第9話 皇宮騎士たちの詰所
「うーん」
朝の身支度をしながら、私は何度も角度を変えて鏡に映った自分の顔を確認する。私は輝石の魔女に幻覚の魔法をかけてもらっているので、他人からは弟のサーシャに見えるはずだ。
でも自分で見る分には、鏡だろうと直接だろうと、変わらない私自身の姿なのだ。私とサーシャは指一本分くらいは身長差があるし、体の厚みなどの体格差は更にある。目で見えるものと実際が違うと、生活が不自由になってしまうからだろう。物にぶつかったり届かなかったり。それに、体を洗うときに困ってしまいそうだし。その辺、魔女は女の気持ちをわかってくれていると思う。
――それにしても、皇帝陛下に『かわいい』と言ってもらえるサーシャの顔って私よりもかわいいのかしら……。
紫の瞳は、そっくり同じだ。昔から今まで変わらない。ほかのパーツもかなり似ているけど、成長と共に眉骨や鼻の高さに男女差が出た。サーシャの方が全体に彫りが深く、くっきりしている。その辺が陛下からするとかわいい、のかもしれない。
でもサーシャの呪いを解いたあと、復帰したサーシャがルカルディオ陛下に迫られたら大変なことだ。陛下は男性好きなのかもしれないが、サーシャはかわいい女の子が好みなのだ。サーシャに何てことをしてたんだとめちゃくちゃ怒られてしまう。
「うん。今は何よりも、サーシャを呪いにかけた人物を突き止めることを優先しなきゃ」
ルカルディオ陛下のことでモヤモヤなんてしていられない。流されてないで、これからは距離を置こうと決意する。
◆
昼休みに、ついこの間までサーシャの配属先であった皇宮騎士の詰所まで私は足を伸ばした。
やっぱり、サーシャを妬んで呪いをかけた人物がいる可能性は捨てきれない。
サーシャと仲が良かっただろう皇宮騎士の同僚と、何て話したらいいかわからないけど突撃あるのみだ。
「や、やあみんな。元気?」
サーシャって、同僚とどんな口調で話してたのか知らないので、めちゃくちゃぎこちなくなった。なんとなく汗臭い詰所に顔を出す。
「おっ! サーシャ! どうしたんだよ!」
中では、5人程が談笑していた。そのうち二人はなぜか上半身裸でビキビキの筋肉を露にしている。ショックで顔が引き攣りそうになった。
「いや、みんなどうしてるかなと思ってさ……」
上半身裸の男が親しげに近寄ってくるが、私は後退して接触を避ける。
「近衛騎士の制服を自慢しに来たのか? おっ? 俺の汗をつけるなって?」
「そうそう」
「生意気になりやがって。早速陛下に気に入られて、側近になったんだろ? えらい噂になってるぞ」
「おい、イザッコ、やめてやれよ」
イザッコと呼ばれた彼は多分ふざけてか、拳を当てようとしてくる。だけど避けるのは容易なことだ。私は、並の令嬢教育としてダンスも詰め込まれ、足腰を鍛えてきた。幾重にも重ねた重いドレスとハイヒールで踊るのに比べたら、動きやすい今の服や靴は、重い足枷を外したよう。あまり広くない詰所なので、くるくるとイザッコの周りをターンする。
「なっ、避けるなよ!!」
「そんなこと言われても」
適当に拳をかわしながら、私はみんなの顔を観察した。
――ただじゃれあいを眺めてるだけって感じ。今ここには怪しい人はいない。
「サーシャ、君は何か変わったのかな?」
眺めていたうちの、きちんと服を着ている巻き毛の青年が、そう言った。
「な、何が?! そんな短期間で変わらないけど?!」
「ステップがずいぶん軽やかだ。前はもっと無駄が多かったのに、今はまるで春の妖精が舞い踊るかのようだよ。実に美しい」
この巻き毛の彼は、詩人属性か。体力自慢が多い騎士の中にも少数派ながらこういうタイプがいる。
「あ、えっと、バレッタ卿にご指導頂いてますから」
拳やらをかわすのが面倒になってきたので、私はイザッコの足を引っかけた。転倒しかけたところを、肩と腰を支えてあげる。あんまり触りたくないけど。ダンスレッスンでは、男役もよくやったから慣れている。
「うっ……サーシャ、お前」
イザッコは転ばされた羞恥によるものか、頬を染めた。
「なんかいい匂いするし、何なんだよ」
「はっ?!」
「目覚めそうだからやめろよ!!前からちょっとかわいかったけど、更にかわいくなって……どうなってるんだよお!!」
イザッコは叫ぶと、服も着ないままどこかへと走って行った。
「なにあれ……」
「イザッコは前から、サーシャを構ってたじゃん」
「えっ?!」
赤毛の人が何でもないように呟くけど、衝撃の事実だった。陛下が心配した通りに、サーシャは本当に騎士たちからモテていたようだ。姉としてそんなの全然知らなかった。
「でも本当になんか、サーシャって前よりかわいくなってない? 陛下のお手つきになっちゃった?」
「何てことを!! ない! 絶対ない!!」
「えー……だって妙な雰囲気がする」
思わず声を荒げる私に、赤毛の人はニヤニヤと笑いながら迫ってきた。むしろこういういじめかと思う。
「ちょっと、やめろよ」
赤毛の人が顔を近付けて匂いを嗅ごうとしてきて、背筋がぞわっとした。本当に騎士の規範はどうなってるんだろう。休憩時間とはいえ清く正しくあるべきだと思う。
「嗅ぐだけだって。ほら、手は後ろに組んでるよ」
「おかしい、あり得ない、嫌だってば」
目を見開いてまっすぐ歩いてくる気持ち悪さで、私は後ずさりしてしまった。退路がなくなって、私は冷たい壁に密着した。目前に赤毛の顔が迫る。
「そこの人たち!!見てないで止めようとか思わないの?」
「いや別に」
「別に」
「嫌なら殴れば。そいつ殴られて喜ぶやつだし」
最低だなと私は皇宮騎士たち全員に、最低評価を下した。もう突き飛ばして逃げよう――
「フォレスティ卿、ここに居たのか」
突然、ここには居ないはずの声がした。バレッタ卿の声だった。バレッタ卿が詰所の入り口から顔を覗かせている。
「……卿らは、何をやっているんだ?」
壁に追い詰められている私と、赤毛の騎士の様子を見てバレッタ卿は切れ長の瞳を更に細め、渋面を作る。バレッタ卿は近衛騎士一の実力を持ち、長く陛下の側近を務める有名人なので、一気に場の空気が引き締まった。上半身裸の男も慌てて服を着始める。
「私は何もしてませんよ」
殴ったり突き飛ばす前で良かった。騎士同士の暴力行為はもちろん禁止されている。私が赤毛の騎士の肩を押すと、抵抗なく離れてくれた。
「バレッタ卿はどうして、ここに?」
「フォレスティ卿がまだ食事を摂っていないと食堂で聞いた。早く食べないと午後の務めに間に合わないぞ」
「そうですね、急ぎます」
今は安心感のあるバレッタ卿に駆け寄って、詰所を後にする。ろくな情報もなかったし、もうあいつらに近寄りたくない。
「あの。ありがとうございます、こんなところまで来てくれて」
「部下の健康管理も仕事のうちだ。ちゃんと食事を摂るように。フォレスティ卿は、最近痩せたとか言ってただろう」
私には目もくれず、早足で歩くバレッタ卿に私はついていく。私が来た経路とは違う道だった。花壇を踏まないように跨ぎ、左右に木箱が積まれた細道を通るとすぐに食堂の外観が見える。
「あれ、ここ近道なんですね」
「何だ知らないのか? 王宮騎士だったなら全ての道を頭に入れてあるのでは?」
「……冗談ですよ、冗談」
私はつい最近皇宮に来たばかりだから、広い敷地の道を覚えるのも一苦労なのだけど。バレッタ卿が訝しげに私を睨んだ。
「それはいいとしても、フォレスティ卿は一体何の用事で、工具騎士の詰所に行ったんだ?」
「えーと……」
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