第4話 ホースの勉強
手当てをしてもらった後、僕はセラス母さんと一緒に家の裏に回った。
あの、井戸でもないのに水が出てくる蛇みたいなヤツ――どうしてアレから水が出てくるのか、教えてくれるって言っていたからね。
僕は外に行く前に、ワンピースのポケットに魔女のメモが入っていることを確認した。そして、反対側のポケットには風呂敷から出した小さい紙袋を突っ込んだ。あのバターせんべいが入っている紙袋だよ。
いつ腐るか分からなくて不安だし、早めに食べておきたいんだ。あと2枚しかないから、本当は全部1人で食べたいけど――でも、きっとセラス母さんと一緒に食べた方が美味しいと思うから。
「アル、あなたが言っていた黒い蛇みたいなのはホースって言うのよ。中は空洞になっていて、水が通っているの。まるで血管みたいにね」
「ホースかあ……水はどこから伸びてるの? 森の中へ続いているみたいだけど」
「森の中にある小川から。ただ、ホースだけじゃあこの家まで水を引っ張ってくる力がないのよ、圧力――ここでは吸い込む力って言った方が良いかしら」
「ふんふん」
よく分かんないけど、僕ってば今また頭が良くなっている気がするぞ。困るなあ、魔女キツネが好きなのは賢い男じゃなくて、クマみたいな男なんだけど――いや、でも体力だけじゃ今の時代生きて行けないって言われたばかりだしなあ。じゃあ、賢くなっても良いか。
何も言ってないのに、ニヤニヤしているだけで考えていることが分かったのか、セラス母さんは僕を見てちょっと呆れた顔をした。
「はいアル、勉強よ」
「うん、勉強好きー」
セラス母さんは家を出る時、透明なコップに水を入れて持ってきた。それには細長い棒が1本挿さっていて、コップの外に出た部分はカクッと折れている。
「このコップに入っているのはただの水で、挿さっているのはストロー。ホースと同じで中が空洞になっていて、水の外に出ているこの先端を口で吸い込むと――試しに飲んでみて」
「はーい」
水を飲むのに、どうしてわざわざストローなんて使うんだろう? 手とコップがあれば好きなだけ飲めるのにね。
僕はストローをくわえて、思いっきり吸い込んだ。セラス母さんが「気管に入ると危ないから一気に吸い込んじゃダメよ」って注意してくれたのは、そのちょっとだけ後だった。
「――エフンッ! ごぷっ、ふぇあ!」
「ちょっと! だから言ったじゃない、大丈夫!?」
「エホッ、セ、セラス母さん、遅いよ……! なんか、口から吸ったのに鼻から出たけど……!?」
「いくらストローを使うのが初めてだからって、不器用にも程があるわ……いや、何事にも全力投球だって思えば、良いことなのかしら?」
セラス母さんに背中をぺんぺん叩かれながら、変なところに入っちゃった水を出すために咳込む。どこからともなく出した布を鼻にあてられて「ちーんしなさい」って言われる。なんか、まるで小さい子供になったみたいで恥ずかしい。
いや、このままじゃあ鼻が痛いし、ちーんするけどさ。
「ええと……ちょっと予想外の結果になっちゃったけど、ストローを吸い込むと水が飲めたでしょう?」
「うん、鼻にまできた」
「じゃあ次は吸い込まずに、ストローをくわえるだけにしてみて」
「くわえるだけ? ……うーん、何もこないよ」
「そうよね。吸い込む力がないと、ストローだけじゃ勝手に水が登ってくることはないわ。ホースも同じ」
「同じ……」
ホースを指で摘まんでちょっとだけ持ち上げてみるけど、やっぱり今もチョロチョロ水が出ている。バケツはずっとなみなみになっていて、溢れた水が地面に吸い込まれていく。
ストローと同じなら、どうしてこのホースはずっと小川の水を吸い込み続けているんだろう?
「もしかして……」
僕はハッと閃いて、セラス母さんに詰め寄った。母さんはいつの間にか小さなハサミを持っていて、コップに挿さったストローを短く切っているところだったけど――今は何をしているかなんて聞いている場合じゃない!
「だっ、誰かがこっそり、ホースを吸っているってことだよね……!? おかげでここまで水がくる訳だけど、なんかちょっと気持ち悪い気がする! 強そうだから、一度ゴードンさんに相談すると良いよ!」
「――フハッ、ち、違う違う! へっ、平気よ、誰も居ないから……!」
「でも、ずっと水が出てる……」
セラス母さんは声が裏返るぐらい笑っている。僕は本当に心配しているのに――。
魔女キツネといいビ魔女といい、ここの人たちは
カウベリー村の大人たちがよく言っていた。「最近の若者はすぐ街へ出て行こうとする。村出身の者が街なんて行ったところで受け入れてもらえるはずもないのに、危機感が足りない」って。
本当のところはよく分かんないけど、たぶん『危ないことが正しく分かってないのんき者』って意味だと僕は思う。
僕は唇を尖らせてセラス母さんを見上げたけど、母さんはヒーヒー言いながら「ゴードンが来たら絶対に話すわ、私1人で楽しむにはもったいない面白さだもの――」なんて震えてる。
セラス母さんはしばらく笑っていたけど、ようやく落ち着くとコホンって咳ばらいをした。そして僕を手招いて、ホースの先が挿さっているバケツの横にしゃがみ込んだ。
母さんの手には空っぽになったコップと、短くなったストロー。ストローは、ちょうど真ん中にカクッて折れている部分がくるように短く切ったみたい。
「――サイフォンの原理って言うんだけどね」
「サイフォンノーゲンリー」
セラス母さんは難しいことを言いながら、短いストローを丸ごとバケツの中に沈めた。最初ストローからポコポコッて泡が出たけど、すぐ静かになる。
母さんはストローの片側をバケツに沈めたままもう片方の穴を指で押さえると、指で押さえている方を空のコップに入れて、指を離した。すると、誰も吸ってないのにストローからどんどん水が出てくる。
「……すごい、どうして?」
空のコップはあっという間にいっぱいになったけど、バケツの水は減るどころかホースから出てくる水でいっぱいのまま。コップがいっぱいになってもストローは水を吸い続けているみたいで、ついにはコップの水も溢れ始めた。
「うーん……ちょっと説明が難しいんだけどね。大気圧と水圧の関係なんて言っても、分かりづらいだろうし――とにかくね? ストローの中を水でいっぱいにした事によって、圧力っていう不思議な力がかかっている状態なの。まるでアルが水を吸い続けているみたいに」
「それはすごいね……!」
「でも、吸う側の水面が低くなると――例えばバケツの水が減ってしまうと、力関係が変わって上手く吸えなくなるのよ。だけど今は森から伸びたホースからずっと水が足されているし、その心配はないわね。ああでも、見て。もしコップの水が、バケツに入った水よりも高い位置に移動すると――」
セラス母さんは言いながら、手に持っていた短いストローを地面に置いた。それからバケツの横に置かれていた別の短いホースを手に取ると、また水の中に沈めてホースの空洞を水で満たしていく。
片側の口を指で塞ぎながらコップに挿して、ホースの挿さったコップをバケツより高い位置に掲げると――途端にコップの水が減り始めた。今度は逆に、水がバケツの方へ吸い込まれているみたいだ。
でもバケツより下げれば、不思議なことにまたコップの水が溢れ始める。セラス母さんは片目をパチッと閉じて「面白いでしょう?」と笑う。
僕は一生懸命話を聞いた。力がどうとか水面がどうとか詳しいゲンリーはよく分かんないけど、でも同じことをやってみなさいって言われたら、なんとなくだけどできると思う。
「森の中にこのバケツの役割をする水槽が置いてあるの、お風呂の浴槽みたいに大きなのを。森のちょっと高い位置にある小川から、水槽までホースを引いて――また別のホースを、水槽からこのバケツまで引いているのよ。川が干からびるとか、雨で泥が流れてホースの吸い込み口が詰まるとか……そういうことがない限りは、水を引き続けられるはずね」
「へえ、すごい! 小川と水槽も見てみたい」
「良いわよ、お散歩がてら森を歩きましょうか」
「うん!」
セラス母さんは「実験は終わり」って笑って、使った道具を戻しに家の中へ入って行った。僕はワンピースのポケットに手を突っ込むと、紙袋を取り出して母さんが戻ってくるのを待った。
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