(14)

 エンニオを撃ったのはほかでもないレオンツィオだ。エンニオは怒りに興奮して周囲の状況へ気を配るのを忘れていた。けれどもティーナは違った。だから、いち早くレオンツィオの存在に気がつけたし、その意図も悟れた。


「なにもされてないんだよね?」

「……誘拐、されましたが」


 ティーナは同じく後部座席に座るレオンツィオには視線を向けず、左から右へと流れて行く窓の外を見る。


 レオンツィオの舎弟であるミルコが運転する車に乗せられて、ティーナは例のあてがわれたマンションへと帰る途中だった。そしてレオンツィオは当たり前のような顔をしてティーナの横に座っている。


 すっとぼけたのはなんとなくレオンツィオが気に入らなかったから、というひどく幼稚な感情がさせた。しかし真に気に入らないのは己の心なのだということもティーナはわかっていた。


 ティーナの危機にいち早く駆けつけてくれたレオンツィオ。困ったような笑みを浮かべて――いや、あれは泣きそうな顔だったかもしれない――ティーナを迎えてくれた。


 ティーナに非があったかどうかとかは一切考えていないらしいレオンツィオを見ると、なんだか丸ごと受け入れられているような、心地のよい気持ちになれた。……それはひどく危険な考えだ。ティーナは空想の中で頭を左右に振る。


「……アルチーデさんはどうなりますか?」


 ティーナは小さな疑問を言葉にしてレオンツィオにぶつける。エンニオはアルチーデの差し金で動いたわけではないらしいが、しかしエンニオはアルチーデの直属の部下。そんな彼がティーナを誘拐して、手篭めにしようとしたのだ。


 犯人であるエンニオは死んだが、しかしアルチーデが構いなしとは行かないだろう。ティーナが大事にされているかとかそういう問題ではない。これはファミリー全体のメンツの問題なのだ。


 エンニオはともかく、アルチーデのことは好きというほどではないにしても、嫌っているわけでもない。夫候補の中では見た目も中身もスマートなほうだと思っているし、そういう点ではそこそこ好感触と言えた。


 だから、なんだったらティーナ自らガエターノにアルチーデの件を取りなすことだって、考えてすらいた。


 一方、ティーナの口からアルチーデの名前が出たレオンツィオは、面白くなさそうに目を細める。それがあまりに急だったので、ティーナは背筋がかすかに凍るような思いをする。


「アルチーデは……性格的に言い訳なんてしないだろうね」

「……親しいんですか?」

「歳が近いからね。一応、アルチーデは兄貴分だったんだけど。……それよりも、なぜアルチーデのことが気になるの?」

「まあ……よくしてもらっていますから」

「……ふうん?」


 レオンツィオの言葉をどこか刺々しく感じるのは、ティーナの被害妄想ではないだろう。


 レオンツィオの視線が、ティーナの横顔に刺さる。


「アルチーデはああ見えて真面目だからね。レオナの夫候補からは辞退するんじゃないかな」

「……そうですか」

「がっかりした?」


 言葉は軽いが、言い草は冷え冷えとしている。ティーナはレオンツィオの顔を見れなかった。


「……そういうわけでは」

「アルチーデと結婚してもレオナは幸せになれないよ」

「……なぜ?」

「アルチーデには忘れられないひとがいるからさ。こういうのも『操を立てている』って言うのかな」


 レオンツィオの言葉を聞いて、なんだかティーナは納得してしまった。


 ガエターノの孫娘だからと言っても、あからさまなモーションを仕掛けてくる男も、中にはいる。しかしアルチーデはいつだってティーナを一人前の女のように扱い、紳士的だった。


 ティーナに踏み込んで行く気配がなかったのは、ティーナに興味がなかったからなのだろう。


 それでもガエターノの一声は無視できないだろうし、率いている部下たちのことを思えばああいう風にせざるを得なかったに違いない。そう考えるとティーナはなんだか申し訳ない気持ちになった。一番悪いのはガエターノなのだが。


「そんな事情があったんですね」


 見直したと言うのは大げさだし、上から目線だとティーナは思う。けれどもアルチーデに対する見方が変わったのはたしかだ。


「がっかりした?」

「……え?」

「アルチーデは洒落者だし、女性には優しいからね。でも、あきらめたほうがいい。アルチーデの心は彼女のものなんだから」


 ティーナはどうしてレオンツィオがそんなことを言い出したのか、一瞬理解できなかった。けれどもすぐに「もしかして」と思い至る。


「アルチーデさんとは結婚するつもりはありません」


 その言葉は嘘ではなかった。


 今のところ、ティーナはだれとも結婚するつもりがない。いずれは選ばねばならないのだろうが、まだそういう気持ちにはなれなかった。アルチーデのことだって、そうだ。


 レオンツィオはティーナの言葉を聞いて片眉を上げた。こういう仕草が妙に様になる男だ。


「……へえ?」

「……嘘じゃないですよ。まだ、だれともそういうことは考えたことがないんです」

「そう。……じゃあアルチーデが夫候補から外れてもいいんだね?」

「構いませんよ。でも、それを決めるのはガエターノですから」

「ボスは……どうだろうね。私の次くらいにはアルチーデのことは気に入っているから」

「……一番はレオンさんなんですか?」

「そうだよ」


 臆面もなく言ってのけたので、すごい自信だなとティーナは思った。


 しかし捜し出したティーナを迎えに行かせるのにレオンツィオは使われていたし、彼の言っていることは真実なのだろう。


 だとすればレオンツィオはティーナにそうしたように、ガエターノの懐にも入り込んだのだろうか? 真実は不明だが、そうするところは容易に想像ができた。


「まあ、いずれにせよ夫レースは私が一歩リードってところかな」

「すごい自信ですね」


 今度は口に出た。


 レオンツィオはにっこりと微笑んでティーナを見る。


「レオナ、きっと君は私を選ぶことになるよ」

「……すごい自信ですね」

「わかるからさ」


 なにがわかるのか、レオンツィオは言わなかった。未来か、はてまたティーナの心の中か。……もしかしたら両方かもしれない、とティーナは密かに息を漏らした。

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