オフィスに恋はつきものらしいです。

若桜紅葉

第1話 新人・桂木夢子

みやこさーん。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」


 午前9時半、ちょうど本腰を入れ始めたところで課長に呼ばれた。

 この人はなぜか集中し始めるタイミングで来るので間が悪い。


「はい、なんでしょうか?」


 声をかけられた以上無視するわけにもいかないので、いったんPCモニターから視線を外して返事をした。

 そんな私の葛藤など露も知らない課長は常時よりもテンション高めで話を続けた。


「いやあ、新人さんがくるから、都さんに教育係をお願いしたくてさぁ! 仕事ができる人といったら都さん、みたいなとこあるしねぇ!」


 課長が人をしきりに褒めるときというのは大抵、頼みにくいことを頼むときと決まっている。

 課長のおべっかを不審に思うものの、サラリーマンである以上(サラリーウーマンと言った方がいいかもだけれど)上からの指示は絶対なのでおとなしく従わなければならない。


「承知いたしました。ところでその新人が来るのっているなんですか?」

「今日!」

 

 今日!?と思わず聞き返してしまうところだった。

 いつも突拍子のないことをいう人だとは思っていたが、まさかここまでだとは思っていなかった。

 新しく人材が入ってくるときは1ヵ月ぐらい前にその旨を伝えてくるはずなのだけれど、この課長に関してはどうやら違ったようだ。


「じゃ、新人さん迎えに行ってくるから、準備ヨロシクね~!」

 

 漫画であったら『るんるん』と効果音が付いていそうなくらいご機嫌な足取りでフロアを出ていった。

 嵐が過ぎ去った後、乱されたペースを取り戻すために、一度深呼吸をしてから体制を持ち直す。

 

 ……よし。

 

 今日するはずだった仕事をいったん端によけ、新人教育のマニュアルを準備し始めた。





「都さん、大変だよねえ。いっつも急に仕事ふられて」

 

あらかたマニュアルが揃ったところで先輩の今野いまのさんが声をかけてきた。


「あーまあ、慣れましたので」

 

 なんと返すのが正解かわからず適当にお茶を濁して答える。


「ホントよね! 嫌だったらしっかり嫌って言わないとダメよ!」

 

 先輩(その2)の水島みずしまさんも加勢してきたので、曖昧に笑いながら「ありがとうございます。」と返す。


 誰かを労っている様に見えてこの2人はおしゃべりに興じたいだけなのだ。変に謙遜をしても微妙な顔をされるのがオチだということを私は知っている。

 この課に配属されたばかりのころ、一度経験済みなので間違いない。


「そうそう! 今日配属になる新人さん、やっぱり女性みたいなんですって! それも20代前半!」

「嫌ねえ。若い女の子が入ってくるから課長ってばあんなにテンション高かったの~?」

「みたいなの! ホント、オフィスの花なら私たちだっているのに失礼よねえ!」

 

 まあ、あなたたちはオフィスの花というよりはラフレシアでしょうけど、と心の中でツッコミを入れておく。


 私たちの所属する企画管理課では若い女性が全然いない。最年少が28歳の私で他の人は皆30歳以上になる。

 そもそも私たちの課は女性の総数が他の課に比べても少ない。そういう諸々の理由があって若い女性社員という存在が貴重になってしまう心理もわからなくはないが。

 

 そんな会話を流し聞きしているところでフロアの扉がバンッと大げさに開けられた。

 どうやら課長が新人を連れて帰ってきたようだ。


「はーい、みんなしゅーごーう!」

 

 ご機嫌でオフィスを出ていった課長がさらにテンション高くなって帰ってきた。





 私含め企画管理課の社員たちは各々仕事を一時中断して集まった。

 課長は全員が集合したことを確認した後、隣にいる女性を手で指した。


「はい。こちら今日から配属になった桂木夢子かつらぎゆめこさんです! みんな仲良くしてあげてね!」

  

 課長の紹介に預かり、課長の後ろあたりにいた女性が皆の前に出てくる。


 ふんわりと毛先だけ丁寧に巻かれたミルクティーを思わせるベージュ色のロングボブ、くりっと大きく垂れ目っぽい瞳。

 丁寧に施されたナチュラルメイクが素材の良さを引き立たせている。

 アイドルと言うよりも女子アナウンサーにいそうな顔つきだ。服装も柔らかそうなブラウスとふんわりしたシフォンスカートだったので女子アナウンサーっぽさを助長させていた。


「初めましてぇ。桂木夢子って言いますぅ。皆さん、ぜひ夢子って呼んでくださいっ! 今日からよろしくお願いしまぁーす」


 計算され尽くされた上目遣いで主に男性社員に対してアピールをしていた。


 今時、ひと昔前に流行ったぶりっ子キャラを見ることになるとは。

 思わず感激してしまった。

 

 ちらり、と周りの人間を確認してみるとやはり女性社員には受けが悪かったみたいで、全員忌々しげに彼女を見ている。

 一方男性社員は、ある一人を除いて皆いつも以上に……ちょうど桂木さんの横にいる課長の様な調子でニコニコしていた。

 

「とりあえず、名前だけでいいから挨拶しようか!」

 

 と課長から声掛けがあったので桂木さんに皆が自己紹介をし始める。

 女性と男性で声のトーンだったり、態度だったりが全然違ったので見ている分には面白かった。

 私も例にもれず前の人に倣って自己紹介をした。


「じゃあ紹介も終わったし、都さん以外は解散〜!」

 

 課長が名指しにしてくれたおかげでこの場にいる人間の視線が全て私に注がれた。


 正直、好奇の眼差しは気分が良いものではない。

 課長は細やかな気を配れる人間でないことは知っているし、悪気がないのもわかっているのだが、それはそれ。一発で良いから腹を殴らせて欲しい。


「さっき自己紹介してもらったけど、こちら桂木さんの教育係の都さん。分からないことがあったら彼女になんでも聞いてねー」

「都いのりです。今日からよろしくお願いいたします」


 課長から紹介されたので、テンプレートな挨拶をし、軽くお辞儀をする。

 先ほどの挨拶と全く同じ文言になってしまったが、桂木さんも課長も特段気にしていないようだった。


 頭を下げた状況で視線だけで彼女の顔を見てみると、一瞬だけ可愛らしい顔が限りなく無表情になっていた。


「こちらこそ、よろしくお願いしますぅー」


 笑窪に力が入りすぎて若干引き攣った笑顔になっていた。


 おおかた男性が教育係につくと思っていたのに私がのこのこ出てきたのがお気に召さなかったのだろう。課長の目があるから根性で笑顔を作っているようだ。

 なるほど、ボロは絶対に見せないようにしているのか。ここまで徹底していると逆に清々しい。


「それじゃ、都さん。あとよろしく!」

 

 それだけ言うと課長は自席へと戻っていった。

 

 会社や部署の説明も全て私からしてくれとのことだったので、桂木さんと一緒に個室のミーティングルームへと向かう。

 一応、話を振ってみるものの、「はい。」とかそんな相槌ばかりで、終始桂木さんは静かだった。





 ミーティングルームに鍵をかけ彼女に座る様に促すと、「はあ」とわざとらしい大きめのため息が聞こえた。


「えーっと。桂木さん、大丈夫ですか?」

「別に体調は問題ありませーん」

 

 人の目がなくなった瞬間にキャラが変わってしまった。

 喋り方も間延びした甘ったるい猫撫で声ではなく、テンション低めの喋り方になっている。今の声がおそらく地声なのだろう、想像よりも低い声だった。


「そうですか。なら良かったです。では桂木さん、改めて。都いのりです。よろしくお願いします」

「……よろしくお願いしまぁーす」


 一応反応を示してはくれたもののものすごく不機嫌そうだ。


「あーあ。どうせだったら成宮さんが教育係が良かったなぁ〜」


 丁寧にまかれたカールをくるくると指先でもてあそびながら、少しも声量を落とさずに言い切った。


 成宮さん、というのは我が社で1番のイケメンと称される成宮一樹なりみやかずきのことだ。

 顔が整っているだけでなく、仕事もでき周りへの気配りもしっかりできるというハイスペック人間で、女性社員からの人気も圧倒的で毎日肉食系女子たちに囲まれている。……さながらハイエナに狙われる草食動物といったところか。


 部内外からも絶大な人気を誇っているうえ、男性社員からの信頼も厚いという有能ぶりだ。

 ちなみに桂木さんを見て唯一鼻の下を伸ばさなかったのは彼だ。おそらく肉食系女子たちの猛アピールに慣れてしまっているため、先程の桂木さんの自己紹介ごときではなびかなかったのだろう。


「あー。あと、皆さんがいるところでは夢子って呼んでください。仲悪いと思われたら印象悪くなるんで」


 成宮さんからの、と末尾に着くのだろうなと察してしまった。

 どうやら出社してからたった数分で彼女のターゲットも成宮さんになってしまったみたいだ。


 今頃課長から回ってきた大量の仕事に追われているであろう成宮さんに心の中で合掌した。


「分かりました。じゃあ、夢子さん、で良いでしょうか?」

「別に今は他の人もいないんで苗字でいいでぇーす」


 ……なんだこいつ。


 思わず口に出そうになったのでキュッと口をすぼめた。

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