八月フィッシャーズ

唯一の選択肢

 八月フィッシャーズの開催まで、あと一週間を切った。

 アナタは、これからタキツと最終調整とレースでの作戦の打ち合わせをするところだったが、ルルに呼び止められた。

「タキツが勝つのにさ、手札がもう有り得ないくらい少ないの自覚ある?」

 ルルが開口一番に指摘してきた内容に、アナタはぐうの音も出なかった。

 身体能力で劣る以上、そしてブレインというレーススタイルを目指す以上、タキツは様々な技術を臨機応変に使う事が求められる。それなのに、彼女が今身に付けているスキルは、人魚として最低限の技巧と身体能力を補正するものしかない。

「分かってますけど、ないものねだりは出来ないじゃないですか」

「レースまでの時間、全部わたしにくれるんだったら、一つは確実にものにさせられるけど」

 再度、アナタは返す言葉を失った。

 ルルがここでアナタを引き留めたのも、その判断をさせるためなのだろう。

 つまり、作戦を詰めるか、タキツに技術を身に付けさせるか、残り少ない時間をどちらに使うか選べ、と。

 アナタは瞼を閉じて、唇を結ぶ。

 どちらを選ぶとしても、どちらかは抜け落ちる。

 だが、どんなに作戦を練ろうとも、それを実行する能力がなければ意味がない。

 だから、アナタの選べる回答は一つしかなく、足りない分はタキツを信じることしか出来ない。

「タキツを、お願いします」

 アナタはルルに向けて深く頭を下げた。それは自分がここまで、タキツの能力をレースに向けて満足に伸ばせなかったという謝罪に他ならない。

「いよっし! 言質取ったし、地獄の特訓やったるわよー」

 しかし、そんな沈んだ空気は、小さくガッツポーズを取るルルの明るくて不穏な言葉に吹き飛ばされた。

「え、あの、……ちょっと、適切な指導をですね」

「何言ってんの。人魚とか殺しても死なないんだから、なんも問題ないって。潰れて再生したら一回り成長するわ。いっそ殺した方がいろいろ詰め込めるしね」

「え、いや、その、潰さないでいただきたいんですが……」

「いやー、お願いされちゃったしねー! お願いされたらお姉さん、そりゃ張り切っちゃいますよー!」

「話聞く気ねぇ、この人魚」

 アナタを置き去りにして、ルルはタキツの待つ部屋のドアを勢いよく開けて凛音りんとを響かせた。

 それに驚いたタキツが目を丸くして入り口で腰に手を当てるルルを見る。

「ルル? ルルも今日の会議に来てくれたんですか?」

 タキツの疑問に答える前に、ルルは彼女の腕をがっしりと掴む。

「さ、タキツ。お姉さんと楽しい地獄の特訓に行くよ」

「はい? え、いや、これから私はナヴィゲーターとレースの作戦会議をするので! 予定埋まってるので! 突然のお誘いはノーサンキューですよ!」

 ルルの本気を瞬時に悟ったタキツが悲鳴を上げて抵抗するも、最強の人魚の前にはまるで無意味でバシャバシャと暴れて水を叩く体はあっさりと引っ張られていく。

「だいじょうぶ、予定変更はこの人間も承知の上だから」

「え、うそでしょ、あの! ナヴィゲーター! この人魚止めてください! いや! もうしんどいのはいやです! ナヴィゲーター!」

 タキツの悲痛な声に、アナタは思わず顔を反らし、タキツの救いを求めて伸ばす手を視界に入れないようにした。

「ごめん、タキツ……強く生きてほしい」

「こっ――」

 ずぷり、とタキツの体はルルに水の中へと連れされて、遂に顔まで水の中へと沈んだ。

『この裏切り者―――――――!!!!!』

 タキツの泣き叫ぶ聲を受けて震える胸を押さえて、アナタは自分の内から涌き上がる罪悪感を見て見ないフリをして、その場に立ち尽くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る