赤い狂犬と墓標
黒月禊
第1話
走っても走ってもたどり着けない
暗闇が追いついてくる
走れ走れ走れ
止まったら無だ
嫌だ嫌だこんな終わり方は!
冗談じゃねぇ…
こんな、何にもなれないまま消えるなんて!
誰か!
「おっはよーございまーす」
眩しさと頭が覚醒が不十分でぐわんと世界が揺れる
だけどそのふざけた調子の声はよく通り全身に染み通った
「大丈夫ですかー?生きてますー?おーい」
声をかけられているのはわかった
ああムカつくなんなんだよコレ
いてぇし気持ち悪りぃしいてぇし
目が霞んでよく見えねぇ
「……………だれ、だ、てめぇ」
「おっ、生きてた」
見えねぇが薄ぼんやりと光と影が見えた
俺はそれを睨みつける例え見えなくても
身体はありえねぇくらい動かねぇし重かった
クソ、クソ、クソ!
何もかもが憎い!憎い!憎い!
手足がうごかねぇなら噛みついて殺してやる!
近づいてこい誰だかしらねぇが喉笛噛み切ってやる!
喉から声にならない犬みてぇな呻き声がでる
どいつもこいつも馬鹿にしやがって許さねぇ
なんで、俺はこうなっちまうんだ
わからないことばかりだった
生きていくには仕方がなかったそう言い訳してゴミみたいな人生を生きてきた
こんなところで終わんのか
いつ死んでもいいと生きてきたが
目の前に死が迫るとこの悔しさはなんだ!
クソクソクソォ!
体が柔らかくて温かいものに包まれた
なんだ?これは?
痛みと冷たさしか感じなかった体がその温もりにひどく安心する
ああもう時期死ぬのか
なら……最後くらい笑って死にたかった
「大丈夫、怖くないよ。今はおやすみ」
もう言葉の意味もわからないぐらい意識は途切れかかっていた
だけど覆われた温もりと落ち着く花のような匂い
優しく撫でられる頭の感触は
人生の中で知らなかった幸福感だった
「………ッ」
俺はどうなったんだ
てかここは、ッいってぇ……
寝ていたらしい俺は起きようとしたが腹部からの痛みですぐには動けなかった
クソいってぇ
死んだ……わけじゃねぇみてーだな
今見えるのは木材でできた天井が見える
横の窓からはレールカーテン越しに柔らかい光が差し込む
………
こんな穏やかな朝は久しぶりだ
そもそも屋内って時点でな
まだ寝てたい気はするが状況がわかんねぇし
逃げれるなら今のうちに逃げとかねぇとまずい
そう思って体を起こそうとゆっくり動くと
横からもぞもぞと動く気配がした
なんだ?
体にかけられていた上質そうな生地感のタオルケットの中に隠された腕の中で動くものがあった
な、なんなんだこれ
右腕に重さが感じられた
少し動かすとサラサラとした髪の感触と柔らかい肌の感触がした
「うわっ!?」
俺は驚いて身を起こす
痛みが走ったが驚きの方が強かった
「うう~~~ん、うるさい、静かにして」
タオルケットの中きら文句を言われた
ベッドの中にもう一人いるようだ
「だ、誰だテメェ!」
上半身を起こしたまま両腕を後ろについて体を支えた
俺が怒鳴り声をあげると中の奴はもぞもぞと動いて起き出したようだ
「………うぅ………はぁうるさいです。朝から元気すぎありえないふぁあ~あふぁ」
タオルケットを頭半分かけたままシャツ一枚の女が現れた
「あっ、おはようございます」
欠伸を手で隠した後俺に気づいて眠たそうな声で笑顔で言った
「ん?どうしましたお兄さん?具合悪い感じです?」
女は俺に近づいて額に額を重ねた
「うわぁあああぁあっ!!」
俺は驚いて仰け反り頭を打ってベッドからまた頭から落ちて気絶した
「はっ!」
俺は覚醒した
ここは……どこだ?
「そのくだりいらないですから、起きれるなら起きてもらえます?お兄さん」
「うぉっ!」
ベッド脇の椅子に座ってたやつに声をかけられた
「だ、誰だテメェ!俺に何しやがった!」
「すぐ怒鳴るのやめてくれません?耳が痛くなりますちゃんと聞こえるからほんとやめて。何ってベッドから落ちたお兄さんを引っ張って寝かせて、また出血したから包帯巻いてあげましたけど、ダメでした?」
椅子を逆にして背もたれに顎を乗せ皮肉げに言う
「そりゃ、悪かった、な。てかそもそもテメェが同じベッドに入ってんのがおかしいんだろうが!ガキのくせに痴女かテメェ!」
俺は動揺を隠すように怒鳴った
「だからうっさいっていってるでしょうが。自分のベッドで寝るのが何が悪いんですか。そもそも残念でしょうが女じゃないです男です」
頬を膨らませ椅子を揺らし睨まれながら言われた
「お、男?」
「さっきから失礼な事オンパレードですねムカつきます。恩人に向かって口の聞き方も怪我でわからなくなっちゃった系ですかー?」
最後は小馬鹿にするように言われた
たしかにこの様子だと助けられたのかもしれない
それなら俺の態度は悪かった
「……悪かった。助けてくれて、ありがとよ」
「….ちゃんとお礼が言えるんですね。なら結構です。食事食べれます?」
不貞腐れていた顔だったが正直に謝ると表情を戻し
聞いてきた
「食事…」
そう呟いた瞬間腹の音が鳴った
……恥ずかしい
「食べれそうですね。なら用意してきますので休んでいてください」
返事をする前にトタトタと部屋から出て行った
俺が目覚めた部屋は広かった
物も少なくぎっしりと本が収まっている本棚とベッド、机と洒落たインテリアが飾ってある棚がある
「お待たせしましたよー。簡単な鶏粥です」
トレイに乗せて食事を運んできた
白い器に割いてある鳥と粥が入っているのと小鉢に漬物が入っていた
「……」
「ちゃんとした食事は様子見てからですからね。三日も食べてないから胃が弱ってると思います」
ベッドのサイドテーブルにトレイを置いてこの子供は横の椅子に座った
てか三日!?
「おい、俺はそんなに寝てたのか」
「ええ、何回か水分補給と包帯の取り替え、体を拭いたりしても起きませんでしたね」
「…そうか……って拭いたのかよ!」
「?そりゃ拭きますよ。汚いままベッドで寝られるの嫌ですから。何か問題でもあります?」
不思議そうな顔をしているが…
こんなガキに…いやガキなら気にすることねぇか
「いや、別に。迷惑かけたな」
「いえいえー。ほら冷めちゃいますから食べてください」
「………貰うぞ」
そう言って右腕を動かそうとしたが痛みと痺れにあまり動かせなかった
「まだ痛みますよね。利き手ですか?」
「ああ、クソッ」
仕方ないですねぇー
とか言ってガキは粥が入った器を持ってレンゲで中を掬った
フー…フー…
「…?何してんだお前」
「フー、何って冷ましてあげているんですよ」
「だからなんでお前がそんなことしてんだよ」
「利き手使えないんでしょう?なら僕が代わりにしてあげようと思った次第です」
「!?い、いらねぇよそんなこと!一人で食える!」
「あっ、ちょっと危ないですからやめてください。そこに零されたら嫌なんです。大人しくしててください」
奪い取ろうとしたが華麗にかわされたこのガキ!
「フー…、はいどうぞ」
「!?く、食えるか」
はぁとため息を吐いてレンゲを俺の口に押し付ける
「なっ!あぶねぇだろ!」
「うるさいです。手間かけたんですから大人しくさっさと食べてください。恥ずかしいんですか?」
「…んなわけねぇだろ。あむっ……」
「どうです?食べれそうですか?美味しい?」
なんなんだこのガキしつけぇ
確かに粥なんて初めて食べたが思ったより優しい味付けで鳥の旨味もあってめっちゃうまい
「…悪くねぇ」
「へぇそうですか。はい、あーん」
「そのあーんはやめろ!チッ」
可笑しそうに笑いやがってそれでもいちいち冷まして俺の様子を窺って食べされてくれる
仕方ねぇから大人しく食ってやった
「はい。ご馳走様ですね。お粗末様です。はいお水」
「おう」
よく冷えた水が口の中を落ち着かせた
久しぶりの食事に足りねぇが心地よい満足感がある
ほんとまともな食事は久しぶりだった
「で、ここはどこなんだよ」
「ここですか?僕の家です」
そうだけどそうじゃねぇ
ガキはこちらを気にしないで俺のために持ってきたと思ったリンゴを食べている
「じゃなくてなんで俺はここいるんだなんか知ってんなら話せガキ」
脅すように睨みつける
ビビらせすぎて泣かせても面倒だから手加減はしている
「恩人に向かってガキ発言ですか、礼儀も知らない残念な人なんですねー。知ってても話したくなくなりますねー」
しゃくしゃくとリンゴを齧りながら言う
俺の脅しになんてことなそうな態度に俺は驚く
大抵の奴なら半グレでも黙らせれんのに
「ガキにガキって何が悪りぃんだよ。いいからさっさと話せ」
「何様だよアンタ、教えてくれませんか、でしょ?馬鹿なの?」
「ッ!てめぇ!!」
俺は咄嗟に胸ぐらを掴もうと動くと
それより早くガキが俺を押し倒し馬乗りになった
「なっ!?」
すぐ逃れようとしたが胸に体重を乗せられ傷が圧迫された上に肺が押さえられ苦しくなる
「デカイのは口と態度だけですかアンタ。状況判断もできないからあんな目に遭うんですよ?」
顔を近づけて前髪が掛かるくらいの距離に顔があった
濡れ鴉色の髪とどこか冷徹そうな瞳に薄く引き伸ばされた唇が子供らしさを微塵も感じさせなかった
リンゴを刺していた爪楊枝を俺の唇にくっつけて軽く押し込む
余計なことをしたら刺すというように
「……あんな、状況」
その言葉に記憶が少し戻る
俺は…そうだ夜の街の裏通りを歩いていたら水商売とわかる服装と髪型をした女がスーツを着た男達に襲われていた
別に助けたかったわけじゃねぇが道の邪魔だし難癖つけられても面倒だから片した
そうしたらそいつらの仲間が店裏口から出てきて囲まれた
どうも裏の人間たちだったみてぇでしつけぇしそこそこ強かった
ほとんどのしたがナイフならパイプやら持ち出してきやがるし女はパニックになったのか俺にしがみつくから邪魔でまともに攻撃を喰らっちまった
そのせいで逃げた先のゴミ捨て場で気を失った
「俺は、ゴミ捨て場で…」
「そうですよ。大変だったんですよー拾うの」
ニコッと微笑んで俺の上から離れた
まだ唇の這う感触と腹に乗った温もりが残る
「まぁ自然治癒力がすごいのか二日目にはほぼ治ってましたよ自分の体に感謝ですねーはい、あーん」
先程の様子が嘘みたいにもどった
それがかえって不気味だった
思わず言われた通り口を開けてリンゴを食べた
瑞々しくシャリっとした食感に甘さがあって美味かった
「そう素直だと可愛いわんちゃんですねー」
「誰が犬だコラ」
「犬ですよ。僕が拾った、野良犬です」
椅子の背もたれに腕を乗せ顎を乗せてコテッと傾げて
笑いながら言った
「……」
「そんなに見つめられるの照れますよー」
「チッ、テメェ何もんだよただのガキじゃねぇな」
この物怖じしない態度に警戒する
こんなちっちぇーガキに負ける気は全くしねぇが
警戒はしとく
明らかなバカで突っ込んでくる奴より
こんな得体の知れない笑みを浮かべる奴の方がヤベェと俺は知ってる
「僕ですか?聞くならまずお兄さんからお名前教えてくださいよ」
「……なんで俺が」
「世話になっといてですか?あと頼んでねぇから、とかダサいこと聞きたくないですからねー」
…チッ
「仁………槙島仁だ。世話になった」
「ふふっ、蓮って言います最上蓮。よろしくお願いしますね仁さん」
これがこいつとの
俺の人生を変えたやつとの出会いだった
「はいこれ着替えです。シャツ腕通すので上げられるとこまであげてくださいねーはいどうも。やっぱり筋肉すごいですねプロテインとかジムとかしちゃってる感じですかー?」
「……うるせぇ。別にそんなことしてねぇよ勝手についたんだ。あとボタン閉めんな俺がやる」
「腕上がらないのに無理でしょう。はい大人しくしてくださいねー、これでよしズボンは」
「自分でできる!子供扱いすんなガキ!」
「はぁ物覚えも悪いんですかー?蓮です蓮。次間違えたら仁さんの恥ずかしいことバラしますよー?」
「はぁ?んなもんねぇし馬鹿かよ」
「太ももの付け根に小さな黒子がありますねー」
「!!?て、テメェッ!?」
「はいうるさいですー。嫌ならちゃんと読んでくださいね。仁さんには難しいですか」
「……蓮」
「はい、仁さん」
名前を呼んだくれぇで嬉しそうな顔をしてやがる
理解できねぇやつ
俺はこのむず痒い感情が分からなくてどうしていいか分からなかった
「じゃあ家を案内しますね。治るまで勝手に家から出たら仁さんの恥ずかしこと紙に書いて街に貼りますのでやめてくださいね」
「ばっ、バカなこと言うんじゃねぇよ!世話になったんだすこしぐれぇ言うこと聞いてやるよ」
玄関がわかったら颯爽と出て行くつもりだったが
先に釘を刺された
「ここがトイレ、荷物置き、風呂洗面所、居間、台所、玄関、客室、書斎、茶室」
とまぁこんぐらいですね
やけに広い家を案内された
日本家屋だが整備されていて高そうな家だ
「親は………今いねぇのか?」
「いませんよ。この家には来ません」
?どういう意味だ
藪蛇かも知れねぇし話しにくいかも知れねぇ
後ろ姿で顔が見えないから余計聞けなかった
屋敷の渡り廊下から見える庭は日本庭園らしく
立派で見事な庭だった
それから案内を終えた蓮は買い物があると出ていった
俺は居間で用意されていたお茶と煎餅を食いながらテレビを見ていた
俺は何をしてんだ?
根無草の俺が一般家庭で平和に過ごしているなんてな
つけていたテレビを消して座布団を折り曲げ枕にし
寝転ぶ
庭先から通る風が心地よく草の香りがして眠たくなった
静かで暖かい
こんな平穏なんて初めてだ
腹が満たされ家の中で寝れるなんてな
贅沢すぎるな
なんて内心思う
物心着いた頃から碌でもなかった
親が帰ってこねぇアパート電気ガスが止まる家
近隣住民は四六時中喧嘩女を捨てて消えた父親
そんやつに固執して縋るバカな女
冷蔵庫の中で消費期限過ぎた食べ物を食べゴミから腐った飯を漁る生活
うざく絡んできた奴らをやり返してたら誰も近寄らなくなった
静かでいいけどよ
碌でもないところから生まれたろくでなし
そんな俺に真っ当な生活なんてあるわけねぇ
なんとなく上に向けて手を伸ばす当たり前だが何も掴めない
俺の人生みてぇにな
自分の反省を振り返りくだらねぇ感傷に浸っちまったな
そのまま伸ばした手を頭の髪を掻きむしり庭の方に転がった
そしたら目があった
「うわぁああっ!!」
「……」
デカイ男が縁側の横繋がりの廊下で正座をしていた
「だ、誰だテメェ!!」
俺は起き上がり拳を構える
明らかにこの家の部外者は俺だったが
油断しているところを見られたショックで攻撃的に怒鳴った
「初めまして俺は御坂龍司と言います。お怪我の具合はどうでしょうか」
御坂龍司と名乗った男は名乗った後深く頭を下げて土下座した
俺は男の対応に驚いたが態度には出さなかった
こいつは強いそう直感した
正座しても圧のある体躯と精悍な顔立ち
真顔で目が鋭くヤクザもんみてぇな面構えだった
「…この家のもんかお前。ガ…蓮は買い物に行ってる」
名前以外わからないが流石にガキ呼びは良くないと思い名前で話す
「そうでしたか。連絡していただければ買ってきましたのに。随分と顔色が良くなりましたね。蓮坊ちゃんが付きっきりで看病なさってましたから良くなって良かったです」
荷物をしまいたいので台所に行きますね
と言って龍司はデケェ体の割に静かに奥に消えた
なんなんだこの家は
蓮坊ちゃん?金持ちだとは思ったが本当に坊ちゃんだとはな
そりゃ偉そうな態度なわけだと一人で納得する俺
スッと机にお茶が置かれた
!?
いつも間にか龍司が戻っていてテーブルにお茶と饅頭が置かれていた
本人は湯呑みだけだった
「……なんだよこれ」
「?緑茶と豆大福と苺大福です。お気に召しませんでしたか?」
真顔でそう言われた
いやそうだけどそうじゃねぇから
「そうじゃなくてなんで俺の分まであるんだよ」
「客人をもてなすのは礼儀ですから。蓮坊ちゃんもお喜びになりますお気になさらず召し上がってください」
どうぞ と真顔だが圧力のある眼差しで見つめられる
いちいちこえーんだよこいつ真顔で話すな
気まずいからとりあえず茶を飲んだ
程よい温度の緑茶は甘く苦味は少なかった
飲みやすくて久しぶりの味にホッとした
はっ!?
そんなところを龍司はがっつり見つめていた
見てんじゃねぇよ…
気まずくて一気に飲んだ
テーブルに置いた瞬間無音でおかわりを注がれた
機会がテメェ
「たっだいまー!」
玄関から声がした
蓮だ!
なぜか救いの声のように感じて反応してしまう
この男と二人っきりは嫌だ
もたねぇ
「おっ、龍ちゃん来てたんだぁまぁ靴でわかってたけど」
「おかえりなさいませ蓮坊ちゃん。何かお困りなことはありませんか?」
「ないよー。あっベッドマット干したいなぁ頼んでいい?」
「はいお任せください。今お茶を淹れますのでお待ちください」
「はーい。ねぇ仁さん」
「…あっ?なんだよ」
「僕ただいまって言ったんだけど、聞こえなかった?」
「聞こえたよ声でけぇじゃねぇかよお前も」
「聞こえるようにしたんです!そうじゃなくて言うことあるでしょ?」
「あっ?」
「あっ?で返事やめてくださいよ。お・か・え・り・なさいでしょー?」
「なんで俺がそんなこと」
「言ってよ」
「言わねぇ」
「バラすよ」
チッ…
「さぁさぁ」
「………おかえり」
「はい、ただいま!」
笑顔を見せて俺の隣に座った
龍司が戻ってきて茶と大福を用意して置いた
「あっ、もう苺大福売ってるんだ」
「はい。蓮坊ちゃんの好物ですので買ってきました」
「そう、ありがとう。でもついでにでしょ」
「そんなことはありませんよ」
「ふふ、嘘が下手だなぁ」
「嘘はついておりません」
「あっそう、なら無自覚ってことにしとくよ。うーん美味しい!」
話の内容はよくわからねぇが正座して両手で持った大福を美味しそうに食べている
口の周りが大福の粉で白くなっている
つい口元を拭こうと腕が動きそうになったが、先に龍司が指摘しそばにあったティッシュで拭った
俺はつい動きそうになった己に恥ずかしさを感じた
艶のある皺一つない紺のシャツとダークグレーのスーツに身を包んだこの体格の良い龍司と長めの髪と人形じみた美少年は何者でどんな仲なのかは分からなかった
どっかの社長の息子とかか?それでこいつは付き人か秘書…ってやつ?わかんねぇ
なぜか胸がざわついてイラつく…
「ほら、仁さんも食べなよ」
「…」
「何すねているんですか?」
「拗ねてねぇ。食いたくねぇだけだ」
「嘘だー」
「てめぇに何がわかるだよ」
「分かりますよ。仕方のない子ですねー」
やれやれといって蓮は俺の前に置かれた苺大福を取り出し噛み付いた
お前が食いてぇだけじゃねぇか
そうも思って頬杖をついてると口に大福を押し付けられた
「な、なにすごほっ」
喋ろうとしたが粉を吸ってしまい咽せる
「ほらほら落ち着いて、仁さんのために毒見してあげたんですよ。ほらお口開けてください」
「てめぇが勝手に食っただけだろうが!てか苺半分も食ってるくせになにが毒見だコラ」
「ほら、食べ物を粗末にすることは良くないですよ。大人にら大人しく食べてください。もしかして毒とか言っちゃったから怖くなっちゃいましたか?」
それならすみませんね
とか言って腕を下げようとした
俺は咄嗟に蓮の腕を掴んでそのまま苺大福を一口で食べた
めっちゃうまい
「ふふ、おいしいですよね。龍ちゃんもこれ食べなよ」
「いえ、俺は結構です」
「甘党のくせに我慢しない。別に恥ずかしいことじゃないでしょ」
「ですがそれは蓮坊ちゃんの分ですからお気になさらず」
「僕たちだけ食べるなんて悪いことしてるみたいで僕が嫌なんですー」
「ですが……」
「チッ」
俺はグタグタやり取りしてくるこいつらがうざったくて
俺の分の大福を龍司の前に置いた
この行動に二人は黙って俺を見ている
「……これはこいつがてめぇのために買ってきたんだろ。ならてめぇは大人しく食ってろ。俺の分はいらねぇもう十分だ」
そう告げて茶を飲む
少し冷めて苦味が強く感じられた
へぇ…
と隣で誰にも聞こえなかった呟きが溢れ消えた
「それもそうですね。ならこうして…はい、どうぞ」
蓮は自分の分のもう一つの大福を二つに割り俺に差し出した
「…てめぇの分だろうが、気にしねぇで食べろよ」
「そうですね。だから自分勝手にしました。半分こしましょ。半分こすると二倍は美味しいんですよ」
そんなくだらねぇことを言って笑顔で見つめてくる
それが居た堪れなくて受け取ってた
何が半分だよこっちの方がデケェだろ
めんどくせぇから指摘しないで黙って食う
シンプルな大福は甘さが控えめな餡子と米の香りがする餅が相乗効果で美味い
二倍はしらねぇけど悪くはなかった
指についた粉を舐めとると蓮が黙って笑顔で見ていた
「早く食え」
「はい」
小さな口で両手で持って食べる姿は子供らしくて
こいつもちゃんとガキなんだと思って俺はなぜか安心した
そんな俺たちを黙って大福を咀嚼しながら見ていた男は何を考えているかわからない無表情で見ていた
その後食べ終え蓮と龍司がいくつか話を終えると龍司はまた来ますと告げて玄関で深く礼をして帰っていた
武者みたいな男だと思ったがそもそも武者なんてテレビの中でしか知らないが
物静かな男だったが存在感があったのか一人減ると一気に家の中が静かになった
テレビもついていない家は静かで外から鳥たちの声が聞こえてくる
庭では紫陽花が咲いていて青と紫で彩られ朝露で濡れていたのか日に当たって輝いてる
そんな光景を黙って二人で見ている
居心地は悪くない
心が穏やかなんて慣れなくて不思議な気持ちになる
「さぁて、家事しちゃいますからゆっくりしててくださいね」
「ん、お前がやんのか」
「当たり前でしょう?住んでいるんですから」
自分の分の湯呑みを持って立ち上がった蓮がそう言った
「…なんか手伝うか?世話になってんし少しくらいならしてやる」
「はぁそうですか。でも結構です」
「あっ?なんでだよ」
「いちいちキレないでよ。怪我人に家事なんてさせられませんよ」
「キレてねぇよ!いいからなんかやらせろ」
こいつガキのくせにいちいち生意気だ
俺がやってやるっつってんのに
こんな一人で住むにはでかい家を子供が掃除するなんてしんどいだろ
「見た目と違って律儀なんですね。なら庭の水やりお願いします」
縁側の近くに水道とホースがあるのでそれで
と言う
「見た目かんけぇねぇだろ!わりぃか!」
「悪くないですよ。そういうの、素敵です」
「ッ!?…うるせぇ」
蓮の横を過ぎて置いてあった外履きで縁側から外に出て水道から繋いであるホースを伸ばし庭先に水を撒く
初めてやったがこんくらいでいいのか迷う
「全体が濡れるぐらいでいいですよ。助かります」
大きな籠を持って蓮が後ろにいた
中身は洗濯物だった
ヨタヨタと歩いて物干し竿があるとこで干すようだ
「おい、大丈夫かよ」
「はい、大丈夫です」
籠を置いて何枚かシャツを持って叩いて皺を伸ばしていた
確かに手慣れているようだ
俺はそれを確認すると前を向いて水やりを再開する
ホースシャワーの水で虹ができていた
「その木はあまり花に水を当てないでね。離れて上からか根元にお願いしますよー」
後ろで布をパンと伸ばす音が聞こえた
「おう」
一言答えそうする
背が低く枝が細い白い花弁の木だった
「それハナミズキって木なんです。綺麗でしょ」
「まぁな。よくわかんねぇけど」
汚くはないのはわかる
花なんて気にしてみたことねぇけど悪くわねぇ
水やりぐらい人ぶん殴ったり脅すよりよっぽどいい
「花の美しさを語り合うには感性が乏しそうですもんね。ごめんなさい」
「よくわかんねぇけどバカにしてんなてめぇ」
ホースの水を蓮の方なの向ける
かけつもりまでないが脅かす
足元近くに水をかけたら流石に驚いた様子に気分が良くなる
「ちょっとやめてくださいよー。洗濯物まで濡れたらどうするんですか」
「はっそんなヘマするかよ」
「何でそこで変な自信があるんでしょうか。仁さんの服も入ってるんですからね濡らしたら裸でいてもらいますからねー」
全くもう
と言って持っていた洗濯物を叩いて広げる
確かに黒い学生服が入っている。上も下も所々破けていたはずだが洗ってくれていたのか
起きた時用意された服に着替えたがいつのまに
「面倒かけて悪りぃな……破けてっから捨ててもよかったんだけどよっ!?て、てめぇそれ!お、おれのパンツじゃねぇか!!」
両手で皺を伸ばされた俺の紺のボクサーパンツが広げられていた
「そうですが何か?」
「い、いつのまに持っていきやがった!」
「昨日の夜体を拭いた時ですねー。汗かいてたのでついでに着替えさせましたよ?」
「て、てめぇ………チッ」
「舌打ちやめてくださいチッチチッチうっさいです。後てめぇって名前じゃないのでちゃんと呼んでください」
「うるせぇてめぇはてめぇでいいだろ」
「面倒くさい人」
「ああ!?」
俺のあげた怒号と俺のパンツがしっかり伸ばされ洗濯バサミに挟まれて太陽の日を浴びて風に揺らいでいた昼下がりだった
俺が目覚めて七日目の夜だった
なんだかんだこの家から出て行くことはせず俺は絶賛ぐうたら生活を謳歌していた
別に好きでごろごろしてるわけじゃねぇ
俺が仕方なくなんかしようとすると汚れるとか壊れるとか雑だとか口うるさく喚かれるから俺は仕方なくゴロゴロとしている
やることねぇから蓮についてってうろついてたら家事をしている蓮がチラッと俺を見て指示をしてくる
それを俺は黙ってやる
それが自然と俺たちの役割分担になった
浴槽を俺が洗いその間にボトルや水回りを細かく掃除して、蓮が床を掃き掃除して終わったところから俺が水拭きをする
蓮が飯を作り俺が横で皿を出してテーブルに置く
そしてレンガ皿を洗い俺がタオルで拭く
俺がゴミを潰せるものは潰してそれを蓮は捨てに行く
蓮がシーツを回収して俺が布団を干す
俺が黙って力仕事をして蓮は必要なことを指示してやることをこなす生活は不要な会話もなく隣にいるのに無言で
こなす生活は悪くなく不思議なその落ち着いた
俺の怪我のためとか言って風呂に入ってきた一悶着は割愛しよう
そして話は七日目の夜に戻る
比較的順応したこの生活に俺は馴染んでしまっていた
向かいあって食事をしていた
半熟の目玉焼きが乗ったハンバーグを箸で割り黄身を絡めて口に入れる
スパイスと飴色玉ねぎが命と言いながら作っていたハンバーグは確かに香りが良く柔らかくて玉ねぎの甘みとソースがあっていて
正直めっちゃうまかった
だが俺は表情を変えずに黙々と食べる
前を窺うと蓮はハンバーグを小さく箸で切り分け小さな口に入れて咀嚼していた
箸でハンバーグを食べるのに正座して食う姿は何故か品がある
俺の視線に気づいてニコッと微笑む
俺は慌てて食事を進めた
食事が終わり片付けを終え拭いたテーブルの上に茶が二つ置かれている
互いに黙って一口茶を啜り一息ついた時蓮が話だした
「明日朝から一緒にお出かけしましょう」
「………はっ?」
「はっ?で会話やめてください馬鹿っぽいですよ」
「うるせぇ。なんでお前と出かけなきゃなんねぇーんだよ」
「居候風情のくせに偉そうですね。少しくらい付き合ってくださいよ悪い思いはさせませんから」
最後にウィンクまでしてそう言った
「……俺は別に世話になるなんて言ってねぇし出てくなって言ったのはお前だろうが」
「そうですねちゃんといてくれるしお手伝いもしてくれるし怪我も良くなりましたし僕とっても嬉しいです。だから快気祝いにお出かけしましょう」
「それは世話になってんだから当たりめぇだろう。別にそんなのいらねぇ構うな」
………
大人しくなったので頬杖してテレビを見ながらだったが
横目でチラッと窺う
蓮は正座したまま下を向いていた
顔は影と前髪で表情は見えないがよくはないのはわかった
「…どうかしたのか?」
おずおずと聞く
それでもすぐに返答はなかった
「おい」
つい不安になって声を再度かける
な、泣かしちまったのか?!
慣れない展開に俺は慌てる
泣いてるやつなんて難癖つけてきたやつをぶん殴ってやり返した時としらねぇ奴らが俺と目が合うと泣いて逃げたやつくらいだ
こんな時俺はどうしていいかわからねぇ
「泣くなよおい、ったく悪かったよ別に嫌じゃねぇから付き合ってどっか行けばいいんだろ」
俺は後ろ頭を掻きながら弱気に言った
わかんねぇーちくしょー
あーもーどうすればいいんだ?
蓮は下を向いたまま微かに震えている
その様子に焦燥感にかられる
……仕方ねぇ
俺は立って蓮の隣に胡座をかいた
そして片手で肩を掴み抱き寄せ頭を俺なりに優しく撫でる
……くそ恥ずかしい
むず痒くなる心に耐えて撫でる
胸元に体勢を崩して俺の膝に手を乗せ頭を胸に乗せている
小さい体に濡鴉の羽色の髪がツヤっとしてサラサラで触り心地が良く撫でていて気持ちがいい
蓮は大人しく撫でられている
小さな体の体温が俺より高いのかじんわり伝わってきて温かい
「悪かった。何でも付き合うから許してくれよ」
頭の形をなぞるようにゆっくり丁寧に撫でる
撫でられたこともねぇし撫でたこともねぇ
それでも俺がこいつを泣かせちまったから
必死に慰める
「なん…でも?」
「ああ、何でもだ」
そう言った瞬間ぎゅっと蓮が抱きしめてきた
俺の胡座に乗り向き合う姿勢で胸に抱きついてくる
「な、何だお前!」
「ふふ言質頂きましたよ!」
ぎゅっとしがみつく蓮の様子に俺は騙されとわかった
「てめぇ!ふざけやがって!」
離そうと肩を掴むが俺が力を込めたら傷つけそうでできなかった
くそこんかガキンチョに俺は…
「………騙してませんよ。ちょっとだけ悲しかったです」
「………」
その声音は初めて聞く声だった
どこかからかいを含んだ可愛くのない態度の子供だったが
今は静かで寂しげな感じがした
「一緒に過ごして、僕楽しいです」
「………」
「誰かと過ごすなんて久しぶりで、仁さん意外と面倒見良くて優しいじゃないですか」
「…別にそんなんじゃねぇ……俺はそんやつじゃ」
優しい人間ならこんな人生を歩んでねぇのはわかる
こいつはしらねぇんだ俺の醜さを
「そうですね。僕はあなたを知りません」
でも
と続ける
「あなたと過ごしてみて、雑で不器用でお馬鹿ですぐ怒鳴るし最初はお手伝いすらまともに出来なくて本当に年上か疑いました」
「おい」
おい、言い過ぎじゃえねぇか
「でも下手くそでも不器用でも苦手でも怒りっぽくても、仁さんは諦めませんでした。失敗しても僕の言葉を聞いて自分なりに考えて工夫してるのを知ってます。状況に甘えず頼んでもいないのに荷物を運んでくれたり黙って側で手伝ってくれました。作ったら感謝してくれていただきますとご馳走様を言って僕が作ったものを残さず食べてくれます。一緒に寝るのをアホみたいに文句を言うくせに最後には一緒に寝てくれる。僕はそれがとっても嬉しかった」
俺の胸に抱きついて顔を埋めたまま話す
いつのまにか無意識にこいつを抱きしめていた
こいつは本当に小せえ
小せえな…
「……小せえな」
「……仁さんがでかいんです。これでも中学一年の平均身長ちょっと下です」
「下なのかよ」
「ふふっ、はい」
こいつはこんなちっせぇのに
俺なんかを見てたんだな
「仁さん」
「おう」
「蓮って名前、呼んでください」
「………蓮」
「…………うん」
俺たちは黙ってくっついていた
この時の俺はどうかしていた
きっと蓮も
ぽつぽつと庭先から葉と地面に零れ落ちた雨音がする
次第に激しさを増し雨となった
まるで世界から隠すように覆われた小さな世界
二人だけになったような夢
それが寂しいような求めいたもののような
ひどく曖昧で苦しいのに満たされる不思議な幻の中だ
そのまま俺たちは雨音に沈んで寝てしまった
目が覚めたら世界は青白い灰色で現実感がなかった
まだ雨音は微かにする
何故かその音に安心感を覚える
抱きしめた温もりからすぅすぅと呼吸が聞こえ泣きたくなった
一人じゃない目覚めに怖くなったそんな自分が気持ち悪い
思わず強く抱きしめた
なのに温もりは抱きしめ返した
寝息は変わらない
変わったのは俺かもしれない
怖くなった
子供を静かに抱き上げて寝室へ向かう
子供の部屋だ
縁側から見えた景色はやはり青白い灰色でもう何時間かしたら外は目覚めてしまう
俺はそれを拒むように背中を向けて暗がりの中ベッドに向かって温もりごと横になった
それでも外は寒かった
すぅすぅと音が鳴る
隠すように体で覆ってタオルケットを体にかけた
俺だけの小さな世界
それは確かに今ここにある
涙は出なかった
暗いのに確かにある温もりは
手放せない温かさだった
暗がりへ逃げるように消えた俺たちを
雨に濡れた紫陽花だけが見ていた
そしてハナミズキの花びらが一枚落ちた
「おはようーございまーすじーんさーん朝ですよー」
昨日の暗い雨夜から朝は晴天だった
間延びした子供特有の高さとかすかに男とわかる低い声で俺は起こされた
俺は一度寝たら起きねぇたちらしい
寝ているときに寝込みをお襲われたらしい俺は寝ながら侵入者をぶちのめして返り討ちにしたらしい
起きたら隣に顔面が血だらけで鼻が折れて気絶した男がいた時はさすがに驚いた
仕事したとき寝不足でつい寝ちまって、たまたま仕事でつるんだやつに起こされて機嫌が悪くてそいつもぶん殴ってやった
起こすのに鉄パイプ使うやつが悪いんだよ
この家に来てから俺はうっせ―こいつに何度か起こされたがそんな出来事は起きなかった
自分でも理由はわからねぇ
「ささ顔を洗って起きてくださいね。お昼は決まっていますので朝は軽めです。お腹の音鳴らさないでくださいね」
起きた俺は上半身を起こしまだぼんやりとする意識のまま蓮の言葉を聞く
こいつの声はなんでだか悪くねぇ
下らねぇことを言われた気がするがそれも気にならなかった
少し青みがかった黒い瞳をただ見つめていた
雨が降った暗い朝の世界の色に似ていた
「…まだお眠なんですね。下で待ってますかね」
ぽんぽんと俺の頭を触って一階に降りて行った
まだ俺は夢に微睡んでいる
朝雲雀が窓の外を横切って行った
瞬きの夢はいつの間にか霧散していた
俺は朝の支度を終え先に飯を用意していて茶を淹れていた蓮を横目に
台所に入り黙って飯をよそう客人用の柄が同じのがいくつかある茶碗と
柄は一緒だが小さめの茶碗を取り出した
炊き立ての米をよそってそれを持って今に戻った
箸も置いてあって蓮は大人しく正座して待っていた
目の前に茶碗を置いてやる
ありがとう
と一言言われた
自分で用意したものを俺がよそっただけなのに変なやつ
俺は正面に座る
「いただきます」
「…いただきます」
これを言わねぇとずっと無表情で見つめてくる
地味に嫌だったから仕方なく言ってやった
食事を終え片づけていつの間にか用意されていた仕立てられた質のいい黒服が置いてあった
「なんだこれ…」
「服です。差し上げますので着てください」
「たけぇだろこんなもん。てかスーツってどこに連れていく気だよ」
「大丈夫ですか自分の給料だと思ってください。僕が見立てたんですからきっとお似合いですよー」
「…」
めんどくせぇ
これ以上愚痴ってもらちが明かねぇしこのガキにはなんだかんだ丸め込まれるし
結局そのほうがうまくいくのはなんとなくわかった
俺は黙って服を脱いできた
光沢感のある肌触りの良いワインレッドのシャツを着た
下は滑らかでひっかかりのないダークブラックのズボンだ
ジャケットは同じダークブラックでまるでホストか裏の連中じゃねーか
それにしては随分と質がいい
一週間ばかし家事手伝ったぐらいじゃぜってー買えない代物だ
「おー!やっぱりすごく似合ってますね!仁さんの綺麗な赤髪にとても似合っててヤンキーには見えにくいですね。うーんスタイルもいいんだなー羨ましいです身長どのくらいでしたっけ?」
「……百八十一だ。ほんとにこんなもん貰っちまっていいのか?」
つい話をすり替えるように声に出した
「ええ、もちろん。仁さんの体形に合わせてもらったオーダーメイドですよ」
「まじかよ………ってかいつ俺の体測りやがった!!」
「寝ているときにです。裸の付き合いした仲ですし生娘じゃないんですから騒がないでくださいね」
「…ッくそ!」
「口が悪いですねー。あっ、ちゃんとネクタイも結んでくださいよそれもちゃんと僕が選んだんですから」
「…別に要らねーだろ苦しいし」
「たしかにセクシー感があってそれも素敵ですが今回はお願いします」
「…チッ」
「また舌打ちする―。悪いワンちゃんですねー」
「うっせー」
「まだですか?」
後ろにいる蓮を向くと蓮も学生服なのか白いシャツに深みのある紺色のブレザーに細い青のリボンで首を結んでいた
紺色の長ズボンもスキニータイプで細身で白皙の肌によく似合っていた
まるで童話の王子様だ
「どうです?似合ってます?」
俺の前まで近づいてひらりと一回転した
たしかにとても似合っていて見つめてしまった
その事実に動揺し俺はごまかすように言った
「知らねぇ」
「ええー冷たいです」
俺の腰に正面から抱き着いて笑っている蓮
「うっせーいいから離れろ」
「嫌です」
「このガキ!」
「はいはい、わかりましたからネクタイ締めちゃってくださいよもうすぐ迎えが来ますので」
「だからネクタイはしねぇ。…迎え?」
「はい、車を用意してもらいました」
「そんな遠い所に行くのか?」
「そうでもないです。車のほうが都合がよかったので」
「意味わかんねぇ」
「気にしないでください。もしかして仁さん、ネクタイ結べない感じです?」
俺はギクッとする
人生で一度もネクタイなんて結んだことねぇ
だから知られたくなくて誤魔化していた
こいつは目敏く勘づいてしまったようだ
「…つけたことねぇんだ仕方ねぇだろ」
目をそらしながら言った
「それなら早く言えばいいのに。少ししゃがんでもらえますか」
「…」
黙って少ししゃがむ
俺の胸下ぐらいの身長のこいつじゃ届きにくくてやりづらいのだろう
大人しく従った
必然に顔の距離が近くなり長いまつげと青と灰色がかった瞳がより
鮮明に見えた
………
「……」
「…そんなに見つめられるとさすがに照れます」
そういわれて俺はハッとし意識を取り戻した
ネクタイを結ばれている間ずっと凝視していたようだ
蓮の顔は頬がわずかに赤く白い肌だからより際立っている
薄い桜色の唇をキュッと結んでいた
慌てて顔をそらす
「わ、わりぃ」
「いえいえ」
とっさに謝ってしまった
悪いことはしてないがなぜだか気まずい
「はいできました。やっぱり似合っていてかっこいいですね!さすが僕」
目の前ではしゃいでいる
さすがに褒められすぎて恥ずかしくなる
首元には一見黒に見えるが光が当たると青く見える
光沢感のある糸で刺繡してある紺色のラインが引いてあった
俺はこの時気づいてはいなかった
蓮とお揃いだということを
ピンポンとこの家の呼び鈴が鳴った
俺は初めて聞いた
「来たかな。ではいきましょうか仁さん」
俺の手を取って引っ張る
俺は黙って後をついていった
広い玄関を出ると湿った土の匂いがした
雨で濡れた地面から香ってきたようだった
俺の足のサイズに合わせられた靴を履き外に出る外の門扉から黒い車が見える
「おはよう御座います蓮坊ちゃん、槙島さん」
恭しく一礼した龍司の姿があった
前回同様大柄な体に合わせたフォーマルスーツ姿で短い黒髪を少し撫で上げてヘアセットしている
それだけでより髪艶と色気と男らしさが際立っていた
「おはよう龍ちゃん。わざわざいつもごめんなさいね」
「お気になさらないでください」
蓮は先に後部座席に乗り込んだ
「………仁でいい。よくわかんねぇが世話になる」
……
「なんだよ文句あんのか!?」
黙ったままじっと俺を見ている
若干目線が上なだけ圧がある
つい喧嘩口調になる
「…いえ、よくお似合いだと思いまして」
「…どうも」
男二人でなんだよこの会話
「蓮坊ちゃんが珍しく強請って張り切ってコーディネートなさっていたので気になっていました。仲が良いのですね」
仏頂面でこんなことを言ってきた
俺は驚いて慌てる
「しらねぇよ!別に仲なんてよくねぇ!」
「そうですか、失礼しました」
淡々と告げて運転席に戻っていった
なんなんだよ揶揄ってんのか…
窓から車内を見ると蓮は反対側の窓の外を見ていた
俺は横顔を見つつ車に乗り込んだ
閑静な住宅街を抜けて車は走っている
「蓮坊ちゃん、こちらがご用意したものです」
助手席から黒い鞄を運転しながら龍司は後ろに渡した
蓮はそれを受け取り中身を確認している
「忙しいのにありがとう。うん、これで全部揃いましたね」
中身を気になり俺も見ようとしたら手元に何かを手渡された
「なんだよこれ」
「スマートフォンです。このご時世に持っていないなんてあり得ないです」
「別にいらねぇ」
「黙って持っててくださいねこっちが困りますから。あとこれとこれ」
鞄から財布と手帳、身分証とキャッシュカードなどを渡された
「おい!なんでこんなもん用意してるだよこえーわ!」
「必要だからです。何もないなんて困るんですよーあとこれ」
細身のナイフケースに入ったナイフを渡された
「…てめぇら、なに者だ?」
身構えて警戒する
走ってる車の中いつでも外に飛び出せるようにする
蓮は目を細め口角を僅かに上げる
口元に鞄から出したファイルを口に当てた
そのファイルには俺のプロファイルが入っていた
「まだ時間はありますしせっかくのドライブですから、ゆっくりお話をしましょう」
真っ直ぐな視線が俺を見ていた
車内は静かで音楽もかかってはいなかった
僅かに車の動作音が聞こえるくらいで初めて乗った高級車に内心驚いていた
そんな中で蓮は静かに話し始めた
「仁さんを見つけたのは偶然でした。血だらけの赤犬。それが第一印象。そのまま雨の中時間が経てば出血死で朝にはゴミ捨て場に立派なご遺体が出来上がることは想像に容易かったです」
俺が目覚めてからこの話については深く聞いていなかった
気になってはいたがこいつとの生活に毒気を抜かれ正直忘れていた
確かに記憶に残っているのは逃げた先の路地裏のゴミ捨て場だった
そこで気を失って俺は蓮に拾われたらしい
「その時は救急車でも呼んでおけばいいと思ったんですよね面倒ごとは嫌いですしそこまでする義理もなにもないですから」
「‥.じゃあ何で俺を助けた」
「聞いちゃいます?」
更に目を細めて笑みを深くした
なんかムカつく
「はよ言いやがれ」
「一目惚れです」
?
「はっ?」
「だから一目惚れです」
な、なにを言ってんだこいつ
頭おかしいのか?全身ズタボロで三日も風呂にすら入れてないし頭を鉄パイプで殴られ横腹をナイフで斬られていたはずだ
俺は地毛が赤毛でよく喧嘩を売られた
生意気だと調子に乗ってるだの勝手に言われた
どうでも良かったが周囲がうざったくて髪色が好きじゃなかった
周りを気にして染めるのも癪だったし
「…馬鹿にしてんのか?」
「いたって真面目ですよ」
「ありえねぇ」
「あり得たからこうなっているんです。僕はどうでもいい人間にこんなことはしません」
はっきりとそう言った
目はまっすぐ俺を見ている
嘘は感じられなかった
だけど、一目惚れって……
困惑する俺は目を合わせられなくなってそっぽを向く
俺のことをどうでもよくない人間だと言ってんのか…
「僕が生まれて十三年ぽっちですが、見てきた中で一番美しく鮮烈でした。仁さんの燃えるような瞳に熱に殺されそうで、胸が熱くなって苦しく耐え難い思いでした」
「も、もういい!喋んな!恥ずいことばっか言いやがって!羞恥心とかねぇのか!」
俺は多分真っ赤な顔で怒鳴った
蓮は瞳を潤ませ上気したように頬が赤くなっていて
本気なのだと感じさせられた
だめだ、こんなの
俺は知らない
「…ありますよ。とっても緊張します。でも本心ですからなにも恥じることはないです。嫌、ですか?」
いつのまにかシートベルトを外していた蓮は俺の方に寄っていて俺の膝に手を乗せ身を寄せてきた
軽い重さを感じて俺は心臓がうるさく動悸する
こんなことわからねぇ一体、どうして、なんで
変な思考で混乱する
ただわかるのは蓮の瞳がこちらを見つめていて綺麗だと思ったことと軽い重さが蓮だと思うと抱きしめたくなることだった
ゴホン
咳払いが空気を払った
それに俺は意識を覚ます
蓮はチッと小さく舌打ちして離れていった
俺はまだうるさい動悸がおさまるのを待った
「龍ちゃんわざとらしすぎ」
「……失礼しました」
顔は見えないが龍司の声音も些か違って聞こえた
蓮が運転席の椅子を掴み龍司に耳打ち話をした
そしてさっと離れシートベルトをつけた
龍司も蓮もなにも言わないがなんだったんだ
「今度ちゃんとまた話すから我慢してくださいね」
「別にいらねぇ…」
「ふふっ…、では話を元に戻します。今向かってるのは僕の実家です」
「実家?なんでだよ!」
「まぁまぁ、実家というより本家ですね。そこで半年に一回会合があるんです親族とか関係者が集まって、顔合わせて実のない話をするんです」
「…それが俺を連れてくのになんの関係があるんだよ」
「本家邸宅まではそれぞれ家の者がいて警備は少しは安全なんですが、邸宅内は親族と一部関係者だけなんですよ。そこだと僕、殺されちゃうかもなんですよね」
えへへと笑う蓮に俺は固まって反応ができない
殺される?実家で?
意味がわからねぇ
俺も真っ当な家族なんて持ってねぇからわからねぇが
殺されるなんて異常なのはわかる
こいつを?殺す?
俺は蓮を見つめる
不思議そうに首を傾げている
なんでお前は、当たり前に平気そうに言うんだ?
「殺されるとか、意味わかんねぇし、なんで殺されに行くんだよ。行かなきゃいいだろ?逃げればいい」
そうだ逃げればいいんだよ
大丈夫だ俺は前回は余計なトラブルで下手をしたがいくらでも身を隠す術は知っている
子供一人ぐらいしんどい思いをさせるかもしれねぇが殺されるよりいいだろ
「な、なんなら俺と」
「逃げませんよ」
いえ、逃げれないが正しいかもしれませんね
と告げる
俺は呆然とする
なんなんだよこいつは
なんで、平然としてるんだよ
一瞬思考に影がよぎる嫌な記憶に景色が塗られる
薄暗い部屋 鳴らないインターホン 嫌な音出す冷蔵庫
チラつく電灯 腐った弁当 手足が千切れた縫いぐるみ
ひび割れた窓ガラス 映さないテレビ 空っぽの動物籠
黒い影 咽び泣く女 赤い男 ノイズ
暗く 赤い 赤い 赤い 赤い
自分
「仁さん!!」
ハッとする
俺は…
「大丈夫ですか?具合悪いならどこかで休みましょう。無理はしないでください」
ぎゅっとされた
手が温かい
俺は青白くなり手汗をかいていた
ひどく冷えている
「仁さん、大丈夫。僕を見てくださいここにいます」
胸のなかにいた蓮を抱きしめ返した
片手は繋いだままだ
小さな温もりが俺を正気に戻す
ここは赤くない
存在を確かめるように抱きしめる
もう震えはなかった
「もう………大丈夫だ、悪かった」
そうして蓮を隣の席に戻した
一瞬表情が曇っていたがすぐに戻った
手は繋がれたままだ
離そうと思ったが離れなかった
俺にはわからない 何も
「無理そうなら今回はやめときましょう」
「大丈夫だ」
「でも」
「うるせぇ、てめぇが逃げねぇのに俺が逃げられるか」
それとも一緒に逃げ出すか?とわざとらしく揶揄うように言う
それに蓮はぽかんとした後微笑みそれもいいですねと言った
確かに悪くはねぇ
俺もそう思った
「ごめんなさい」
「あやまんな」
いらねぇ言葉だ
何がごめんなのか全部はわからねぇ
それでも俺にそんな言葉はいらない
はっきりと言った
蓮は少し黙った後話し出した
「殺される云々は可能性の話です。あからさまに奴らも手出しはしない、と思いたいですが全てを予測することは難しいです。なのでせめて僕を守ってくれる存在が必要だったんです」
「それが俺だって話か」
「はい。勝手なお願いなのは承知してます」
「….わざわざ俺じゃなくてもそっちの龍司でもいいじゃねぇか」
蓮は俺から視線を動かして運転席の龍司を見る
龍司の後ろの席の蓮は見えないはずだ
「それは無理なんです」
「どうしてだよ!」
「龍ちゃんは兄の側付きなんです。ボディーガード兼お世話係みたいなものです」
こいつが?
てことはわざわざ主人の弟の世話をしにきてるってことか
こいつの兄貴か
どんなやつなのか興味はある
「私は蓮坊ちゃんのお側に常にいることができません。申し訳ありません」
「謝らないでよ。むしろ率先して心配してくれいるのはわかっているから。感謝しているよ」
「……もったいないお言葉です」
こいつらはこいつらなりに信頼してるから
それがなんだか安心するようでなぜか引っ掛かりを感じた
「なので仁さんに今回だけでも蓮坊ちゃんをお守りして頂きたいのです」
運転しながらだが普段抑揚のない人間から発せられた声にしては気持ちを感じられた
…
「別にかまわねぇよ。世話になったし邪魔なやつぶっ飛ばせばいいだけなら俺でもできる」
「いいの?ずっと内緒にしていたし騙すように連れてきた。素性は調べたけど利用しようとして世話をしていたとか思わないの?」
いつも揶揄うような笑みを浮かべるか子供らしくない笑みをよく浮かべる蓮が
この時は不安そうで心寂しそうなように見えた
俺は雑に蓮の頭を撫でた
衝撃に蓮は左右に揺れ何するんですか!と抵抗する
離すと髪が跳ねていておかしかった
何笑っているんですかと赤くなって怒っている姿が自然で
俺は気分が良くなった
「利用されたなら利用された俺が悪い。ガキのお前にやられたっつぅなら腹はたたねぇよ。逆によくやったと思うぜ。生き汚く小狡い方がわかりやすい。利用するんなら俺だってお前を利用してやるよ」
俺の言葉に蓮はおどろいていた
その様子に俺はさらに気分が良くなった
「それもそうですね。僕もその考え好きです。なら改めて問います」
もう蓮の表情は子供のそれではなかった
「仁さん、僕を守ってください」
俺は皮肉げに笑みを浮かべていってやった
「おう、仕方ねぇから守ってやるよ」
俺たちのはじめての約束だった
《本家邸宅》
でかい門の前で俺たちは立っていた
「……でかっ」
そのでかい門には最上と書かれた表札がある
そう言えばこいつ最上っていうのか今更知った
隣にいる龍司がインターホンを鳴らして門が開かれた
中には広い石畳の道と前栽も剪定されていて立派だったが日本庭園の庭が見事だった
枯山水がより優美な景色を作り出している
「蓮坊ちゃんおかえりなさいませ」
「高崎さんお無沙汰しております。お変わりないようで、と言いたいですがお痩せになられましたか?」
「ええ実は。この歳になるとなかなか肉がつきにくくなるもので困りますね。龍司も迎えご苦労。おや、そちらの方は…」
俺は視線を一度軽く合わせ黙って軽く頭を下げた
「僕の新しい犬です。凶暴なのでまだ躾ができていないのでどうか目に余ることもあるかもしれませんが許してください」
「…そうですか。知りませんでした。蓮坊ちゃんの犬ならさぞ元気な猛犬でしょうね。さぁ中へお入りください。みなさんがお待ちしてますよ」
「はい。では高崎さんも後ほどよろしくお願いします」
蓮は一礼して石畳を歩いた
俺たち二人は黙ってその後ろを歩く
横切る時、高崎と呼ばれた男は別人のような顔で俺を見ていた
だが俺はあえて気づかないフリをしてついて行った
門の前に行く前に、蓮に注意されたからだ
「もうすぐ屋敷に着きます。仁さんにはいくつか注意して欲しい事柄があります。約束と捉えてもらってもいいです。無用なトラブルとリスクを減らすため聞いてもらいたいです」
「おう、なんだよそのお約束ってやつ」
「中では呼び捨てにしますね目下の扱いなので、一つは基本的に僕の後ろにいること。二つ目は自分から喋らずきかれた時と僕と離す時だけ喋ってください話を割るのもダメです。三つ目は手を出さないこと、これは表立って暴力を振るうと口実を与えて逆に殺されるかリンチされます」
「殺伐としてやがんな。まぁ黙ってついてけばいいってことだろ」
「はい。そんな感じで大丈夫です。何か分からなかったら僕に聞いてくださいそのぐらいは許してもらいます」
「後一つ肝心なの忘れてねぇか」
「?なんでしょうか」
「意外とアホなんだなお前。お前を守るのが俺の仕事だろうが。一番にいうことだろ」
「………そうでしたね。でも本当に危険な時は逃げてください。龍ちゃんに助けを求めればとりあえず大丈夫です」
「ああ?何言ってやがんだてめぇ!馬鹿にすんのも大概にしろよガキ!」
血管を浮かべて怒鳴る
本気で睨まれた蓮は激怒した俺に萎縮している
「えっと、馬鹿にするつもりなんてありませんよ。本来無関係な人間なんですから、仁さんが隣で立っているのが抑止力なんです。危険を冒して欲しいなんて思ってないと伝えたかったんです」
すくんだ様子で上目遣いで見つめてくる
少し目が潤んでいる気がして罪悪感が湧いたが引けねぇ
「だからよぉ俺はお前のボディーガードの仕事を受けたんだよ。だからテメェを守んのが筋だ。当たり前なことだろうがなわからねぇか?お前がやられちまったら俺の意味がねぇだろ。だから二度と置いて逃げろなんてくっだらねぇこと言うんじゃねぇぞ。死にてぇなら俺が殺してやるその時は言え」
思ったことを全部言った
本心だ
どんな奴らにもこいつ自身にも、誰にも俺のものには手は出させねぇ…
俺は怒りの炎が灯った胸を静かに思考で覆う
激情の中でこそ冷静に刃を研ぐ
生き残る為のやり方だ
「………ほんと、変な人ですね仁さん」
「うるせぇわかったのかわかってねぇのかはっきりしろわかるまで俺が分からせてやるよ」
「それも悪くないですが時間がないので今度にしときます。なら死ぬ気で守ってください死んだら殺しますよ」
蓮は一瞬で身の凍るような冷たい表情をした
何がここまで蓮を追いやったのか
俺は知りたくなった
直感した
もう引き返せないと
「…おう望むところだ蓮」
「行きますよ仁」
視線を交わして俺たちは門の前に立った
後ろで影に徹していた龍司は無言でやり取りを見ていた
己の秘めるものを漏らさぬように
そして靴を脱ぎ渡り廊下を歩いた先に客間へと案内された
失礼します龍司です。入ってもよろしいでしょうか
と言った
中からどうぞ
と一声かけられた
男にしては高い声だったが落ち着いた声音だった
「失礼します」
改めて龍司が言って扉を開いた
蓮が先に入り俺もついていく
後ろで龍司が入り扉は閉められた
部屋は和風だったが黒革のソファとでかい置き時計、
風に鹿の剥製の頭と絵画が飾られていた
「しばらくこちらでお待ちください」
と言って龍司に席に案内された
蓮が座ったが俺も促され座る
目の前には足を組んだ男がいた
目を伏せコーヒーカップとソーサーを持って優雅に珈琲を飲んでいる
まるで絵画のような姿に見つめてしまう
そうしたら男が目を開けて俺と目があってしまった
「お久しぶりです雫兄さん」
「久しぶりだね蓮。変わりないようでよかったよ」
弟に一瞥もしないでいった
いつのまにか俺たちの前にも飲み物の紅茶が置かれた
そして龍司が雫と呼ばれた男の後ろに立っている
「はい、ご心配おかけしてすみませんでした。龍司を向かわせて貰って助かっています」
「こいつがやりたくてやっていることさ。構わない」
雫はカップをソーサーに置き膝の上に乗せた
髪は濡鴉の羽色で肌も白皙でとても似ている雰囲気だ
瞳は蓮と違って灰色だった
「それが蓮の犬かい?」
「はい」
「ふーん」
雫は静かに俺を観察している
目が動くたびに全身を暴かれるようでざわつく
「兄弟揃って犬に縁があるね。それでそれは使えるの」
「はい。十分強いですし頭も判断が早く冷静です。少々雑なところはありますが僕の犬です」
犬犬うるせぇやつらだ
龍司も犬呼びされてやがんのに無表情だ
「そう。蓮がそこまで言うんだ気に入っているんだね」
「もう龍司から話は聞いていると思っていましたが」
「聞いていたさ。でも自分の目で確認しないと不安じゃないか。たった一人の弟を野犬の餌になったら目も当てられない自体じゃないか」
皮肉げに笑った
こいつ、不気味だ
確かに蓮と同じ人形みてぇに綺麗だが中身は別物だ
こいつはやべぇやつだ
そう思った
「何か言いたいことでもあるのかい?そこの犬」
「名は槙島仁と言います」
「知っている」
こいつ…
蓮がフォローして言ったことを即答で返しやがった
名前で呼ぶ気がねぇってことか
「私が聞いているんだ。話していいから喋ってみなさい。臆して難しいかな」
「……」
チラッと蓮を見る
蓮もこっちを見ていて頷いた
「…あんた、胡散クセェな」
空気が張り詰めた
「なっ、雫兄さんになにを」
「だって本当のことだろう?こいつ最初っから俺のことを値踏みしてはかっている。試してやがんだろ?」
「ふっ、ただの野良犬ではなかったようだね」
「最近飼い犬に昇格したんだ覚えとけ。あと育ちが悪りぃから噛み付いたら悪いな」
歯を見せて笑ってやった
奴もそれを一瞥して目を伏せた
いちいちムカつく奴だ
奴が珈琲の入った皿をテーブルに置いた時だった
一瞬だった
だが俺は反応して止めた
蓮の眼球の前に銀のコーヒースプーンが迫っていたあと一センチ程だ
「な、何をするんです雫兄さん」
さすがの蓮も動揺している
俺掴んだ腕を強く握った
「てめぇ何のつもりだ……実の弟に何しやがったって聞いて」
言い終える前に俺の腕は離された
「ぐっ!?」
ソファの後ろにいたはずの龍司が俺の腕を掴み指を外して捻った
早くて反応が遅れた
「てめぇ!てめぇはそいつを庇うのか」
「俺は雫様の側近です。主人をお守りするのが俺の役目。ご理解ください」
「知るか!どこに弟の目を抉ろうとする兄貴がいんだよ!庇うって言うんならてめぇも潰す!」
俺は蓮を背にして拳を構える
それを見て龍司は一度目を閉じ、開いた時には静かな普段の様子とは違って覇気があった
目が敵を見る目だった
……
互いに見つめ合い構える
動いた瞬間殺し合いが始まる
それを確信した
「ちょっと待ってください!龍ちゃんも仁もストップ!兄さんも止めてくださいよ」
蓮が腰に抱きつく
「チッ、邪魔だ蓮!離れてろ!」
眼前を睨みながら言う
龍司はただ静かに構えている
「ふふっ、ごめんごめん。龍、下がりなさい」
「はい」
龍司は構えをときずれたテーブルを直してまたソファの後ろに下がった
俺は構えを解かず困惑する
「雫兄さん悪ふざけが過ぎます!騒ぎをおこなさないでください」
「そう怒らないでよ。すこし揶揄っただけじゃないか。ほら仁くん悪かったよ謝るから許してくれ」
ソファに座りまた足を組み優雅に珈琲を飲み始めた
「龍ちゃんもです!悪ふざけを止めるどころか乗るなんて、キャラじゃないことしないでください!それが一番びっくりしましたよ!」
珍しく蓮が顔を赤くして怒っている
俺はそれを見て気が抜け、椅子に座った
「申し訳ございません蓮坊ちゃん。今乗るべきと判断してしまってつい悪ノリをしてしまいました。お許しください」
「蓮知らないの?龍は真面目な堅物だけど昔から陰で悪いことするの大体龍なんだよ」
「ご冗談を」
「いや本気で」
慣れたやりとりをしているがこちらは困惑している
知るか!
俺はぬるくなった紅茶を飲みながら一息ついた
初めてまともな紅茶を飲んだが
意外と美味しかった
「いやはや、仁くんすごいね。もちろん止める気だったけど結構手前で止められたよ」
あと一センチ程だったが感覚狂ってんのかこいつ
「雫兄さんがこんな悪ふざけをするなんて知りませんでした」
「だろうね。普段はしないさ無駄だもの」
「今回は無駄じゃないと」
「もちろんだ。思ったより蓮のお犬様は有能なようだ。私が行動に移した時反射で体で蓮を庇った。そして私の手を止めた。体勢が悪いだろうに二撃目は食らってもいいつもりだったろ?」
「別に体が勝手に動いちまっただけだ。今はこいつを守るのが先決だからな。どうせなよっちぃてめぇの攻撃なんて痛くも痒くもねぇよ」
「よし龍司殺せ」
「はい」
「待って!僕を除け者にしないでください。そもそも兄さんが煽ったのが悪いんですよ反省なさってください」
「そうだね。悪かったよ」
全く悪く感じてなさそうに言う
「龍ちゃんもいい加減兄さんのイエスマンはやめてください!尊厳がないんですか!知ってますよ朝の四時に電話で起こされて地域限定デザインSwit〇h買いに行かせたでしょう怒っていいんですよ」
「だって折角ならコンプリートしたいじゃないか。道頓堀蟹ケースいる?」
「いりません!」
「俺はかまいません」
「ほら本人がそう言っているんだからいいじゃないか」
「くぅ労働基準法で殴りたい」
変な話に盛り上がっているようだ
蓮はこんな風に話すんだな知らなかった
俺はまじまじと見る
それに気づいた蓮は申し訳なさそうな顔になった
「仁さんごめんなさい驚かして」
「別に気にしてねぇ謝んな」
わしわしと頭を撫でる
蓮は大人しく受け入れていた
それをカップに口を触れさせながら雫は見ていた
「どちらかと言うと蓮、お前の方がダメだな」
「!…」
「従僕が落ち着いているのに主人が焦ってどうする。本番でもそうするつもりか?なら帰った方がいい。邪魔になるだけだよ」
「おい誰が従僕だ」
「確かに動揺しました。けど帰りません。目的のために僕は残ることを決めました。本当に邪魔なら切り捨てて構いません」
蓮はまっすぐ雫を見つめていった
本気の目だった
「そう。蓮の意思でここまで来たなら何も文句はない。切り捨てるつもりもない自分の価値を低く見るな。全て私らが決めたことだ、必ず目的を果たす。蓮はそのままでいい。後のことは私がやる」
雫は抑揚なく言い放ちしまいだと残りの珈琲を飲み干した
「そう、ですね。僕には僕の役目を果たすだけです」
蓮も半分残っていた冷めた紅茶を飲み干した
俺も残りを飲み干す
場は静まった
「お時間です。奥で頭がお待ちしております」
龍司が腕時計から目を離して告げた
先に部屋を出ていった雫と龍司
部屋に残された俺たち二人は黙っていた
俺は蓮が動き出すまで大人しく隣にいるだけだ
「……」
「……」
「…何も言わないんですね」
「何も言うことがねぇからな。なんか言って欲しいのか?」
「別に、ありません」
「ふぅん」
………
時計の秒針の音が聞こえる
「行きましょう」
立って扉前まで歩き取っ手を掴んだまま止まった蓮
…
俺はその後ろに立って掴まれたままの取っ手ごと手を重ねた
一瞬ビクッと動いた
「俺は俺のできることしかやんねぇ、だからお前もやれることをやれ。蓮、てめぇは自分で決めてきたんだ。前だけ向いてろ」
「………偉そうに。話を蒸し返すなんて意地悪です」
「あ?知らなかったか?」
「知ってました」
ふふふっと笑って笑顔になった
「行きましょう」
「おう」
今度は止まらなかった
二人で開いた扉は重い音を立てて閉まった
時刻は十二時半
大きなテーブルには人数分の小鉢などの前菜が並べられていた
広い和室に八人が音も発せず座っていた
箸や食器を動かす音だけが響く
三十分前
俺は正直居心地がものすごく悪かった
入室した時上座から右に雫がいてその後ろに龍司が控えていた
その横に蓮は座った
俺も龍司みたいな立ち位置だから蓮の後ろに座る
少し待つと障子が開き女と高崎、黒服の男が入ってきた
「あら雫さんお久しぶりね。また頭に似てきましたね」
「お久しぶりです真矢さん。まだまだ若輩者ですから頭には及びませんよ」
「うふふ聞いているわよ随分といろんな分野の商売に手をつけて儲けているのでしょう?それも一度成功したら傘下に分配してるなんてもったいないわぜひ私と手を組まない?」
「引き際を弁えているだけですよ。デモンストレーションみたいなものです。実際三分の一はマイナスになる前に処理してるだけですよ真矢さんの方が経営なさってあるクラブも賑わっていると聞き及びました」
「そうねぇ他よりは上手くいってるかもしれないわね。でも年々取り締まりが酷くて嫌になるわ。本当にハイエナみたいで不愉快よ」
真矢と呼ばれた女は派手な化粧で着物を着ている女だった
目力が強くて気の強そうな女だと思った
一瞬目があって下から上に見られ鳥肌が立った
俺は蓮の頭を見てかわす
小さな頭に落ち着く
真矢は隣にいる蓮を一瞥した
「あらこの場に相応しくない子がいるわね。誰かしら?つまみ出してちょうだい」
「真矢さんお待ちを。会ったのは赤子の時でしたからお忘れかもしれませんが蓮ですよ。私の弟です」
「ふーん、いたわねそんなのも」
持っていた扇子で口を隠しながら下に見る
なんなんだこのアマ…喧嘩売ってんのか殴っていいか?
膝の上に置いた拳を握り込む
「最上蓮です。お久しぶりです叔母さま」
「ッ!叔母なんて呼ばないでちょうだい!!馴れ馴れしい!」
高い声で怒鳴る女に俺は驚く
叔母って呼ばれたぐれぇでなんでこんなにキレてやがんだ
「落ち着いてください真矢さん」
「だってこいつが」
言い終える前に障子が開いた
「騒がしい……何事だ」
鼠色の着物を着た細身の男が現れた
表情は鋭くどこか覇気があり緊張感が走る
「な、なんでもないです」
真矢は慌てて座布団に座った
入ってきた男は一瞥すると目を伏せ上座に座った
「これで皆さん揃いましたね。では食事会を始めます」
高崎が控えた男に合図して食事が運ばれた
懐石料理が並べられる
俺たち側つき三人にも平安膳のうえに食事が並べられている
とりあえず黙って龍司の真似をして食べる
正直豪華なのはわかるが足りねぇしあんま口があわねぇ
先日食べた蓮のハンバーグが食べたくなった
最上禅二
最上組頭の男
そして蓮の雫の父親
確かに雰囲気とか似ている
厳かな雰囲気の中粛々と食事の時間が進む
真矢が一人でに話し禅ニが時折返し、補足するように雫が話す
蓮は黙ったままだった
俺は食事より蓮の様子が気になるが後ろからは窺えない
それより揃って挨拶してから一言も喋ってねぇ
家族の会話ってやつはこんななのか?
俺もろくな経験ねぇからわかんねぇ
でも自然にいないものみてぇに感じる
それがひどく胸をざわつかせてムカつく
ただでせえこんかちっちぇーガキなのに
さらにちっちゃく見えるだろうが
俺は意識せず大人どもを睨む
「……そこの赤い餓鬼はなんだ」
ほとんど喋らなかった最上禅ニが一言発した
それに周りの奴らは静止した
「彼は…」
「この人は僕の側付きですご挨拶が遅れました。仁」
雫の言葉を遮って蓮が喋った
促されて俺は禅ニに向かって正座したまま頭を下げて挨拶をした
「蓮様の側付きとなりました。槙島仁と申します。
野良犬でしたが蓮様に拾って頂きお側で守らせていただく次第にございます。何卒よろしくお願い申し上げます」
頭を上げてまっすぐ禅ニを見る
やつは無表情だった
車の中で出された台本に文句をつけまくったが、この方が奴らは下に見て下手に難癖つけにくくなると言ったので仕方なく覚えてやった
ムカつく
「………ほぅ。随分凶暴な犬っころ拾ったものだ」
一言そう言うと黙って酒を飲み始めた
まだ昼だぞ
俺は浅く一礼して姿勢を戻した
とりあえずうまくできただろうと自賛する
「ふふ拾っただなんて流石妾の子ね」
「真矢さん…」
雫が静かに諌めたが嫌らしい顔をして止まらず話す
「確かに拾った割にいい犬じゃない。私のところで飼ってあげてもいいわね」
値踏みするように俺の体を見てニヤける
気持ち悪さに逃げ出したくなった
「お言葉が過ぎます。仁は蓮のものですからそう言った物言いは良くありませんよ」
「あら浅ましく人の物を盗る人間の子ですよ?自業自得ではなくて?そもそも雫さんも被害者でしょうにあなたこそ恨めしく思っているはずよ」
その言葉に蓮はビクッと震え固まった
俺は咄嗟に側により肩を掴んだ
「大丈夫か」
「…」
掴んだ瞬間蓮は俺を見て驚いた顔をした
大人しく俺の手に支えられている
だが顔色が悪い
俺は不安に思った
「ふふふ母親同様誰かの影で守られなければ物も言えないのね嫌らしい。身の程も知らないから厚顔無恥でそんな愚行もできますのね本当に気持ち悪いわ」
扇子で臭いものを避けるように仰ぐ姿に俺は血が沸騰する感覚がした
「……僕は呼ばれたから来ました。僕の意思で決めたことでお母さんは関係ありません」
「呼ばれたから来たって時点で恥知らずなのよ。居場所なんてあると思ったのかしら可哀想な子ね。静かに引きこもって一生出てこなければいいのに」
「そんな…」
喉が引き攣ったような声だった
真矢は鼻で笑って口を開こうとした
俺は聞かせたくなくて蓮を抱き寄せ耳を塞ぐ
「この売女の子が!あんたが疫病神だからあの女は死んだのよ!調子に乗るからあんな無様に死んだの、ふふいい気味ね。あんたも迷惑かけないように物置小屋にでもこもっているといいわ」
そう言って笑った
俺は内から溢れた暴れる感情のまま立ち上がり全力で
女を殴った
「きゃーー!!」
悲鳴が聞こえる
それに俺はひどく気持ちがよかった
憎い 引き裂いて壊してやる
だが女は倒れていなかった
あの瞬間に控えていた後ろの黒服が庇って防いだようだ
だがまともに食らったのか起き上がれない様子
俺は怒気を抑えぬまま近寄った
殺してやる
俺は本気だった
こいつは人じゃねぇ獣だ
拳を構え顔面を砕こうと力を込めて構える
「やめて!な、なにするのこんな、こんなことしてタダで済むと思っているの!?そんな子供より私にしなさいよお金だって女だって何でもあげるわよ」
恐怖で立ち上がれないのか腰が抜けたまま巫山戯た事を抜かす
やっぱり死ね
こいつは蓮の邪魔だ
そう思って拳を振り下ろした
「龍」
「はい」
そう後ろの方で聞こえた
振り下ろした拳は女の顔を砕かなかった
「チッ!なんで邪魔しやがる!殺されてぇか!!」
龍司が素早く来て俺の腕を掴んだ
片手で俺の拳を止められたことに驚いたが
それより湧き上がる憤怒が燃えたぎる
「落ち着きなさい仁」
「うるせぇ役立たずの兄貴が」
「…」
そう言った時俺を腕をにがっている力が増した
ギシリと骨が軋む力強さだ
「お鎮まりください仁くん。今は抑えるべきです」
「てめぇが勝手に俺のすることを決めるな!命じられるだけの犬が、てかいつまで掴んでやがんだ!」
俺は腕を振って振り解いた
ぱっとはなして女を背に庇う龍司
その姿にさらに苛立ちが増す
「てめぇらは結局そっちか。いいぜお前ら全員ぶっ飛ばしてやる」
俺は構える
こいつには全力でいく
「本気ですか」
「おうよ」
俺らは睨み合う
「耳障りだ」
黙っていた禅ニがお猪口を置いて静かに言った
「あぁ!?」
俺はこいつを睨む
体が動いて迫ろうとしたが止められた
小さな体が俺に縋り付いていた
「……邪魔だ」
「ダメです」
「……こいつらはお前の敵だぞ」
蓮は俺の腹に顔を埋めて俺だけに聞こえる声で言った
「それでも、ダメなんです。お願いです。殺されちゃいます」
蓮は震えていた
それに俺はつい先まで燃えたぎっていた怒りが鎮火していく
なぜか悲しくなった
なんでこいつが苦しんでんだよ
おかしいだろこんな小さくて大人に敬語使ってでかい家に一人で住んで一人で飯食って寝てたやつなのに
なんでこんか辛そうな顔をさせてるんだよ
俺は誰にも見せないように蓮の頭を片手で押さえて抱きしめる
俺はどうすればいいんだよわかんねぇ
邪魔なものは暴力で片付けてきた
欲しいものなんてなかった
ただただ無駄に生きていた
こんなひとりぼっちの子供一人守れねぇのかよ
俺は死ぬほど悔しかった
歯をくいしばって口の中で血の味がしたがかえって冷静になれた
「…龍司、磯部を治療するから人を呼びなさい。頭、真矢さんもお騒がせしました」
雫が指示を出す
龍司は素早く動き人を呼び俺に殴られた男を運び出した
「巫山戯ないで!こいつをどうにかして頂戴頭!ここでこんな暴挙をしたのよ私を殴ろうとしたの。私恐ろしくて仕方がないわ」
めそめそと禅ニに擦り寄る真矢
ひどく滑稽な姿だが確かにヤクザの本拠地でこの様はまずいのはわかった
俺は逃げれるのか
蓮はやられることはねぇから大丈夫だと思うし
龍司が手練れだこいつに追いかけられたら逃げられるのは難しい
ここは雫を人質にしてと頭によぎったが蓮の兄貴にそんなことをしたら蓮は悲しむだろう
どっちみち若頭だと言うやつをさらったら確実に殺される
つまり詰んだと思った
はぁこんなくだらねぇ終わり方かよ
俺は蓮の頭を優しく撫でた
撫でるのも気持ちがいいのだとこいつに触れて知った
「そうだな。餓鬼相手でも舐められたまま生かすわけにはならんな」
禅ニが立ち上がり座敷にあった日本刀を取り出す
「頭!」
騒ぎに駆けつけた舎弟らしき奴らが声を発した
「仁と言ったな。いい面構えだ。だがまだまだ青い。惜しいがその首、置いてけや」
静かに刀が抜かれた
蓮を背に前に出る
「はっ、タダでくれてやるかよ。こんなちっせーガキすらイジメる家族だ。俺がぶっ潰してやるよ」
俺は拳を構える
素直に殺されるつもりはねぇ
蓮には悪いが媚びて生きるつもりはねぇ
お前もそうだろ、蓮
俺を見つめる蓮に目で伝える
「やってみぃ、バカ犬」
「おう」
視線で噛み付く
「お待ちください!!」
蓮が俺と禅ニの間に立つ
禅ニの構えた日本刀が蓮の眼前にある
「な、なにしてやがる蓮!邪魔すんな!」
「それはこっちのセリフです!あなたは誰のものですか!?」
「うるせぇ!いま関係ねぇーだろ!」
「大ありです!僕の犬なんです。仁が生きるのも死ぬのも僕と一緒なんです!勝手に決めるな大馬鹿野郎!」
蓮が初めて怒鳴った
俺はその言葉が胸に強く届き震えた
俺はこいつら同様蓮を舐めていたのかもしれない
いや舐めていた
ガキなんだと何もできない弱い生き物だと
俺は己の愚かさに苦しくなる
「偉そうに、言うんじゃねぇよ馬鹿」
「何度だって言いますよ馬鹿」
小さな体を張って全身で庇って俺を守ろうとした
姿に俺は心が震えた
なんてでっけぇやつなんだって俺は
俺は 子供みてぇに泣きたくなった
「!?なにするんですか」
黙って蓮を後ろに動かす
よろめいたが転んでないみたいだ
「なんだ命乞いか餓鬼」
俺は睨む
この男を
小さく弱い男を
!
全員が驚いた
突然睨んだまま動かなくなった仁が突然動き出し、素早く土下座をしたからだ
禅ニまで伏せていた目が大きく開いていた
槙島仁齢十七歳
人生初めての土下座であった
でかい体を折り曲げ頭を下げた
「申し訳ございませんでした!愚かで馬鹿な俺が全て悪かったです!どうか許してください!」
屈辱的だ
自分でも情けない姿だと思う
暴れ出し喧嘩を売ったくせに土下座して命乞い
ほんとだせぇ
でもこんぐらいしか俺にはできない
あいつには全然及ばねぇ
!
俺の頭を踏みつける禅ニ
「なに一人で騒いでいる。知るか。お前がかかってこいと喧嘩売っただろ、なら殺されても文句はいえまい」
「…それでも俺は、生きたいです!生きなきゃならねぇと思ったんです!」
踏まれたまま怒鳴るように言う
「ほう。なんでや」
首に冷たい感触がした
日本刀が首に当てられている
「か、頭!」
「来るな!」
蓮を怒鳴って止める
これ以上俺を惨めにさせないでくれ
「矛盾したこと抜かす。お前は周りよりプライドなんかより好きに生きて思うがままに生きて短く生きて死ぬやつや。なんでそうしない。自分を曲げるのか?」
「曲げなきゃなんねぇんです。そうしないと俺は、俺は恥ずかしくて死にきれねぇと思ったんです!」
「なんでや」
「こいつと、蓮と生きたいんです!」
俺は踏まれた頭を上げて睨みながら言った
それが今の俺の全てだ
禅ニは俺を見つめたままなにも言わない
ただ底を見るように見られる
ただ無言で睨む
「そこまでにしましょう」
黙っていた雫が微笑んで言った
場にそぐわない声音と笑顔だった
「なにが言いたい」
「お昼時に血生臭いことは嫌だと思いまして、まだお酒が残っていますよ頭。仁は一週間ほど前まで堅気の人間でした。なにも教育されていない犬を最初から処分しては他のものに示しがつきません。それは蓮の犬です。躾は蓮の仕事です頭でもそれは部外者かと…」
笑顔の雫と禅ニが無言で向かい合う
だが余談を許さない気迫を感じた
「……勝手にせぇ、と言ってもいいがこいつは俺の前で粗相をした。どう落とし前つけるんや」
「そうですね。私の持論ですが、言葉でわからないのなら、躾に手を出すのもやぶさかではないですがどうでしょう」
はっ?こいつが俺を躾ける冗談きついぜ
蓮ほどではないが雫も細くか弱そうだ
確かにスプーンの件ではただ者だと思わないが
知ってる上なら俺の相手にはならねぇぞ
「ふふ、仁は素直ですね。龍司」
「はい」
こいつッ!?
スッと控えていた龍司が呼ばれて前に出た
「龍司は私の手足なので同じことですよ。もちろん好きに抵抗してください」
「……腹黒チビ」
「…」
無言の笑顔で龍司に指で指示し俺は庭に投げ飛ばされた
もちろん龍司にだ
素早くて反応できなかった
「ッてぇ」
「それはすみませんでした」
転がって起き上がった俺は全然すまなそうじゃない龍司に悪態をつく
「あんたつえーな。見てわかってたが確信したぜ」
「仁くんもその年にしては手練れてます」
「本当に、思ってんのかよ!」
素早く体を低くして迫り殴りかける
龍司はそれをいなしカウンターで俺の腹を殴った
「ぐふっ!?」
「仁さん!」
蓮が大声を出したが睨みつけて止める
俺は大丈夫だと目で伝える
伝わったかわからないが止まって俺を見つめる蓮
「俺よりでけぇくせにはえーな。なんかやってんか?」
「柔道と剣道、空手に軍式の格闘術を少々」
はっ、まじもんの格闘馬鹿かよ
「素人相手にあんまりじゃねぇか?」
「素人にしては仕上がっているので油断するとこちらがやられます」
油断もしねぇか、ほんとたちわりぃ
屋敷の中から笑顔でみてる雫に腹が立つ
「舐めてんのかわかんねぇんだよ!」
前蹴りをした
俺の足を掴み体勢を崩そうとされたが体を捻りそのまま片足で蹴り上げる
だが龍司はそれをしゃがんでかわし俺の懐に入り腕と胸を掴みあげ、一本背負いをした
俺は投げられ背中から落ちた
受け身は取ったがいてぇ
「降参ですか」
「はっ、冗談」
俺は素早く起き上がった
そして再び殴り合いが始まった
暫くしておれは龍司に締められ気絶した様だった
ッ!
俺が目を覚ますと蓮の顔が間近にあった
「うお!?」
「目が覚めたしたね!よかったです!」
嬉しそうに笑顔で微笑んだ蓮に
俺はホッとした
ここは車内だった
てかこの感触と位置
蓮に膝枕されてるだと!?
柔らかく少しひんやりした蓮の太ももは気持ちが良かった
「ちょっと暴れないでください。怪我してるんですからおとなしくしててくださいね」
怒った顔でそう言われ、俺は大人しくする
ここは車内か
てことは
「目が覚めたようで良かったです。お加減はどうですか?」
「どうですか?じゃねぇよ!よくも痛ぶりやがったなてめぇ!」
運転席で運転する龍司に怒鳴った
散々やりやがってサンドバックじゃねーぞ
「人聞きの悪いことを言うのはおやめください」
「そうだよ。雫兄さんと龍ちゃんが気を利かせてくれなきゃ仁さん頭が体とお別れしてたからね!僕は怒っていますよ!」
赤い顔でそう言われた
心なしか瞳が潤んでいる
俺はつい人差し指の背で蓮の頬を撫でた
「ああ、悪かった」
「……許しません」
「ごめん」
「もう二度としちゃダメです」
「勝手に死のうとすんのはしねぇ」
「それもですがそれ以外もです!」
ぷくりと膨らんだ蓮の頬を撫でる
気持ちがいい
「またどこか痛むようでしたら言ってください。医者をご用意しますので」
「いらねぇ。てか手加減された上医者なんて恥ずかしくてならねぇ」
「そうなの?」
そうなのだ
龍司が本気なら俺は今目覚めていない
手加減した上格闘技のエキスパートだからこそできる加減の仕方で俺は守られていた
本当に情けねぇ
「あんたも悪かったな。巻き込んで」
「いえ、お気になさらず」
「しかしあんたも大変だな。蓮の兄貴腹真っ黒だろあいつ」
そんなこと言うとまた怒られますよと蓮は言う
「ええ存じております。かえってそれが雫様の魅力の一つです」
「はっ、ベタ惚れかよ」
「はい」
淀みない即答にこっちが気恥ずかしくなる
俺もいつか蓮をもっと知ることができたなら
こんなふうになれるのか
蓮は不思議そうに見つめる
柔らかい頬をムニッと掴む
やめへくらはい
と抗議されるが堪能する
家につき龍司は主人の送り迎えがあるからと戻っていった
俺たちの今日の修羅場が終わったのを感じた
蓮は俺を支えて家に入った
居間に着き俺を座らせ氷嚢を用意して腫れた頬に当ててくれる
甲斐甲斐しい姿に己の今日の情けなさに嫌気がさす
「仁さん」
「なんだ」
夕焼けに染まった庭がオレンジに燃える
灯の付いていない部屋はより暗く見え蓮の顔は見えにくかった
目が腫れてるせいかもしれないがあえて触れない
「今日はごめんなさい。こんなつもりじゃなかった。もっとちゃんと話しとけば良かった。あんな話聞き流せば良かった。事前に対抗策を考え行けば良かった。もっと僕がちゃんとしていたならもっと」
ぼくが たら
それは言わせない
「うるせぇ。俺が我慢ならなかっただけだ。蓮は耐えてただろ」
「…それでも、仁さんは僕のために」
「うるせぇ、それも俺自身の為にしただけだ」
らしくねぇことはわかる
でも言わなきゃ伝わんねぇんだよ人間は
俺はできなかった後悔なんて死ぬほど嫌いだ
だから刹那的に生きてきた
でも、そんなんじゃこれからはダメだ
それじゃこいつと生きてけねぇ
俺は蓮を見る
ちっせぇーくせに誰よりもでかいこいつに
隣に立てるように生きてぇと俺はおもったんだ
「仁さん」
「仁でいい」
「…仁」
俺は黙って蓮を抱き寄せた
抵抗もなく柔らかいこいつを胸に収める
泣き方も知らねえ蓮を俺は誰にも見せないように
盗られないように身体で覆った
白いハナミズキが夕焼けに染まっていて
静かに花びらを散らしながら
暗がりにいる俺たちを黙して見ていた
《車内》
外の明かりを遮りながら車は走っていた
静かな車内では二人の男がいた
どちらとも言葉は発せず
静寂の中外を見ていた
「随分とご機嫌ですね」
男は前を向いたまま抑揚なく言う
いつもこの男は動じない鋼ような男は隣の男に向けて言う
心から全てを捧げた主人に向かって
「そう見えるかい?そうかもしれないなぁ。見破られるなんて俺も焼きが回ったかな」
少しも可笑しくなさそうにだが笑みを浮かべている
「俺しかわからないと思いますので、問題はないかと」
「それ自体が問題になっているんだけどね」
「良くわかりません。問題とは」
「龍にだって隠したいこと一つや二つはあってもいいだろ?」
今度は可笑しそうに笑う
嘘が本当か
彼らにしかわからない
「隠し事に意味はありません。俺はなにがあっても変わりませんから」
男は言う
それはただの事実だからだ
出会った時に感じたのだ
この人に全てを捧げたいと
「さすがは不動の龍。かっこいいこと言うね」
「ありがとうございます」
「……すこし謙遜しなよ」
「次回からはそのように」
揶揄いがいのない男から目線を外し助手席の男は外を見る
「…彼は一石を投じるものとなったがどうだろうね。磐石な伝統を壊すためとはいえ、さぁ開けた箱には鬼が出るか、蛇が出るか。どっちだと思う?」
視線を向けて言う
幼い頃から変わらない不動の男に問う
いつも精悍な男は変わらない
常に自分だけを見ている愚かな男
「どちらでも構いません。全てはあなたの為に必要なことですから」
淡々と告げる
それは事実なのだから
「冷たいね。龍なら止めることも助けることも逃がすこともできるのに、俺のために捨て駒にするのかい?」
「必要ならそのように。全ての責は俺に。あなた以外俺は、どうしょうもなくどうでもいいのです」
そんな俺はお嫌いですか?と珍しく弱気そうに問う
「嫌いになんてなれないよ。龍と一緒でどうしょうもなく人でなしだから俺は。一つ気に食わないのは全ての責かな、二人だろ?」
「…そうでしたね。申し訳ありません」
一人の共犯者は恭しく言う
「構わないさ。どうせ壊すんだから、派手にいこう」
もう一人の共犯者は嘲るように笑う
都会の喧騒の暗がりに消えた二人はどこに進むのか
二人の共犯者にしかわからなかった
すっかり夕焼けは夕闇に溶けていった
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