二日目
高校二年生のときの夏合宿は当初、塩見岳から聖岳の縦走コースを検討していたが、体力的なことを考えて荒川岳から光岳に南下するコースになった。さらに、荒川岳への入山は畑薙第一ダムからバスに乗って
そこでわたしたちが選んだのは、光岳をカットして畑薙第一ダムから茶臼岳に入山し、そこから荒川岳に向けて北上するというコースだった。荒川岳からの下山は、体力があれば
天候にも恵まれて、一日の停滞日もなく茶臼から荒川への縦走は成功した。ただ、このときに登ることができなかった塩見岳と光岳のことが心のどこかに残っていて、結局わたしはこの二つの山に大学のときにあらためて登りに行った。この二つの山はアプローチが長いものの、当時のわたしは体力が有り余っていたため、日帰りでこなすことができた。しかし先を急ぐあまり景色や土地の様子などに気を配ることができず、あまり印象に残る山行にならなかったのだった。
高校時代の縦走では、当時でもすでに旧式になっていた装備も多く、私の持つ荷物は三十kgを超えていたが、現代的な装備に変わった今回は水を入れても二十kg程度。体力も恐らく、当時のわたしと遜色ないはずだ。
塩見岳への入山は山の南側からしかないため、南へ向かって縦走するためにはいったん逆の、北に進まなければならない。だからこの塩見岳だけは縦走の途中でピークを踏むのではなく、大荷物をテン場に置いて往復する形(この形態の行程を「ピストン」と呼ぶ)で登頂することになる。
八月六日、〇三〇〇起床。フライシートを叩く雨の音はない。この時期になるとすでに日の出はかなり遅くなっているため、外はまだ真っ暗だ。ヘッドランプの灯りの下で湯を沸かし、マルタイの棒ラーメンを茹でる。このラーメンは他のインスタントラーメンと違ってザックの中でかさばらないのがいい。この棒ラーメンに小粒の丸餅を大量に入れた餅ラーメンを毎朝の朝食にすることに決めていた。
サブザックに雨具、二Lの水筒、行動食、ファーストエイドキットなどを詰める。持って行ったサブザックは容量十L足らずの小さなトレイルランニング用のものだったので、本当に必要最小限のものしか入らなかった。本当は二十Lのサブザックを持って行きたかったのだが、メインのザックが一週間近い山行にはちょっと小さいサイズだったため、どうしても詰め込むことができなかったのだ。
〇四二〇、三伏峠小屋出発。徐々に明るくはなって来ていたが、最初はヘッドランプを点けて歩き始めた。荷物が軽いため、足取りも軽い。三伏山の辺りで夜が白み始める。
三伏山を越えて本谷山に向かう鞍部から、朝靄に包まれた塩見岳が姿を現す。夜が明けたばかりの登山道には非常に水気が多く、水たまりの多くはイノシシのヌタ場になっているようだ。
本谷山を過ぎると再び道は下降に転ずるが、そこを過ぎれば塩見岳までずっと登りが続く。明るくなるにつれてあたりの景色がよく見えるようになって来た。標高も高くなり、周囲が雲海に囲まれていることにそのとき気づく。
体の調子も申し分なく、腰を下ろして休みを取ることもなく快調に登り続け、〇七一六に塩見岳西峰に到着。
三角点のある、この三〇四七mの西峰が塩見岳の主峰ということになっているが、実はこの先の東峰の方が標高が高く、三〇五二mある。写真を撮るだけで西峰を通り過ぎ、〇七二五東峰着。このときには再び空には雲が垂れこめ、今にもまた雨が降り出しそうだったので、早々に辞し、帰途に就く。〇七四〇塩見岳東峰発。帰りがけの西峰も通り過ぎるだけで、雨の予感に私の足は急き立てられていた。
塩見岳西峰のピークの南側は岩稜帯になっている。行きはあまり気にならなかったが、帰りの下りではこの岩の上で靴が滑ってしょうがなかった。昨日からの雨で岩が湿り気を帯びているせいもあるのだろうが、この靴底の滑りにはこの先の山行中ずっと悩まされることになる。何回か転び、まだ山行も序盤だというのにいきなりタイツの左膝を破いてしまった。まあ、この先も数えきれないほど転び、タイツもシャツもボロボロになるのだったが。
このときのわたしは空身で足が速かったから、この朝塩見岳に向かう人たちの中では最も早いグループに属していた。わたしが帰るこの頃になると、続々と三伏峠から塩見岳へ登る登山者が現れ、すれ違うようになる。あえて早朝発を選ばなかった人たちと、大きな荷物を担いで北方に向かう人たち。北へ縦走する人たちの中に、昨日の鳥倉に向かうバスの中で同乗した二人もいた。
「なんだよう、ピストン!?」
「はい。」と、わたしはちょっとためらいがちに応える。わたしもこのあと大荷物を背負って南に縦走するんです、ということばは心の中にあったが、口に出すことはできなかった。小さなサブザックだけで軽々と歩いていることに罪悪感を覚えていた。
行きにはぬかるみばかりが目に付いた登山道だったが、帰りになると周りにたくさんの花が咲いていることに気付く。そして、三伏峠小屋間近の三伏山の頂上で年配の男性とちょっと話をし、三伏峠小屋のテン場に戻ったのが一〇〇七だった。十二時近くになる予定だったが、気が急いて足が早まり、二時間も早く戻って来られた。
ここでわたしは選択に迫られることになった。予定では今日の行程はここで終わりで、明日は荒川岳に登ったあと荒川小屋まで行く予定だった。しかし、その行程は全行程の中で一、二を争う厳しい行程だ。もしこの後すぐに出発して、今日のうちに荒川岳の登りの直前にある高山裏避難小屋まで行ければ、明日はかなり楽ができる。
高山裏避難小屋まではコースタイム通りに行けば五時間なので、これからテントを撤収して出発しても、十分に明るいうちに着ける。ただ、空身に近いとはいえ、塩見岳までの往復で脚を使わされていた。
山行が終わった今になって思えば、こんなに早く戻ってこられるならば、塩見から往復三時間で行ける
脚の疲労のこともあるが、高度
たぶん、わたしが予定を変えて今日のうちに高山裏に向かう一番の決め手になったのは、さっきの「なんだよう、ピストン!?」のことばだった。大きな荷物を持って、「やるぞやるぞ」という空気をまとっていたわたしが、今日、このピストンだけで終わっていいのだろうか。重荷を背負って道を進むことを選んだわたしに、彼らはほんの少しでも共通したものを感じてくれていたのではないか。そんな彼らからのことばが心に響いていた。
一一三七、テントを撤収し、すべてをザックに収め、三伏峠小屋を出発した。
ここから荒川前岳までの区間は、わたしにとって初めて通る場所だ。地図ではそれほど大きなアップダウンがないような気がして油断していたが、実は三千mを超えるピークこそ荒川岳まで存在しないものの、それに満たないピークはこの区間にいくつもいくつもあるのだった。大きなピークだけで烏帽子岳、小河内岳、板屋岳の三つ。その間の小さいピークも含めれば、ほとんど全域登りか下りのどちらかで、恥ずかしながら後半の登りはうめき声をあげなければ体が持ち上がらないほどだった。
その最初のピークである烏帽子岳の山頂で、わたしと逆に、高山裏から三伏峠に向かう八十四歳の男性とことばを交わした。その中で、自分は高齢なこともあり、出発するときに高山裏の管理人さんがかなり心配をしていたので、よかったら高山裏に着いたら、少なくとも自分が烏帽子までは来られたことを伝えてほしいと頼まれた。
ここまで来られれば、あとは三伏峠まで下るだけだ。それを知れば高山裏の管理人さんも、きっと安心できるだろう。そう、これでわたしは嫌でも高山裏まで行かなければならなくなったのだった。
比高だけを考えれば、烏帽子の次の小河内岳がいちばん厳しかった。小河内岳の頂上付近に差し掛かったとき、二人の人影が見える。近づいてみると、登山者ではなく、小河内岳の避難小屋の管理人夫妻だった。高山裏の管理人から、高齢の単独登山者がそちらに向かったので、気を付けて欲しいと連絡があったとのことだった。
そう、わたしが烏帽子の頂上で話をしたあの方だ。彼の歩くスピードが予想よりはるかに速かったため、小河内岳避難小屋の管理人さんが見計らって外に出たときには、ずっと前に通過してしまったのだった。わたしはその人と烏帽子岳の山頂で話をしたことを伝え、先を急ぐ。
それまではハイマツや笹の明るい、視界の良い稜線だったが、小河内岳を過ぎると樹林帯に入る。と同時にやや平坦になり、売り切れ寸前の両脚でもなんとか歩くことができるくらいになった。最後に樹林帯の中を百m登って板屋岳を越えれば登りはおしまい。後は二百五十m下れば高山裏避難小屋だ。一六五五到着。美しいお花畑の中を降りてきたはずなのだが、あまりの疲労困憊でまわりをみる余裕がなかった。
途中からどう頑張っても足が前に出ず、この三伏峠から高山裏までの区間は、標準的なコースタイムをかなり越えてしまった。わたしの名誉のために言えば、六日間の行程のうちそんな区間は、ここと、あともう一つしかなかった。
高山裏は小さくて設備もあまり整っていない小屋なので、積極的に泊まりたいと思う人は少ないのかもしれない。ただ、ビールを飲んで上がった息が落ち着き、日が陰った小屋の周囲にようやく目が行くようになると、ここが目もくらむようなお花畑の中にある、小さな、美しい小屋であることに気づく。
管理人のおじさんも、口は悪いがとても気さくで、わたしが烏帽子岳で会った人のことを話すと、顔をくしゃくしゃにして喜んだ。そして、もう遅いからと言って往復二十分かかる水場に行かなくて済むように水を二L分けてくれた。それだけあれば明日の朝食までは大丈夫だし、明日の行程の分はこの小屋から荒川方面に少し行ったところに水場があるため、そこで汲んで行けば大丈夫とのことだった。
テントを設営し、今日もカレーを食べる。地平線間際まで落ちた陽が、明日登るはずの荒川岳を赤く、美しく照らしていた。
この日に高山裏に泊まったのは、わたしと同年輩のテント泊男性単独行者と、同じく単独で小屋泊まりの年配の男性の二人だけだ。昨日の三伏峠小屋の混雑を考えると噓のようだった。でも、山から帰ってきた今になってみると、わたしにとって、この山行の中で最高のテン場は高山裏のテン場だった。
夜は昨日とと同じように、泡盛、6Pチーズ二個、文庫本で時間を過ごす。喘ぎながら登り下りを繰り返すうちに高度馴化が進んだらしく、不思議に頭痛はなくなっていた。
この高山裏避難小屋は稜線上ではないから、携帯電話の電波が入らない。二〇〇〇になったところで本を読むのをやめ、消灯した。今日は疲労が激しく、シュラフにくるまるとすぐに眠りに陥ちた。
眠るまでのわずかな間に、ずっと昔に好きだった人、好きだったけれど、そのことを言えずに終わってしまった人のことを考えていた。考えながら寝たのではなく、もしかしたら夢で見たのかもしれない。
もし、人の存在がその人のことを考えている誰かに支えられているなら、わたし、結構支えてるのかもよ。気付かなくてもいいけど、やっぱりちょっと気付いてほしいかもな。って、最初から仮定の話だよね。ふふふ。
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