第18話 古地図


 日曜日の朝、6時、平日と変わらない時間に目がさめてしまった。いつもなら休日である喜びにひたりながら、二度寝をしたりゲームをしたりするのだが、昨日の今日ではそんな気分にはなれない。


 カーテンを開けても部屋は薄暗く、窓から入ってくる日は灰色。今日は雨になりそうだ。

 雨、昨日の地下倉庫での話を聞いてから、ただの自然現象がほのかに怖く感じる。


 どうせ本館に用事があるので、シャワーを浴び、とっとと着替えて食堂に向うことにした。

 本館への道は庭の小道を通る。外に出ると気温は季節が戻ったかのように寒い。長袖を着て正解だった。晴れていたら朝の散歩も気持ちがいいが、こういう時は本館と離れが廊下で繋がっていてほしいと思わざるをえない。


 普段は離れで適当にパンを食べて済ませている僕が、急に朝6時台に来ても、ホテルのような品数の立派な朝食が出てくる。なんとも有り難いものだ。

 せっかくだから和食を選んで、温かい味噌汁をすする。広く静かな食堂には僕しかない。本家の皆様はもちろん他にも親戚方が泊まっているのだが、基本は一時間後くらいに集まるらしい。


 「適当な時間にこい」と言われたが、この時間は早すぎるのではないだろうか?幹也さんも寝ているだろうか?

 ただ、あの人のことだから徹夜している気がしてならない。大企業の後継者らしく、仕事の時間も量も熱意も尋常じんじょうではない所をいくつも知っている。


 お手伝いさんに早く準備して貰ったお礼を言って、僕は地階へ向かった。


 やはり地階の廊下の電気はついていた。一応中で寝ている可能性も考え、音を立てないよう倉庫の扉をそっと開ける。

 中をのぞくと、昨日は無かったホワイトボードが、木の机の横に持ち込まれていた。ボードには市内の大きな地図が貼られていて、机の上には資料が山になっている。

 その影になる所に、ノートPCを開いて集中している幹也さんがいた。


「おはようございます」

「おう、おはよう。もう朝か」


 声をかけるまで僕に気づいていなかったようだ。流石に普段着に着替えてはいるが、はたして部屋に戻って寝てきたのだろうか?


「徹夜したんですか?」

「ん、休み休みやってたからな」


 幹也さんは目頭を押さえながら言った。これはほとんど休んでいないだろうな…。

 しかし心配の声をかける間もなく、幹也さんから僕がやる作業についての説明が始まった。


「こっちの山のやつは戻してくれ。戻す棚にも同じ番号の付箋ふせんがついてるからそこにな。あとこっちのファイルは背表紙の年代順で戻して、次のやつを持ってきてくれ、あとは……」


 僕は急いで気持ちを切り替え、一回で覚えられるよう集中して聞く。メモ帳くらい持ってくれば良かった。単純な雑務ではあるが量が多い。運ぶだけでも大変なのに、幹也さんはこれを全部調べてるのだから相当疲れているはずだ。


「……と、こんなところか。まずファイルのやつから頼む。色々と一気に頼んで悪いな。分からないことがあったら構わず聞きに来てくれ」

「わかりました。でも、幹也さんは一旦休んできては?作業効率も落ちますよ」

「そうか…そうだな……シャワーを浴びて何か食べてくる」


 ようやく自分の体を気にしてくれてホッとする。幹也さんはまた目頭を押さえたり、まばたきを繰り返している。やはり酷使しているに違いない目が一番辛そうだ。



「ああ、そうだ。正城、これが何か分かるか?」


 幹也さんはPC横の封筒から何かを取り出し、ホワイトボードに磁石で貼り付けた。

 便箋びんせんくらいの大きさで、しわと欠けがあり変色した年季の入った紙だ。ただ和紙ではないし、古文書というほどの年代物ではなさそうだ。

 一瞬手紙かと思ったが、近づいてよく見ると、文字らしきものは書かれていない。何かの模様、絵?インクも劣化して薄くなっているため分かりにくい。


「うーん…なんだ…?」

「ははっ、別に分かんなくてもいいクイズだ。頭使わなくていいぞ。じゃあ、あとはよろしくな」


 考え込む僕を笑って、幹也さんは部屋を出ていこうとする。何だろう、幾何学きかがく模様じゃない、この線の流れ、流れ?


「川?」


 ドアノブに手をかけた幹也さんの後ろ姿が静止する。


「市内の昔の地図でしょうか?黒いインクの…海岸線かな?埋め立てする前なのでかなり違いますが、赤いインクで描かれてるのは市内の主要な河川ですよね」


 隣に市内の大きな地図があるのが特大のヒントだった。見比べれば、市の名前の由来でもある八淵川と、その支流におおむね重なる。もちろん様々な工事で古地図が作られた当時とは変わってる箇所かしょも多いのだろうが、間違いないだろう。


「赤いインク、ね……」


 そこ?正解が不正解かを期待していたら、意外なところに反応が返ってきた。


 幹也さんは振り返らず、それ以上は何も言わず、一時停止から再生したように、扉を開けて出ていった。ガチャリ、と閉まる音のあとは静寂だけが残る。


 もう一度よく見て考えたほうがいいのだろうか。だがあまり、その気にはなれなかった。早く頼まれた作業にとりかかろう。やるべきことに集中しよう。余計なことを考えなくてすむように。

 

 すぐ上の階に人がたくさんいるのに、今は自分の家でもあるのに、この部屋で独りきりなのは、少し怖い。



 

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