魔法少女は諦めました。代わりに魔女になろうと思います。
宮明
第1話
ミンミンとセミが鳴く夏。
品のいい住宅地の一等地。そこには緑の壁、大きな煙突、煌めくガラスに彩られた大きな洋館があった。
洋館の周囲は広々とした庭だった。地面は青青とした芝生。隅に植わった大きな樹は風に揺れ、外界と庭を区切るのは二メートルほどの高さの煉瓦の塀。
それらに囲まれて、洋館はでんと立っている。
「あいたッ!」
そんな洋館の庭で後頭部を抑えながら叫んだのは、若い女だった。
化粧っけのない顔を痛みに歪め、少し垂れたまなじりには涙が浮かべている。
彼女が着ているのは、黒の足首までのシンプルな襟付きワンピース、華美すぎないレースのついたエプロンとヘッドドレス、靴下。胸元には桃色のスカーフ。靴は黒のパンプス。
焦げ茶の髪をうなじあたりで丸くまとめ、黒のリボンで結んだその姿は、まごうことなきメイドである。
右手で後頭部を押さえ、左手で洗濯かごを持ったまま、彼女はつぶやいた。
「どういうことでしょう……、羽ばたき聞こえたけど、まさか鳥?しかし、有機物がこんなに痛いはずがないですよね……。なんだったんでしょうか……今の」
洗濯籠を地面に置き、周囲を見渡す。すぐに彼女は、二歩ほど離れたところに白と桃色、金に緑、きらびやかに輝くそれら色彩に気が付いた。
一歩二歩、近づいてから、スカートを地面に触れないように巻き込みつつ、しゃがみこむ。
「まほうしょうじょの、すてっき?」
そこに転がっていたのは、世に言う『魔法少女』のステッキだった。
長さは三十センチほどか。新品、というには妙に年季が入っているように見えるが、輝きは損なわれていない。大切に扱われている、そんなふうに思えた。
しかし、これは一体どこからやってきたのだろう。
「もしかして、これ鳥が持ってきた的な?」
空を仰ぐも、今は雲一つ見えない青空のみ。鳥の姿はまるで見えない。
傾げた彼女の頬に一筋残された髪が揺れた。
「……ご主人様も似たようなものをたくさん持っているけど、これはご主人様のものじゃないですよね?ご主人様のコレクションはちゃんと棚に入れてありますし……。鳥が持ってきた場合、……警察?おもちゃっぽいけど、高級そうだし……」
うーん、と首をひねる。そして、
「まぁ、いいか」
メイドはつぶやき、ステッキを掴んで立ち上がった。
「どうせ今日は買い物行かなきゃだし!買い物ついでに、警察に届けてこよう!」
彼女は洗濯籠をとり、中にステッキをいれた。
テレビドラマでは、落とし物は警察に届けましょう、といっていた。空から落ちてきたということは、これも落とし物のはずだ。
「ちょっと足を延ばしてお買い物、おまけに警察に行ってみるとか。ふふふ、初めての経験ですね。持ち主さんには申し訳ないですが、ちょっと役得です。ご主人様も、こういう大義名分があれば許してくださるはずですし。ふっふっふ」
メイドは洗濯籠とステッキをもったまま、嬉しそうに笑いながら、ステップを踏んだ。屋敷に戻り、洗濯籠を片付けてから、バスケットに本と財布とステッキを入れ、バス停に向かう。バス停は屋敷のすぐ外にあるので、非常に便利である。
実はあまり遠出してはいけないのだが、ご主人様との出会い頭の事故以降、品行方正なので、少し足を伸ばした商店街に行くのは数か月前に許可されている。その時にバスの使い方も教わった。
まぁ、遠出といっても大した距離じゃないし。あと、警察に届け物しなきゃだし。
徒歩二分でたどり着いたバス停には、三人掛けのベンチが置いてあった。そして、その横には鬱蒼ともいえるほどに葉を茂らせた樹がある。樹は夏の強い日差しを遮り、居心地のよさそうな影がベンチに落ちていた。
メイドはベンチに座ると、バスケットから本を取り出し、しおりのはさんであるページを開き読み始めた。
「あいたッ」
そんな悲鳴が聞こえたのは、読み始めてすぐのことだった。
――まさか、また、何か落ちてきたんでしょうか?
メイドは顔を上げ、声の主を探す。すぐに声の主と思わしき人が見えた。
道路の反対側でパステルカラーの半袖を着た少女が転んでいた。体を起こし、膝を眺めて悔し気に拳を握っている様子を見ると、何かが落ちてきたというより、ただ転んだだけのようだ。
ちょっと安心する。
流石に、ステッキが二個も三個も空から降ってくるのは危険すぎるので。
(ステッキ固かったですし……。でも転ぶのも痛そう……)
そう思いながら、少女を観察する。
長い髪を二つに結んだ中学生くらいの少女だ。勝ち気そうな瞳にきゅっと結ばれた赤い唇。派手な顔立ちは幼さを拒絶する強い意志が見える。メイドは視力がいいのでよく見えるのだ。
――かわいいなぁ。ご主人様と同じくらいかわいい。
少し幸せな気分になってから、あんまり見るのもかわいそうかと気づいて、視線を本に戻す。
「いりせちゃん、おはよう」
声をかけられたので、本を閉じた。顔を上げると、そこには、人のよさそうな腰が曲がった老婦人がいた。
「山本さん。おはようございます」
ついた杖に目をやり、荷物をよけて座るところを作る。
気心知れた近所の知り合いである。ご主人様と二人暮らしとはいえ、仕事が忙しいご主人様はほとんど帰宅しないので人恋しい。そんなときに話しかけてくれる近所の人はメイドにとって大事な知人である。
あと、メイドの出来不出来でご主人様の評価も変わるというし。
「ありがとね、いりせちゃんは今日はどこに行くんだい?」
「商店街へ買い出しに」
「じゃあ、一緒だね」
老婦人はメイドの隣に座った。
「そういえば、最近姿は見ないけど、お屋敷のぼっちゃんは元気かね?」
「元気ですよ。お仕事がお忙しくて、なかなか帰宅されないのですが……」
「心配だねぇ」と言った老婦人に、「そうなんです」と、うなずいていると、バスがやってきた。
老婦人に手を貸し、立ち上がる。
その時、老婦人はメイドの持つバスケットを見て、首を傾げた。
「何だいそれは?」
見るとバスケットからステッキがはみ出ている。
「たぶん、おもちゃだと思うんですけど……、拾いものなんです。警察に届けようかと」
メイドはステッキを取り出し、老婦人に見せた。
「ははは、振ると魔法が使えるってやつでしょう、それ」
「はい。多分、そんな感じのおもちゃだと思います」
「しかし、出来がいいねぇ。最近のおもちゃは凝っているねぇ。そうだ、いりせちゃんだったら、何をお願いする?恋人ができるように、かしら?」
「そうですねー、私はなんだろなぁ」
バスに乗り込みつつ、考えてみる。
(かっこいい人と恋がしたい、は、確かにあります)
テレビでみてきた映画たちを思い出す。
(頼りになる男性は素敵ですよね、かっこいいのもありますけど安心もします……。インディ・ジョーンズもジェームズ・ボンドもかっこいいんですけどあの二人は一途ではありませんし……。やはり一途であって欲しいというのは捨て切れません……。あとは羽が生えていれば最高……)
――でも、恋より先に一つ。
「あはは、まぁ、持ち主にちゃんと返す方が先かしらね」
そういって笑った老婦人に、うなずき返しながら、メイドは小さくステッキを振ってみる。
メイドは心の中で願望を一つ唱えた。
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