四日目

 自転車、特にロードバイクで峠道を登ることをヒルクライムと言ったりする。もちろん、山の頂上まで舗装道路が続いていることはほとんどないから、自転車での登りは峠の最高点で終わってしまうことが多く、登り切ったあとも山の頂上のように三六〇度の展望が開けるわけではない。


 登りだけに関して言えば、自転車も登山も同じような筋肉を使う。でも、自転車でヒルクライムをしている人は知らないかもしれないけれど、登山をしている人ならだれでも知っていることがある。


 それは、少しでも足を動かし続ければ、必ず頂上に着くということだ。


 自転車のヒルクライムはそうは行かない。自転車という乗り物の構造上、ある程度のスピードが出ていないと走れないからだ。だから、自転車には「登れない坂」があり、自転車が走り続けられる速度を維持できない坂道は登れない。でも、登山にはそれがない。もちろんあまり急になるとロッククライミングになるから、そうなればそれなりの技術が必要になってくるのだけれど、靴底と地面のフリクションで立っていられる坂道ならば、誰でも自分に見合ったペースで登り続けることができる。


 そのペースは、急登であれば一歩の歩幅が靴の長さと同じくらいであることも珍しくない。それでも、たとえ一時間に二百mしか登れなくても、七時間かければ千四百mの比高を登ることができる。千四百mというのは富士山の富士吉田口から山頂までの標高差とほぼ同じで、日本の山にある一発の登りとしては非常に大きな部類になる。


 具体的に言えば、アルプスクラスの標高を持つ山に、麓から登り上げるときにしか現れない標高差だ。だから、縦走でいったん稜線に上がってしまうとそこまで大きな標高差は現れない。ただ、稜線に上がっても次々とピークを越えるたびにアップダウンが繰り返され、結果として積算で千m以上の標高を登らなければならない日はざらにある。


 そして、南アルプスはその一つ一つのピークが大きい。稜線を歩いているのに五百m以上の登りや下りがある。今日は今山行で一番厳しい日で、五百メートルの比高を二回登る。そしてその間に数えきれない登りが待っていた。


 今日登る三千m峰は赤石岳と聖岳。南アルプスの最高峰は北部にある北岳で、赤石岳は隣の荒川岳と比較しても標高はやや低い。それでも、「赤石山脈」の名前で分かるように、南アルプスの主峰は赤石岳なのだ。




 二日目も非常に長く、厳しい日程だったが、塩見岳の往復は荷物の大部分をテン場に置いて、身軽になったピストンだった。今日、四日目、八月八日の行程は、最初から最後までずっと重いザックを背負って行動するため、さらに厳しい一日になることが予想された。


 荒川小屋から百間洞ひゃっけんぼらを経て聖平小屋まで、南アルプスの盟主、赤石岳と、日本最南端の三千m峰の聖岳ひじりだけを越えていく。高校の時の山行では聖平から百間洞までで、わたしを含めたみんながバテバテだったが、今回、わたしは高校の時の二日分の行程を一日でこなそうとしている。それがわたしの、自分自身に対するささやかな挑戦だった。


 前日の午後、ゆっくりと時間を過ごすことができたせいで、朝には疲労感はほとんどなかった。いつも通り餅ラーメンの朝食を摂り、〇四四七荒川小屋を発つ。


 今日の行程の中で、選択しなければならないことが一つあった。赤石岳の向こうの百間平で、稜線沿いに大沢岳に登るルートか、いったん百間洞山の家に下り、そこから大沢岳そのものではなく、大沢岳のコルに登るルートか、どちらをとるかということである。


 後者のルートは大沢岳のピークはカットされるが、百間洞山の家はかなり標高が低いところにあるため、登らなければいけない比高としてはほとんど変わらない(むしろ後者の方が大きいかもしれない)。ただ、今日も暑くなりそうだったので、十一時間ほどの歩行が予想される今日の行程には余裕をもって五Lほどの水を用意したかった。ただ、水の重さはそのまま登りの辛さだ。ただでさえ厳しい日に、重い水を持ってずっと移動することは避けたかったため、出発時には水を二Lだけ持ち、水が補給できる百間洞山の家を経由することに決めた。




 大聖寺平までは緩やかな傾斜を登る。道は徐々にその傾きを増し、荒川岳と同じようなガレの急斜面になる。これはまだ最初の登りに過ぎないので、ここで脚を使ってしまっては元も子もない。ゆっくり、ゆっくり。比高五百mを二時間でこなし、〇六四八に赤石岳に到着。


 ここには、日本で一番高い一等三角点がある。三角点はもちろん周囲の三角点を見て測量を行うために設置されているから、山の頂上などの見晴らしのいい場所に置かれる。見通しばっちりの富士山頂にももちろん三角点があるが、なぜか二等三角点しか置かれていない。


 今日も素晴らしい天気に恵まれている。今後、日が高くなってくると、登りは暑さの戦いになりそうだった。赤石岳山頂からは、今日これから歩く道がほとんどすべて一望のもとに見渡せる。


 斜面ばかりの景色の中に、山の頂上を削いだように広がる緑の平坦地が百間平で、そこから左方に下りた沢沿いに百間洞山の家がある。百間平の後ろの稜線を上り詰めたところが大沢岳で、百間洞を回った場合、この衝立のような山が少し下り始めたあたりに登り着くことになる。その左のポッコリした山が中盛丸山なかもりまるやま、その奥をさらに左に行くと兎岳。そして、大沢・中盛丸・兎とは比較にならないくらい巨大な山塊が聖岳だった。その聖岳の向こうが、今日の最終目的地である聖平小屋になる。


 〇七一二、赤石を発つ。ここから百間洞までの二時間弱は、今日の行程の中で唯一の平和な時間帯だった。〇八五〇、百間洞山の家に到着して水を補給。ここに前日、兎岳の避難小屋に泊まったという年配の夫婦がいたため、もしもの時のために兎岳避難小屋の状況を聞いておく。事前の情報では、かなり荒廃していているという話だったが、内部はきれいだということだった。ただ、管理人はいないし近くに水もないということで、どうしてもというとき以外は泊まらない方がよさそうだった。


 百間洞山の家の露営地は、豊かな水量の沢沿いにテントサイトが並ぶ素晴らしい場所で、わたしは今でも高校時代、ここに泊まったとき、一晩中聞こえていた沢の水音を覚えている。あの合宿で一番厳しい一日を乗り切ったことによる高揚感と合わせて、一番印象に残った夜がこの百間洞での夜だった


 二Lと一Lの水筒を水で満たし、〇九〇六、百間洞を出発。まず比高三百mを登って大沢岳のコルへ。標高差もかなり大きいが、この登り坂はまともに背中から太陽が照りつけ、暑さが堪える。最高点からいったん下り、コルへ。そこから比高百mで中盛丸山。その先は兎岳だ。


 中盛丸山と兎岳の間の最低地点から兎岳山頂への比高は二百mほどだが、実は一本調子に登っているのではない。その間には子兎、ニセ兎というピークがあり、そのそれぞれで百m以上の標高差を登らなければならない上に、細かなピークはほかにもたくさんあるのだった。


 一一四六、兎岳頂上。目の前に聖岳があるはずなのだが、ガスがかかり始めていて視認できなかった。この高さの山が午後になるとガスるのはやむを得ないというところか。


 この兎岳と聖岳の間は稜線が大きく切れ落ちている。大登りの前の大下りというのは、気持ちを動揺させるものがある。今日はここまでですでに積算で千mをはるかに超える登り坂を登り、脚は限界に近くなっていた。そこでこの大下りと大登りを見たときのゲンナリ感を、分かってもらえるだろうか。


 この兎の下りで、今日も両膝にかなりの痛みを感じるようになっていた。


 兎―聖の最低鞍部と聖岳山頂の標高差は五百m。ここに二時間かけるつもりでゆっくりと私は足を進めるが、腕時計の高度計で二八〇〇mを超えたあたりから、声を出さないと登れなくなる。ポールを握る腕に力を込め、脚の負担を減らす。この時間になるともう登山者の姿はほとんどなくなっていたため、ガスの中、わたしは一人で声を出しながら登り続けた。




 一四二〇、どうせ誰もいないだろうと思って盛大に唸りながら聖岳山頂に到着。と思ったら先着あり。体格のいい男性と小柄な女性の陽気な夫婦で、年はわたしと同じくらいだろうか。百間洞を出発したものの、その間のあまりのアップダウンの多さに男性の方がバテてしまい、聖の頂上でちょっと休んでいたのだという。ガスの中を女性の唸り声が近づいてくるので、ちょっと怖かったそうだ。恥ずかしさのあまり、わたしはどんな顔をしていいのかわからなくなる。


 聖岳は塩見岳と同じような双耳峰で、前聖と奥聖という二つのピークを持つのだが、奥聖は主稜線からちょっと外れていて、往復で四十分ほどかかる。また、三千メートルにやや欠ける高さでもあるため、もう時間も遅くなっていることもあり、行くのをやめた。


 頂上でしばらく休んでいると、徐々にガスが晴れはじめる。今日越えてきた赤石岳が姿を現す。赤石岳の堂々たる山容は、やはり南アルプスの盟主に相応しい。わたしたち三人は、疲れも忘れて赤石岳の威容を眺め続けた。


 聖平までの下りは、なんと標高差が七百mもある。わたしは下りが不得意なうえに、靴底が滑る、膝が痛いという悪条件が重なっていたため、ずっとこの下りが不安だった。でも、幸いにして同行者を得たため、三人で話しながら聖平小屋までゆっくりゆっくりと下った。それでも何度もわたしは滑って尻もちをついてしまったのだが。




 一六二二、聖平小屋に到着。三人でビールで乾杯する。今までの小屋とこの聖平小屋は経営の母体が違い、独特の温かい雰囲気があった。テントを設営し、今日もスパゲティの夕食。昨日よりはずっとうまくできたが、今日も苦痛とともに胃袋に収める。


 わたしに同行してくれた夫婦の明るい人柄は、聖平で幕営をしている登山者を引き付け、夕食後には彼らの周りに、わたしも含めた登山者たちの輪ができていた。わたしもそこに泡盛を提供し、闇が辺りを覆い始めるまで楽しい時間を過ごした。その、彼らに引かれてきた人たちの中に、わたしと同じように明日、てかり小屋に泊まり、明後日易老渡いろうどから下山するという人がいて、易老渡からタクシーの相乗りで飯田線の駅まで出る人を探しているということだった。


 わたしは易老渡から最寄りのバス停までの二十kmの林道を歩くつもりでいたのだが、膝の調子を考えて一も二もなくその話に飛びついた。




 人の顔を見分けるのも難しいくらいに暗くなり、楽しい集まりも散会になる。わたしはテントに戻り、もう少しだけ泡盛を飲んで、文庫本を読んだ。


 ほとんど耐えられないほどだった脚の疲労感は、既に心地よいだるさに変わっていた。山行も三分の二を消化し、もうそれほどハードな区間は残っていないはずだった。二〇〇〇、いったん消灯したが、予定よりだいぶ早く、生理が始まる気配があったため、念のためナプキンをつけておく。旅の終わりが近づいてきたというのに、不安材料がもう一つ付け加わってしまった。












いつだってイッパツやりたかったきみが イッパツよりも選んだ場所で

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