鏡音

「やっぱり奏音かなでねさんは頼りになるねえ」


 休憩室で座っていると、隣に座っていた介護主任のリリさんがそんなことを言ってきた。若手のガクくんが背後でカップラーメンを作りながらそれに続く。


「いや、マジでミムさんはすごいっすよ。こないだなんか俺、カイさんすっげえ怒らせちゃって」


 ガクくんは少し言動や行動が粗暴なことがあるのだけれど、それは利用者さんにだけってわけじゃなくて職員に対してもそうだから、きっと誰に対してもそうなのだろう。逆にそれが、利用者さんに対して良い方向に働くこともあるから、特に問題があるわけじゃない。


「あ、ありがとう、ございます……」


 とりあえずお礼は言ってみたけれど、自分としては普段通り、接遇ルール通りに相手と接しているだけだから、褒められるほどのことじゃないと思ってる。

 逆に、10年もこの仕事をやっているけれど、ぜんぜん自分に自信が持てなくて、たまにそれが介護業務や後輩の指導の時に出てしまうから、まだまだだなって感じていた。


 老人ホームは人間相手の、しかも高齢者相手の仕事だから、日々その状態が変わっていって、毎日同じことをしていればいいってわけじゃない。だけど、体調の急変による救急車の手配とか、看取り対応の利用者さんが亡くなってしまったりとか、10年もやってるとそういうことにも慣れてしまって、これでいいのかなって、そう思うことが増えてきた。


 もちろん、アイドルに戻りたいとか、また歌を唄いたいってわけじゃない。そんなこと、考えただけでぞっとする。


 4人掛けのテーブルの向こうにあるテレビが、動画配信サイトの特集番組を始めた。


「あ、『Soulder Butterfly』だ。俺よくこの双子の配信者の動画みてるんスよねぇー」


 ガクくんがちょっと大きめの声をあげた。テレビには派手な格好をした金髪の女の子と男の子がインタビューを受けている。


「そうですね。ボクたちが芸能界でデビューした頃は、インターネットも動画配信サイトも、まだまだ黎明期ってカンジで、芸能界でのし上がっていくよりは、ネットの世界でファンを増やすほうが魅力的だと思ったんです。だから、地道に毎日、二人で動画を作ったり、ライブ配信をしたりし始めて、ファンを増やして、やっとここまで来ました」


 レンくんが頬を掻きながら、ちょっと恥ずかしそうにインタビュアーの質問に応じる。メイクのせいもあるのだろうけど、私が知ってるレンくんより少し顔立ちもくっきりしていて、ちょっとだけ大人っぽくなった印象。


「動画配信だけで食べていけるようになるまでには、かなり時間がかかりましたね。事務所にも金銭面で迷惑をかけちゃったりしました。私も飲み屋さんでアルバイトしたりして。……激辛焼きそばのリアクションの双子比較動画がバズって、やっと配信だけで食べていけるようになりました。今では二人とも大好きな歌を動画にして再生数が伸びたりとか、やりたかったことができるようになって、視聴者さんには本当に、感謝しかありません」


リンちゃんが続いた。私の記憶ではすごく不愛想で、ツンデレキャラなのかなって性格だったはずだけれど、今は険がとれて、すごく物腰が柔らかい、かわいい女の子って感じだ。昔の彼女だったら、飲み屋さんでアルバイトしていたことなんて、絶対にテレビで言ったりしなかっただろう。


 そう。

 アイドル時代に、二人とも事務所の先輩だった二人だ。ライバルと言い換えてもいい。

 田舎から出てきてすぐの頃は、一緒にご飯を食べに行ったりする関係だった。二人とも笑顔が素敵で、こういう人たちが芸能界で売れていくんだろうなって思うくらい個性的で、可愛くて。純粋で真っ直ぐな性格で、二人とも仲がすごく良かった。


 でもその関係が変わったのは、もう一人の先輩が私と一緒によく仕事をするようになってからだった。


 私ともう一人の先輩の二人コンビに、双子たちはよく対抗心を燃やしていた。あの二人らしく、事務所にいたら肩をいからして近寄って来て、絶対に負けない、みたいなことを真正面から言われたこともある。

 コンビって言っても、もう一人の先輩のほうが凄すぎて、その人と競おうとしていたって言った方が正しいかもしれない。

 その人に勝てないって思ったから、二人は動画配信を始めたことも、私は知っている。


 でもそれをここで吹聴ふいちょうすることは、私は絶対にしない。私が元アイドルだったことは、ここの施設長くらいしか知らない。10年も前の話だから、もう知ってる人を探す方が大変だろうけど。


「…………すごいなぁ」


 でも、思わず唇が唸った。

 二人とも、日本一の配信者になったんだ。


 きっと辛いことや、キツいこともいっぱいあったと思う。ちょっとしたスキャンダルがあった大物演歌歌手が動画配信を始めるくらいまでは、動画配信っていうのは素人がすごくもてはやされていて、芸能人はジャンルが違うっていうか、敬遠されがちだった。二人はそのずっと前から、動画配信を続けてて、今になってやっと、それが実を結んだんだ。


「あれ?ミムさん、泣いてます?」


 油断した。歳を取ったせいだろうか。最近ちょっと涙腺がゆるい。


「ううん。……ちょっと眠くて、あくびしちゃっただけ」


 ガクくんの指摘に、慌てて目尻を拭いながら、そんな嘘をつく。


 この仕事をしていると、嘘を吐くのが上手になる。介護士の倫理要綱には、高齢者には誠実に向き合うこと、みたな感じで、嘘はいけないって書いてあるけれど、相手はこちらの言ったことをすぐに忘れちゃうことの方が多いものだから、その場しのぎの嘘を吐いてお茶を濁すなんてことはよくあることだ。さっきのガクさんにだって、もうすぐご飯が来るとは言ったけれど、次のご飯は4時間後だし、出てくるのはガクさんが食べた記憶がない昼食ではなく、夕食だ。


 家に帰りたいって言うおじいちゃんに、そんな予定もないのに来週には帰れるって言ってみたり、お金を盗まれたって言っているおばあちゃんに、偽物のお金を渡してみたり、そういう嘘ばかりの毎日を、私は送っている。


「……奏音さん。スマホ鳴ってるわよ?」


「あ、マナーにするの忘れてました。……すみません」


 テレビの下にある荷物置きの近くにいたリリさんが教えてくれた。私はイスから立ち上がってカバンに近寄り、スマホを手に取る。マナーモードを設定してから、私は着信があった通話アプリを確認した。


「……………………」


 言葉が出ない。リアクションさえ出てこなかった。


 相手は、私が一緒にアイドル活動をしていた先輩。何年ぶりの連絡だろう。


 ミクさんから、メールが届いていた。

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