第9話 『桜と同じで見ていて飽きないきみ』
満開の桜が競う様に咲き乱れている。
丁度見ごろを迎えた桜を一目見ようと公園には老若男女問わずたくさんの花見客が集まっている。金曜の夜ということもあり花を肴に飲み始めている人達もいて辺り一面お祭りムードだ。
所狭しと敷き詰められたブルーシートの合間を縫って進む。
この区画はどの方向からも桜が楽しめることもあってか、すでに人とブルーシートでごった返していた。
今回佐藤さんが取ってくれた場所は公園内の数ある花見スポットの中で一番競争率が高く、人気の場所だ。
朝から陣取っていないといけないぐらい毎年場所取り戦争が勃発しているので私も今回初めてこの場所に来た。
先日のじゃんけん大会で負けた佐藤さんは文句は十二分に言っていたが、皆が楽しみにしていることも分かっていた。
真面目過ぎる彼は朝5時から場所取りを開始し、私たちが公園に来た18時まで忠犬ハチ公の様に広げたブルーシートの上に正座で待機していた。
皆、佐藤さんに激励の言葉をかけると彼は得意げに朝5時から待機していた経緯を話し始めた。
普段だったら誰も聞かずにスルーされているが今日に限ってはそんな人もおらず、終始佐藤さんは上機嫌で話していた。
あれやこれやとしている間に、今野さんと水島さんが手際よく紙コップに酒を注ぎ、買ってきていたおつまみや総菜を配っていた。「若い子たちは自分から動かないからァ!」と言いながらも、いやいやではなく率先して動いてくれるからありがたい。
全員に酒が行き渡ったことを確認し、課長がスッと立ち上がる。
「よし! 皆にいきわたったかな? それじゃあ、桂木さん、これからもよろしく! カンパーイ!!」
カンパーイ、と言う声とともに隣同士や近くに座っていた者同士で紙コップをぶつけ合う。
ジョッキの様にガラスがぶつかり合う音こそしないものの、コップを合わせるごとに皆と意気投合出来たような気がして心地よかった。
今日の主賓である夢子も男女問わず色んな人と紙コップをぶつけ合っていた。
前のように作った笑顔ではなく、心から笑っている顔だった。
彼女もまた今日の花見を楽しみにしていた一人だったようだ。
「お疲れ様です」
「成宮さん、お疲れ様です。向こうで飲んでなくて大丈夫ですか?」
「うん。向こうにいるとお酒をたくさん注がれちゃうから。都さんの傍なら安全かな、と思って」
さっきまで課長や係長のいるブロックにいたはずの成宮さんがいつの間にか私の隣に腰かけていた。
確かに課長はザルなので気付いたら周りの人間を潰してしまう。
そのため課の飲み会では本田さんをはじめとする酒に強い人間で課長の周りを固める作戦を取っている。
成宮さんも酒が別段弱いわけではないが、飲まされすぎて気持ち悪くなったことがあると言っていたので逃げてきたみたいだ。
「課長いつもやばいですもんね」
「ちょっと桂木さんが心配だね」
「いや、夢子さんは……」
夢子は課長の真横に座っているためか、成宮さんが心配そうにしている。
しかし夢子がハイボールや山崎のロックを浴びるように飲むことを知っているので、むしろ周りにいる人の方が心配になった。
成宮さんに「彼女、酒豪なんで多分平気です」と言いたかったが、夢子に睨まれている気がしたのでやめた。
気のせいかと思い彼女の方を盗み見るとばっちり目が合ってしまう。
かなり怖い顔でこちらを凝視していた。
「え? 桂木さんは?」
「いえ、何でもないです……」
自分の身が可愛いので言わないことにした。
成宮さんは頭にはてなマークを浮かべていたが、私がこれ以上何も言わないと分かるとそれ以上は言及してこなかった。流石、空気の読める男は違う。
「桂木さん、すっごく変わったよね」
「確かに変わりましたね。何がきっかけなのかは全然、分からないんですが」
「ふふっ、都さんはそうだろうね」
「え、成宮さんは分かるんですか?」
「うん、なんとなくだけどね。でも教えたら怒られちゃいそうだから言えないな」
口元に人差し指を持ってきて、悪だくみをしている子供のような笑顔でそう言った。やっぱりイケメンはズルいな、どんな顔でも様になる。
でもこの感じだと何を言っても教えてくれなさそうだ。
聞くのを諦めると成宮さんはとびきりの笑顔で夢子の方を見た。
でも一瞬だったので、夢子を見たかどうかは怪しい。
私は成宮さんの一連の行動が分からずに首を傾げたのだった。
◇
宴会が中盤に差し掛かったくらいで課長がこちらに来てしまったことにより、成宮さんは宴会の中心に戻らざるを得なくなってしまった。
成宮さんの近くでちびちび飲んでいた私にも白羽の矢が立ってしまい、二人して酒豪達が集まるブロックへと引きずり込まれた。
宴会の中心ではすでに酒が回り始めた人たちが肩を組み歌い、そして酒を煽っていた。
先ほどまでとは比べ物にならないくらい酒臭いこの場所でほぼ素面の人間が混じっていることは許されず、私と成宮さんはとんでもない量の酒を注がれた。
人がいい成宮さんは私を巻き込んだことに罪悪感を感じたらしく、ちょくちょく私の分をバレないように飲んでくれようとしてくれた。
しかし私は一刻も早くこの場を去りたいので、その申し出を丁重に断った。
注がれる酒を吐かない程度に飲み、いい塩梅で話が盛り上がる瞬間を待った。
そして場が最高潮にあったまった瞬間、隣に座っていた人にだけ「私、お手洗いに行ってきますね」と伝え無事に離脱することに成功したのだ。
周りの人たちは笑うのに一生懸命になっているおかげで私が抜け出そうとしていることに気付いていない。
なるべく気配を消して、足早にこの場を後にした。
敷き詰められたブルーシートを避けるように人がいないほうへと流れる。
来た時よりも花見客が減っていることに気付き、腕時計に視線をやると現在時刻は午後10時13分。
そろそろ終電がなくなる時間になるためか、ぽつぽつと帰り支度をしているグループも何組かいた。
ちょうど人がいなくなった辺りがうすぼんやりと明るい。
好奇心に駆られ近づいてみると夜桜観賞用の提灯が道に沿って設置されていた。
暖かい橙色の光が照らし出す桜はなんとも幻想的だ。
せっかく花見に来たのに満開の桜を堪能できていなかったのだ、少しくらい眺めていたって罰は当たらないだろう。
そう思い立って私は桜の下に移動した。
はらはらと舞う桜が提灯の光を受け、花弁を炎のように染め上げている。
風に身を任せた炎は近くを流れる川に吸い込まれるように落ちていく。その後はゆったりと流れに沿って、河口へと運ばれていくのだろう。
「せーんぱい、こんなところで何してるんですかあ?」
川を覗いていたので気配に全く気が付かなかった。
危うく落ちそうになりながら振り返ると、今日の宴の主役であるはずの夢子が突っ立っていた。
「少し、夜風に当たろうと思いまして……夢子さんこそこんなところにいて大丈夫ですか? 今日の主役なのに」
「別に大丈夫だと思いますよ~。私がいなくてもすごい盛り上がりようでしたしぃ」
私が抜け出した時よりも更に騒がしくなったのだろう、夢子が「ほーんと、皆はしゃいでましたよ」と魚が釣れてから1週間経った後のような顔をしていたのでなんとなく察した。
「しっかも、酔った勢いに任せて『夢子さんが仕事できたのってなんか意外でした!』とか『こんなに飲んでも大丈夫ってすごい! めっちゃ酒豪じゃん!』とか言ってくるんですよぉ。ほんっと失礼ですよねえ~」
「夢子さんが仕事できるってわかったとき、皆さんぽかんとしてましたしね」
あえて酒豪というコメントには反応しなかった。
私の後ろめたい気持ちなど露知らず、夢子は続けた。
「あの顔はちょっと面白かったですよねぇ。ま、先輩に前に指摘された通り、隠してたんで。当然の反応っていえば当然なんじゃないですかぁ?」
なぜ隠しているのかと彼女に聞いたとき、彼女は「女は男のアクセサリーなんだ。かわいく守られる存在であるべきなんだ」と言っていた。
どうしてそう言ったのか知りたい気持ちもあるが、今の仕事に対する彼女の姿勢や皆への態度を見るにそれを聞くことは野暮なことだろう。
彼女は自分を隠し偽ることを辞め、自分らしく生きていこうとしている。
何も隠すことなくさらけ出すというのは怖いことのはずなのに、彼女はそれを選んだのだ。
「……大丈夫、ですか?」
自分でも意図せず口から言葉が漏れてしまった。
私も驚いているが、夢子は私以上に大層驚いている。
思っていたことがそのまま口に出てしまったので、この先言葉を続けるべきなのか、否か……。
ぐるぐると考えている私をよそに彼女は少し思案する様子を見せ、そして口角を上げ不敵な笑みをこぼした。
「もちろん。だいじょーぶ、ですよ?」
彼女には私の考えている事が分かった様で、「今のこの状態のほうがやりやすいこと沢山ありますしねぇ~」と楽しそうに笑って見せた。
彼女の言葉の終わり、見計らったかのように強い風が吹く。
提灯の明かりが風で揺れた後、桜が一斉に闇夜へと舞い上がり風にあおられ、散る桜が私たちの上に降り注ぐ。
髪を抑えることなく桜吹雪を眺める彼女はまるで映画のワンシーンの様で、私は思わず息を飲んだ。
「『春霞たなびく山の桜花見れどもあかぬ君にもあるかな』」
ひらひらと頼りなさそうに降りてくる花弁を手に取り、夢子がおもむろにつぶやく。
穏やかな眼差しを携えた彼女の瞳は桜から移り、まっすぐ私を捉える。
「先輩は今の意味、分かりますかぁ?」
「えっ? いや、全然分からなかったです……」
「ふふっ。ですよねぇ」
見とれていたので全然聞いていなかったです、とは言えず、とりあえず分からないと答えてしまった。
彼女から何か解説でもあるのかと思ったが、そういう訳でもないらしい。
的を得ずに首をかしげている私を彼女は愉快そうに眺めている。
「これは、一種の宣戦布告、ってヤツなんですよ。」
「えっ! 宣戦布告!?」
聞きなれない単語に思わず声が裏返ってしまった。
宣戦布告される様なことなんて心当たりが全くない。夢子を追いかけまわしていた時のことはすでに許してもらっているはずだし……。
普段碌に思考しない人間が頭をフル回転させているので頭がオーバーヒート寸前だ。
考える時の癖で上を見上げている私に軽い足音が近づく。
「そうです。な・の・で、覚悟をしてて下さいね。いのり先輩!」
上目遣いで私の顔を見上げウィンクする彼女にとうとう私の頭はキャパオーバーでフリーズした。
今理解できたのは夢子が満足そうにしている、ということだけだ。
桜が舞い散る中、私は迷子の子どものように手を引かれ、宴会の会場に戻るのだった。
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