おまけ「傭兵、ハンバーガーショップに行く」
ヘリオス兵器工場から続く長い林道を歩き市街地にたどり着いた頃には、すっかり朝になっていた。
長かった夜が明ける。陽光に照らされる街には一般市民が歩いている。その横をメリッサとシリウスの二人が歩いていても何事も起きない。
シリウスはこうして表を歩けるようになった。近傍の工場であのようなことがあったのに、街は平和な日常だった。空気は正常で、シリウスあるいは工場からのSLD被害は認められない。
少し前のことを思うと、この平和な光景にまだ現実感がなかった。
ヘリオスの大型工場での戦闘を終えた後、どうしたものかと考えることになった。
シリウスによればSLDの気配は全て消失し、危険はなくなったらしい。それならもうこんな場所に用はない。それどころか、ここに留まれば駆けつけた警察と出くわしてトラブルに巻き込まれる可能性さえある。
メリッサは適当な電話を探した。そして判断を仰ぐために自分の監視を行っている国防総省、国家安全保障局の担当者に連絡を入れた。
メリッサは国防省内の一部勢力に支配されている。国防長官ですら世代によっては存在を知らない秘密の傭兵だ。ESGからの依頼受注で始まった今回の件を報告し、今後の指示を仰ぎたい。
ところがいつもの担当者は電話に出ず、かわりに国防総省の遭遇調査局という聞いたことのない部署の人間が電話口に出た。
『そちらの状況は把握しました。情報処理はこちらでいたします』
生真面目な喋り方の女性で、仕事は非常にてきぱきとしていた。出来事の概略と施設に関する危険性を報告するとメリッサの状況をすぐに把握したようで、対処してくれると言ってきた。
『国防総省遭遇調査局第一即応分隊所属のフェルナンダ・ホーステイル准尉です。今後も連絡は私に』
新しい連絡係は長すぎる自己紹介をした。名前も所属も覚えきれそうにない。
「遭遇調査局だな……わかった」
メリッサは答えた。部署名がわかっていれば十分だろう。
『しかし、これが最後の会話かもしれません』
電話口の准尉は意味深な言葉を残し、電話を切った。口調に敵意を感じたのは気のせいだろうか?
メリッサとシリウスに対する命令は「現状維持」であった。どこかに出頭する必要はなく自宅待機だそうだ。これはメリッサにとって意外だった。担当者が変わったことといい、今回の件で上になにかあったのかもしれない。
もしシリウスの身柄で不服があればメリッサは反抗する覚悟だった。そうならなくて済んだので、メリッサにとって現時点では都合がいい変化と言える。
電話を終え、メリッサは指示の通りに工場を出た。郊外の林から街に向かう道の途中、国防総省が派遣したと思われるヘリコプターが上空を飛んでいった。
メリッサはそのまま長い道を歩き続け、朝になる頃に街に到着した。
街は平和そのものであり、何らかの生物兵器的な被害を受けた様子はなかった。それを見て、ようやく今回の一件が一段落したという実感を得ることができた。
メリッサは許されざる罪人だ。いつ死んでも構わないと思っていたし、身分などどうでもいいと思っていた。だが、シリウスがいる今は少し違う。彼女の目的を手伝ってやりたい。そう思えるのは大きな変化と言えた。
しかし、メリッサが変わっても周囲が変わるわけではない。メリッサをちらちらと見ている通行人がいる。やはり社会には馴染めない。
「服のせいではないだろうか」
シリウスがつぶやいた。メリッサが考えていることがわかるようだ。
「いつもと変わらないが」
メリッサが外に出るときの格好はいつもこうだ。メリッサのアパートがある付近では特に珍しい服装でもない。だが、この街では目立つのかもしれない。
「ボロボロだ。私達は」
シリウスが言う。シリウスも着ている検査着が大きく破れてしまっていて、メリッサに負けないくらいボロボロの格好だ。下にシャツは着ているものの、確かに目立つかもしれない。
メリッサはコートを脱ぎ、シリウスに着せてやった。これで少しはいいだろうと思ったが、シリウスはじっとメリッサを見つめてくる。どことなく不満そうに見えた。
残念ながら他の服はない。メリッサは財布を持たない。貸し金庫に分散して金を入れてあるが、すぐに引き落とせるものは近くにはない。これで我慢してもらうしかない。遭遇調査局とやらに頼んで送金してもらったほうがよかったか。今からでも連絡すべきだろうか。
考え込んでいると、シリウスがとことこと遠くに歩いていっていた。そして通行人の一人に近づく。
「すまないが、あそこにいる人に服を買うお金を恵んでもらえないだろうか」
そして、シリウスは通行人にとんでもないことを言っていた。
「おい」
メリッサは表情を変えないまま両肩を掴んでシリウスを止めた。シリウスは小さい身長で首をのけぞらせ、意思を込めた視線で肩を掴んでいるメリッサを見上げた。
「そんな格好でいてはいけない」
そして、しっかりした口調でメリッサに言う。言い聞かせているかのようだ。どうやら着せたコートが不満だったわけではなく、メリッサの服装に不満があるらしい。
コートを脱いだメリッサの服はあちこちボロボロで、破けてしまっている。だがこの国にはいろんな人間がいる。こっちが気にしなければ何も言われることはないはずだ。
「ちょっといいか?」
反論しようとしていた所、話しかけられた通行人がメリッサの方を向いて言った。
綺麗に手入れされた金髪に切れ長の目の人物は、腰からバッジを出しながら言った。
「あんたらどういうご関係?」
シリウスが話しかけたのは連邦捜査局の刑事だった。見せているバッジにルーシー・パロット捜査官と名前が入っている。
厄介だ。そう考えていると、シリウスが問いに答えて話しはじめた。
「メリッサは閉じ込められていたわたしを助けてくれた。それでこんなひどい格好に。かわいそうだろう……」
シリウスは臆面なくパロット捜査官に話している。どう考えても事件性しか感じられない説明だ。
「そうか……大変だったな。もう大丈夫だからな。ここじゃ何だし、ちょっと警察に来てもらってもいいかな?」
「それには及ばない。メリッサがきちんと通報してくれて、手配が済んでいるから」
「うーん……」
パロット捜査官はシリウスの説明に難色を示している。そんな説明でこの場を離れるはずはないだろう。まともな警官なら最後まで見届けたがる。捜査局は広域捜査の担当なので、所轄の警察に保護を引き継ぐのが妥当な対応だ。
メリッサはパロット捜査官を見た。彼女は少しやつれていて、何らかの病み上がりの雰囲気だった。撒こうと思えば撒けるだろう。だがパロット捜査官の背後には、メリッサと同じくらいの背格好の隙のない気配の女もいた。
こっちも捜査官なのだろうが、どちらかというとメリッサと同じような傭兵や兵士の雰囲気がある。
「食事をしていくといい」
メリッサが考えていると、その大柄な捜査官が口を開いた。
「そこに店がある。私がおごってやる」
大柄な捜査官は有無を言わさない雰囲気で言う。指差した先にはハンバーガーショップの看板。どういうつもりなのだろうか。だが、メリッサはそれに従うしかなかった。断っても、この窮地を脱出できるとは思えなかったからだ。
ボロボロの格好のまま入店したメリッサとシリウスを見て店員は一瞬ぎょっとした顔をしたが、パロットともう一人、キャシー・アルバートと名乗った捜査官の顔を見るとすぐに仕事に戻った。どうやら、二人はよくこの店に来ている顔なじみのようだ。
「体はもういいのか?」
「いいよ。もう貧血にもならないし」
注文しながら、捜査官二人は会話している。現場で撃たれて入院していた後輩とその先輩、といった関係だろうか。この近くには病院もあるので、そこから外出中なのかもしれない。
何かこちらに向けた話があるのかと思ったが、アルバート捜査官はメリッサとシリウスに好きなセットメニューを選ばせると、ただ席について食事をはじめた。
「ありがとう。こんなふうにしてもらったことはない」
シリウスは言いながら、小さな口で一生懸命ハンバーガーを頬張っていた。メリッサは汚れた口元をぬぐってやる。その様子を見て、パロット捜査官の表情が幾分柔らかくなった。
しばらくはそのまま食事が続いた。電話がかかってきてパロットが離席した時、ずっと無表情で黙っていたアルバート捜査官はメリッサを向いて口を開いた。
「
「……」
やはり、アルバート捜査官は気づいていたらしい。警察組織の人間なら、メリッサの顔をよく知っていても不思議ではない。
「私をどうする?」
メリッサは警戒しながら聞いた。メリッサは法的には死んだことになっている。警察は苦労して捕まえたはずだ。それがこんな街中を歩いていたら放置しておけなくて当然である。
「礼が言いたかった」
「礼?」
だがアルバート捜査官はメリッサに憎悪をぶつけることはなく、礼だと言い始めた。どういう事だろうか。
「捜査官に礼を言われるようなことをした覚えはない」
「私が軍にいた頃だ。空挺部隊の護衛についてくれたな」
アルバートはカナレイカに派兵された事があるという。これはその時の話だ。彼女が局入りしたのはメリッサが逮捕された頃よりも後らしい。
「おかげで私の部隊は任務を遂行できた」
「仕事だからな」
「それでも、お前が懸命に戦ったおかげだ」
アルバートは重ねて礼を言った。直接戦っている所を見たわけではないらしいが、メリッサの働きによって彼女の部隊は無傷で生還したとのことだ。
「お前には自覚はなくても、救われた人間はいる。罪は罪で、お前はお前だ」
「……そうか」
メリッサは短くつぶやいた。離席していたパロットが戻り、この話は終わった。
「お前のことは国防総省が処理をするという話は聞いている」
食事を終えてトレーを片付ける段になり、アルバートは改めてメリッサに話をした。
「確認をとったのか?」
「さっき。このまま行くといい」
アルバートは言った。ぼんやりしているようで、この短い間に確認をとりつけている。いつ連絡したのかも気づかなかった。さっきの話も、もしかするとその時間をかせぐための会話だったのかもしれない。
軍の空挺部隊……覚えがある。確か当時、情報戦略に優れた即応部隊がカナレイカに展開していた。この捜査官は危機管理のプロかもしれない。
背中を見せているアルバートの表情は見えず、真偽はわからない。逮捕する必要がないことを確認したから穏便に済ませてくれただけだとしたら……あなどれない相手だ。
トレーを持って前を歩いていたアルバートが突然身を引き、背中がメリッサに当たった。ちょうどアルバートを抱きかかえるような格好になってしまう。
「どうした?」
メリッサは声をかける。アルバートの表情に変化はなかったが、硬直して前を見ている。ゴミ箱の方だ。
「バッタがいる」
アルバートはぽつりとつぶやいた。見ると、大きめのバッタがゴミ箱の上に止まっていた。
アルバートはそれを見て固まっているらしい。虫が苦手なのだろうか。
メリッサはバッタを掴み、窓の外の草むらに逃がしてやった。
「また借りができてしまった」
申し訳なさそうな顔をしてアルバートが言った。冗談で言っているのではなさそうだ。
彼女にとっては、戦場で支援されたこととバッタをよけてもらったことは同列の出来事なのだろうか? すごいのかすごくないのか、結局よくわからない相手だ。
食事をしたせいで服のことなど忘れたのか、シリウスは満足気に見えた。彼女を連れ、メリッサは指示通りに自宅に帰ることにした。今後をじっくり考えなければならない。
将来を考える。それはメリッサにとって、人生ではじめての取り組みである。
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