第10話 レイトショーと後輩
「いのりせんぱーい、おはようございまぁす」
周囲からの、特に男性陣からの視線が痛い。
2、3ヵ月前までは男性社員にしか声をかけることのなかった夢子が私を始めとする女性社員に挨拶をする様になった……ところまでは良かったのだが、あの宴会から夢子の態度が私限定で変わった。
朝の挨拶から始まり、休憩中や昼食時に必ず私に声をかけるようになった。
声をかけてぐいぐい来る夢子にタジタジになる私。井口さんからは「桂木さんの入社時とは全く逆になってるわね」と言われるほどだ。
しかし当の夢子はというと『周りの視線など別に気にもなりません』と言いたげな態度で、流石は夢子だと感心してしまった。
ちなみに以前のぶりっこキャラよりも今の夢子の方が女性はもちろん、男性からの評価も高かったりする。
「急にキャラ変したけど、サバサバしてて今の方がなんかいいよな」と本田さんが小さく呟いているところで、佐藤さんが「それな」と独り言に返事をしていたシーンを目撃したことがある。
犬猿の仲だったのに最近謎に仲がいい。もしかしたら夢子に振られたのでお互いの傷をなめ合っているのかもしれない。
サバサバ受けが良かったのはこの2人だけではなく、何と成宮さんも夢子に話しかけるようになっていたのには驚いた。
夢子が必死にアプローチしている時には見向きもしなかったのに、ここ2週間で何度か成宮さんが仕事以外で夢子と話をしているところを目撃した。
以前の夢子だったら手放しで喜んでいたかもしれないが、新生・夢子的にはあまり嬉しくないらしく、話しかけられても適当にあしらっていると本人が言っていた。
「いのり先輩、ぜえぇぇったい! 勘違いしないでくださいねぇ?」
と圧強めで言われたので、夢子的には成宮さんとどうこうなろうという気はもうないらしい。
◇
繁忙期が過ぎて業務が落ち着いてきたからか、必然と課長からの無茶ぶりの回数が減り、平穏に過ごせている。
以前までだったら規定通りの12時ー13時に昼休憩が取れないこともザラだったが、今週に入ってからそんなことは一度も無いという快挙だ。素晴らしい。
「先輩、ぼーっとしてたら昼休憩終わっちゃいますよぉ~」
「あっ、すみません。待たせちゃって」
「いいえ~、さ、早くいきましょ」
先に歩き出した彼女に置いて行かれないようにジャケットを羽織る。
……まあ”置いて行かれる”というのは言葉の綾で、先にフロアから出てエレベーターを呼んで待っていてくれるのだ。彼女はとことん気が利く。
夢子に仕事を手伝ってもらう様になってから昼休みも彼女と取るようになった。
前から同じ定食屋で昼食を取っていたので最初、「おしゃれなカフェとかの方がいいですかね?」と彼女に聞いてみた。「先輩が一緒ならどこでもいいです」との返答だったので、なじみの定食屋で変わらず昼食を取ることにしている。
「いらっしゃい! あら、いのりちゃん、お疲れ様!」
『中園食堂』と書かれている暖簾をくぐると気のよさそうな(実際に気の良い人である)女性が声をかけてきた。
「
「こんにちわぁ」
「夢子ちゃんもいらっしゃい! 今日の日替わり定食Aセット、夢子ちゃんが好きなレバニラ定食よ~」
「じゃあ私Aセットでぇ」
「はい、毎度! いのりちゃんはどうする?」
「うーん、焼き魚定食にします」
「はい、了解! 奥の方の席空いてるから好きなところ座っててね~」
中園食堂は社内でも人気の定食屋だ。
ご主人の
最近は夢子を連れていくようになったので彼女も顔を覚えてもらっている。
奥の席につくと、つけっぱなしのテレビからCMが流れているところが目に入った。
『クセがすごすぎる!? あいつらがついに映画化!!!』
以前気になって買ったあの小説が何と映画化していたようで、大体的にコマーシャルを打っている。
もしかしたら買った時にはすでに映画化が決まっていたのかもしれない。
純粋に感動しかけたが、CMで使っているシーンが例のキャットファイトのシーンで正気に戻った。
一応ミステリー小説のカテゴリーなのに使うシーンがこれで大丈夫なのだろうか……?
小説のトリック自体は面白かったのだし、もっと別の部分を使ったら良いのでは、と思わなくもないが、ネタバレしないように興味を持ってもらおうとした試行錯誤の結果がこれなのかもしれない。
しかし、このCMだとなんの映画か分からなくなりそうだが。
「先輩、この映画気になるんですかぁ?」
「そうですね。この原作小説を読んだ事があったので、映画化するとどんな感じになるのか考えてました」
「ふぅーん。原作って面白いんです?」
「面白いですよ。推理要素が小説のあちこちにあるので、犯人が誰なのか推測しながら楽しめますし、映画も多分そういう風になるんじゃないですかね?」
「じゃあ、今日見に行きましょーよぉ」
「ん、えっ! 今日!?」
「今日、でーす。ダメでしたかあ?」
お願いするときだけ困り眉の上目遣いで言ってくるのでたちが悪い。
自分があざと可愛く見える角度が分かっている。夢子の計算され尽くされた視線に私は観念して「分かりました……」と答えた。
「お待ちどう様! Aセットと焼き魚セットね~!」
丁度会話が切れたところで瑞惠さんが定食を持ってきてくれた。
「ありがとうございまぁす。じゃ、いただきまーす!」
夢子の声がいつもよりも弾んでいるように聞こえた。
◇
平日の夜にもかかわらず映画館は比較的混んでいた。
レイトショーだと金額が安くなるので流行っているのだと夢子から話は聞いていたが今実際に見てやっと実感が湧いた。
「そういえばぁ、映画の話って小説の話のまんまなんですかねぇ?」
「調べてみたんですが、映画は書き下ろしの話みたいですよ。原作者がこの映画のために書き下ろした新ストーリーだそうです。設定は小説のままらしいですけど」
「へぇー。じゃあいのり先輩も初めて見るストーリーなんですねぇ」
「はい。原作も面白かったので楽しみです」
あえてキャットファイトの件には触れずに話した。
そこのところだけ差し引けば原作も純粋に好きなので非常に残念だ。
開始のブザーが鳴り、映画前おなじみのビデオカメラ頭の男性が軽快に躍るCMが流れる。
見慣れたCMのはずだが、毎回構成やストーリーがちょこちょこ変わっているので見ていて飽きない。
今回は軽快なダンスだけでは飽き足らず、パルクールを駆使して警察官から逃げている。
見るたびグレードアップしていくがこのビデオカメラさんはどこまで上へ行くのだろうか……。
真剣に次回のCMについて考察しているところで、夢子の方から視線を感じた。
気になって振り向くと彼女が私の顔をガン見していた。ばっちり目があったことにビックリしてすぐさまスクリーンの方へ向きなおす。
人によってはCMの時間は退屈な時間ではあるだろう。彼女も暇つぶしに私の顔でも見ていたのだろうか。
もう一度、今度は目だけで夢子を確認すると彼女はすでにスクリーンに視線を戻していた。
その後は視線を感じることなく、映画が始まった。
小説で読んだときのイメージよりも10倍ぐらいイケメンの俳優さんが主人公の探偵に抜擢されていた。
もうすこし三枚目な感じの人を想像していたのだが、これはこれでありかもしれない。助手2人はイメージと寸分たがわず、どことなくキャストの雰囲気も夢子と井口先輩に似ていた。
鹿鳴館を彷彿とさせる豪華な洋館でのダンスパーティーシーンから映画は始まった。
室内楽アンサンブルが奏でる耽美な音色に合わせて躍る客人たち、そして原作通り、主人公をめぐって争いを繰り広げる自称助手たち。しかもCMで使っていたものとは別のキャットファイトを冒頭からぶち込んできている。
恐らくあと3回はキャットファイトのシーンが来るだろう。原作でも推理そっちのけで助手たちが暴れるシーンが何度か挟まれていた。
音楽がフィナーレを迎えようと豪華になるにつれ助手たちの争いもヒートアップしていく。そして音楽が最高潮に盛り上がった瞬間、室内の電気が一斉に落ちた。
流石の助手たちも停電に驚き、慌てふためく。
そして、バンッという音とともに女性の甲高い悲鳴が部屋中に響き渡る。
いよいよ推理劇の幕開けだ。
私は先ほどまで気になっていた夢子の視線のことなど忘れ映画に没頭していた。
◇
怒涛過ぎる展開をミルフィーユのごとく重ね、助手たちのキャットファイトも重ね、映画はクライマックスを迎えようとしていた。
主人公が犯人を追いかける直前、助手たちによる映画内最後のキャットファイトが繰り広げられている。
トリックやストーリーが面白いのにキャットファイトが挟まるので、そこで現実に引き戻される感覚になる。
スッと没頭していた脳が冷静さを取り戻した瞬間、左側から圧力を感じた。
ゆっくり振り向くと、映画が始まる前のように夢子が私のことを凝視している姿が目に入った。
1回目よりも落ち着いていたのか、あまりビックリしなかった。恐らく彼女もキャットファイトにはあまり興味が無かったのだろう、完全にスクリーンから視線を外している。
数秒か、はたまた何十秒か。
ずっと目が合っていたが、映画の場面が切り替わったのと同時に私はスクリーンに視線を戻した。
主人公が防波堤で犯人を追いかけている。
『まてっ!!』
こんな重要なシーンなのに夢子が見ている気がするだなんて、私が自意識過剰なだけだろうか。
一度気になってしまっては確認せざる負えない。
私は意を決して夢子の方へ首を回す。
『そこまでだ。もう逃げられない。そうだろう?』
そしてばっちり合う視線。
彼女は先ほど一ミリも姿勢を変えず私を見ていた。まっすぐ、私だけ。
『覚悟は出来たか?』
『覚悟しててくださいね』
主人公が犯人にむかって叫んでいるであろう声と、なぜか先日夢子から”宣戦布告”された言葉が脳内でリンクした。
「ふっ」
恐らくとんでもない間抜け面だったのだろう、夢子は破顔一笑するとエンディングに差し掛かったスクリーンへと顔を戻した。
彼女に倣ってスクリーンへ視線を戻したがもう何も入ってこない。
一人取り残されたような気持ちのままエンドロールを眺めた。
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