の匂いもしない。少し片付けが悪くファイルが床に散らばった場所があるが、それ以外はごく普通のオフィスであった。
社員は一人も残っていない。メリッサは管理職のものと思われる座席を探し出した。
そして、クエルから預かったハッキング用のドングルをPCの端子に差し込んだ。ただ差すだけでLDに関する情報がないかをサーチし、内蔵メモリにコピーしてくれる。
ドングルが処理を開始し、ランプが点滅し始めた。処理が終わるまでの数分間、メリッサはオフィスにある紙媒体も調べた。誰が散らかしたのか知らないが、床に落ちているファイルなら片付けなくていいので調べやすい。
書類が挟まれている。次世代通信の技術的問題、第三世代の限界通信速度の向上といった文句とデータが羅列されたものばかりで、メリッサはうんざりした。
これがどういう話で、LDと関係があるのかさえわからない。ヘイズかクエルにでも聞かなければ理解できそうにない。
だがその中でも、メリッサにも理解できるものがあった。
「新型RNC用、キューブコンピューターモジュール……?」
一つの書類にその語句を見つけた。
RNCというのが何かはわからないが、キューブコンピューターという言葉には聞き覚えがある。
思い出すのは、シリウスと出会った研究施設のことだ。
SLDは単体で高性能なコンピューターになる。あの研究施設では、SLDを立方体のケースに封入したものをキューブコンピューターと呼んでいたはずだ。
オフィスにある書類にはLDについては一言も書かれていないが、これはLD技術ではないだろうか。
このRNCというものは、トーラス社が運営しているいくつかの通信基地局に配備されているようだ。調べれば違法なLDを発見できるかもしれない。
その時、オフィスの入り口で物音がした。
オフィスの電灯が点けられ、周囲が明るくなった。メリッサはとっさにドングルを回収し、物陰に隠れた。
「誰かいるのか……?」
入ってきたのは警備員ではなく、スーツ姿の男だった。
社員だろうか。こんな深夜に、何のためにやってきたのだろう。見つかれば面倒なことになる。
情報は得た。はやく離脱したいが位置が悪い。メリッサは、近づいてくる社員を警戒しながら様子を見た。
騒ぎにしたくない。最悪の場合は黙らせることになる。そう考えていた時だった。
「こっちへ」
突然、メリッサの背後から声がかかった。
振り返ると、濃紺色の髪の毛がちらつくのが見えた。
全く気配を感じなかった。奥にある給湯室から、知らない女性がメリッサを手招きしていた。
不思議な気配の人物だった。
腿あたりまで伸びたとても長い濃紺色のくせ毛に、闇色の大きな瞳。飾り気のない白いシャツを身に着けている。メリッサに迫る身長の高さがあり、シンプルな服装の割に地味という印象を抱かせない、洗練された容貌の女性だった。
「目的は同じだったかもね」
その人物は風の中で言った。ここは、ビルの外壁の非常階段だ。
給湯室の裏側から外に抜ける道があり、そこを通ってここに導かれた。とりあえずは脱出成功だ。
目的が同じ。メリッサが手に持っている書類を見てそう考えたようだ。つまり、彼女もあのオフィスに忍び込んでいた側の人間ということだ。
「あなた、
「お前は? 何者だ」
「名前は……そうだな。“セドナ”とでも呼んでよ」
名前などどうでもいい。なぜメリッサを知っているのだろう。
ファミリーの人間なのだろうか。疑問が湧いてくるが、メリッサはそういったことを聞き出せるほど器用な会話ができない。
気配は薄めだ。LD術者のようでもあるし、一般人のようでもある。よくわからない。
LDやその術者にはそれぞれに気配がある。深海のような色は誰かを思い起こさせるが、気配は全く違っていた。正体不明だ。
早朝にさしかかり明るくなりはじめたビル外壁の階段。セドナは手すりに寄りかかりながら、メリッサを値踏みするように見て微笑んでいる。
「待て」
メリッサは、そのまま去っていこうとするセドナを呼び止めた。
このまま帰すわけにはいかない。普通の人間でないことは確かだ。トーラスを探っている理由もわからない。
「ここにいたら他の人に見つかるよ。近くの喫茶店でも行こう」
セドナは振り返りながら言った。
「何……?」
「あなたとはゆっくり話をしたいな。私たちはきっと協力できる」
提案され、メリッサは逡巡した。
味方とは限らない。メリッサをはめようとしている可能性もある。主導権を相手に握られるのは気に入らない。
しかし、明らかにメリッサよりもトーラスの情報を持っていそうだ。どうするべきだろうか。
「早くしないと……ほら。例のやつがきちゃうんだ」
セドナは言いながら、階段の上方を見た。
鉄製の階段の隙間から空が見える。そこに、黒い物体が浮遊していた。
手のひらに収まるくらいの六角形の物体だ。不気味な気配がし、それがLDに関するものだということはすぐにわかった。
SLD変異体に似ているが少し違う。今まで感じたことがない気配だ。
その六角形は浮かびながら移動していて、周囲の様子を探っているような動きをしていた。
不思議なことに、六角形は一つから三つに増え、瞬時に六つに増え、また一つに戻り……一瞬で分身を繰り返しながら飛んでいた。
「ほら、こっち」
選択の余地はない。メリッサはセドナに導かれる。できるだけ音を立てずに階段を下り、そのまま裏通りから大通りへと抜けていった。
朝になり、大通りには人がちらほら見え始めていた。そこから再びビルを見てみたが、あの不気味な六角形は消えていた。
他の調査局メンバーとは連携せず、フェルは命令通りにストレリチアの足跡を調べていた。
資金や情報の流れを追っている。見つかるのは既に彼女が去った施設ばかりだ。
レリア・ベイカーが残したノストークレポートが手に入れば核心に迫る情報を得られるのだろう。あれには、国内の極秘LD開発に関する情報が記載されている。しかし、手に入らない以上は地道に調査するしかない。
成果は出てきている。調査の中で、ブロッサム時代にストレリチアの一族が行っていた生物実験に関する情報を持っているという人物が現れた。
「私は一時期、使用人として彼女に雇われていました」
そう話すのは、ブロッサム出身の壮年の女性だ。諜報機関が彼女の存在をつきとめ、調査局へと連絡してきた。
ブロッサム時代のストレリチアの情報は貴重だ。フェルは、適当な喫茶店で待ち合わせてこの情報提供者に会った。
女性は、茶封筒に入れた古い写真を見せてくれた。
「これがあなた?」
「そうです」
フェルは写真の中にいる人物を指差して聞いた。色あせたカラー写真が何枚かある。花畑の手入れをしているところを同僚が撮影した写真、という風に見える。
問題は写っている人物ではなく、そこにある花畑の構造だ。
花畑は、正方形や六角形の区画に区切られている。それぞれの中心にはアンテナ状のものが立てられている。奇妙な構造だった。一体どんな研究だったというのか。
「地元では、これは放射線を使って突然変異種を作り出す実験だと噂になってました」
女性は小声でフェルに言った。
放射線によって遺伝子を破壊することで変異種を生み出し、その中から役に立つものを抽出するという植物の品種改良方法がある。
放射線と聞くと直感的に危険だと感じるだろう。遺伝子を改変することの是非を問う声もある。しかし、放射線育種はごく普通に行われてきた品種改良法である。
「以前は花の品種改良を研究するだけの畑だったのです。当主がストレリチア様になってから、このようなアンテナが。ストレリチア様は放射線という話を否定していましたが、気味悪がった使用人がどんどん辞めていってしまいました」
女性は言い、他の写真も広げてみせた。
その写真の中、使用人に混ざって研究者らしき人物が写っているのが見えた。
手に書類を持っている。何らかの研究文書のようだ。
「メテンプリコシス……?」
題字だけは読むことができたが、他の文字は小さすぎてつぶれている。少なくとも肉眼で読解することはできない。
これは、ストレリチアによる未知の実験だ。写真の花畑は
おそらくLD技術の研究だ。放射線ではなく幽子の波を使って、何か植物に影響を与えようとしていたのではないか。
「この写真を預かっても?」
フェルは言う。この写真だけでどれほど情報が得られるかわからないが、調査局の優秀な分析班に回せば何か読み解いてくれるだろう。
謎に包まれていたストレリチアの研究、その最初期の資料だ。貴重である。
「差し上げます。手元に置いておくのは……落ち着かないので」
女性は言い、封筒をフェルに押し付けてきた。
教えられた住所に向かうと、そこは古いアパートメントであった。
ここがメリッサの自宅だそうだ。ひんやりした空気で満ちた階段を登り、グレイスは誰もいない廊下を通って部屋へと向かう。
メリッサとは何かと顔を合わせており、他人という気がしない。だが、今までお互いにあまり深く関わることはなかった。そのメリッサからグレイスに依頼があった。こんなことは初めてだ。
「は、はい。調査官さんですよね。どうぞ」
呼び鈴を鳴らすと、メリッサの仲間が玄関に出てきた。
ノストークで会ったことがある。確かクエルという名前で、SLDに有効なカウンター弾を開発した技術者だ。
「お邪魔します」
グレイスは言い、質素なメリッサの部屋へと入った。
家具が少ない居間がある。無造作に置かれたソファにシリウスが座っていた。それを見て、グレイスは少し緊張する。
シリウスはこの地球上に三人いる宇宙からの来訪者、超存在のうちの一人だ。
グレイスの上司にあたる綺柩もその三人のうちの一人であり、普段から近くで活動している。シリウスはノストークで行動を共にしたので、知らない相手ではない。グレイスは超存在に免疫がある人間ではあるが、改めて対峙すると気が引き締まる。
メリッサは不在なので、グレイスは一人でシリウスの前に立った。こういった超存在との対話は調査局の重要な任務の一つだ。怖気づいてはいられない。
グレイスは、シリウスに近づき挨拶をした。
「お久しぶりです。このたびメリッサに依頼されて来ました、遭遇調査局調査部所属主任調査官のグレイス・ハートです」
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