私(犯人)とポンコツ探偵の事件ファイル

夏野菜

事件ファイル1(事件編)密室の謎

幼なじみの陽子とは、幼稚園の頃からの付き合いだ。


小中高と同じ学校に進み、陽子は大学へ、俺は機械部品の製造工場に就職する道を選んだ。


俺の仕事は夕方で終わることが多く、家が近所の陽子は夜になると毎日のように俺の家に遊びに来る。


今年で2人とも20歳。陽子と格闘ゲームをしながら晩酌するのが、今の俺が人生で一番幸せな時間だ。


正直なところ、俺は中学生の頃から陽子に思いを寄せてきた。


ただ2人の関係を壊すことが怖くて、告白するタイミングさえ見つけられず、友人関係を続けてしまっている。


そんな陽子の様子が、最近がどうもおかしい。


夜遊びに来ても、誰かに呼び出されるようにして、そそくさと帰る。


もしかして彼氏が出来たのだろうか・・・。


それにしては、表情がずっと暗い。ゲームをしていてもどこか上の空のようだ。


「ちょっとトイレ」。

隣でスマホをいじっていた陽子がトイレに立つ。


陽子が部屋のドアを閉めた瞬間、ベッドの上に置かれた陽子のスマホが短く振動した。


誰かからメッセージが来たようだ。


直前まで陽子が触っていたので、スマホのロックは解除されたまま・・・


最低な行為だとは思いつつも、自分の嫉妬心のようなものが抑えきれず、陽子のスマホに手を伸ばす。


「今から来い」

それは、俺が知らない男からの短いメッセージだった。


彼氏か?


そのまま、過去のやりとりを確認するために画面をスクロールする。


だが、男と陽子のやりとりは、全く想像もしていないものだった。


「わかってんだろうな。いつでもネットにばらまくからな」

男の脅し文句とともに陽子と男の性行為の写真が添付されていた。


陽子からの返信は、ほぼ全てが「やめてください」と「わかりました」だけ。


絵文字もスタンプも無い。


これは、陽子が男にレイプされた後、写真や動画をもとに脅されていて、性行為を強要され続けているのではないか。


心臓が自分でも驚くほどバクバクと鳴っているのが分かった。


怒りを通り越して、恐怖のような感覚で、ただ手の指先がしびれていくのを感じる。


陽子がトイレを流す音が聞こえた。

慌てて携帯を元に戻す。


陽子も俺の動揺には気づかずにゲームを始める。


そして、しばらくしてからスマホを手に取り、メッセージを開いた。


すぐに憂鬱そうな表情に変わっていくのが分かった。


「あ、ごめん。今日はもう、帰らなきゃ」。ぽつりと語り、家を出ていった。


俺は自宅の包丁を手に取ると、肩掛けカバンにしまい、陽子の後をつけた。


男の家は、電車で5駅ほど離れた学生街のアパート一室だった。


陽子は男の家に入り、1時間ほどで出てきた。


遠目から見ても泣いているのが分かった。


心のどこかで「やりとりは乱暴でも、もしかしたら彼氏かも知れない」と感じていた不安は消えた。


ただただ、心臓の鼓動だけが痛いほど鳴っていた。


俺は陽子が去ったのを見届けると、古びたアパートの2階にある男の家に足を進めた。


玄関前でカバンから包丁を取り出し、ノブを回す。鍵は開いていた。



ガチャ



男の部屋に入る。汚い布団の上に汚れたコンドームが放り投げられていた。


「誰だお前!」


男がこちらに気づき、ドスのきいた声を飛ばす。


男は、がっしりとした体格の体育会系の学生だった。


俺は無言で駆けだし、男の心臓をめがけて包丁を突き出した。





ブス






分厚い豚バラ肉に垂直に包丁を突き立てたような感触だった。


男が太い両腕で俺の両肩を力強く押した。その勢いで、俺は玄関から外へ弾き出された。


ぶつかった勢いで開いたドアは、そのまま反動でバタリと閉まった。


俺はドアの外で尻餅はついたものの、手にはまだ包丁を持っていた。


頭にあったのは、早くこいつを殺さなければ、という思いだけだった。


俺の明確な殺意が男にも伝わったのだろう。


ガチャリ


腹部を刺された男がドアの鍵を閉める音が聞こえた。



あぁ。やってしまった。殺せなかった・・・。



絶望に近い感情だった。


その時は刺してしまった後悔を感じる余裕もなかった。


幸い男は、俺の顔を知らない。


包丁をカバンに再びしまうと、自宅に向かって駆けだした。






翌日の昼。


俺は再び男の家を訪ねることにした。


昨夜から心臓が高鳴って眠ることも出来なかった。


幸い、今日の仕事は休みだったが、もしあったとしても、きっと出勤は出来なかっただろう。


手に残る刺した時の感触、男の表情、家に帰ってから埋めた包丁・・・。


俺は警察に通報されて逮捕されるのだろうか・・・


「殺人未遂 懲役」で、何度もスマホを検索した。不安は募るばかりだった。


昼下がりの男のアパートは、驚くほど静かだった。


インターホンを鳴らす。




ピンポーン




返事は無い。


ドアの扉を開けようとするが、鍵がかかっているようだ。


「お兄さん。ここの人のこと知っている人?友達?」


背後から声が聞こえてきた。


驚いて振り返ると、天然パーマが帽子からはみ出した眼鏡の中年男性が立っていた。


「えぇ。まぁ」

とっさに噓をつく。


「そうなんだ。どうやら留守のようなんだけど、どこにいるか知らない?」

中年男性が続けて聞いてくる。


「いや、知らないです」と、その場を立ち去ろうとするも中年男性は目の前に立ちふさがる。


「俺、探偵なんだ。ちょっと協力してくれないかな?」


差し出された名刺には「私立探偵 正木庄司」と書かれていた。


「まさきしょうじ。会社名みたいだろ」と、正木がおどけてみせる。


(なんだこいつ。早くこの場を離れたいのに)


思わず口に出そうになるのを抑え、「ははは。そうですね」と、愛想笑いを浮かべる。


「君はここの人の友達?」と正木が質問を続ける。


「いえ、一度だけ会ったことがあるだけです」と、とっさに噓の無い範囲で返す。


「一度だけ?なのに家まで来たの?」と、正木は疑った目で俺を見てくる。


「えぇ。まぁ。飲み屋で一度一緒になって、今度うちに来いよって誘われたんです」


「へぇ。そんなこともあるんだね。でも辞めといた方が良いよ。俺はこいつに暴力受けた元カノから依頼を受けて来たんだけどさ。相当やばいやつだよ」と、正木。


「えぇ~そんな悪いやつなんですか。それなら辞めといた方が良いですね。もう帰ります」と、立ち去ろうとする。


だが、正木が前に立ちふさがる。


「ちょっと待ってよ。友達なら、チャンスだな。管理人に合鍵を出してもらおうよ」と、正木が突拍子も無いことを言い始める。


「嫌ですよ。何を考えているんですか」と、当たり前のように断る。


「君も被害者の気持ちを考えてみてごらんよ。こいつは被害者の写真とか撮って脅すやつらしいぞ」と、正木が食い下がる。


「嫌ですよ!そんなことしたら犯罪じゃないですか!」と、語尾を強めて断る。


「大丈夫。ここのヤツから『今度うちに来い』って言われていたんだろ。なら、そんなに怒られないんじゃないか?」

正木は、にやにやしながら近づいてくる。


「中に入ってもいないなら意味ないでしょう!」と、俺は不快感を露わにする。


「怒らないでよ。コイツが悪いことしてる証拠があったら、被害者にも得になるんだからさ」と、正木はヘラヘラしたまま語る。



そのやりとりを聞きつけたのか、1階の部屋から大家を名乗る高齢男性が出てきた。


「あんたたち、ここの学生さんと知り合いかい?」


正木は間髪入れずに「えぇ。彼が友達です」と、俺を紹介する。


老人は「ちょうどよかった。ここの学生さん家賃滞納しているんだけど、居留守使っていると思うんだよ。いつもそうだからさ。ちょっと一緒にいてくれないかい。ここにいるだけで良いからさ。体格が良くて、私だけじゃ怖いんだよ」と、困った表情を見せる。


正木は、にやにやしながら「彼は友達ですから。それくらいはおやすいご用ですよ」と、勝手に返答する。


老人はうれしそうな顔を見せた後、少し背筋を伸ばして、男の家のインターホンを押す。


「いや、いないんじゃないですか?さっき、僕も押しましたよ」と制止する。


「いやいや。毎週この時間は家にいるんだよ」と老人もひかない。


ポケットから鍵の束を取り出して、男の部屋のドアの鍵を開ける。


「おや!なんだいこれは」


老人が玄関付近に血が飛び散っていることに気が付く。


「こりゃ大変だ」と言いながら、靴を脱いで部屋の中に入っていく。


正木もその様子に気づいたようで、急いで老人の後に続く。


すぐに老人の悲鳴が聞こえた。


男は玄関からは死角になっている布団の近くの壁にもたれるようにして死んでいた。


玄関と部屋中に血が散乱していた。


死体の手元にはスマホが握られていたが、助けを求めることもできずに力尽きたのだろう。


目を開けたまま、口から血をこぼして上空を見つめるようにしていた。




俺は殺人未遂犯ではなく、殺人犯だった。




その逃れられない現実に、震えるほど怖くなった。


足元がよろけて後ろに2、3歩下がる。


「動くな!現場が荒れる!!」


穏やかな口調だった正木が、大きな声を出す。


「腹部に刺し傷あり。凶器は見当たらない。これは殺人事件だ。そして窓も施錠されている。ただの殺人じゃない。密室殺人だ」

正木が決め顔で、事実とは全く違う推理を披露する。


救急車に電話しようとしていた老人を正木が制止する。


「もう無駄です。警察に電話しましょう。死後硬直している」


正木が慣れたような顔で話す。


こいつ・・・もしかしたら、出来る探偵なのか・・・?


そんな不安が一瞬よぎり、「ごめんなさい。僕、急ぎの用件があるので帰ります」と、思わず口にしてしまった。


正木はキッとした表情で「君は第一発見者の一人だ。現場に残りなさい」


その瞬間に、全身の力が抜けていくように感じた。


あぁ。終わった。せめて現場に来なければ、捕まるまでの時間は稼げたかも知れないのに・・・。


もう一度、陽子に会いたい。


きっともう二度と会うことも出来ないだろうから。


遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。


近所の交番から駆けつけて来たのだろう。


(もう逃れることは出来ないな・・・)


このとき俺は、本気でそう思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る