第7話 初めての料理

 セラスさんは、まず柄のついた片手鍋を渡してくれた。中を見たら空っぽで、僕はそれを覗いて首を傾げる。


「空っぽ。これ、どうしたら良い?」

「お鍋いっぱいに水を入れてもらえる? 家の裏手にお水が出てるから」

「……お水が出てる? 分かった、行ってくるね!」


 お水が出てるって何だろう? たぶん井戸のことかな――。

 僕は鍋を持ったまま家から出て、裏手に回った。でも裏手には井戸がなかったから、家の周りをぐるりと歩いた。だけど、やっぱり井戸みたいなものはどこにも見当たらなくて、もう一回裏手に回る。


「――うん?」


 家の裏手の壁近くまで行くと、チョロチョロと水の流れる音がした。さっきは暗くて気付かなかったけど、よく見れば蓋つきの大きなバケツが置いてある。

 バケツには、黒い蛇みたいにうねうねした長い紐が刺さっていて――紐は、森からここまで地面を這って伸びている。掴んで持ち上げると、紐の中は穴が開いて空洞になっているみたいだ。

 そんなに勢いはないけど、紐の穴からキレイな水がずっと出ていてすごい。井戸みたいに重いバケツを引っ張り上げることもないし、簡単で便利だ。

 僕はバケツの蓋を取って、中に貯まった水を鍋ですくった。


「セラスさん、裏手のアレは何? 蛇みたいな紐から水が出てたよ!」


 家の中に戻った僕は、すぐセラスさんに質問した。包丁でトントン何かを切っていたセラスさんは、僕を振り向いてちょっとだけ目を丸くする。


「アレクシスちゃんの村にはなかった? 森の湧水をここまで引いているのよ」

「……水を引く? よく分からない、水は井戸か川に貯まっているものだったから」

「そうなの? うーん、カウベリー村って結構、閉鎖的な場所なのかしら……まあ良いわ。外が明るくなったら、水を引く仕組みを教えてあげるからね」

「本当? ありがとう! ……あ、はい、お水入れてきたよ」


 セラスさんはビ魔女だから、きっとアレは魔法だろうな。魔法を教わったら、僕まで魔女になっちゃうかも? ――いや、僕は男だから『魔男』……? よく分かんない。


 水の入った鍋をかまどの上に置くように言われて、窯の熱い火に気を付けながら置く。

 昔まだ火をおこすのに慣れていなかった頃、僕は火が危ないものだってよく分かっていなかった。

 ごうごう燃えて揺れる火がキレイで触ってみたくなって、手を突っ込んで火傷したことがあるんだ。火傷した後がすごく痛かったから、もう二度としないけどね。


「鍋の水を見ていてくれる? 沸騰したら教えて」

「フットー」

「あ、ええと……水がぼこぼこ泡立ったら教えて? そこから十分ぐらいぐつぐつするのよ、お水が半分ぐらいまで減ると思うけど、気にしないで」

「十分もぐつぐつするんだ……ただの水なのに、ぐつぐつして料理ができるの? それも魔法?」

「これは煮沸しゃふつ消毒って言って、お料理に使うための水を作っているのよ。森の湧水はとっても綺麗で、土から溶け出した栄養も豊富なんだけど……中には、人がお腹を壊しちゃう成分も混ざっていてね。水を飲むたびにお腹を壊していたら大変でしょう? だから絶対に壊さないで済むように、消毒してから使うの」

「……よく分からないけど、すごいね! あ、ぐつぐつしてきたよ!」


 セラスさんは笑いながら「じゃあ今から十分ぐらい見ていてね」って言った。

 料理ってすごいなあ、時間がかかって大変だ。もしかして、井戸水もそのまま飲むのは良くなかったのかな? そう言えば川の水を飲み過ぎると、お腹が痛くなる時があったかも知れない。

 セラスさんは色んなことを知っているから楽しい。ここで話を聞いているだけで頭が良くなりそうだ。


 じっと鍋を見ていると、本当にいっぱい入ってた水が半分ぐらいまで減っちゃった。

 僕の隣ではセラスさんが包丁で芋に十字の切り込みを入れている。お料理するところを近くで見るのも初めてだから、面白い。


「アレクシスちゃん――」

「あ、ねえセラスさん。僕の名前長いから、アルで良いよ?」

「……じゃあアル、次はこのお鍋に水を入れてもらえる? 半分ぐらいで良いからね」

「はーい!」


 次に渡されたのは、ちょっと平べったい鍋だった。僕は家の裏で水を入れて、またかまどの前まで戻って来た。

 セラスさんは、僕の持っているのと同じぐらいの大きさの鍋に芋をふたつ並べている。だけどセラスさんの鍋は、底にたくさん穴が開いていて変だ。あのまま火にかけたら、芋が炭焼きみたいになっちゃうんじゃあないのかな。


「アル、そのお鍋もかまどに置いて」

「うん」


 水の入った平べったい鍋をかまどに置くと、セラスさんがその上に穴の開いた芋入り鍋を重ねた。


「……うわあ、何ソレ? 面白い鍋だね」

「これは蒸し器、ふかし芋が作れるのよ」


 言いながらセラスさんは、重なった鍋に蓋をした。

 僕が水を汲みに行っていたちょっとの間に、片手鍋の水は卵のスープに変わっている。黄色いヒラヒラの卵が半透明のスープを泳いでいて、布みたいだ。


「ふかし芋か~。僕、そのままでしか食べたことないから、どんなのか楽しみだな~」

「あつあつのお芋にバターをのせて食べると、最高よ」

「……ばたー。楽しみ~」


 さっきから初めて見聞きするものばかりで、僕は楽しくなって笑った。セラスさんも一緒になって笑って、僕の頭に手を伸ばす。


「ッ、ぅ……」


 セラスさんは村のお姉さんとは違うし、ベタベタ触ったりしない。僕をおかしな目で見たりしないと思う。

 だけど、やっぱりあのお姉さんとセラスさんが重なって気持ち悪くなって、僕は息を止めて後ずさった。また悲しそうな顔をしたセラスさんに、僕は慌てて謝る。


「ご、ごめん……ごめんね。セラスさんのことは嫌じゃあないんだけど、僕、大人の女の人に触られるのが――その、怖いんだ」


 僕は「気持ち悪いんだ」って言いかけて、でもセラスさんにすごく申し訳ない気がして「怖い」って嘘をついた。

 本当に怖いのは、魔女とにんじんだけなんだけど――こういう嘘は、きっと悪いことじゃないよね?


「そう――きっとアルが可愛いから村のお姉さんたちが嫉妬して、たくさん嫌がらせをしたんでしょうね……分かった。むやみに触らないようにするから、安心して?」


 セラスさんは大きく頷いて、また笑ってくれた。やっぱり変わっているけど、良い人なんだろうな。

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