第6話 セラス母さんのやらかし

 飛んで来た魚は、僕の顔にビタンとぶつかって地面に落ちた。ぶつかった衝撃と驚きで僕は目をシパシパさせて、足元でびちびち跳ねる魚を見る。

 全体的に白っぽいけど、背中の方に銀色と青色が混じったような線が入った格好いい魚だ。黒い目もくりくり光っていて、元気いっぱいに見える。

 僕が見たことのある魚って、お腹を開かれてカラカラの干物になったヤツばかりなんだよね。目だってこんなに丸々していないし、くぼんでいて悲しそうなヤツだった。


 それにしても、生きている魚ってなんて元気なんだろう。川からここまで結構離れているのに、飛び跳ねたのかな? 魚って泳ぐだけじゃなくて飛べるんだ、すごい。

 僕はしゃがんで、びちびちしている魚を見た。大きさはどれくらいか――頭から尻尾までの長さは、僕の手の平よりありそうだ。


「――あの、ごめんなさい……その、この時間に人が来るとは、思わなくて」

「うん? ……あっ!」


 魚を見ていると、誰も居ないはずの川から声がした。セラス母さんの声とは違うし、誰だろうと思って顔を上げる。すると、川の中に昨日の魔女キツネが入っていた。


 魔女は長いスカートをたくし上げて、裾を無理やり下着に挟み込んでいるみたい。まるで、黒いかぼちゃみたいなズボンになっている。黒かぼちゃからすらりと伸びた真っ白な両足は、太ももの真ん中あたりまで川の水に浸かっていて――なんか、眩しい。


 ちらと顔を見れば、やっぱり無表情だ。でもほんのちょっとだけ眉毛が垂れている、かも?

 水に濡れないようにするためか、長くてふわふわの黒髪は頭の高いところでお団子みたいにぐるぐるになっている。可愛い。


 魔女は川の中で中腰のまま固まっている。あんなところで何をしているんだろう? 水浴びかとも思ったけど、魔女の家にはお風呂があるし、それに服を着たまま水浴びはちょっとおかしいよね。


 うーんと悩んでいると、魔女はハッと何かに気付いて真下――川を見た。そして、ものすごい速さで右手を川に叩き込んだかと思うと、バシャッという水音がしていきなり魚が空を飛んだ。


 ――す、すごい、速すぎて何が起きたのか分からなかった! 分からなかったけど、たぶん川の中を泳いでいる魚を、魔女が手で弾き飛ばしたんだと思う。魚ってこうやってとるんだ、全然知らなかった。街の漁師さんは大変だなあ!


 ああ、そうか。きっとさっき僕の顔に飛んで来たのも、魔女がとった魚だったんだ。

 僕は「すごいなあ」と思って魔女を見た。でも僕の隣に立っているセラス母さんは、呆れたように「も~!」って声を上げる。


「ちょっと、! あなた本当にその、クマみたいに野蛮な魚のとり方はやめた方が良いと思うわよ! アルがマネしたらどうするの!」

「……野蛮だろうがなんだろうが、これが楽なんですよ。道具もなしに魚がとれるんだから効率的で良いでしょう? 道具を使うようになったら、手入れが大変じゃないですか」

「効率なんて話じゃあなくて、そもそも女の子がなんて恰好しているのよ」

「服を着ているだけマシだと思ってくれませんか? 以前「全裸はやめろ」と注意されたから、面倒でもこの恰好に落ち着いたのに……まずこんな時間にこの森へ入って来る人間なんて、番人のあなただけじゃないですか」

「それはそうだけど、これからはアルだってこの森に住むのよ……! お願いだから、子供の教育に悪い行動は控え――」


 川に入ったままの魔女と、僕の隣のセラス母さんは言い合いを始めた。魔女は言い合いしながらも川の中の魚が気になるみたいで、チラチラ下を見てはセラス母さんに「まだ話の途中でしょ!」って叱られている。

 僕の足元で元気にびちびちしていた魚は、いつの間にかぐったりして、口をパクパクさせている。魚も気になるけど、僕にはもっと気になる事があった。


 セラス母さんのスカートをツンツン引いて質問する。


「……ねえねえ、〝レン〟って何?」

「――あっ」


 魔女と言い合いしていたセラス母さんは、目を見開いて両手で口を塞いで固まった。途端に喋らなくなってしまった母さんに、僕はもう一回「レンって何?」って聞いた。

 母さんは何も答えてくれなかったけど、代わりに川の中の魔女が大きなため息を吐き出した。魔女はキツネみたいに大きなつり目を半分になるまで眇めて、セラス母さんをじとりと見ている。


「……あだ名です」

「あだ名? 僕の「アレクシス」が「アル」になる、みたいな?」

「そのあだ名です」

「わあ、あだ名「レン」って言うんだ! 可愛い!」

「だからと言って、君も呼んで良いとは言っていませんけど――」

「ちょっとレン、アルに意地悪しないでよ! あなたとお友達になりたいって言ってるんだからね!」

「やらかしオバサンは黙っていてくれますか?」

「うぐぅっ……そうです、私がやらかしオバサンですぅ……! レフラクタ文字を解読しなきゃダメっていう〝宿題〟があったのに、まさか私が答えを半分言っちゃうなんてぇ……!!」


 魔女――レンにすっごく冷たい目で見られて、セラス母さんは呻きながらその場に崩れ落ちた。

 うーん、なんか、良かったあ! レンは僕に興味がないから冷たいんだと思っていたけど、セラス母さんにも同じだけ冷たいんだ!

 ――じゃあ僕だって友達になれるし、大人になったらきっと結婚もできるな!


 なんだかよく分からないけどものすごい自信が湧いて来て、僕はニッコリ笑った。

 また素手で魚をピュンと飛ばしたレンに小さな声で「用がないなら、帰って欲しい……」って言われたけど、距離があるから聞こえなかったことにした。

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