第7話 新たな気付き

 やがて、馬車がギシリと音を立てて動きを止めた。御者席の方からゴードンさんの「ついたぞ」って声が聞こえる。


「降りましょうか」

「えぇっ、でも――」


 僕はずっとレンファの腕にしがみついていたけど、いとも簡単に荷台を降りようとするから、思わず手を放した。

 だって、こんな石だらけで、何もかも見るのが初めてのところは怖い。しかも、ざわざわ騒がしいのはそれだけ人が多いってことだ。

 こんなに賑やかなの、カウベリー村の集会で村人が全員集まったって体験できないよ。


「全く、警戒心の強いウサギですね……生き汚くなって良かった、ということにしておきましょうか」

「う、ウサギじゃなくて、アレクだもん!」

「……アレク、置いて行きますよ。君は立派なブーツを履いているじゃないですか、電気なんてへっちゃらです」


 ぴょーんと荷台から降りたレンファに真っ白な手を差し出されて、胸のあたりがモゾモゾぐるぐるした。

 初めての街に対する不安と、もしここに居る人全員に「化け物」「あっち行け」って嫌われたらどうしようっていう怖さ。

 大好きな女の子が手を差し出してくれる嬉しさと――その大好きな女の子に、情けない姿を見せているっていう


 ――うん? 恥ずかしい? 自分で思っていてよく分からない。

 僕は今までレンファに、散々情けない姿を見せてきたと思う。初めて会った時なんて「汚れた骨」って言われるぐらい汚い恰好をしていたし、髪の毛もボサボサの毛玉で野良犬みたいだった。


 顔も体も今よりもっと痩せて傷だらけで、何度も裸を見られたし、ぴーぴー泣いたこともある。

 言うことを聞かずに地下室で気絶したことだってあるし、何を今更? って感じだよね。

 もうこれ以上恥ずかしいことないってくらい、恥ずかしい姿を見られているのにさ。


 僕は自分に「大丈夫」って言い聞かせてから、真っ白くて小さい手を取る。石の上に降りても本当になんともなくて、電気はひとつも流れてこなかった。

 レンファはほんの少しだけ悪戯っぽく笑って「裸足だったら感電死していたかも知れませんよ、靴があるありがたみを忘れずに」って脅してくる。

 たぶんだけど、からかわれているんだ。本当は、最初から電気なんて流れていなかったのかも。


 でもなんだかおかしくなって、僕は「靴があって良かった」って笑った。途端に気持ちが落ち着いて、改めてレンファの顔を見る。

 僕が安心したことをよく分かっているのか、さっきまで笑っていたのに、もういつもの無表情に戻ったみたい。でもその真っ黒なキツネ目は、いつだって僕という人間を真っ直ぐに見てくれている。


 たぶんまだ〝アレク〟じゃなくて〝人間〟を見ているだけだと思うけど、ケガをしていれば手当てしてくれる。

 僕が不安がっているとすぐに落ち着かせてくれるし、お腹を空かせていると必ず食べ物をくれる。

 好きって言っても「勘違いだ」って突っぱねるくせに――それっきりで終わりじゃなくて、また会うキッカケを残してくれる。


 こんなに面倒見が良いのに、なのに。それでも森の奥で1人暮らしするほど、人と関わるのが嫌なのかな。

 やっぱり、何度経験しても人と別れるのが辛いから?


 僕がお別れしたことあるのは、まだカウベリー村の人たちだけだ。「魔女の森へ行け」って言われた時、僕はたぶんどうにもならない悔しさと、どうにもできない諦めしか頭になかった気がする。

 だから、まだ別れの辛さが正しく分かっていないんだと思う。


「でも――レンファみたいなのが何度も僕の前に現れて、何度も死んだら嫌だな」

「……藪から棒になんです?」

「うん……僕には分からないことを考えていただけ。思えば、僕はレンファしか知らなくて……好きなのも今のレンファだから。レンファも、僕の好きなレンファなのかな?」

「……変な子。何を言っているのか分かりません」


 ――変な子は、気持ち悪い子よりマシな気がするぞ! 良かった!

 僕は嬉しくなってニコーッと笑ったけど、レンファがちょっと体を離して「怖い……」って呟いたから、また肩を落とした。


「一旦、馬車を商会へ預けてくる。少し待っていてくれ」


 いつの間にかすぐ近くまで来ていたゴードンさんとセラス母さんに、僕は首を傾げた。でもゴードンさんの後ろにものすごく大きな石の壁――みたいな家が建っていて、ぽかんと口を開く。


「すごいね、この建物は誰の家?」

「ウチの実家の商会、店だよ。中では大勢の人間が働いていて、どの店に何をどのくらい卸すか、どこから何をどのくらい買い付けるか、色んな人が色んなことを計算して、考えてくれている」

「うわぁ……! それはすごいね! 皆で九九を頑張る感じ?」

「九九だけじゃないけどな」

「勉強熱心で偉い! たくさん褒めてあげてね」


 ゴードンさんはクマみたいな顔を和らげて、おかしそうに笑った。

 ここまで馬車で進んだから、お医者? のところへも馬車で行くのかなと思っていた。でも大きな馬車は置き場に困るから、道の邪魔なんだって。

 ただ森へ帰る時にはまた馬車を使わなきゃ大変だから、一旦お店に戻すらしい。


 街中の適当な道へ勝手に停めると、偉い人に怒られるんだって! しかも酷い時には「悪いことをした代」として、お金まで取られちゃうみたいだ。

 やっぱり、街はとんでもないところだ。


「セラス母さん……もしかして、この道は皆のモノじゃなくて誰かのモノなの?」

「皆のモノだからこそ、ルールを決めないとメチャクチャになっちゃうでしょう? 道が塞がっても誰も何も言わなくなったら、その方が大変よ」


 難しいけど、なんとなく分かる。きっと、許してばかりじゃダメになるんだな。

 そうして僕らはゴードンさんが馬車を預けるのを待ってから、お医者のところまで歩いて向かうことにした。

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