第4話 炎の中で


 目の前に広がるのは火の海だ。


 視界は燃え盛る炎で覆われ、血を流し横たわる父と母、使用人達。


 血の匂いと肉や木材が焼ける匂いが充満し、鼻が曲がりそうだった。

 聞こえてくるのは木材が弾け、火に侵されて軋む音と、むせび泣く弟の声だ。


 リオンは泣き出しそうになるのを堪えて、息を殺し、まだ小さな弟を抱きしめる。

 弟の声が漏れないように、父から教わった厚い壁を作り、身を潜めた。


 泣いてはいけない。声を出してはいけないと、歯を食いしばり、唇を噛み締め、震える身体を誤魔化すように弟を抱きしめる。


 すると炎の中から誰かが現れる。


 女の人ではない。男だと感じた。

 その人物は炎の中で何かを探しているようだ。

 このままでは見つかってしまう。


 三歳になったばかりの幼い弟は自分が守らなければならない。


 母から教わった身を隠す壁を弟に作った。

 リオンに気付いた者がリオンに対峙する。


 顔は仮面で覆われていて、誰かは分からない。


 身に纏うのは父と同じ白い制服だ。

 震える脚に力を籠め、リオンは精一杯、相手を睨みつける。


 男の足元には父の身体があった。


 父の身体を踏みつけにしている男を前に怒り、悲しみ、絶望、リオンの中で様々な負の感情が燃え上がる。


 視界の中で蠢く炎がまるで赤い鳥が羽ばたいているように見えた。


 男が手を伸ばすと炎の赤い鳥がリオンに迫って来る。


危ない、そう思った時にはもう既に遅く、リオンは炎に飲み込まれてしまった。









「ちょっと、聞いてるの?」


 ふと我に返るとケリードがリオンの顔を覗き込んでいた。

 ビクっと小さく肩が跳ねた。


「な、何? びっくりするじゃんか」


 この男、綺麗な顔しているくせにリオンの前だといつも不機嫌そうな顔をしているか、表情がないかのどちらかだ。


 感情が読み取りにくいせいか、リオンはケリードが少し苦手だ。


 ほら、また眉間にシワを寄せる。


 形の良い眉が顰められてリオンは溜め息をついた。


 おそらく、この男は私の事が気に入らないのだろう。

 どこにいても、常にある疎外感を払拭できたことはない。


 男女差別撤廃、職業選択の自由などと高らかに歌われていてもまだまだ厳しい男社会だ。


 女王陛下の始めた就業改革が進み、女性の社会進出も進んだが万全とは言えない。


 警吏も女性はまだまだ少なく、女性被害者への対応を無神経な男の警吏がした事で問題が起こるケースも多く、女性被害者が心に傷を負う事も多い。


 逆に女性が加害者の場合、取り調べを行った警吏や看守から暴行を受けるケースも多い。

 警吏あるまじき行為を相手がか弱い女性である事に付け込んで黙認される事もある。

 リオンは王都に来るまでその手の警吏達や警吏署を叩いて回っていたので敵も多い。


 口には出さないがみなリオンを疎ましく思っていることだろう。


「君、顔が真っ赤だけど。熱でもあるの?」


 リオンの顔を覗き込み、ケリードは言う。


「え?」


 リオンは指摘されて自分の頬に手を当てる。

 確かに、顔も身体も熱っぽい気がするが、風邪症状はない。


「最近、多いよね。体調管理もできないわけ?」


 心配してくれているのかと思いきや違うようだ。


「ご心配なく。少し頭に血が上ったみたい。誰かのせいで」


 リオンの言葉にケリードは不愉快そうな表情を作る。


「現場に出たら感情のコントロールも必要だからね。君は随分感情的なようだから気を付けなよ」


 ケリードがふんっと鼻を鳴らして言うものだから腹が立つ。


 この男、そんなに私が目障りなのか。


「あの、シフォンバークさん」


 聞き馴染みのない控えめな声にリオンが振り向くと、黒い中央警吏の制服を纏った男性警吏が二人ほど立っている。


「オズマーから非番だって聞いて……みんなで飲みに行くんだけど、一緒にどうかな?」


 非番と言っても勤務交代を行うのは午前九時からだ。


 午前九時をもって勤務を他の班と交代し、非番になる。そして翌日の午前九時から勤務に当たるのだ。


 何か事件が起きた場合、連日の勤務を余儀なくされる場合もあるが、その場合は後ほど配慮があるのでまとまった休みを得られる。


「これからって言っても今が午前二時で、集まるのは昼ぐらいなんだけどさ」


 まだ店とかは決めてなくて、と男性警吏は言う。


「誘ってくれてありがとう。でもごめんなさい。また機会があればその時は是非」


 リオンはやんわりと断りを入れる。


「でも、あんまりない機会だし……」

「次はいつになるか分からないから……」


 必死な様子の二人にリオンは心の中で溜息をつく。


 遠巻きにこちらを見つめる集団がある。

 きっとこの二人は仲間にリオンを誘って来いと先輩から命じられた憐れな後輩達なのだ。


「こんな機会滅多にないんだ。どうか!」

「お願いします!」


 どうしたものか、考えていると足元に冷たいものが触れ、身体を這い上がってくる感触を覚えた。


 最初こそ驚いて悲鳴を上げたリオンだが、頻繁に起こる感覚にすっかり慣れてしまった。脚から制服のスカート、ジャケットの上を滑るようにして這い上がり、リオンの肩に乗り、頭をリオンの耳に擦り付ける。


 そして細い身体を乗り出した。


「シャアアァァァァ」


 大きな口を開けて屈強な男二人を威嚇するのは魔獣の蛇である。


 まるでリオンに近寄るなと言わんばかりに、唸り、ぎろっとした目で男達を睨みつける。


「うわぁぁっ!」

「ひいっ!」


 情けない声を上げる二人の警吏に向かい、攻撃しようとしているのを察し、リオンは蛇の頭を指の腹で撫でた。


「驚かしてはダメよ」


 リオンの言葉で蛇は頭を引っ込めて緩くリオンの首に巻き付いた。


 この魔獣は今回の合同捜査の指揮を執ったベネギル・グレンジャーの魔獣である。

 何故かリオンはこの魔獣に気に入られているので、気付くと傍にいたりする。


「ごめんなさい。身内の命日が近いのよ」


 こうでも言えば先輩から責められることもないだろう。

 魔獣の相乗効果もあり、男達は逃げるように撤退していく。


「ありがとう、レイニー」


 魔獣の名を呼ぶとチロチロと赤い舌を出す。


 レイニーを見つけたらベネギルの所まで送り届けるのがレイニーに懐かれた隊員の仕事である。


「さて、ベネギル隊長はどこかしら」


 レイニーがいないことに気付かず、既に王宮に向かって移動しているのかもしれない。


 どうせ戻る場所は同じなのでこのまま連れて行こう。


 そんな風に思っていたら背後で黄色い声が上がっているのに気付いた。


 興味本位で振り向いてみると案の定、ケリードを囲むように中央救護班の女性警吏達が群がっていた。




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