ブロッサム:クラッシュバース

枯木紗世

ブロッサム:クラッシュバース

グレイス編

グレイス編 1

 ノストークの市街地は閑散としていた。ここは大陸北東部の大都市の一つで、普段なら多くの人が闊歩し賑わっている。人がいなくなった街中にビル風だけが吹き、グレイスが運転する大型クーペの黒いボディに晩秋の落葉をちりちりと当てていた。

 事はエーテル・デバイセズ社、ノストーク支社のビルを中心に発生したと聞いている。そのビルが近いこの中心街からは、とっくに市民の姿が消えている。少し前まで通りを阿鼻叫喚に変えていた元凶は、間違いなくあの支社ビルから出てきたものだ。

 ここからよく見える。グレイスの視線の先で不気味に高くそびえている。

 調査局の仕事であの支社に調査に行く予定だった。しかし市に入った瞬間にこの大規模な事件に巻き込まれ、ノストーク市から出ることができなくなった。

 今や市全体が事実上の封鎖状態になった。もともとの住民だろうと、たまたま居合わせた者だろうと、区別なく市の外に出られない。

 問題の異変は市の外周を覆う森林や河川を中心に広がっている。どんな道を使って出ようとしても変異SLD侵食区域に引っかかる。変異SLDの毒性のせいで、市の外縁に近づくだけでも危険な状態だ。

 屋内に留まるよう、既に市から勧告が出ているという情報もある。ノストークはまさに陸の孤島と化している。

 人はもちろん、車すらない通りを行く。グレイスは適当な路肩に停車し、公衆電話を手にとって通話を試みた。

「切れていますね……」

 指示を求めようとしても、こうして連絡さえ途絶えている。

 封鎖後一時間以内に通信が断絶していき、携帯はもちろん衛星電話すら通じなくなってしまった。公衆電話も見ての通りだ。

 上と連絡がついたのは数分前までだ。新調したばかりのスマートフォンも使えない。今後は全て自己判断で行動することになるだろう。こういう場合、グレイスに課せられたもう一つの任務の優先順位が上がる。

 振り向くと、今までグレイスが乗っていた自動車が目に入る。助手席から降りてきた同行者が、退屈そうに人のいない通りを眺めていた。もう一つの任務については、彼女と二人だけで考えなければならない。

 真新しさを感じるデザインのパーカーと不思議な光沢のあるボトムスに、リングのついたネックレスを着用している少女だ。流麗なボディラインの自動車に腰掛けた姿は、なかなか絵になっていた。

「ねえグレイス、どこか店員が残っている店はないのかね?」

 少女はグレイスに話しかけてきた。異質な雰囲気以外は一見すると普通の少女にしか見えないが、グレイスは思い知っている。これがいかに非常識な存在であるかを。

「あるようには見えませんね。人自体がいないですから」

「ビデオゲームならこういう時でも開けている気合の入った店があったりするだろう? そういうのはないの?」

「現実はゲームとは違いますよ。常識で考えればこうなるのが自然です」

 グレイスは言う。常識はずれの相手にこうして常識を説いている自分をおかしく感じる。警官時代に醸成された責任感と元来の生真面目な性格が、グレイスにそういう言動をさせている。

 少女の名前はいろいひつぎ。人間ではないし、この地球上の生まれでもない。遠宇宙から訪れた侵入者である。

 遠い銀河系で活動していたこの生命体は、いくつもの世界を銀河ごと併呑しながら支配していき、情報の権化となっていった。そんな話をすると、まるで創作神話やゲームに出てくる存在を語っているようだ。

 まるで作り話だが、グレイスはそれを実感として知ってしまっている。信じないわけにはいかない。

 グレイスの中にも、柩の体の一部が埋め込まれている。能力の一部を受け継いでいて、そのせいでこの存在の歴史の片鱗を見てしまったのだ。

 恐ろしい記憶だった。もう二度と見たくない。

 そんな記憶以外でも、人ではないことのわかりやすい証明がある。例えば、柩が腰掛けている美しいクーペだ。

 実は、この車は彼女の肉体の一部である。地球では見たことがないデザインで、渡り歩いてきた世界のどこかで手に入れたものだそうだ。彼女が知る技術で比較的現代社会に馴染む乗り物ということで、肉体の一部を切り分けて作り出しているらしい。

 見た目こそ人間だが、目の前の少女は人類の想像を超えた生き物なのだ。邪神か悪魔か、適切な表現を思いつかない。何人かが「一番近いのはラスボス」とふざけて表現していたのを思い出す。

 言い得て妙だった。ロールプレイングゲームにしか出てこないような邪悪がもし倒されることなくそのままにされたら、彼女のような存在になるだろう。

 ゲームならラスボスは倒せるように作られている。だが、現実ならいつもそううまくいくとは限らない。

「ネットにもつながらないし、退屈だなー……」

 柩は不満そうにつぶやいた。ちらちらとグレイスの顔色を見ている。

「前にあげた本やゲームはどうしたんですか?」

「全部遊んでしまったよ」

「あなたの中には膨大な情報があるのでしょう」

「まだ見てない何かがあるとでも?」

 柩は簡単にそう言い切るが、それがどれほどの時間をかけて行われたことかグレイスには想像がつかない。

 いくつもの世界を体内に取り込んでいる。決して飽き足らず、常に新しいものを求め、触れたものを飲み込んで収集していく。それがこの異質の亜生命の本能的な行動に違いない。

 貪欲にこの世界を求めるしぐさは、地球を飲み込むかどうかの値踏みかもしれない。背筋が凍る考えだった。

「不便なものだね」

 柩はふてくされたようにつぶやいた。おとなしく車の助手席にいて、グレイスの言うことに従ってくれる。

 今の柩にはそれしかできない。力を大幅に封印されているからだ。

 地球にとって幸いなのは、こういう存在はなぜかこの地球上でほとんど力を使えないらしいということだ。なぜ地球だけが特別なのか、理由はわかっていない。

 彼女たちにとって惑星の侵略は初めてではない。だが、この地球でだけは極めて限定された力しか使えないらしい。能力のほとんどを封印された怪物がうらめしげに見ているのは難攻不落の要塞ではなく、小さい町の書店であった。

 通信封鎖状態にある今、この世界の情報が自由に取得できない。だから本が欲しいのだろう。恐ろしいラスボスとは思えない欲求だった。

「これを読んでいてください」

 言って、グレイスは用意しておいた本の一冊を渡した。グレイスは、こういう時のためのご機嫌取りとして何らかの娯楽を用意しておくことを覚えていた。

「まだ隠し持っているんだろ~? いっそ全部出したまえよ」

 柩は笑顔になって言う。気安い態度であった。

「あまり馴れ馴れしくしないでください。まだあなたを……信じたわけじゃありません」

 グレイスはそっけなく言葉を返した。

 柩と出会っていろいろな事があり、前よりは距離が近づいたと思う。しかし、心から信頼できる相手ではない。何を考えているかわからないし、弱体化していても常人を超えた能力を持っている。

「そうだとしても、今は目的を同じくしてるだろう」

 柩は言う。確かに、このノストークで起きている出来事を思えば柩との協力は不可欠だ。エーテル・デバイセズを調べるという今の目的も一致していて、連携したほうがいいのは明らかだ。

 そうせざるをえない。なぜなら、彼女のような「ラスボス」的な存在が、他に二人もこの市にやってきているからだ。

 そうなのだ。この地球に流れ着いた非常識な存在は一つではなかった。確認されているだけで三体。それが今、この封鎖されたノストーク市にすべて集結している。

 倒されることがなかったラスボスの成れの果て。広大な宇宙にはそんな超存在がいくつもあり、それがこの地球にこぞって流れ着いている。

 なぜ、よりによってこの地球なのだろう。全く理解できない。

 そんな状況ならば、こちらも人智を超えた者に頼るのが安全だ。だから、グレイスは言葉が通じる柩と組んでいる。やむをえずにだ。

 残り二体も柩と同じように弱体化しているという話だったが、いつ本来の力を取り戻して暴れだすかは誰にもわからない。考えれば考えるほど、まともではない状況だ。

 この事件と関係しているなら、超存在への接触が必要かもしれない。グレイスには、緊急遭遇時にそういった超常存在とコンタクトを行う使命がある。

 それが、グレイスに与えられたもう一つの任務であった。できるならそんな機会が訪れないことを願うばかりだ。

「まずは支社から調べます。いいですね」

 グレイスは言い、市で起きている事件に考えを戻す。

 まずはノストーク支社を目指す。今回の査察対象であり、今起きている異変の発端とも疑われる最優先の調査対象だ。

 グレイスが大柄なクーペのスロットルを静かにあけると自然吸気∨8エンジンが応え、乾いたエンジン音を鳴らし通りを走っていく。

 ここからは危険領域だ。危険は警官になる時に覚悟したことだが、想像していたものとは全く違う危険に関わろうとしている。

 柩は助手席で書物を広げている。この市には、本当に彼女のような超存在があと二体もいるのだろうか?

 もし遭遇することになれば、任務に従って対話を試みなければならない。どうしてこんな役目を担うことになったのだろう。

 運命に分岐点があるとすれば、隣に座っている柩と出会った時がそれだろう。

 彼女との出会いは、想像もしていなかったような変化をもたらした。あの日を境に、グレイスの人生は大きく方向性を変えたのだ。




 Blossom:CLASHVERSE




 グレイス・ハート捜査官と超存在の柩の出会い。それは、グレイスが調査局の前身である遭遇調査部に所属していた時まで遡る。

 遭遇調査部は、合衆国連邦捜査局の中に作られた新設部署だった。グレイスは、その日も調査部の仕事でニューヨーク州のとある市街地に来ていた。

 市の中心部はちょっとした騒ぎになっていた。夕方の薄暗い通りには野次馬が押しかけ、青と赤の警告灯がめまぐるしく周囲を照らしている。それに混じり、報道の車もちらほら見えている。

 現場へは車で四時間強の移動だった。車から降りると秋の風が頬に当たり、肌寒かった。

 市街地の中心に小さい隕石が落ちた。それも一つではなく複数だ。調査部の出番であった。

 小さいとはいっても、猛烈な速度によって破壊力を増した物体だ。空気を震わせ、窓を割り、建物を一部崩壊させた。少なくない被害が出て騒ぎになり、警官と警察車両が現場を封鎖している。

 グレイスはもう一人の同僚とともに、人目から隠れるように警備の間を通って現場へと向かう。警備に当たっているのは年上の警官ばかりだ。

 新人とはいえグレイスは捜査局の一員で、特別捜査官だ。ここの警官たちとは少し立場が違う。

 広域犯罪を取り締まるのが特別捜査官の役目だ。はじめ、グレイスは刑事部にいた。結局一度くらいしか事件に関わらず、その後すぐに調査部に転属になった。ここで行う仕事は、想像していた捜査活動とはずいぶん違っていた。

 調査部は市街地での特殊隕石の回収を任務としている。連邦捜査局には一般に知られている以外にも数多くの部署があるが、その中でも特別に奇妙な部署ではないだろうか。

 同期の捜査官たちからは「石拾い」などと揶揄された。捜査官みな、広域捜査に必要な法律の知識を学び訓練を受けている。研究所のお使いのような部署に配属されれば普通は腐りそうなものだが、生真面目が服を来ているようなグレイスは文句も言わず仕事をこなしている。

「そこの黒服、あんたらUFOの破片を回収しに来たんだろ!」

 野次馬の誰かが叫んでいた。こちらに向けられた言葉のようだ。

 オカルトマニアの間では、最近隕石が多いことが噂になっているらしい。そして、それを回収している怪しい連中がいるということも。

「全部知っているぞ――」

 グレイスは突然の野次に少し動揺しつつ、そのまま現場へと足早に入っていった。

 現場に入る時、散らばっている瓦礫につまづいて転びそうになった。

 先に現場に到着していた先輩の捜査官が、よろけるグレイスをとっさに支えてくれた。

「遅れました。申し訳ありません」

 グレイスが謝罪すると、大柄な先輩捜査官は微笑みもせずに「構わない」と言った。左手で軽々とグレイスを立たせてくれる。

「お前たちの仕事はこれからだからな」

 そう語るこの先輩捜査官を、実のところグレイスはよく知らない。名前はアルバート……捜査官。姓しか聞かされていない。女性ながら六フィート近い身長で、鳶色の瞳と短くまとめた黒髪が魅力的な人だ。ここに来る前はグレイスと同じ刑事部にいたらしい。

「気をつけろよ」

 グレイスの背後に声がかかる。声の主は一緒にやってきたもう一人の同僚、パロット捜査官だ。

 パロットはグレイスと年頃が近い。ブロンドの髪を綺麗に手入れした彼女は、切れ長の目を伏せがちにして通りの方を見ていた。

 彼女は正規の捜査官ではなく、特例で捜査局に入った一般警官だ。調査部に入った時期は同じで、同期と言える存在だ。

 周囲を見ると。破壊されたショーケースのガラスに反射した自分の姿が見えた。グレイスの見た目は、同僚二人の中間の雰囲気かもしれない。

 短く切りそろえた黒髪にグレーの瞳。我がことながら、表情には無機質さをにじませている。

 現場は大きな被害があった建物。かなり損壊しているが、人的被害は負傷者数名で済んだというのだから奇跡的だ。

 中規模の商業ビルだった。アルバート捜査官の指揮のもと、市警察によって瓦礫の撤去が終わった所らしい。

 今後、アルバート捜査官は外の警備に回る。建物の中は人払いされていて、他には誰もいない。

 現場に入るグレイスとパロットの二人は、アルバート捜査官や他の警官とは明らかに違う役目を持っている。この先は二人にしかできない仕事なのだ。

 建物にはまだ崩落の危険がありそうだ。任務の重要性を考えれば、危険でも入っていくしかない。

 グレイスは息を呑み、パロットは押し黙っていた。恐怖はあったが、覚悟を決めて進んでいく。

 建物の一階はCDショップだった。施設内の被害は大きく、気をつけて歩かなけれなならなかった。

「もったいね……」

 パロットが口を開いた。足元には、砕けたCDケースがたくさん散らばっていた。

 雑然としていたが、可能な限り瓦礫は撤去されていた。あとはここから、他の人間が「撤去できなかったもの」を見つけ出して一つ残らず回収するのが任務だ。

「なあ、ニュース見たか?」

 パロットはグレイスに話しかけてきた。その口調は授業の合間のおしゃべりのような気安さだ。

「何のニュースです?」

「アルカディア国際宇宙ステーション、今回の隕石衝突で被害を受けたんだって」

「そうなんですか? 大ごとじゃないですか」

 スペースシャトルがステーションにドッキングするのを生中継で見たことがある。ステーションから地上のテレビ局や学校とリアルタイム通信が行われ、大勢がそれを目にした。

 九〇年代初頭から組み立てが始まり、それ以来宇宙開発の中心にあったアルカディア国際宇宙ステーション。もし事故が本当なら、宇宙開発への影響は計り知れない。

「本当に知らないのかよ」

「テレビを見てる暇はなかったから……」

「今どきテレビって。もう一九九八年だぞ」

 言いながら、パロット捜査官はポケットから小さな端末を取り出す。そして、ニュース映像を映した画面を見せてきた。

 エーテル・デバイセズ社の最新機種だぜ、と自慢される。パロットが使っているものは薄い板のような端末で、キーボードボタンがないタイプだ。

 画面へのタッチだけで全て操作できると謳った宣伝を見たことがある。グレイスが知っているのはポケベルから携帯電話になったあたりまでで、それ以外はせいぜい仕事でPDAを使った事がある程度だった。タッチパネルは好みが分かれそうだが、シンプルなものが好きなグレイスには合うかもしれない。

「それもいいけど、まず仕事です。集中しましょう」

 今はそんな事よりも仕事の方が優先だ。グレイスは建物の奥に行くように促した。

「けっ、つまんねー奴……」

 毒づくものの、パロットは端末をポケットにしまって作業に戻った。

 衝突地点と言われるとクレーターが出来ている図が思い浮かぶが、このあたりに落ちたのは小石程度の大きさのものだ。音と衝撃波はすごかったが、想像よりは損壊が大きくない。

 ここの入ったのは建物の被害を調べるためではない。この中で、グレイスとパロットにしか出来ない仕事があるのだ。

『フラグメントの回収をお願いします』

 先程、電話で上司からそう指示を受けた。内容はその一言と場所の指示だけだった。

 断片フラグメントというのは、細かくなった隕石の破片のことだ。調査部は、その小さい破片を人目に触れないように回収する緊急任務を担当している。

 この破片が何なのか、なぜ人から隠すのかは知らない。国家機密であった。

 このビルの中でも、落ちた破片を迅速に回収しなければならない。破損した商品棚の間を歩き、グレイスはまず一つを見つけた。

 天井から飛び込み、床を突き破ってめり込んでいたものだ。事前に掘り返してわかりやすくむき出しにされており、赤いテープで場所をマーキングしてある。アルバート捜査官があらかじめ発見していた場所だ。

 アルバート捜査官はマーカーをつけるだけで回収しなかった。放射線を発していたり、有毒で危険だからか? もしそんな理由なら、もっと広い範囲にわたってここは封鎖されているはずだ。

 そういった危険は既に調査済みである。では、どうして回収されなかったのか。

 理由は単純だ。身長六フィートで力も強いアルバート捜査官でも、こんな小さな隕石断片を持ち上げられないからだ。

 グレイスは掘られた穴に近づき、手袋をして石を拾い上げた。

 グレイスには、この特殊隕石を問題なく持ちあげることができる。見た目どおりの重量しか感じない。しかし、なぜか普通の人間には全く動かすことができないらしい。

 機械で重さを計測しようとしても数字が安定しない。質量保存の法則に反している。こんなふうに重量変動する物質は地球上には例がない。

 石なのか金属なのか、材質はよくわからない。やや黒ずんでいる以外はどこにでもありそうな小石に見えた。大気圏に突入した際は高温になったはずだが、熱で溶けた部分が見られない。

 表面をよく観察すると、結晶か繊維のような幾何学的な模様が見えた。似ているものを挙げるなら黒曜石だが、それよりは金属的だった。

 具体的にどういうものなのか。なぜ普通の人には持てないのか。なぜそれを捜査局が回収しているのか。先程も言ったように、そういった詳細はグレイスたちには何も伝えられていなかった。

 回収したものは特殊ポリマー製のプロテクターケースに封入し、次の断片を探す。極めて重量のある物体なのに、封入したケースが壊れたり置いた場所が陥没するような事はなぜか起きない。つくづく不思議な物体だ。

 最初はこの異常な現象に驚いたが、何度も繰り返せば慣れてくる。特別な仕事といっても、やっていることは雑用のもの拾いでしかない。捜査局にお使いをさせるなと長官が怒っていたが、何らかの政治的な力が働いたという。

 慣れすぎるのは考えものだ。確かにやっていることはお使いのようだが、起きている物理現象は紛れもなく特別だ。何も知らされていないなりに、手を抜けばどんなことになるかわからないという緊張感は持ちたいとグレイスは思う。

「あたしの方が多いな」

 パロットは、そう言って四つの回収物を見せてきた。グレイスは三つ回収している。

 パロットも、グレイスと同じく隕石を扱える適正がある。調査部でも二人しかいない特殊体質の資質者であった。

「競争ではないでしょう」

 グレイスは呆れてそう返した。もしかして緊張感を持っているのは自分だけなのか。

 だが、やる気がないよりはずっといい。はりきるパロットを見て、グレイスは前向きに考えた。

 一階の落下物を全て回収し、見落としがないかどうか改めて調べ、二人は任務を終えた。

「二階は見たか?」

 戻ってきた二人の前に立ちふさがるようにしつつ、アルバート捜査官が言った。

「隕石が二階に落ちてるってのか、センパイ」

 パロットが当然の疑問を口にした。地面をえぐるほどの隕石が二階に残っているとは思えない。

「落ちてる。三階以上にはなかったが」

 しかし、断定する口調でアルバートが言った。

 すでに建物全体を調査したのだろう。アルバートでは拾えないものがあったということは、間違いなくそれはある。

 話を聞き、パロットはうんざりした顔をしていた。

 壊れかけた階段を登って二階に行くのはそれなりに重労働だ。身軽なグレイスでも少し危なっかしくなるような場所だ。アルバートはこういう場所が得意で、あの謎の多い先輩にはフリークライミングの経験でもあるのかもしれない。

 二階も一般の売り場のようだった。フロアの電源が落ちている。損壊の度合いが少なく外光が入らないため、一階よりも暗かった。

「携帯屋か。お前の骨董品を交換してきたら?」

 パロットはにやつきながらグレイスに言った。グレイスはそれを無視し、ため息をつく。

 二階は洋服や日用品の他に小さな携帯電話売り場があり、エーテル社の新型タブレットフォンが展示されていた。

 パロットは「あるならあるで場所ぐらい教えろよな」と言いながら、洋服店の方に消えていった。分担の自然、グレイスは携帯電話のエリアへと足を踏み入れる。

 人のいない売り場にはデモ機の画面が並んでいる。スリープモードに入っていて画面はどれも真っ黒だ。職務に忠実なグレイスは商品に目をくれず、仕事を続ける。

 二階は一階ほどは損壊しておらず、破片が勢いのまま貫通していった穴がたくさん開いていた。グレイスは注意深くフロアを探していった。

 そして、一つの回収物を見つけた。

「これは……」

 それが隕石なのか、ひと目見ただけではわからなかった。

 最新の端末が並んでいる台の上。一見して、誰かが短剣が突き刺さしたのかと思った。マーカーがつけられていて、そこはアルバート捜査官が調べたことを示している。

 そのマーカーがなければオブジェか何かだと思っただろう。黒色で金属的な光沢を持った、楔形をした物体だった。

 手のひらほどの大きさがあり、今回の隕石の中では大きい部類に入る。グレイスは手袋をした手をおそるおそるその物体に伸ばし、そっと触れた。

 熱や冷気は感じない。他の破片と同様、素手で掴んでも問題はないようだった。手にとってみると金属的な重みがある。

 鉄隕石くらいの重みだ。どう見ても普通のものではない。

 下で回収したものより大きい。この重さのものが、なぜ柔らかい木製の台を貫通しなかったのだろう。こんなところに突き刺さって止まっているのは不自然で、不思議だった。

 一体これは何なのだろうか。この楔形は明らかに異常な物体だ。

 グレイスは、この仕事がわからないことだらけだと改めて気付かされていた。

「……余計なことを考えるのはよそう」

 そういった事を考えるのは他の人間の仕事だ。アルバート捜査官がマーカーをつけたからには回収物だ。グレイスはあくまでも一介の捜査官であり、研究員ではない。公職かつ素質があったためにこの役目を担っているだけだ。

 グレイスは収集用のケースを取り出し、そこに楔形の石を収納しようと準備をした。

 その時、ふと気配を感じて顔を上げた。店の暗がりに誰かがいる。

 どうやら制服警官のようだ。パロット捜査官ではなかった。

「そこのきみ、」

 グレイスは声をかける。

 この場所に警官がいる事自体は不自然ではない。アルバート捜査官の指揮で一般警官が出入りしているからだ。

 なので、疑いもしなかった。

「この場所は私達の担当ですので、退去してください」

 声が聞こえていないのか。警帽で顔がよく見えない。警官は反応を示さなかった。

 グレイスは気付く。暗くて見えにくいが、相手は右手に何かを持っている。

 グレイスはとっさに腰から支給のオートピストルを抜いた。相手が既に銃を抜いていたにも関わらず、先に発砲したのはグレイスだった。

 射撃だけは昔から得意で、狙いは正確につけたつもりだった。しかし相手の動きがグレイスの想像の数倍は早く、予測射撃が外れた。

 二発目を照準しようとする前に、相手の銃口がこちらをとらえているのがわかった。

 その時気づいた。銃弾を避けただけじゃない。相手はグレイスの利き腕を利用し、死角になる位置に移動していた。

 只者ではない。経験上、られたかもしれないとグレイスは思った。

 相手側からの発砲音が聞こえる。相手は何者なのか。撃たれる覚悟はできているが、疑問を解決できないままなのが口惜しかった。

 しかし、いつまで待っても痛みはない。意識の断絶もなかった。

 銃声からたっぷり数秒が経過しても、グレイスはまだ生きていた。何が起きたか、目の前を見て確認する。

 そして、信じられない光景を目の当たりにした。

 空中に浮かんだ楔形の隕石が、弾丸を空中で押し留めていた。グレイスに向かっていたであろうそれは、体に到達する前に止まっていた。

 これはさっき回収した隕石楔だ。どんな原理か、飛んできた弾丸は縫い付けられたようにその隕石楔の前で止まっていた。

 それだけで十分に超常の光景だが、もっと目を奪われるものがあった。

 花のような香りが漂う。その香りの先、長く美しい銀髪をたなびかせた女性がグレイスの前に立っていた。

 後ろ姿を見る。誰だ。先程まで、こんな人はどこにもいなかった。女性は隕石楔を手に持ち、それを弾丸の前に掲げている。

 まるでグレイスを守るために現れたかのようだ。弾丸を止める隕石楔といい、目を疑う光景だ。隕石回収の不思議とは比較できない、明らかな超常現象だった。

 今はまだ、その後の運命を知らない。

 この時が、銀髪の少女、綺柩とグレイスの最初の出会いだったのだ。



「どこから湧いてきたんだ、そいつ」

 銃声を聞いたパロット捜査官が駆けつけてくれた時、警官姿の何者かはもう消えていた。

 警官がいた方に行くと、その先は壁が崩れていた。そこから外に逃げたのかもしれない。

 グレイスはすぐさまアルバート捜査官に連絡した。施設の封鎖と周辺の捜索が開始されたようだが、怪しい人物が見つかったという報告はまだない。

 回収任務はまだ終わっていない。グレイスとパロットの二人は、ここから離れられない。

「試着室で取り残されでもしたのか? おい」

 パロットは服を着ていない銀髪の女性を遠巻きに観察しながら、そんな軽口で話しかけた。しかし、女性はその言葉に反応を示さない。

 只者ではないことはパロットもわかっているだろう。しかし、グレイスはそれ以上だ。

 いきなり弾丸を止めている所を目の当たりにした。銀髪の女性は、改めて見ると少女といったほうがいいような顔つきだった。身長やスタイルはグレイスより大きめだが、見た所まだ一七、八くらいだ。

 少女は生まれたばかりのように周囲を探り探り見ている。感覚があるのかも怪しいような動きをしている。自分の手や姿さえ見えていないかのようで、歩かせれば転んでしまいそうだ。

 目の前に掌をかざしてみるが、反応がない。目が見えていないのだろうか。声が届いているという感じもしない。

 この少女が弾丸を空中に縫い付けていたように見えたのだが、その時とはずいぶん様子が異なっている。あの時はこんなに弱々しい存在には見えなかった。

「……ダリアに連絡して指示を仰ぎましょう」

 グレイスは言う。自己判断が難しい状況だ。

 隕石フラグメント回収のマニュアルでは、現場に居合わせた人間は調査部で保護することになっている。だが、この少女については未知数なことが多すぎる。姿形こそどう見ても人だったが、会話をしていいのか、触れていいかもわからない。

 見ていると不憫ではある。見た目が少女なので警官としては後ろめたかったが、ここは常識を横に置いて対応しなくてはいけない。グレイスはそう自分に言い聞かせた。

 グレイスは、遭遇調査部の統括を務める上司に電話することにした。彼女なら、任務についてもっと詳しい情報を持っているはずだ。

「ダリア。緊急事態が起きました。今どこですか? なんで息切れしてるんです……こっちに向かっている途中? はあ……待っていますけど、それよりもですね」

 グレイスは話す。向こうは何やら忙しそうな気配がする。

 だが、聞いてもらわなければならない。グレイスは、起きたことをありのままに全て説明した。

『少女は保護してください。話したり触ってもいいですよ』

 話を聞いたダリアは、考えた様子もなくそう指示した。マニュアルに沿っただけの内容だ。

「私見ですが、普通の人間ではないかもしれません。それはわかっていただけていますか?」

 明らかに特殊な事態だ。本当にそれでいいか、グレイスはもう一度確認した。

『大丈夫じゃないですか?』

「危険はない? 確実ですか?」

『まあ多分大丈夫でしょう。信じてください』

 ふわふわとした口調でダリアは答え、忙しいのでといって電話を切ってしまった。

 結局、電話では何の情報も得られなかった。

「いいのだろうか……」

 グレイスはつぶやく。だが、慎重で考え深いダリアのことだ。態度こそいい加減に見えるが、判断は信頼してもいいと思う。

 電話では話せないような機密事項が絡んでいる可能性もある。だとすれば、これ以上の通話や詮索はすべきではない。

 もとより、命をかけろというならかけるしかない仕事だ。グレイスは指示に従うことに決めた。

 通話の間、パロットが洋服売り場から適当なTシャツとグレーのデニムを持ってきた。

 外に出るには服がいる。そのあたりはパロットのほうがグレイスよりも柔軟性があるようだった。

 パロットの私服のセンスなのだろうが、もう少し自然な服を用意できなかったものか。一糸まとわぬ姿だった少女は、着せられるままにその服を着てしまっていた。

 せめて顔を隠せるものを、と注文をつけると、パロットは黒のキャップを持ってきてその子にかぶせた。親に内緒でクラブに来たハイスクールの学生のような見た目になってしまったが、着替えさせるのも手間だ。仕方がない。

 帽子をかぶった少女は、グレイスの瞳をじっと見た。

 まっすぐな視線だ。視力がないと思ったのは勘違いだったのだろうか。

「他にも悪い知らせがある。回収物を一つとられた」

 パロットはばつが悪そうに言った。とられたとはどういう事だろうか。

 洋服売り場の方を探索していた時、アルバート捜査官がマーカーをつけていた場所を発見した。しかし、そこには何もなかったのだそうだ。

 周囲も探したが見当たらない。蒸発でもしたのではない限り、誰かが持ち去ったに違いないとパロットは言う。

「あの警官でしょうか……」

 グレイスは言う。捜査官以外でこの場にいたのはあの警官だけだ。

「こいつかもしれないけどな」

 パロットは銀髪の少女を示した。こちらはあまり可能性はないと思うが、あとで身体検査は必要だろう。

「状況は?」

 下からアルバート捜査官が上がってきた。服を着せられた見知らぬ少女を見たものの、アルバート捜査官は特に顔色を変化させることがなかった。彼女が動揺したり驚いている所を見たことがない。



 ダリアに報告したのと同じ内容をアルバート捜査官にも伝えた。ダリアからの指示を聞いても彼女は眉一つ動かさず、肝が座っていた。

 しかし、グレイスがうかつに警官姿の人物と交戦したことを伝えた時だけは違った。

「いつか死ぬぞ。今度の時は誰か呼べ」

 アルバートはグレイスは射抜くような目で睨み、注意をしてきた。

 この任務が何か犯罪に関係する可能性は考慮していた。捜査局が石の回収に関与しているのには理由があるはずだからだ。

 あんな者が現れるということは、やはりこれらの石は犯罪に関係しているのだ。ただの石拾いと思って慣れすぎていた。うかつだった。

 危険があるという事はダリアから聞いていた。アルバートが指摘するように油断があったのだろう。今後はもっと気をつけることにする。

 それにしても、侵入者は一体何者だろう。隕石を持ち去ったのは同じ人物なのか。目的は何なのか。ダリアなら何か知っているのかもしれない。

「それに、これは何なのでしょうか」

 グレイスは言い、楔形の隕石を見た。

 発砲騒ぎの後、床に落ちていた楔形の隕石を回収した。これだけはケースに入れそこねてしまい、ビニール袋に入れたまま持っていた。

 回収任務は終わった。グレイスたちは、とりあえず移動用のバンに向かうことにした。

 まずはこの少女を保護する。取り調べが可能な本部、病院、あるいは専門の研究施設に届けなければならない。

 外に出ると、周辺の警官の動きが慌ただしくなっていた。それに呼応するように、野次馬から聞こえる騒ぎ声もいっそう大きくなっている。

 先程の銃声を聞いた者がいるのかもしれない。グレイスはそう思い当たった。

 非日常の空気が漂っている。そう考えながら、喧騒の中を歩いていた時だった。

 突如空気が引き裂かれるような音が聞こえ、停めてあったバンが炎上した。

 熱風と振動がグレイスの肌に当たる。とっさに周囲を確認した。

 異常があった。衆目から隠されるように連れていた銀髪の少女、その姿が一瞬で消え失せていた。

 あまりに突然のことだった。起きたことを理解するのに、数秒の時間が必要だった。

 どこかから放たれた弾丸が少女を貫通し、彼女の体をバラバラにし、そのまま勢いを失うことなくバンを破壊した。状況から見て、そうとしか思えなかった。

 グレイスの目の前でそれが起きた。なんということだろうか。

 それほどの威力を持った武器となると、対物狙撃銃か何かだろう。白昼そんなものを使って狙撃をするというのは尋常ではない。

 普通の犯罪ではない。全く想定していなかった事態だ。撃たれた少女の状態は想像もしたくなかったが、目を向ければそこに広がっているだろう。

 うかつに通りに連れ出したせいでこんな目にあわせてしまった。確認しなければならない。そう思って見てみると、想像していたような凄惨な現場とは違っていた。

「え……?」

 白い破片が散らばっている。破片は沢山あるが、人間の体のような部分はどこにも見当たらないのだ。

 その白い破片が少女の体だったもの、としか考えようがなかった。足の一部だけが地面に残っている。断面は、落ちている破片と同じように白く光っていた。

 これは一体何だ? 生暖かい鮮血が飛び散っていないせいで、想像していたむごたらしさはない。だが、状況はさっぱりわからない。

 全てが突然のことだった。アルバート捜査官だけは冷静で、騒然とする警官隊に避難の指示を出している。

 狙撃手がまだいるかもしれない。グレイスとパロットも物陰に隠れた。

「あのう、どうなりました!?」

 その時、短い栗色の髪の毛を乱しながら小走りで現場にやってくる女性がいた。

 ダリアだ。調査部の統括で、先程まで電話で話していた上司である。

 アルバート捜査官ほどではないが、ダリアは長身なので目立つ。緊張の走る現場で浮いていた。

 グレイスはそこで、アルバート捜査官が呆れのようなため息をついたのをはじめて見た。



 車なら私が運転しますよ、と言い出したダリアに押され、グレイスとパロットはバンの後部に乗り込んだ。破壊された一台の代わりに用意した新しい車だ。

 助手席にはアルバート捜査官が座り、グレイスとパロットは後部座席で向かい合う格好になる。

 やっと本部に帰れる所だ。結局、狙撃騒ぎで長らく足止めされていた。使われた武器が武器だけに州兵が出動するほどの騒ぎになり、町じゅうが捜索された。

「なあ、よそ見してないで聞けよ」

「え?」

 向かいに座るパロットが、外を見るグレイスの膝を小突いた。

「さっきのヤツ、見せてくれよ」

 小声でパロットが言う。あの楔形の隕石のことだろうか。

「本部についてからです」

「けち」

 パロットはつまらなそうに言った。

 例の楔形を見ると、グレイスはあの砕けてしまった少女のことを思い出してしまう。今は取り出したくない。

 彼女が何者にせよ、守ってやれなかった。大きな後悔であり、ショッキングだった。

 立ち直らなくてはならない。こういう仕事を続ける限り、向き合わなければならない事だ。

 グレイスの報告を受けて狙撃位置は特定され、置き去りにされた対物銃も発見された。だが、狙撃手は結局見つからなかった。例の警官姿の不審者も発見されていない。今もまさに行動を続けているかもしれない。

 あんな事があった直後だ。不安になり、何度も外を見てしまう。

 そこで違和感に気づいた。これは局に帰る道ではない。

「あの、本部に向かうんじゃないんですか?」

 グレイスは運転するダリアに話しかけた。警戒のための迂回路にしても遠回りすぎるのではないか。

「本部は追い出されちゃいました……」

「何ですって……!?」

 驚きの答えが返ってきて、グレイスは思わず声を荒げた。

「どうしてです、何をしたんですか?」

「大丈夫、ちゃんと新しいオフィスは確保してますから」

 そういう問題ではないでしょう、と指摘したかったが、グレイスは言えなかった。

 現在、捜査局の中でダリアの立ち位置はとても微妙だ。それは、とある繊細な問題によるものだ。

 その問題はダリアのせいではない。本部を追い出されたのも、どうしようもない事情なのだろう。

 奉仕精神の強いグレイスにとって、組織を追い出されるのはただ事とは思えない。だが、ダリアはなんでもない事のように言った。

 本心はこたえているに違いない。鼻歌を歌いながら車を運転しているのも、きっと気を使わせないためなのだ。

 今日現場に遅れたこともそうだ。語ろうとしないだけで、きっと例の事情だったのではないだろうか。そんな想像をしてしまう。

 遭遇調査部などという末端の部署に追いやられたのも同じ理由かもしれない。数々の難解な事件を解決した、局内でも随一の切れ者のダリア・クロス捜査官。その彼女が、今は怪しげな隕石の回収や古代遺跡の調査に駆り出されている。

 ダリアを知っているためにそんな同情をしてしまうグレイスは、事情を知らないパロットよりは追い出されたことに納得できていた。少なくともその新しいオフィスを実際に見るまでは。

「廃墟じゃないですか」

 その建物を見て、グレイスは思わず率直な感想を口にしてしまった。

「失礼な。資料保管庫ですよ」

 グレイスの反応に憤りつつ、ダリアが言った。

 本部からはだいぶ離れた小さな町。そのはずれに立つ古い建物の前にいる。

 老朽化したコンクリート製の建物にはあちこちヒビが入っている。グレイスが卒業した歴史ある母校よりも古そうで、大戦期からあると言われても信じただろう。

 三五年ほど前に作られた軍の倉庫だった施設を市が買い上げ、その後誰か役人が買い上げて図書館にした。その後もさまざまな組織に所有権が移り、紆余曲折あって捜査局の所有になっていた物件らしい。

 所有といっても一度も使わず、管理は一切していなかった。最後は図書館だったため、置き去りにされた蔵書が本棚や床に残っていた。かなりたくさんある。

 ひと目見た印象で廃墟といったが、実際それに近い。無駄に丈夫そうな作りで雨漏りや損壊は見られないが、正面の大きな扉を開けるとカビくさい匂いが周囲にまで広がるほどだった。

「あ、ちゃんと鍵は閉めておいてくださいね」

 ダリアが言う。正門には見るからに丈夫そうなロック機構がついていた。錆の浮き方で年季を感じられるが、耐久性は問題なさそうだ。

「いろいろと都合がいいんです。奥には実験用の保管庫もあるので」

 もとは軍の倉庫だったというだけあり、しっかり作られているのは正門だけではなかった。

 一階の最奥には丈夫な金属製の扉で仕切られた部屋があった。万が一化学兵器や細菌兵器を扱うことになった時のために予算をかけて作ったのだろうが、今は地元の学校の卒業アルバムなど図書館時代の資料が大量にあるだけだ。

 この倉庫は回収物の保管に使える。だが、中身を運び出したり整理するのは大変そうだ。

「私はまだ本部に用事があるのでこれで失礼しますが、使えるように三人で掃除をしておいてください」

「………………わかりました」

 無責任なことを言うダリアに言いたいことは山ほどあったが、グレイスは了承した。顔は見ていないが、隣にいるパロットが嫌な顔をしていることは雰囲気で伝わってくる。

 今日からこの場所が、四人だけの遭遇調査部の拠点となるのだ。



「結局、あの子は何だったんでしょうか?」

 ダリアが新しいオフィスを去る時、グレイスは尋ねてみた。あの子というのは、ビルで突然現れた少女のことだ。

 どう見ても普通の少女ではなかったが、ダリアは通常通り保護するように指示していた。電話でははぐらかされたが、あれは盗聴や周囲の耳を避けたからかもしれない。

「ああいうのには前例があるそうです。機密中の機密ですが、まあいいでしょう。別に回収された隕石でも、同様の現象があったと聞いています」

 電話の時と違い、ダリアは説明をしてくれた。

「あんなのに前例ですか……どうなってるんです」

 グレイスは言う。信じられない話だ。

 隕石が落ちた現場は他にもあり、そこでも突然人が現れたことがあるという。いつもの掴みどころのない口調、何でもないことのようにダリアは話しているが、それは超常現象の類ではないのだろうか?

「何者だったんですか?」

「調べたところ、肉体的には完全に普通の人間だったらしいですよ。その後のことは詳しく知りませんけど。だからこそ、マニュアルには保護せよと書いてあるということです」

 体は普通の人間。それなら、どこかから紛れ込んだ人間と考えるのが普通だろうか。しかし、あの少女が撃たれた時の様子は普通の人間とは言い難いものだった。

 血液は出ず、白く輝く破片が散らばっていた。あれは何だったのだろうか。

 いいや、考えてもわからないことだ。少女の正体を考えるのでなく、犯罪者に対応するのがグレイスの本業である。

 一般市民にせよそうでないにせよ、危険を冒しても保護する価値のある対象だったということはわかった。グレイスにはそれだけで十分だ。

「人間をコピーした宇宙人だと思います。きっとUFOもいるんですよ」

 あまり真面目には聞こえない声色で、ダリアは子供を脅すように言った。その時、背後にいたパロット捜査官が少し怯えていたのをグレイスは知らない。



 政府の研究所に預けるまでの間に回収物を保管しておくため、専用の部屋を確保することになった。丈夫な保管庫のうちのひとつを空にして、回収物のみを集積しておく場所を作る。

 荷物の運び出しは先輩のアルバートがほとんど行ってしまった。グレイスはもちろん、作業量を見て流石にパロットも手を貸そうとしたのだが、「お前たちは普段もっと重いものを持っているから」と断られてしまった。

 仕方がないので、二人は回収できたものを整理、確認する作業に入った。ハードケースに入れて厳重に保管してきたものを奥に運び込み、現場写真と照らしあわせて数があっているかチェックする。

 今回は一つだけ未回収のフラグメントがある。三日月型をした一つで、商業ビルの二階から姿を消したものだ。やはり、あの襲撃者が持っていってしまったのだろうか。

「あんた家は? 連絡しないでいいのか」

 作業しながら、パロットが雑談がてら話しかけてきた。急に職場が変わって家に帰れなくなったことを言っているらしい。

「連絡する相手はいないですね」

「……そっか」

 グレイスが言うと、パロットはそれ以上深く尋ねてこなかった。

「市警の頃も思ったより報告書やら日報やら多かったけど、今はその十倍はやらされてるな。あんた不満はないのか?」

「捜査活動ができないことに不満はありますが、書類や整理は楽しいですよ」

「あたしも苦手ではないけどさ……」

 パロットは胡乱なものを見る目でグレイスを見た。グレイスは昔からこういった作業を何日でも続けることができ、苦痛も感じないタイプだった。

「いつからそんななんだよ。小さい頃は何になりたかったんだ」

 パロットは完全に手を止めて話していた。もうすぐ作業が終わりそうなので、グレイスも休憩がてら答える。

「パン屋さんになりたいと思っていました」

「急にかわいい事言うなよ。何でパン屋?」

「好きだったんですよ、パン屋さん。子供のお小遣いでも好きなのが買えましたし」

 グレイスの生まれた田舎には小さいパン屋があり、よく学校帰りに行っていた。いくつも種類があり、どれを食べても美味しかった。しかも値段もお手頃で、夢のような空間だった。店のお姉さんがよくおまけをつけてくれたのを覚えている。

 その話をした時、パロットは言葉少なになりそわそわとしていた。笑っているわけでもないし、どうもよくわからない反応であった。

「ずるいだろ……パン屋にさん付けは……」

 ぶつぶつと何か言っているようだが、グレイスには聞こえなかった。

「……――」

 パロットが黙って周囲が静かになった瞬間、何か物音が聞こえたような気がした。

「……今、何か聞こえませんでした?」

 パロットを向いてグレイスが言うと、パロットはこれまで見たこともないような強張った顔で振り向いた。

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