(31)
今世でレオンツィオに会ったときはおどろいた。いや、正確にはおどろきはあとからきた。なぜならレオンツィオの顔を見るその瞬間まで、ティーナは市井を生きるただの小娘「レオンティーナ・マーリ」であったからだ。
裏社会の存在は知っていて、それが薄い壁を隔てた向こう側に海のように広がっていることは知っていたが、それだけだ。今世のティーナは裏社会の人間ではなかった。――レオンツィオが迎えにくるそのときまでは。
けれども世の中、「二度あることは三度ある」という言葉もある。しかしレオンツィオ以上のおどろきはないと、ティーナは思っていた。おどろきと言ってもいいほうのおどろきではない、悪いほうのおどろきだ。
「久しぶりだね、ティーナ。……と、言うのは変かな?」
薄茶色の髪を綺麗にセットした、一見するといいところのお坊ちゃんといった風体の男は、丘上の展望台から街を眺めていたティーナに気安く話しかける。
こんな色気のない小娘をナンパするだなんて、とんだ物好きもいたものだ。……そんなことを考えながら振り返ったティーナは、男を見ておどろきに目を見開いた。
「あ……アントーニオ……?」
顔のつくりはハッキリ言って今のほうが数段はカッコイイ。それでも男の持つ雰囲気が、あまりにもティーナの知っている人間そっくり――いや、そのものだったので、声を失いそうになった。
ティーナはうめくようにその名を呼ぶ。アントーニオ。ただの親なし子で、生きる意味を持たなかったティーナに、生きる場所と、仲間と、人生を与えてくれた恩人。
アントーニオはティーナといくつも歳が変わらなかったが、よく舌が回り、他人の気を引くのが上手かった。若くして下部組織といえどもそのボスに収まれたくらいだ。その実力は推して知るべし、と言ったところだろう。
しかし自身の力を過信し、傲慢な一面もあった。それゆえに下剋上を企てるも失敗し――その人生の幕引きはレオンツィオの手で行われた。
だが、今アントーニオはティーナの前に立っている。人好きのする笑みを浮かべて、ティーナの目の前にいる。
今度こそ声が出なくなった。仲間たちが、端々で高慢ちきなアントーニオを煙たく思う気持ちは理解できたものの、それでも彼はティーナの恩人だった。彼がティーナを気まぐれにせよ拾い上げなければ、ティーナはどこかで野垂れ死んでいたに違いない。
仲間がいる喜びを、居場所がある嬉しさを知ることもなく――レオンツィオに出会うこともなく。
ティーナの心がちくりと痛んだ。ティーナはアントーニオを裏切っていた。ただの一般人だと思っていたレオンツィオの正体を知っても、そのことをアントーニオには言えなかった。
事実を告げたとして、なにが変わったかは、わからない。けれどもアントーニオを裏切っていたということだけは、たしかだった。
「――アントーニオ、なの?」
「そういうきみこそは、俺の知っているレオンティーナ?」
「……そう。あなたに拾われた」
ティーナの声は震えていた。それは喜びゆえか、後悔ゆえか、恐怖ゆえか。どれでもないような気もしたし、そのすべてがないまぜになっているような気にもなった。
「ティーナ、きみに会いたかった」
アントーニオは悠然とした足取りでティーナに近づくと、そのまま軽くハグをする。ティーナは呆然としたまま、アントーニオの背に手を伸ばし、軽くその肩に触れる。
――温かい。
至極当たり前の感想だった。けれどもそれは、ティーナにとっては複雑な感情を呼び起こす。
今ここにアントーニオの肉体があって、魂があって――生きている。その事実はティーナの心を揺さぶってくる。
「どうして?」
アントーニオにとって、ティーナは特別な存在などではなかったはずだ。それは謙遜でもなんでもなく、動かざる事実のはずだ。
ティーナが粗末に扱われていた、ということではなく、アントーニオにとって一番は己で、それ以外は平等に同等の価値しかなかったと、ティーナは確信している。アントーニオはそういう男だった。
けれどもティーナはそれでもよかった。ティーナにとって、アントーニオは返しきれない恩がある相手なのだ。
それは一種、純粋な自己中心主義とも言える考えだった。ティーナにとって、アントーニオがティーナをどう思っているかは、さしたる問題ではないのだ。
そういうわけでアントーニオから「会いたかった」と言われてもピンとこなかった。ずいぶんと唐突な印象がある。己が生まれ変わったと確信して、似たような境遇の仲間を探していたとでも言うのだろうか。
アントーニオはティーナから離れると、優男風の涼しげな顔で微笑んで、すぐそこのベンチを見た。
「あっちで話そう」
アントーニオの横に腰を落ち着けたティーナは、不思議な気分に陥る。アントーニオと同席する感覚に慣れない。彼の隣に座ったのは、馴染みの料理店にアントーニオの奢りで行ったときくらいだろうか。
そんな風にティーナが前世の記憶を想起しているあいだに、アントーニオは滔々と話し出す。
「……
ティーナの心臓が大きく脈打つ。針のむしろにでも座ったかのような気持ちだった。
アントーニオを殺したのはレオンツィオだ。そしてティーナはレオンツィオを無二の友人だと思っていて、それどころか彼を淡く恋慕う気持ちをも持っていた。……アントーニオはもちろん、そのことは知らないはずである。
「それがさ、気がついたらこうしてまた人間として生まれてたわけ」
「……今はどうなの? その服とか、すごく仕立てがいいみたいだけど……」
「ああ! 聞いてくれよ。
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