第16話 新人・久慈康太

 午前8時。

 後ろの人に押し出される形で満員電車から弾き出され、歩き出す。


 特に何の変哲もない通勤ルートだけれど、未だにこの満員率には慣れない。

 押し出された先であるホームも通勤ラッシュ帯ということもあってか、かなり混雑している。それに月初めだからでもあるのだろう、普段に比べると人の出が多い。

 個人的印象だが、月末月初は常時よりも混んでいる気がするのだ。


 人の流れに沿って歩き、そろそろ改札口が近くなってきた。

 スマートフォンをとりだすためにジャケットのポケットを漁る。


 近年はスマホにクレジットカードやICカードを入れられるのでとても便利だ。

 などと思考していると近くから『ガシャン』と、“いかにもスマホを落としました”という音が聞こえた。

 ついでに言うとスマホが床をスライディングしたような『シューッ』という音も一緒になって聞こえていた。


「あっ」 


 誰かの声が聞こえ、恐る恐る手元を確認する。

 スマホはしっかり手の中に収まっているので、どうやら私ではないようだ。


 ホッとすると同時に、滑ってきたスマートフォンが視界に入る。

 近くを通っていた人間は迷惑そうに、はたまたスマホなど最初から視界に入っていないとでも言いたげに通り過ぎていく。

 少し遠くのほうで焦っている男性の姿があったので恐らく彼があの携帯の持ち主だろう。


 通行の流れを遮りながらスマートフォンを拾う。

 もちろん、邪魔だといわんばかりにぶつかられたり、睨まれたりもしたが。

 朝の忙しい時間だし、仕方ないのかもしれないが……都会の人間はこういうところで冷たさが出るなぁと心の中で独り言ちる。

 彼らと同じように無視してしまおうとも思ったのだが、このまま見て見ぬふりをするのも気が引けたのだ。


「すみません!」


 ようやく人の流れに乗れたようでスマホの落とし主が近くまで来ていた。

 彼は私に申し訳なさそうに頭を下げている。

 真新しいスーツに身を包んでいるので新社会人だろうか。着ているというよりかは着られているといった感じだ。

 そっと彼の手にスマホを戻す。


「いえ。画面、割れてなくて良かったですね」

 

 いつまでも立ち往生するわけにもいかない。

 私は軽く会釈をして、足速にその場を後にした。

 青年が何か言いたげにしていたのが気にかかったが、そのまま振り返らずにオフィスへと足を向けた。





 月初めで賑やかのはホームだけでなく、うちの課もまた同じだった。

 成宮さんが抜けた穴の補填ということで、今日付けで新人が私の下につくことになった。

 新入社員とのことなので、教育担当は夢子に任命した。

 年も近いのであまり肩ひじ張らずに仕事に取り組んでもらえるだろう。


「夢子さんも先輩になるんですね」

「約半年で先輩って、早いですよねぇ」

「そうですかね?」

「そうなんですぅ〜。はぁーあ」

 『先輩』という響きがあまりお気に召さないのか、今日は朝からテンションが低い。

 まぁなんだかんだ言いつつも新人教育のためにマニュアルやら資料やらを集め、分かりやすいように改版しているあたりとてもまじめだ。


「はいはーい! みんな、集まって~」


 課長のゆっるい掛け声がフロアに響く。どうやら新人さんを連れてきたようだ。


 各々仕事を中断して課長のもとに集まる。

 人だかりのちょうど中央に今朝会った青年が緊張気味に肩をこわばらせて課長の横に立っていた。


「初めまして! 久慈康太って言います! 新人で迷惑かけると思うんですけど、可愛がってくれると嬉しいです! よろしくお願いします……ってあれ! さっきの!」


 久慈、と名乗った青年は緊張で声が上ずりながらも、何とか自己紹介をしていた。

 彼が勢いよくお辞儀をして頭を上げたところでバッチリ目が合う。


「あ、どうも」

「いのり先輩、知り合いですかぁ?」


 私と久慈くんのやり取りに夢子が目をまん丸くしている。


「いや、駅で彼がスマホを落としたのを偶然私が拾ったんですよ」

「偶然じゃないですよ! 人も多いのにわざわざ俺のスマホを拾ってくれたんですよ! ……また会えるなんてホント運命って感じですね!」

「う、運命……?」


 急にファンシーな単語が出てきた。

 運命とか言いだす新人に課の人間はいろんな意味で彼に興味を示している。特に今野さんや水島さんは噂話の種が降ってきたので前のめりになって彼と私の動向を確認している。


「今日の占いでも言ってたんですよ、『運命の人に会えちゃうかも……☆ ラッキースポットは人の多いところ☆』って!」


 その占い、多分知っているやつだ。

 夢子と仲良くなるために一時期お世話になったあの占いだろう。占い結果の文章がやけにハイなので間違いない。


「スマホの恩人が同じ会社の人なんてっ! しかもこんな美人さんで……! 漫画の世界みたいでうれしいです!」

「それは……どうも……?」


 勢いが良すぎて押されてしまう。今のなんて返すのが正解なのだろうか。

 マシンガンのごとく喋り続ける彼は思い出したようにポン、と手を打った。


「あ、お名前伺ってもいいですか?」

「この方は都いのりさんって言いますぅ~。私の先輩にあたる人です〜。で、私は桂木夢子って言いまぁ~す。基本的には私から業務を教えることになるのでぇ、よろしくお願いしますねぇ~」


 いつぞや藤沢と飲んでいた時のように冷え切った夢子の声が横から聞こえた。

 ギギギ、と壊れかけのブリキのおもちゃのごとく、無理やり首を回して夢子を確認する。


 にっこりと笑顔で久慈くんを見ているが完全に目が据わっている。

 彼女の髪型だとわかりにくいが、顔に青筋が立っているもの確認できた。

 これは完全にキマっていらっしゃる。


「いのりさんっていうんですね。見た目だけじゃなくて名前まで綺麗って……しかも性格もいいなんて。一目ぼれも漫画にしかないと思ってたんですけど、そんなことないんですね!」


 そんな様子の夢子を一切合切無視して久慈くんは私に話しかけてくる。

 この状況でこの対応ができるのはメンタルが強いどころの話ではない。心臓が鉛でできてるレベルだ。

 というか自己紹介の時の緊張ぶりはどこへ行ってしまったのか。


「あのぉ、私の話、聞いてましたぁ?」

「えっと、すみません、全然聞いてなかったです。なんの御用ですか?」


 話を無視されていたため更に癪に障ったのだろう、夢子は笑顔も忘れて真顔で久慈くんに突っ込みを入れたが自分の世界に入っていた久慈くんは夢子の自己紹介など全く聞いてなかったらしい。


「御用も何もぉ、業務を教えるの私なんでぇ。人の話ぐらいしっかり聞いたらどうなんですかぁ? 初日なんだから」


 夢子の機嫌が急降下していくと同時にフロアの温度も急降下していく。

 嫌味を言われた久慈くんは初めて夢子の顔をしっかり見た。そして申し訳なさそうに眉根を寄せる。


「えぇっと、すみません。昔っから熱中すると周りを忘れちゃうたちで……。改めてよろしくお願いします!」

「はぁ。よろしくお願いしまぁーす」


 真っ向から爽やかに謝られてしまったからか、意外にも夢子は困惑しているようだ。

 わざと煽るようなことを言ったのに乗っかってこないのが想定外だったらしい。

 久慈くんの爽やかな返しにフロアの空気も緩和されてきて周りの人間は皆ホッとした顔になっている。


「あっ! ……すみません。あのー、なんでしたっけ」


 貴女の名前、と彼は最後に爆弾を投下した。

 分からなくなったらしっかり質問を出来るのは良いことだが、聞くのは今のタイミングではなかったと思う。


「桂木夢子でーす。どうぞ、よろしくお願いしまぁーす」

 

 せっかく夢子の中の彼の印象が良くなってきていたのに振り出しに戻ってしまった。消えたと思った青筋も復活している。


「よろしくお願いします! さん!」

「か・つ・ら・ぎ、です!」


 しかも聞いたのに名前間違えてる……。





 そこから夢子の猛攻撃が始まるも久慈くんにはノーダメージのよう。

 夢子が怖すぎるからだろう周りからは人がいなっており、いつのまにか彼と私だけになっていた。


 こんなにバチバチの状態の二人(というか夢子が一方的にキレているだけだが。)が自分の下で働くのかと思うと胃が痛くなる。

 久慈くんは良い子なのだろうが、多分天然だな。

 横目で彼を盗み見ているとばっちり目があってしまった。

 彼は目が合ったことが分かった途端満面の笑みになった。


「ちょっと! 私の話聞いてますかぁ!?」

 夢子が入ってきた時のことを思い出し、なんとなくデジャビュを感じた。

 これからどうなるのだろうか……。

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