第9話 目薬と少女

 僕もセラス母さんもレンファも、なんだか変な感じになった。すっかり誰も喋らなくなっちゃったけど、ただ僕の左手はずっと温かくて、安心した。

 そうして、シーンとおとなしくしていると、お医者の説明を聞き終えたゴードンさんが帰ってくる。もうお会計まで済ませちゃったみたいで、外を歩きながら話すことになった。


「どうも、強い光に目を焼かれたことによる火傷――網膜障害らしい。視力は0.1以下で、辛うじて光を追えるレベルだそうだ」

「……よくはならない?」


 ゴードンさんの話を聞きながら、セラス母さんが難しい顔をした。レンファは、ただ黙って僕の手を引いてくれる。

 行きは街に興奮していたからなんとも思わなかったけれど、すごく助かる。左側が全然見えないから、たぶん誰かに手を引いてもらわないと人やモノにぶつかりまくるだろうな。


「網膜の損傷具合から言って、難しいだろうと言っていた。アルビノで元々光に弱いのもあるんだろうが、肉眼で太陽でも観察したのかと言われたくらいだ。アレク、目は本当に見えないだけなのか? めまいとか、痛みや熱さもあるんじゃないのか」

「え? うーん……言われてみれば、左目の奥が重だるい感じがするかも? でも、あんまりよく分からないや」

「……君はたぶん、単に痛みに慣れ過ぎているだけです。痛覚に対して鈍感なんですよ。初めて君に会った時に塗った消毒薬だって、いい大人が失神するレベルで沁みるはずなんです。でもアレクは泣き叫ぶだけで、ピンピンしていましたよね」

「そうなのかな? うぅーん」


 泥にんじんで作った塗り薬のことは、あんまり思い出したくない。すっごく痛かったけど、あれでも僕は耐えられていた方みたいだ。

 分からないことは分からないから、分かるまで考えるしかない。そうして唸っていると、いきなり左の頬っぺたをギュムッて抓られた。レンファに触られるのが嬉しくて「へへへ」って笑ったら、「ほら、気持ち悪い」って言われる。


 な、何が「ほら」なの? ひどい――。


「とにかく、これ以上悪くならないように炎症を抑える目薬が処方された。それを薬局で受け取ったら、眼鏡屋で色付き眼鏡も作った方が良いかもな……右目まで悪くなると困るだろ? 残った方を大事にしていかないと」

「そうね……でも、そこまでしてもらって良いのかしら――」

「……「良い」って? 別に、これくらいのことなら気にしなくて良い、アレクにとっては一生モノの話なんだぞ」

「え、ええ。そうよね、ありがとう……本当にありがとう、ゴードン」


 さっきレンファに叱られたばかりだからなのか、セラス母さんはすごく申し訳なさそうに小さくなっている。でも小さくなる理由なんてゴードンさんが知っている訳ないから、不思議そうだ。

 レンファは、一方的に贈与ゾーヨされて当然だと思うなって言っていたけど――確かにこれって、変なことだと思う。

 なんだか、村に居た時の僕みたいな感じだ。ゴードンさんばかりが大変な思いをしていて、ひとつも報われてない感じがする。


 ゴードンさんはいつも、セラス母さんに会えるだけで嬉しそうな顔をしているけど、きっとそれだけじゃあダメだよね。少なくとも、母さんは今「このままじゃいけない」って罪悪感を抱いているみたい。

 だから、なんとなくだけど今までみたいな関係では居られないって気がした。


 もしかしたらこの2人は、元々すごく歪で崩れかけの橋みたいな、いつどうなるかも知れない関係性だったのかも。それが良いのか悪いのかは、まだ分からないけど。


「アレク、俺と一緒に薬局へ入ろうか。目薬の使い方の説明を聞かないと」

「え? うん、分かった!」

「中が狭いから、2人は外で待っていてくれ。すぐに終わるだろうから」

「ええ、ありがとう」


 お医者のところから少し歩いたら、他の建物よりちょっとだけ小さい石づくりの家についた。ここは薬局っていって、お医者さんが考えた薬を出してくれるお店なんだって。

 なんでお医者のところと建物が離れているのか分からないけど、たぶん理由があるんだろうな。

 小さい建物だし中には他のお客さんも居るだろうからって、セラス母さんとレンファは外でお留守番になった。


 僕は、ゴードンさんの大きな手と繋いで中に入る。横を見上げたら相変わらず背が高いけど、でもやっぱり、僕も少しは大きくなったみたいだ。

 前は僕が僕を肩車したって届かないと思っていたけど、今ならなんとか届きそう。


「こんにちは~、処方箋をお預かりします!」


 中に入ったら高い声がして、ゴードンさんが正面に顔を向けた。すると僕と同じぐらいか、少し小さいくらいの女の子がニコーッと笑っている。

 女の子はレンファと真逆の白いワンピースを着ていて、目もキツネじゃなくて真ん丸のタヌキっぽい? 人懐っこい笑顔と言い、なんだかほんわりしたコだ。


 処方箋ショホーセンが何か分からないけど、どうしてこんなに小さな子供が働いているんだろう。ここは薬をもらう場所だって言っていたような――もしかして、この子も〝魔女業〟を?


「ありがとう、ルピナ。いつも家の手伝いをして偉いな」

「えっへへ~、そうでしょう? 私、偉いんです!」


 ゴードンさんは、女の子――ルピナのことを知っているみたいだ。お手伝いってことは、ここはこの子のお家なのか。

 ルピナはゴードンさんから処方箋を受け取ると、ドヤッとした偉そうな顔でふんすと胸を張った。うーん、たぶんちょっと変な子なんだな。

 変な子と思いながら見ていると、それまでゴードンさんを見上げていたルピナが僕に気付いて、パチッと目が合った。

 その途端、真ん丸のタヌキ目がもっと真ん丸になって、小さな口までポカンと開いて固まっちゃった。


 僕が珍しくて気持ち悪いのかな? ツヤツヤした真っ直ぐの茶髪も、なんだかレンファとは違う。

 ――さっきからレンファと違うところばかり探してるな、僕。ちょっと嫌なことをしているかも? これからは気を付けよう。


「アレク、この子はルピナだ。お前と同じ12歳なんだが、もっと小さい頃から薬局で手伝いをしていて……まあ、ここの看板娘ってところだな」

「そうなんだ、それは偉いね」

「来店・退店の挨拶と、処方箋を受け取るのがルピナの仕事。奥の受付に親御さんが居るから、挨拶しておこう。たぶん、これからも何度か世話になるだろうから――ルピナ? どうした、ボーッとして」

「……へぁっ!? ひゃっ、ひゃい! 平気です、中へどうぞ! いらっしゃいませ!」


 ルピナはぴょーんと飛び上がった後、真っ赤な顔をしてお店の奥へ駆けて行った。僕はゴードンさんに手を引かれたまま訊ねる。


「……僕、これからもまた街へ来ないとダメなの?」

「ああ。確かにアレクは痛みに強いのかも知れないが、自分の体の不調に気付けないのは悪いことだ。痛みに鈍いと、後で取り返しのつかないことになる」

「悪いこと――」


 そこでゴードンさんは一度言葉を切ると、僕の頭を帽子の上からぐしゃぐしゃって撫でた。


「体のどこかがダメになってからじゃあ遅いだろう。「どうしてもっと早く医者にかからなかったんだろう」って後悔するのも、周りの大切な人に「どうして気付いてあげられなかったんだろう」って後悔させるのも、すごく悪いことだ。自分の身体を大事にすることは、周りの人間を大事にすることでもある。だから痛いなら痛いと言えば良いし、辛いなら辛いと言うべきだ。アレクが声を上げないと、誰も何もしてやれないんだからな」

「……もしかして、セラス母さんは何も言わなかった?」


 ゴードンさんは、まるで昔を思い出すみたいに目を細めて喋る。だからどうしてか、言われなくても実際に経験した話なんだろうなって思った。

 それで、なんとなくセラス母さんが子宮を失くした時の話かなと思って聞くと、ゴードンさんは悲しそうに笑うだけで「そうだ」とも「違う」とも言わなかった。


 そうして奥の受付まで辿り着くと、ルピナのお父さんお母さんだっていう2人に、僕のことを紹介してくれる。どっちも真っ直ぐの茶髪で、親子でよく似ているなって思った。

 でもその人たちと話している最中、受付の中から何も言わずにジーッとこっちを見てくるルピナの視線は、なんだかちょっと居心地が悪かった。

 やっぱり変な子だと思って、すぐに「ああ、レンファから見た僕ってこんな感じなんだ……」って気付くと、ほんの少しだけ肩を落とした。

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