第16話 都築幹也の帰宅


「先輩、今日はありがとうございました。また月曜、来れるようなら学校で!」

「梅雨入り初日から休みたくないけどな。こっちこそありがとう。じゃあまた」


 僕は先輩に見送られてバスに乗り込んだ。他に乗客はまばらに5人ほどで、僕は隣に誰もいない一番後ろの席に座る。ここからなら家まで20分ほどだろうか、調べようとスマホを取り出すと、新着メッセージの通知があった。


「えっ、幹也みきやさん?」


 その送り主を見て、思わず声が出てしまった。

 都築幹也つづきみきや、僕の再従兄弟はとここずえさんの兄、都築本家の長男であり後継者。大学在学中から海外新規事業に関わり、今は東京と東南アジアを往復の日々、のはずだ。

 僕にとっては12歳ほど年上の兄貴分だ。彼と僕のような曾孫同世代の親戚は、僕ら以外は女子ばかりのため、何かと僕をかまって遊びに連れ出したり、面倒を見てくれた。

 だから仲は良い。良いが、別に頻繁ひんぱんに連絡をとりあっているわけではない。縁宮ふちみや学園卒業後の幹也さんは東京に一人暮らしで、年始の一族の集まりにしか実家に顔を見せることは無い。


 なぜこのタイミングで?少し怖い。しかし見ないわけにはいかない。


『いまどこ』


 やっぱり怖い話じゃないか!?

 メッセージは夕食前には届いていたようだ。僕はいまさら既読をつけてしまったことを後悔しながら、言い訳を考える。


『お久しぶりです。気がつくのが遅くなってしまい申し訳ありません。学校の先輩と夕食に行っていました。今から帰ります。大橋からバスに乗ったところです』


 はぁ…

 ため息をついてから送信する。

 が、心を落ち着かせる間もなく既読がつき、身構えるより早く返事がきた。


『駅で下りろ葛西かさいが行く』


 句読点すら無駄をはぶくのは、実に幹也さんらしい文面だ。別におどしてるわけではない。ないはず。


「な、なんだよもう……」


 予想外の事態に天をあおぐ。バスの低い天井しか見えない。そのまま路線図を見て、降りるバス停まであといくつか数えることしか僕にはできないのだった。



 八淵市はそれなりに発展しているが、中心地は駅前ではない。高速インター近く、国道沿いの役場近辺である。この路線は駅の数も電車の本数も少なく、市民はもっぱら車とバスを利用している。八淵駅は人より貨物の方が断然着く量が多い所で、駅前にあるのも商店街ではなく古い工場だ。

 時刻は20時半すぎ、流石に終電前だが薄暗い駅は閑散かんさんとしていた。ロータリーの送迎の車は一台しかない。向こうも僕に気がついて、運転席から降りてきた。


「正城さん、お久しぶりです!」

「お久しぶりです、葛西さん」


 彼は変わらずさっぱりとした髪型と真面目な雰囲気の好青年だった。葛西さんは山での一件で父の車を運転していた人だ。あのあと何処にいるのか知らなかったが、幹也さんの指示を受けて来たということは、本社に戻っていたのだろう。


 同乗者の人影がないのを確認して安堵あんどする。といっても、遠回りになるバスと違い、数分で家についてしまうのだが。

 ドアを開けてもらい、助手席に乗る。事情を聞く時間は少ししかない。


「幹也さん帰ってきてたんですね。随分ずいぶんと急ですが、何かあるんですか?」


 彼が車を発進させた所で間髪かんぱついれずに本題を投げる。


「いえ………、元々6月から8月にかけてはこちらで勤務のスケジュールでした」

「そうなんですね。知っていたら出迎えたんですが」


 予定通りなら問題ないはずだが、葛西さんは妙に歯切れが悪かった。何も起きていないわけではなさそうだ。


「幹也さんの最近の調子はどうですか?最後に会ったのは正月なんですが」

「変わらずお元気ですよ。ただ……」


「これから処理する案件が難しくなりそうなのと、少々物騒ぶっそうな話がありまして、緊張しておられる様子です。正城さんにもご迷惑をおかけするかもしれません」

「物騒?」


 ものものしい言葉に驚く。最近の市内では特にニュースになるような事件は起こっていないはずだ。


「詳しくは幹也さんから説明があります」




 僕が車から降りると、葛西さんは帰るようだったので、一言お礼をした。

 久しぶりに正門を通り、都築本家の荘厳そうごんな洋館を目の前にする。坂の上の一帯を敷地におさめる広大な庭といい、まさに貴族のやかたといった雰囲気だ。建物もその中にある調度品も歴史的に価値のある、誇らしい品々が揃っている。

 それほど飾り立てるのはこの館は生活の場というよりは都築一族の、会社の歴史と繁栄を物語る場所だからだ。曾祖母は住んでいるし、本家の家族や一部の親族にそれぞれ部屋は与えられているが、主な用途は会社の賓客ひんかく歓迎かんげいと、一族の集会である。

 僕が住んでいるのは、本館からは林で見えない離れ、ごく普通の二階建て洋式建築の家だ。こっちは基本的に裏門から入る。歴史的価値のある本館は美しいが、子供が暮らしやすい所ではないため、大きくなるまでは親子で離れに暮らすのがこの家の慣習かんしゅうだ。今はちょうど僕しか該当がいとう者がいないため、一人暮らし状態である。


「おかえりなさいませ、正城さま」


 扉を開けたメイドに挨拶をされるのも久しぶりだ。エントランスホールのまぶしい金のシャンデリアの光は、赤い絨毯じゅうたんの上に立つ人影を際立たせている。


「おい正城、中学にあがったらいきなり夜歩きか?」


 苛立いらだちをあらわにしながら、再従兄弟は仁王におう立ちで待ち構えていた。きりりと太い眉をつりあげ、けわしい瞳が僕をにらんでいる。相変わらずダークブラウンの仕立ての良いのスーツがよく似合っている。だが、スーツ姿ということは彼も帰ってきたばかりなのだろうか。


「すみません。連絡はいれていたんですが」


「遅くなるとだけ、か。どこにいるのか、誰といるのか、何時に帰るのかまったく分からない連絡に何の意味があるんだ?安全確認のために家に連絡するのに、安全が確認でできる要素が一つも無いってどういうことだ」


 それは確かに、僕のメールの文面が雑すぎた。ごもっともだ。返す言葉もない。


「あと連絡する相手。母さん達が今いないからって、本来は許可する権限のない人らに連絡してるだろう?そりゃ毎回許されるわけだ」

「そ、そんなつもりではないです。あと別に頻繁ひんぱんに遅くなっていたわけでは…」

「さっきメイドたちに聞いたから言い訳はいらないぞ。彼女たち、気を回して内々に処理してくれていたらしいが、これからは門限19時。覚えとけよ」

「………はい」


 これはなるほど、相当気が立っている。

 いつもの幹也さんなら、親しい相手だと言葉遣いが荒くなるのはともかく、ここまで急に怒りはしない。感情的にしかると受けとる側にも余計な敵意が生まれたり、威圧されて問題を隠蔽いんぺいするようになるため、必要の無い怒りは自制するべきである───という話を、僕は当の本人である幹也さんから聞いたことがあるのだ。実践するのが難しいから教訓なのだろうが…。


「本当にすみませんでした」


 僕は頭を下げて謝った。とにかく今はそれ以外に余計な事を言わないのがいい。これは父の相手をしている時に身をもって学んだ教訓だ。


「いや、分かればいい……」


 幹也さんは急にばつのわるい顔をして言った。僕の態度が意外だったのだろうか。


「言い過ぎた。正城が無事ならそれでいいんだ」


 無事。物騒な話というのは何だろうか。門限についての交渉は後にして、何がそこまで彼を苛立たせたのか、理由が知りたい。


「あの、さっき葛西さんから少し聞いたのですが、このあたりで事件でもあったんですか?」

「………着いてこい」


 幹也さんはエントランスから廊下へ歩きだし、屋敷の奥にある階段を降りはじめた。でもファミリールームは二階、地下には倉庫しかないはずだ。僕も急いで後を追って降りる。


 地階の廊下は照明をつけても薄暗い。絨毯でもフローリングでもない無機質な灰色の床と白い照明は、ここだけ住宅ではなく学校や病院にいるようだ。

 僕はこの階の部屋には一度も入ったことが無い。そのひとつの扉の鍵を幹也さんが開ける。


「ここは…?」


 古い紙の匂い。年期の入った表紙が並ぶ本棚、それ以外にも様々な書類が積み重ねて置いてある。奥の方は暗くて見えないが、それほど広くは無さそうだ。

 この部屋の雰囲気は整えられた書斎しょさいや図書館というより、雑多に本が置かれた古本屋のようだと思った。


「うちが関わってる市政と会社の私的な資料倉庫だ。俺はしばらくここで缶詰だ。少し手伝ってもらうかもな」

「手伝えることなら、頑張ります」


 これが葛西さんの言っていた難しい案件だろうか。


「それと、さっきの質問の答えだが」


 幹也さんは部屋の扉を締めると、真剣な目で僕を見ながら本題を切り出した。


「───殺害予告だ。これから街で確実に人が死ぬ。お前はまきこまれるなよ」






 

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