第12話 勝ち逃げは、許さない──。(前編)


「名前は“常夏花火”! 漢字はいつでも夏の常夏に、夜空にバーンと上がる花火だ!」


 父ちゃんに『果たし状』を書いてもらっていた。

 どうやらお習字三級とやらを持っているらしく、達筆だって言うから任せた!

 

 時刻は既に八時を回っている。

 これから学校に向かっても、朝の会には間に合わない。

 今頃、三年二組の教室は俺が登校していないことで大騒ぎになっているはずだ。遅刻も欠席も生まれてこの方、したことがないからな。


 そんな中、よっちゃん先生が教室に入って来てさ、言っちまうんだよ。


 “冬木は家庭の事情で転校することになった”


 ありがちな、去りゆく者を知らせる言葉。

 それを聞いて教室内がどんな空気になっちまうのかは、わからない。……わからないからこそ、すべてを吹っ飛ばすくらいの物凄い勢いが必要だ。


 湿っぽいのは俺たちの柄じゃないからな。


 果たし状を叩きつけて、煽りに煽ってけしかけて──。


 教室内をラストバトル一色に染め上げる!

 

 よっちゃん先生には迷惑をかけちまうだろうな。一時間目は学活の授業で、その後には終業式だって控えている。


 いったい幾つの『十ヶ条』を破ることになるのやら……。考えると気が引けてしまいそうだ。


 でもさ、これで最後だから。

 きっと許してくれる。よっちゃん先生って、そういう人だ!

 

 それにいつだったか、よっちゃん先生は国語の授業で果たし状について熱く語っていた。なんびとたりとも邪魔立てをしてはならない、とかなんとか。


 だから果たし状はどうしても必要なんだ。


 ……だというのに、達筆を自称するお習字三級の手が止まった。


「常夏……はなび? 女の子の名前じゃないか……。果たし状だなんて物騒なものを用意するくらいだから、てっきり男友達だとばかり思っていたが……。そうか……。元来、果たし状とはラブレターとも言われているからな。そうかそうか……そうだったのか……」


 な、なにを言い出してやがるんだ! 父ちゃんはあれか、あれだな! 勘違いする癖が染み付いてやがるんだな!


「ち、ちげーから! あ、あ、あいつは女子かもしれないけど、そ、そんなんじゃねーよ! せ、戦友っていうか、宿敵っていうか……。と、トモってやつだよ! ……トモ! 本当にこれから戦うんだよ! ラブレターだなんてバカなこと言うな!」


 すると父ちゃんは哀愁を漂わせた。


「……本当に悪いことをしてしまったな。すまない……」


 おいおい、またか。またこれか。

 勝手に妄想して、勝手に勘違いまでして! これじゃあ付き合うこっちの身が持たねえよ!


「それはもう聞き飽きたっつーの! 父ちゃんはもう、謝るの禁止な!」


「ははは。それは無理なお願いだなぁ……」

「なんだよそれ。できることならなんでもするとか言ってたくせに!」


 するとぽんっと俺の頭に手を置いた。


「これからはたくさんわがままを言いなさい」

「言ったそばから無理って言ったのは誰だよ」


 ったく。本当に勝手な父ちゃんだぜ。



 そんなこんなで──。書き終わった果たし状を手にした俺は、これから行う事の成功を確信する。


「うおお! 父ちゃんすっげえ! お習字三級すげえ!」

「翔太もお習字教室に通えば、これくらい書けるようになるぞ?」

「それはいいや。俺、勉強は嫌いだし!」


 勉強は大嫌いだ。でも、授業に関連する項目での決闘もあったからな。

 ちっとばかし頑張っちまったが、それも今日でおしまい。

 

 本当にやりようはいくらでもあったんだよな。今日という日を負け越しで迎えられていたのなら、すんなりと事は運んだのに。


「……父ちゃんのバカ」


「な、なんだいきなり? ……いや、そのとおりだな……。……すまない」


 やれやれ。すぐにこれだ。

 父ちゃんとのこんな関係はしばらく続きそうだ。



「んじゃ、行ってくるよ! せっかく飛行機のチケット取ってくれたってのに、ごめんな」

「そんなものはいくらでも替えがきくのだから気に止む必要はないよ。それよりも、気をつけて行って来なさい」


「そっか! さんきゅー父ちゃん! 行ってきまーす!」


 ──思えば、この家にはおはようもおやすみもなかった。

 もちろん、行ってきますも行ってらっしゃいも。


 おかえりとただいまだって、当然ない。


 でも今日は父ちゃんにおはようをしたな。そして今、行ってきますをしている。


 父ちゃんのいう幸せってやつが、ほんの少しだけわかったような気がする。


 この場所はあまりにも、当たり前が欠けているんだ。


「どうした?」

「な、なんでもねえ! じゃあな!」


 でも、それを差し引いても──。

 やっぱりどうしたって、毎日が楽しかった。


 だからちゃんと、勝たせて終わらせないとな。それが俺にできる、唯一の恩返しだ。

 

 なぁ、常夏──。









 ☆ ☆ ☆


 学校までの道のりが、いつもより長く感じた。


 この道を歩くのも、今日で最後──。

 

 普段はなんとも思わない景色が、心を擽る。



「あっ!」


 ここの田んぼ……。常夏と一緒に落っこちたんだよな。あいつ、いきなり襲いかかって来やがってさ。

 あんときはランドセルの中まで水浸しになっちまって、大変だったよなあ。


「おっ!」


 夏になると、この道端には猫じゃらしが生えるんだよな! それを常夏の背中に入れたっけ。

 あんときのあいつ、柄にもなく変な声出しちゃってさ。してやったりだったぜ。


「うわっ!」


 そうだ。ここの木は秋になると銀杏が生るんだよな。落ちている銀杏を拾って投げ合ったっけ。それがもう臭いのなんのって。結局、取っ組み合いになって二人で地面にぐしゃりとなっちまってさ……。あんときはまじで悲惨だったぜ……。



 本当に、いろんなことがあった。


 これから戦地に赴くってのに、思い出してしまうことが、あまりにも多過ぎる。


 やれやれ。いけねーいけねー。湿っぽくなっちまうぜ。


「……はぁ」


 とはいえ、後ろめたい気持ちの前では仕方のないことなのかもしれない。


 ごめんな。常夏。

 お前は、俺がわざと負けることを望まないよな。


 いつだって俺とお前の戦いは全力だった。

 だからこそ、今日まで続いたのだと思う。


 でもさ、お前は負けず嫌いだからな。負けたままじゃ終われないだろ。



「あれ……。なんだろう、これ……」


 ははっ。やっべ。父ちゃんのあれ・・が移っちまったか。


 ……まだだよ。今はまだ、だめだ。これはぜんぶ終わってから流すものだ。



「……すぅぅ」


 大きく吸って、深呼吸。からの──。


「うあぁぁぁああああ」


 猛ダッシュ!



 俺は瞬速の翔太だ。皆の光輝く一等星、カシオペア──。


 お前一人の笑顔を守れないほど、ヤワな男じゃねえ!








 ☆ ☆


 学校に到着すると、時刻はちょうど九時の針を指していた。授業中のためか、昇降口は静けさだけが漂う──。

 ちょうど上履きを手にしたところで〝コツコツコツ〟と、できることなら今は聞きたくない革靴の音が聞こえてきた。


 とっさに身を隠そうとするも、時既に遅し──。背後から声を掛けられてしまった。


「待ちなさい。どうかしたのかね? 一時間目はとっくに始まっているよ?」


 最悪だ。まさかこのタイミングで教頭に出くわすなんて……。


「べつにどうもしねえよ。遅刻だよ、遅刻」


 俯き加減で顔を隠しながら答えてみるも、


「……おや? ランドセルはどうした? ……いや、お前は! ふ、冬木! どうして学校に来ている? まさか喧嘩しに来たわけであるまいな?」


 ちっ。まずいな。そりゃバレるよな……。

 よっちゃん先生が庇ってはくれているけど、教頭は三年二組を目の敵にしている。

 

 喧嘩に寛容なよっちゃん先生に対し、教頭は断固として喧嘩を許してはくれない。


 だから俺たち三年二組にとっては天敵のような存在だ。


 しかもこの言い方。

 まるで俺が学校に来てはいけないと言っているようにも聞こえる。下手をしたらこのまま帰らせられるかもしれない。

 

 だったら絶対に取っ捕まるわけにはいかない。


 逃げるは恥だがなんとやら!


「コラッ! 廊下を走るでない! ま、待ちなさい!」


 追いつけるものなら追いついてみろ!

 

 今までならすぐに止まってごめんなさいをする場面。学校という場所は広いようで狭く、逃げたところで意味を成さないからな。


 だけど俺はもう、この学校の生徒ではなくなる。鹿児島に行っちまうんだ。行っちまうんだよ!


 だから! 止まらない!



「待ちなさい! こ、コラァ……!」


 全速力で廊下を走る──。


 この階段を登ったら、右に一直線。


 もうすぐだ、みんな……常夏。今行くからな。


「ま、待ちなさい……(ぜぇはぁぜぇはぁ……)……ま、待てぇ…………」


 教頭の怒鳴り声がどんどん遠くなる。


 百年追い掛けても、あんたにゃ俺は捕まえられねえよ! 


 なんてったって俺は! 瞬速の翔太だ!

 

 


 ──よしっ。見えた。三年二組の教室!


 これから俺がすることは、きっと──。いや、絶対に間違っている。


 でもさ。俺、他にやり方知らないからさ。

 俺とお前は宿敵で、毎日喧嘩ばかりしてきたから。……だからこれが、オレ流の別れの挨拶だ。受け取れ!


  〝バァァーンッ〟


 教室のドアを勢いよく開け、その勢いのままに、握りしめた果し状を掲げ──声を大にして叫ぶ。



「常夏、花火ぃぃいい!!!! 果たし状だぁあああ!!!!」

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