閑話 『夢』の終わり

 大学受験の結果は華々しいものだった。

 難関大学の数々に合格した私のことを、教育指導の先生は誇らしいと褒めてくれた。


 第一志望校の発表の日、親友の結衣と二人で大学の合格発表掲示板を確認しに行った。

 私は落ちている心配をしていなかったのだが、彼女はそうではなかったらしい。

 気が気じゃない、と待ち合わせてからずっと落ち着かない様子でいた。

 そんな中、自分たちの受験番号を掲示板で発見したのだ。

 彼女は嬉しさのあまり、私を押し倒す勢いで抱きついてきた。

 二人で受かってよかった、と彼女は安堵の表情を見せていた。


 合格発表が終わった後、あっという間に卒業式を迎えていた。

 辺鄙な山の中にある学校だったからか卒業後の進路は十人十色で、気軽に会いに行けるような距離ではなかった。

 それもあってか私たちは卒業式が始まる前からずっと泣いていた。

 結衣なんか登校直後から泣き始めていた。

「絶対また会おうね」という約束はついぞ果たされなかったが、私のなかではいい記憶として残っている。





 大学生になってから結衣と行動することが高校生の時より増えていた。

 同じ授業を取っていたこともあり、いつも彼女と過ごしていた。

 バイトに勉強に、忙しいけれど充実した毎日を過ごしていた。しかし、そんな生活に陰りが差した。


 生活に慣れ始めた秋、後期の授業が始まったときのこと。

 その授業は履修している人が多く、隣の席もぎちぎちに詰まっているような状態だった。

 私は例に漏れず結衣と一緒に履修していて、後ろの方の席にいつも座っていた。


「あの、すみません。隣の席、座っていいですか?」


 ちょうど私の隣の席が空いていたので声をかけられた。


「どうぞ」


 机に広げていたノートやペンを自分の方に寄せ、場所を作る。

 そこで初めて顔を確認するとミスターコンに出場すると話題になっていた人が立っていた。


「ありがとうございます。いや、席が空いてなくてビックリしました」

「そうですね、私もこんなに人がいると思ってなかったです」


 ははは、とお互いに愛想笑いをしていると見かねた結衣が間に入ってきた。


「ちょーっと! なんで合コンみたいなやりとりしてんの!」

「いや、人見知りだから、緊張しちゃって」

「もー。夢子ってばぁー。あ、私、この子の友達の笹森結衣です! で、この子が桂木夢子」

「あ、どうも。俺は柳沢智樹です」

「知ってますよー! ミスターコンに出るんだもん!」

「あ、ホントですか? なんか恥ずかしいな」

「てか、1年生ですよね? じゃー、タメで平気か! 私も1年なんで!」

「そうなんだ。えっと、桂木さんも?」

「はい。1年です」

「夢子、同い年なのに敬語じゃん~」

「だって同じ学年でも年が違うって結構あるから」

「あ~、たしかに……」

「それについては平気だよ」

「だそうですよ、夢子さん!」

「取り越し苦労でよかった」


 教授が教室に入ってきたためこの会話はここで終わりになったが、授業後改めて連絡先を交換した。

 この授業をきっかけに彼とは仲良くなった。

 他の授業も被っているものは彼とも一緒に受けたし、空きコマが一緒の時は3人でカフェに行ったり、散歩したりして時間を潰した。

 私から連絡を取ることはあまりなかったが、結衣が頻繁に連絡を取っていたらしい。結衣と会うときは必ず彼が傍にいた。


 会う回数が増えれば必然と話す回数も増える。

 結衣を挟まなくても彼と会話することも増えそれに慣れてきたころ、彼から直接連絡が来るようになった。

「友達の誕生日プレゼントを一緒に選んでほしい」と言われて休日に出かけたのを皮切りに、休日に2人で出かけるようになった。

 今思えば友達の誕生日プレゼントなんてただの口実だったのだと分かるが、あの時の私には全く分からなかった。ただ「そうなんだ」ぐらいにしか捉えていなかった。


 結衣抜きで会うことが増えていたので、一度「結衣も誘おうよ」と言ったことがあった。

でも彼は「うーん。結衣、今忙しそうだから。あんま誘っちゃ悪いかなーて思ってさ」と言ってあまりいい顔をしなかった。

 智樹といる時間が増えてくるのと比例して結衣と過ごす時間も減っていた。彼に言われた「忙しい」を真に受けてしまい、彼女に頻繁に連絡しないようにしていた。



 学園祭が終わり学校全体が落ち着いてきた12月の始め、智樹から急に「付き合ってほしい」と言われた。

 私としては本当に突然のことで、どうしていいか分からなくなった。


 誰かに相談したくて、でも友達も彼ら以外にいなかった私は結衣に連絡をした。

「智樹に告白された。どうしたらいいかな?」と。

 頻繁に連絡をしなくなったものの今まで通りSNSでやり取りしていたのに、この連絡だけ既読のまま返信がなかった。それを「やっぱり忙しいのか」と勝手に結論づけてしまった。


 結衣から連絡が返ってこなくなったのと同時に智樹からの連絡も来なくなった。


 何だか様子がおかしい。

 そう感じたが深くは考えなかった。

 たまに連絡が来なくなることがあったから、きっと今回も同じだろう、と思っていた。

 これが私の人生を最悪の方向へ進めてしまった出来事だったということも、この時の私は露も知らなかった。



◇ 



 2人と連絡が取れないまま、連休が明けた。

 同じ授業をたくさん履修しているから教室で会えるだろうと踏んで学校に行くと、なんだか周りの人間から見られているような気がした。


 気のせいかと思ったが明らかに見られている。

 それも小・中学校時代を彷彿とさせるような目で、だ。耳が周りの音を徐々に拾っていく。


「うそ、あの子が?」

「見えないよねー。何人と寝たんだろ」

「清楚なふりして実は? みたいなやつかー。人は見かけによらないっていうじゃん?」

「こわー」

「俺も頼んだらOKだったりすんのかな?」

「やべーなお前。でもワンナイトだったらワンチャンじゃね?」

 

 色んな音が入ってくる。品定めするような目、侮蔑するような目。色んなものがごっちゃになって私に襲い掛かってくる。

 どうしてこんなことになっているのかも分からない。


 教室に入ると、いつもと違う席に結衣と智樹が並んで座っているのが見えた。

 教室に入ってからも好奇の視線は終わらない。

 助けてほしい一心で二人に駆け寄るも、私が視界に入っていないようで話続けている。


「あ、あのっ」


 堪らず声をかけると、二人が私の方を見た。でもそれは期待していたものとは正反対だった。

 智樹からははっきりと侮蔑が見て取れる目、結衣からは親の仇を見るような目で睨まれている。


「あんな事しておいてよく話しかけられるよね」

「えっ?」

「とぼけないでよ! 私の彼氏と寝てたくせに!!」


 結衣の金切り声が教室中に響く。

 彼氏のことなんて今初めて聞いたのに、なんで私は結衣に怒鳴られているんだろうか。


 突然の大きな声に周りが水を打ったように静かになる。

 結衣は息を整えるとボロボロと泣き始めた。智樹がそれを支えるように背中をさする。


「あのさ、もう俺たちに関わらないでくれる? いくらなんでもおかしいだろ。友人の彼氏と寝るような人間と知り合いでいたくない」

「まってよ。私、本当に知らない」

「よく言うよっ! 初めて寝たのが実のおじさんだった癖にっ!」

 

 涙声になりながら結衣が言う。

 その言葉を聞くや否や周りからぼそぼそと「え? マジ?」「きっもー」「やべぇ。マジか」と声が漏れてくる。


「大学生になったらこんな自分を変えたい、って言ってたのにっ。全部っ、全部、嘘だったんだっ! 私、信じてたのに、っ信じてたから、高校の時からっ、ずっと、うぅっ」


 結衣が手で顔を覆う。

 でも指の隙間から見えたのは、泣いているはずの顔から笑みがこぼれているところだった。

 周りの目が全て私に集まっているからか、私しか気づいていない。


「もういいよ。結衣。……桂木さん、どこか行ってくれませんか」

 

 智樹が冷たく言い放つ。

 少し前まで結衣に冷たくしていた人間とは思えないぐらい、彼は結衣に寄り添っていた。



 私の知っている結衣は、もうどこにもいない。

 ここには誰も私の味方はいない。

 




 ふらふらと覚束ない足取りで、教室から出る。


 廊下に出ても、どこを歩いていても周りからの好奇の視線がついて回ってくる。

 そんな目から逃げたくて下を向いてヨロヨロ進んでいると誰かとぶつかった。


「おいっ! 前見ろよ!」

「すみません……」

「あれっ? この子あれじゃん? 1年の間で有名になってる子」

「あー! あの子かぁ!」


 明らかに品のなさそうな人たちが私を品のない目で見ている。


「友達の彼氏寝取って、初体験が叔父さんだった子、だろー!」

 

 おどけた声が聞こえた瞬間、頭の中でプツンと何かが切れる音がした。



 頭が真っ白になって何も考えられない。

 ぼんやりする意識を必死に手繰り寄せる。


 まず目に入ったのは知らない天井と知らない男の人。

 ビックリして起き上がろうとするも何だか体がだるくて上手く起き上がれない。


 2度寝に失敗したときみたいに、のろのろと起き上がるとなにも着ていない自分の体が視界に入る。


 ああ、そっか。


 自分の状況が上手く飲み込めたときに分かった。

 皆が思っているような人間になれば好奇の視線に晒されないんじゃないかって。

 人を信じるくらいなら利用するほうが心が痛まなくて済むんじゃないかって。



 そこからはボールが坂道を転がり落ちるような速度で変わっていった。

 2年生に上がるころには地毛だった髪の毛は明るい茶色にした。

 服装も地味目なものから露出した服へ変えた。


『皆が思っているような人間』になるのは簡単だった。


 まずは同じ授業を取っていた別の人と。

 次は同じバイト先にいる人、全員。それが終わったら誰かの彼氏だって言っていた人。


 次々と男をとっかえひっかえにして食い散らかしていった。


「俺たち、付き合ってたんじゃなかったのか!? 遊びだったのか」

「まってくれ、捨てないでくれ!」

「ふざけんじゃないわよ! このっ泥棒猫!!」


 攻略出来たら次へを繰り返す毎日はゲームのようで、楽しささえ覚えた。

 気が付けば私に話しかけてくる人間は、男も女も私と同じようなクズばかりになっていた。

 周りが似たような人間で固まり始めると、野次はだんだん文句を言わなくなった。どんなに悪評がつこうとも構わなかった。





 毎日違う男の家に転がり込むようになったある日。

 顔を洗おうと洗面台に行き、鏡を見て気付いてしまった。

 私を捨てた母と同じ顔になっている、と。


 ああはなりたくない、ああはなるまい、と心に誓っていたのに。

 結局、カエルの子はカエルということなのだろう。


 そのことを自覚すると無性に腹が立ち、人の家だということも忘れ、鏡を強く叩く。

「えっ! どうしたの!?」と遠くからする声にとっさに「ごめんねぇ、虫がいたのぉ」と誤魔化した。


 あれから鏡は苦手だ。

 見た目を整えるために見ることはあれど、じっくりみることは無くなった。



 就職した後も大学時代と変わらず、過ごしていた。


 始めは教育係についてくれた先輩と、その後は直属の上司と関係を持った。

 入社後1ヵ月で私の噂は社内に広まっていた。女性社員から冷たい目で見られてもやめなかった。直属の上司と関係を持ったことを利用して、陰でコソコソいじめてきた人間を辞職に追いやったこともあった。


 自分の周りは全て順風満帆だった。……たった3ヵ月だけだったが、私の天下だった。


 上司の奥さんに私との関係がバレてしまってから状況は一気に悪化した。

 もともと奥さんとは社内恋愛ののちに結婚したそうだが、今は産後すぐで休職しているため社内にはいなかった。

 そのため上司と私の関係を知らなかったらしいが、彼女を心配した会社の同僚が連絡を入れて、そこから事態が発覚したようだ。


 それまで私の味方をしてくれていた上司の態度は180度変わった。

 私と適度に距離を取るようになったし、いつもは引くぐらいSNSで連絡を入れてきていたのにピタッと連絡が来なくなった。

 その後、恐らく上司が圧力をかけたのだろう、人事部から希望退職を募る連絡が私宛に届いた。”希望退職”と銘打っているが、つまるところ自主的に退職届を出させようとしているのだ。


 初めは若い女の子と関係を持てて嬉しそうにしていたのに、とんだ手のひら返しだ。しかも上司の方は「言い寄られて迷惑していた」と証言しているそうで、私と肉体関係があることを隠していることが分かった。

 自分だけ安全地帯にいるだなんて、虫のいい話だ。


「こちら、お願い致しますぅ」


 1年も経っていないのに退職届を提出するだなんて考えもしなかった。

 殴り書いたせいで『退職届』という文字がへたくそに歪んでいる。


 私から退職届を受け取った上司は安堵の表情を漏らした。

 私さえ消えれば奥さんに後ろめたいことが無くなる、とでも思っているのだろう。

 

 一人だけ幸せになろう、だなんて。絶対に、許せない。



 退職日を迎えた。

 丁度、上司の奥さんが職場復帰をする日だと事前に聞いていたから退職日をわざと合わせたのだ。


 上司から私の退職が皆に発表された。

 特に思い入れはない、と言いたげな表情でチーム全員が興味なさそうにしていた。 

 上司の奥さんが私のことを睨みつけていたぐらいが特筆することだった。


「じゃあ、桂木君から何か皆にあるか?」

「みなさんに、じゃあないんですけどぉ……」


 わざとらしく甘ったるい声を出して、上司の奥さんの前へと歩みを進める。

 彼女は私が想定外の動きをしてきたことに驚きを隠せない様子だ。


「白石さん、知ってましたぁ? 真さんってぇ脇舐められながらするのが好きらしいですよぉ? 奥さんに言ったことないって言ってたんでぇ、教えてあげますねぇ。どうぞお幸せにぃ~」


 わざと周りに聞こえるように大きな声を出した。

 すると周りからは「え?」「やっぱそういう?」「不倫じゃん……」という声が聞こえてきた。いつか見た光景にそっくりだ。


 上司は顔面蒼白、上司の奥さんは怒りで顔が茹蛸のように真っ赤に染まっていた。

 流石にこの場で私に殴りかかって来ることはしなかったが、先ほどよりも据わった目で私と上司を睨んでいる。


「お世話になりましたぁ~」


 この空間に似つかわない間延びした声で誰かに向けてでもなく言葉を発する。

 返事の返ってこない音がむなしくフロアに反響した。

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