第12話 ジルヴィアの豊穣祭

翌日。豊穣祭が始まるという日だ。何となく大気がざわざわした感じで、ジルヴィアの街の人達の浮き立った気持ちが漂っているかのようだった。


朝早くから、俺達のいる神殿の高い尖塔で鐘が鳴らされて、ルイが「豊穣祭の始まりの鐘ですよ!これが鳴るといよいよ始まるって感じがして、僕すごくわくわくするんです!」と興奮気味に教えてくれた。


俺とヒューゴはいつも通りに朝食を食べて、神殿の人達が用意してくれた服を着込んだ。

シルクみたいなツルッとした素材の白い服だ。

長袖シャツとパンツの上にチュニックのような物を重ね着して、腰の所を色鮮やかな布で縛る。


どこかの民族衣装っぽいな、と思いながら着ていると、ヒューゴが俺を見て「お前、めちゃくちゃ似合うな」と言って来た。


「そうか?ヒューゴだって、なんかギリシャ神話に出て来そうだぞ」

「ぎりしゃしんわ?」


当然何の事だか分からないヒューゴは首を傾げていた。


「まあ、神様っぽいって事」


そう言うと、「そうかあ?」と部屋の鏡に自分を映して首を捻っていた。


ぱっと目を引く緩いウェーブの赤い髪に緑の目のイケメンって、まあ何着ても神レベルに似合うなって感じだけど。本人は自分の顔をそんな風に意識した事がないって言ってたから、ピンと来ないのか。


この豊穣祭は至高神エオルに捧げる祭りという事で、あいつかよ、と思うと微妙だけど、まあ異世界のお祭りだ。少し、興味はある。


「あ、そうだ!おいルイ!」


ふと何かを思いついたようにヒューゴが呼ぶと、部屋で俺達の支度を手伝ってくれていたルイが振り返る。


「何でしょう?」


「お前も俺達と一緒に来いよ。どうせ後で出掛けるんだろ?神官長には俺から頼んでおくからさ!」


「え、ええー!いいんでしょうか?僕はすごく行きたいですけど」


ルイが喜色満面で目を輝かせるのに、ヒューゴは「いいっていいって」と笑って頷いた。


「ユキトもまだ本調子じゃないだろうし、俺もこの街の事まだそんなに知らないしさ。お前が居てくれると助かるよ」


「はい!それはお任せ下さい!わあ、僕すごく嬉しいです!ヒューゴ様やユキト様と一緒にお祭りに行けるなんて!」


ルイがはしゃいでいる様子に、俺も笑みがこぼれた。いつも見た目の年齢以上にしっかりしているけど、やっぱり子供だな。


その後ヒューゴが部屋を出て行って神官長の許可を貰ったようで、俺達は3人で出掛ける事になった。


「それでは、どうぞ楽しんでらして下さい。ルイ、お二人をくれぐれも宜しく頼むよ」

「お~、行ってくるな!」

「神官長、ありがとうございます!任せて下さい!」


微笑む神官長に見送られて、俺とヒューゴとルイは神殿を出た。


そういえばジルヴィアに来てから、初めてしっかり街を見物するかもしれない。転移で来たし、神殿前の広場くらいしか見てないもんな。

そのあとは見物どころじゃなかったし。


「おおー!すげえ!なんか賑やかだ!」


広場を見回したヒューゴが早速、テンション高く声を上げる。


「…うん、祭り、だな」


確かに最初にここに来た時よりも、たくさんの出店があり、街の人達もたくさん繰り出していた。出店の食べ物を買って食べたり、談笑しながら歩いたりしている。


「あれ、なんだ?」


よく見るとどの店も、緑の蔦を編んだような丸いボールみたいな物を飾っている。思わず口に出すと、ルイが答えてくれた。


「あ、あの緑の丸いのは、豊穣を象徴するイリヤの木の枝を編んだものですよ!イリヤはすごく成長が速くて、葉っぱも木の皮も実も全部使えるので、豊かさの象徴になってるんです。豊穣祭にはあれを飾ってお祝いするのが習わしなんです」


「へ~」


ヒューゴが感心したような声を出すが、すぐに別の物に興味が移ったらしい。


「おい、ユキト!あっち行ってみようぜ!」

「あ、ああ」


ヒューゴに軽く腕を掴まれて、俺はそっちに歩き出した。ルイも後ろを付いてくる。


ルイによると祭りの出店は主にこの神殿前の広場に集中しているようで、普段は食べられない特別な祭りの為の食べ物や、演し物があるらしい。


「え?この匂い…」


ふと、嗅ぎ慣れた香りに注意を引かれて一つの出店に目が留まる。


深いフライパンのような大きな鍋に、熱せられたたっぷりの油が入っていて、そこで何かがじゅわじゅわと泡を立てている。隣の網にはからりと揚げられた、キツネ色のさくさくしていそうな食べ物が並んでいる。

それを見るなり、俺は思わず声に出していた。


「え?豚カツ?」


「トンカツ?これ何なんだルイ?なんか美味そうだけど」


興味を惹かれたらしいヒューゴが尋ねると、ルイは興奮した声で答えた。


「山猪のフリットです。豊穣祭の時しか食べられない、特別贅沢な食べ物ですよ!この時期が一番美味しい山猪の肉をさらに熟成させて、貴重な油をたっぷり使って焼き上げるんです。僕これ大好きなんですよ!」


ルイは今にも涎を垂らしそうな顔で豚カツもどきを見つめている。


「んじゃ買って食ってみようぜ」


ヒューゴが出店の主人に代金を払って、3人分のフリットを買ってくれた。店主が掌の半分くらいの大きさのフリットを、小さな袋に入れて手渡してくれるのを、それぞれ受け取った。


「うわ、熱いな」とヒューゴ。

「わあ!ありがとうございます!」

ルイはすぐにかぶりついて、嬉しそうにもぐもぐしている。


俺は手の中のそれを見た。どう見ても豚カツだ。正直さっき朝食を食べたばかりで腹は減ってないけど、ちょっとだけ齧ってみると、ザクっと音がしてじゅわりと滋味のある肉汁が溢れて来た。


「えっ、美味い…!」


日本の有名料理店で食べた豚カツと比べても、遜色ないくらい美味くてびっくりする。

これは肉が美味いんだろうな。塩がしっかり効いているのも美味いけど、特に香辛料は使ってないようなのに、すごく良い匂いがする。これは肉自体の匂いなんだろう。


「なんだこれ、めちゃくちゃ美味いな!」


俺の隣でヒューゴはあっという間に全部食べていた。


俺もあまりの美味さに、腹は減ってないと言いつつ全部食べてしまった。


「はあ…食べ終わっちゃった」


ルイが名残惜しそうに紙袋に残った滓をちみちみと食べていて、思わず笑ってしまう。


「そんなに好きなのか」

そう言うと、


「はい…だって1年に1回しか食べられないんですよ、お小遣い少ないし。1回でいいからお腹いっぱい食べたい…」


それを聞いたヒューゴが言う。


「なんだそれくらい。ほらルイ、もう一個食べろよ。俺も食うから。ユキトもいる?」


「えっ、ええ!?」


目を白黒させるルイ。

俺はもういい、と言うと、ヒューゴがまた2つ買って一つをルイに手渡していた。


「う、うそ、嬉しい、嬉しいです!ヒューゴ様ありがとうございます!ううっ、美味しいよお」


ルイは泣かんばかりに喜んで、目を瞑って無心に食べている。

可愛いな。

というか、ヒューゴは朝食もあれだけ食べていたのによく入るな…


豚カツ屋…じゃない、フリットの出店でかなり時間を食ったが、色んな店を見て回っている内に大分時間が過ぎたらしい。


神殿の鐘が、昼を知らせるように鳴った。


「あ!この鐘が鳴ったら、広場の端のテントで演劇の出し物がありますよ!行きましょう!」


ルイが弾かれたように走り出す。ルイ自身観たくて仕方ないらしい。


「演劇?なんだそれ?」


「ヒューゴの世界には無かったのか?人が物語を演じて皆がそれを見る、みたいなやつ…まあここのがそれと同じか分からないけど」


俺達もルイの後を付いて歩きながら話す。


「ああ、娯楽みたいなものか。エクシリアはあんまりそういうの無かったんだよなあ。カードゲームとか、短い矢を的に当てたりとか…あとはそういえば歌を歌うやつはいたな。俺はもっぱら空いてる時間は鍛錬か、酒飲むかだったから、そういう娯楽ってあんまり知らないんだよな」


「…ヒューゴの世界ってほんと苛酷だな…だからお前、俺より年下なのにそんな感じがしないのかもな。俺より兄貴っぽいし」


「ははっ、気にしてんのか。まあ確かにユキトは平和な世界の住人って感じだよな。でも別にそれは悪い事じゃないんじゃねえか?平和な方がいいに決まってる。そっちのが断然人は幸せだろ」


「…平和だからって幸せになれるとは限らないけどな…」


思わずそう呟くとヒューゴは一瞬俺を見て、何か言いたげな顔をしたが、すぐに前を向いた。


「…いつか、俺にも色んな事、話してくれると嬉しい」


そして小さな声でそう言った。


「ああ…分かってる」


俺も、呟くように答えた。


「お二人とも早くー!始まっちゃいますよー!」


ルイの呼ぶ声に、俺達は足を速めてテントに向かった。


演劇は、至高神エオルがどうやってこの世界を創ったか、を歌と楽器と演技で表現するものだった。この世界の人達が崇拝するエオルがあんな奴だと知っている身としては、今一つ乗れない物語ではあったけど、歌っている人や楽器を演奏する人のレベルは高いなと思った。


ストーリーを別にすれば、なかなか良かったと言える。


「なあなあ、この至高神エオルって、『あいつ』の事だろ?こんな良い奴じゃないよな」


演劇の途中、ヒューゴが俺にこっそり耳打ちして来た時には笑った。


終わると、演者の一人が籠を持って人々の間を回って来て、ルイが「自分が出してもいいって額を入れるんですよ」と教えてくれた。

ヒューゴが財布を持っているので俺の分も出して貰った。

俺達は相場が分からないからかなり多めの額を出したらしく、籠を持った演者の人に物凄く感謝された。


「至高神エオルの加護がありますように」

なんて祈られてしまったので、大分微妙な気持ちになった。


外に出るとまだまだ陽は高く、浮かれた人々がそぞろ歩いている。


「よーし!じゃあ演劇も見たし、昼飯でも食うか!」


「そうですね!」


ルイも笑顔で頷くが、俺はえ?と固まる。


おいおい、さっきあれだけ食べて俺はまだ腹が苦しいぞ…ヒューゴの胃袋はどうなってるんだよ?ルイも…


「俺は全然腹も空いてないし、ちょっと人に疲れたから海にでも行って休んでるよ」

そう言うと、


「え?そうか?お前、一人で大丈夫か?」

ヒューゴに心配されるが、


「そもそも何があっても死なないからな。俺の事は気にしないで楽しんで来いよ」

俺はそう言って、転移した。

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