金木犀色のビスクドール

長月瓦礫

金木犀色のビスクドール


金木犀の香りがふわりと漂った。

交差点で不安そうな顔で周囲を見回している少女も金木犀の香りを思わせるようなふわふわしたワンピースを着ていて、抱えている人形もこれまた豪勢なドレスを着ていた。


色白の肌に金髪碧眼、顔立ちがはっきりした美少女だ。

童話から抜け出して、迷子にでもなったのだろうか。


「どうしたの?」


「私、メリーさん。道に迷ったの。

ここに行きたいんだけど」


細かい刺繍やレースが非常に美しい。

彼女のご両親はよほどの金持ちに違いない。


人形も目がぱっちりとしていて、髪も綺麗に整えられている。

一目見ただけで、そこらのおもちゃと違うことが分かる。


メリーはメモを見せた。

住所と簡単な地図が書かれていた。

自宅からそう遠くない場所だ。


「よかったら、近くまで案内しようか?」


私がそういうと、メリーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

ぐぎぎと唸りながら、首を何度もひねる。


「お願いします」


ぺこりと頭を下げたが、まちがいなく誰かにお願いする表情ではないだろう。

そんなに人を頼るのが嫌なのだろうか。


メリーはポーチからケータイを取り出し、誰かに連絡していた。


「私、メリーさん。今、330メートル先のコンビニまで来ています」


かなり詳細な情報だ。

彼女のケータイはカーナビでも搭載しているのだろうか。


「ていうか、今からパパかママに連絡すれば?」


「そういうわけにはいかないの。一人で行くって決めたから……」


「そっか」


断固拒否といった具合に首を横に振る。

自分で決めたのなら、最後までやりたい気持ちは分かる。仕方があるまい。

いつでも連絡は取れるみたいだし、深刻に考えることはなさそうだ。


「メリーさんね、いつのまにか引き出しの中に入れられてたのね。

朝起きたら、誰もいなくなってたの。

ひどくない? 私だけ置いてけぼりにされたんだから!」


前言撤回。両親ではなく警察に連絡するべきかもしれない。

引き出しに入れられていたって、どういう状況だろうか。


「だからね、こっそり引き出しに隠れてやろうと思ってて……絶対に仕返ししてやるんだから」


人形を強く抱きしめた少女からは、底知れぬ怒りを感じる。

もっと他にやるべきことがあると思うが、ツッコミが追いつかない。


「引き出しの中だと分かりづらいんじゃない? 

せっかくここまで来たんだし、ふつうにごあいさつすれば?」


「ふつうにあいさつ?」


「隠れたりしないで、こんにちはってすればいいんじゃない?」


これ以上、深入りしてはいけない。

家庭の事情に立ち入ってはいけない。


信号が青に変わり、メリーの歩みに合わせて私も歩く。

何やら物騒な背景があるようだが、見た目はただの少女なのだ。

私は逃げるように話の内容を変えた。


「そのお人形、かわいいねえ。誰かにもらったの?」


「これ、本当に可愛いと思う? ビスクドールっていうの」


「へえ、そうなんだ」


「フランスのジュモー製よ、すごいんだから。一大企業なのよ」


「それはまた、すごいんだね」


「本当にすごいんだよ、知らないの?

モリムラ……じゃない。ノリタケは? それなら分かるでしょ?」


メリーは私の顔をじっと見つめる。

どうしよう、何の話か全然分からない。

ていうか、人形にもブランドとかあるんだ。


「……お姉ちゃん、大人なのに今まで何してきたの?」


胡乱げな目で私を見る。

純粋という名の右ストレートが飛んできた。

子どもは変なところで残酷だ。


「もう、これだから庶民は嫌なのよね。

価値が全然分かってないんだから!」


ぷりぷりと怒っている。

そういう設定で遊んでいるだけかもしれないが、親戚だったら一発殴っていたかもしれない。


「このドレスだって、わざわざ外注して作ってもらったんだから。

唯一無二のデザインで、この世に同じものはないのよ!」


自慢げに難しい単語をすらすらと並べ立て、ワンピースの裾を持ち上げる。

見た目以上に大人びているのか、難しいこと言えるのをカッコいいと勘違いしているだけか。できれば、後者であってほしい。


「いろんなことを知ってるんだねえ」と褒めることしかできなかった。


オーダーメイドの服を着ている少女が引き出しに入れられた上、部屋に置き去りにされた。ますます訳が分からない。


ひどいことをされた割には、ケータイでこまめに連絡している。

この子は何がしたいのだろうか。いくら考えても答えは出なかった。


規則正しく並べられた石畳に小さなベンチ、目の前にはタワーマンションだ。

あれこれ思考をめぐらせているうちに目的地に着いたようだ。


「もう大丈夫。あとは自分で行くから。これ、どうぞ」


私に小瓶を手渡した。オレンジ色の液体が入っている。

ノズルがついており、押すと優しい香りが漂った。

先ほどの金木犀の香りだ。


「ここまで案内してくれたお礼。

本当にありがとうございました」


メリーは再び頭を下げた。

シンプルで品のあるデザインだ。

これも値打ちのある品なのだろうか。


「トイレの香りとか言ったらあなたの家に行くから! 覚悟しなさい!」


思い出したように振り向いた。

それを言わなければ、イメージせずに済んだんだけどなあ。


ドレスの裾を揺らしながら、西洋風に舗装された小道に吸い込まれていった。


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金木犀色のビスクドール 長月瓦礫 @debrisbottle00

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