赤い陽炎と本気になった男

 陽ノ下焰軌ひのもとえんきは、目の前の男に対して異様な感覚を抱いていた。

 

(力はなにも感じん。だが、この細身で我と互する身体能力。それにまるで数瞬先の未来でも見えているかの如き動き。得体が知れん……)


 自分の実力は自分で分かっている。当代の焰の聖人として研鑽してきた力量は、歴代でも上から数えた方が早いであろうと言われてきた。その自分と互する戦いをする、この何の力も感じない青年に背筋に寒気を感じていた。

 

(しかし、恐ろしいな。身体能力自体もそうだが、この未来予知とも思える先読みは信じがたい。先読みされる事を踏まえて動きを詰めようとしても、的確に抜けられてしまう。まるで、こちらの思考まで完全に読まれているかの様だ)


 人の動きや可動域には限界がある。また人には反射といった、制御しきれない生理的現象もある。それを踏まえた、必ずあたるはずの攻撃にまで辿り着けない。

 辿り着くまでに、その手順から抜けられてしまう。長年の歴史において研がれてきた技術が、何の訓練も受けたことのないような動きをする青年に悉く手玉にされる。


 焰軌は、いつのまにか本来の目的を忘れて、楽しみ始めていた。

 自分との格闘戦で、ここまで互する存在など出会ったことがなかったからだ。

 いつのまにか、顔からは娘を弄んだかもしれない男への苛立ちは消え去り、ただ戦いを楽しむだけの、まるど少年のような笑顔を見せていた。

 

(どこまで俺に付いてこられる? いやどうすれば、この者にてられる? ワハハ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ! これは是非とも紅歌をもらってもらわねばな!)


「ワハハハハハハ! 楽しいぞ婿殿! もっと力を見せてくれ! 俺も全てを出そうじゃあないか!!」


 焰軌の身体から、うっすらと赤い陽炎が見え始めていた。

 

  +++++

  

「チッ!」


 俺の目の前を、クソ親父の拳が突き抜けていく。

 どんどん苛烈になっていくクソ親父こと、焰軌のオッサンの攻めに、俺は捌くことすらギリギリになりつつあった。

 何が「全てを出そうじゃあないか!」だ! こっちは、もはや酸素の供給量を細かくDALIに制御してもらわないと、動きが追いつかなくなってるんだよ! いちいち返事なんてしてられるか!

 しかし、力場フィールド密度の低い場所に、何度か攻撃は叩き込んでやったんだが、元々の筋肉が分厚すぎて、あまり効いてる感じしないんだよな……。

 急所の密度は流石に薄くしてくれないから、結構どん詰まりだ。ボコボコにするどころではなくなってきた。

 

(『マスター。敵個体の身体性能が予測値を超え始めました。現在の力場フィールド放出量から、新たな予測を行ったところ、69秒後にマスターの敗北となります』)

(マジか!? クソ! なんとかならないか!?)

(『敵個体に対して勝利するためには、限界を超える必要があります』)

(俺はみのりじゃないから、オーバーロードなんてできんぞ!?)

(『いえ、一昨日と同じことをするだけです』)

(えっ? まさか!?)

(『では、お体をお借りします。マスター』)

(まてぇぇい!!)


 俺の心の叫びも虚しく、俺の身体はまるで俺じゃないかのように動き始める。

 まあ、実際に動かしてるの俺じゃないんだけど。

 すげぇ。クソ親父を押し返し始めた。

 しかし、またあの恐ろしい筋肉痛が襲ってくるのか? それなら、クソ親父にボコボコにされた方がマシなんじゃないかって気がしてきた……。

 

——ズンッ!

 

 って、おお! クソ親父のみぞおちにイイのが入った! さすが、DALIさんスゴすぎる!

 

「ゴホッ……」


 俺というか、DALIさんがクソ親父の拳をいなして、そのまま肘打ちをみぞおちに叩き込むと、初めてクソ親父がダメージをまともに受けた様で、胸を押さえ膝をついている。

 

「……まさか、力も使わずに防壁を抜けてくるとは……まだまだ上がありそうだな!」


 クソ親父の身体から薄ら見えていた、薄紅色の陽炎がハッキリと見え始める。

 めちゃくちゃヤバそうな雰囲気なんだが……。

 

(『マスター。敵個体の力場フィールド密度が急激に増しています。このままでは、こちらの打撃による攻撃が通じなくなる可能性があるため、一気に攻め落とします』)

(おい! 大丈夫なのか? 危なそうなら土下座って手もあるんだが!?)

(『いえ、敵個体はマスターに対して、殺傷性の高い攻撃を幾度も繰り返しています。とても許容できませんので、この場で仕留めます』)

(仕留めちゃマズいだろ!?)

(『ここは山の中です。ご安心を』)

(安心できねぇ!)


 俺の身体は、姿勢を低くしながら、クソ親父に向かって真っ直ぐに駆けだした。

 真っ直ぐ向かっていく俺を、そのまま叩き潰そうと、クソ親父は拳を振り下ろしてくるが、俺の身体はその拳を横に躱すと同時に、外側から肘を折り砕いた。

 そして、一瞬の相手の硬直を逃さず、その折り砕いた腕を踏み台に飛び上がる。

 飛び上がりながら、クソ親父の顎を両手で掴みながら跳ね上げ、露わになった首元に右脚を掛けると、その首を支点に、勢いのまま捻り折るべく、全体重も掛けて回転させようとした。


  +++++

  

 みのり焰軌えんきが、戦い始めた頃、玄関前はまた別の緊張に包まれていた。

 

香貫火かぬかの様子がおかしいんだけど、何かあったのかな? ずっと奈美なみさんを見てる……)


 紅歌くれかは、普段見せない様な神妙な表情を浮かべながら、奈美を凝視する香貫火を怪訝に思っていた。

 また、見られる理由がわからないのに、見られ続けている奈美の苛立ちも感じ、言葉を発しにくくなっている空気に、肩身の狭い思いを感じている。

 

「……さっきから、ずっと私を見てるけど、何か御用かしら? あっちの方を見た方がいいんじゃないの?」


 奈美は、みのりたちを指差し、香貫火に言外に見るなと伝えた。

 

「……申し訳ありません。不快にさせるつもりなど、ございませんでしたので、お許しを」


 香貫火は立ち上がると、頭を深く下げ謝罪してくる。

 

「まあいいわ。それより、あっちの方がエラいことになってるわよ。お宅の旦那さん……焰軌さんだっけ。みのりを殺すつもり?」

「決して、そのようなことはないかと。焰軌えんき様に限り、そのようなミスは冒されません。充分に手加減なさっております」

「……あっそ、さっきの首締めだけでも、普通は死にかけると思うんだけどね」

「あの男は、思った以上に頑丈な様ですし、大丈夫じゃないでしょうか?」

「まあ、それは同意するわ」


 奈美と香貫火の会話に、何か良く分からない緊張感を感じ、紅歌は二人を交互に見ている。みのり焰軌えんきの様子も気にかかるが、どうにもこちらも気にかかっていた。

 

(どうも、香貫火は奈美さんのこと、知ってたんじゃないかって感じがするのよね……。それに奈美さんも、あの戦いを見て驚いてないなんて、おかしい気がする)


 紅歌が考え事をしていると、みのり達の戦いに変化があった。

 

——ズンッ!


 ここまで聞こえてくるほどの打撃が、焰軌に突き刺さっていた。

 

「「なっ!?」」


 紅歌と香貫火は、思わず立ち上がり、驚愕の表情を浮かべていた。

 

(あの、お父様が膝を着くなど初めて見た! みのりさんはやっぱりすごい!!)

(あ、有り得ない……! あの焰軌えんき様の防御を貫いて、ダメージを与えるなど。何の力も感じない人間にできることなのか!?)


 しかし、一方は驚きと共に喜びを、もう一方は、驚きと目の前の事態が信じられない、と言うべき表情だった。

 

「あのアホ、やっと本気になったみたいね……。でも、焰軌さんも、まだ本気じゃなさそう……」


 奈美の発した言葉に、二人は更に驚きの顔を浮かべる。

 

「あの男は、今までは本気でなかったと!?」

「ええ、少なくとも私を手玉に取った時とは違ったわね」

みのりさんって、……すごい!!」


 三人が見守る中、みのり焰軌えんきに向かって駆け出した。

 

「真っ直ぐ突っ込むなど! 焰軌様を甘く見過ぎだ!」


 香貫火が、みのりの行為に声を上げると、共に焰軌えんきの腕が粉砕される。

 

「なっ!?」

「まさか!? あのバカ!? それはやり過ぎでしょ!」


 みのりが、焰軌えんきの腕を踏み台に首に纏わり付くように足を絡め、両手で極めるのを見た奈美が、声を荒げる。

 その瞬間、焰軌えんきの身体から圧倒的な炎が爆発するかの様に立ち昇り、みのりは煙をあげながら、上空に吹き飛び、数メートル先に受け身もとらずに転がっていった。

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