第十五話 壁
かつてないほどに高まる緊張感の中、いよいよ俺とスティングとの喧嘩が幕を開けようとしていた。
「これはあくまでも喧嘩だからな、お互いに遠慮はいらない。俺を殺す気で全力で来い、スティング……」
「うおおおっ! そんじゃー、ワイは遠慮なく遊ぶぞおおおおおおおおっ!」
「っ!?」
やつが動いた……そう思ったときには、既に俺の目前にいた。おいおい、なんてスピード――
「――ぐはあぁぁっ!」
その結果、当然の如く避けられずにもろに突き飛ばされ、俺の体は背中から壁に激突した。
「ぐぐっ……」
【鋼鉄の意思】を纏っているというのに、かなり痛みがある。というか、これを纏っていなかったら一体どうなっていたのかというレベルだ。
「あれ、あれれれれ? 今ので壊れなかったのか!? まさか、ワイはもっともっと遊べるっていうのかああぁあっ!?」
「…………」
スティングの驚きと喜びが入り混じったような弾む声は、今までこのワニ男に挑んだ囚人がいずれも一発で仕留められているということを意味していた。
なるほど、アントンが言うように化け物染みた身体能力だし、モヒカン頭のジャックもそりゃ避けるわけだ。
だが、今更引き返せない。ここまで来たからには前進あるのみだ。
「――うおおおおおおおおおおっ!」
「うっ……!?」
やつの驚異的すぎるスピードとパワーに対して、俺の目や体が徐々に慣れてきたとはいっても、それまでだった。
反撃してやろうと思って接近しても、そのたびに勢いよく投げ飛ばされ、壁に叩きつけられてしまう。
【鋼鉄の意思】があるのでダメージはそこまでないが、近寄ることさえ容易ではない。
また、思念を纏うことで気力の消耗も激しく、それに加えて思念の副作用でスピードも著しく落ちるため、良いことばかりではなかった。
なので、やつに攻撃されたときだけ思念を纏うように工夫しているとはいえ、長く維持できそうになかった。
スティングという存在は俺にとってあまりにも高すぎる壁だったのか。これじゃ、俺が勝てる可能性なんてゼロに等しい。
それゆえ、当然焦りも出てくる。消耗しきって思念を纏えなくなれば、それは死を意味するからだ。
「いやっほおおおおおおおおおおおおぉっ! フウウウゥゥゥッ! 楽しいいいいいいいいいいいいいいいぃっ!」
「ぐぐっ……」
こっちはやつの攻撃に対して防御することで精一杯の状況で、体力も尽きかけているというのに、スティングは輝く目を見ればわかるようにやたらと楽しそうな上、その無尽蔵のスタミナが衰える気配はまったくなかった。
一体どうすればいいんだ。このままでは間違いなく、俺はこの世の終わりを迎えてしまう……。
「ぐはあっ……!」
そんな中、スティングに投げ飛ばされたと思うと追撃の体当たりを食らい、俺は盛大に血を吐き出した。
「……ま、まだ、だ……」
意識が途切れそうになる中、一旦【鋼鉄の意思】を解いてその場から逃れる。
「うひょおおおおおおぉっ! もっと遊べるんだじぇええええええええええええっ!」
「ぬあああぁっ……!」
回避しようとしたができずに背中を突き飛ばされ、反対側の壁に激突してまさに死を覚悟したそのときだった。
壁に十字の形で取り付けられていた板が壊れ、そこから人形が転がり落ちてきた。
まるで生きているかのような、女性の精巧な人形だ。なんだこりゃ……。
しかも、青い思念を浮かび上がらせていた。ということは、十字の板で工場内の壁に封印されていたというのか。板の欠片をよく見てみると、呪文のような幾何学模様が施されているのがわかる……。
「テッド、その人形に触れてはならん!」
「アントン……?」
「そ、それはな、触れたら必ず正気を失って死ぬといわれる呪いの人形で、長らくそこに封印されておったものなのじゃ!」
「呪いの人形だって――?」
「――いっくぞおおおおおおおおおおおっ!」
「…………」
おそらく、アントンの言うようにこの人形には得体のしれない、呪いといえるような危険な何かが潜んでいるんだろう。思念を発していることからもよくわかる。
だが、ワニ男のスティングがとどめを刺そうと迫りくるこの状況、手段を選んでいる暇なんてない。
どっちにしても死ぬなら、少しでも希望があるほうを選ぶ。
追体験は一瞬だし、それに耐えればこの思念を手に入れることができる。そしたらスティングにだって勝てるかもしれない。
「テ、テッドォォッ! やめるのじゃああああぁっ!」
アントンの悲鳴が響き渡る中、俺は意を決して人形の思念に体を委ねた。
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