召喚獣ファイナケルベロス
貴族軍陣営を囲っていた壁が破られる。
内側から巨大な怪物が姿をあらわした。
燃え盛る炎につつまれたおどろおどろしい見た目の獣であった。焼けただれたように煮えたぎる血をこぼして歩いて、丘陵の上方を見上げて、咆哮をひとつあげると、大地を揺らして走りだした。
悪夢のようなモンスターの登場に、ざわめきは恐怖の叫びと混乱にかわった。
「まだだッ! 隊列を乱すなッ! 召喚獣1匹ならなんとかなるはずだッ!」
キンドロが怒声を張り上げ、兵器を動かした。
各軍の将も同じようにしており、投石器が急ごしらえで調整され、速さ重視で放たれた。
精度もなにもあったものではないが、数十発と放たれれば。ひとつくらい当たるものだ。
現に巨石がファイナケルベロスの側頭部を打った。
ファイナケルベロスはぐわんっと地団駄を踏んで止まった。
「やったか……?」
ファイナケルベロスは頭をぷるぷるっと振るだけで、すぐに丘陵を駆け上げり始めた。まっすぐに向かえば左翼の第2軍を蹂躙するだろう。
「魔導砲用意ッ! 魔術攻撃用意ッ!」
召喚獣の目標たる第2軍ロムレ軍大将ロムレ・ハーヴェインは血相を変えて、陣を組み替え、兵器を構えさせた。
わずか50m先まで怪物がせまってきたところでようやく兵器の用意が間に合う。
「撃てええええ!!」
魔導砲5門から一斉に金属砲弾が放たれた。
稲妻のいななきのように炸裂し、まっすぐにファイナケルベロスに命中する。
ファイナケルベロスは悲鳴をあげて、その場に血と肉をばらまいた。
炎が燃え広がり、勢いがわずかに揺らいだ。
「「「おおッ!」」」
王族軍から感嘆の声があがる。
恐るべき怪物が沈もうとしている。
その様は自分たちの命が繋がることと同義であった。
「グジュロォォ!」
怪物は腹の底が震えてしまうような、くぐもった咆哮をあげた。
低い声が幾重にもかさなったような恐ろしい声であった。
その声が引き金になったのか、似たような声が貴族軍の陣営から反響するようにかえってきた。
土の壁を破って、恐るべき地獄の獣が姿を現した。
新しい個体の登場に、王族軍から歓喜の色が失われていく。
死と肉の焼ける匂いすらしてくる静かな絶望が蔓延していく。
そこに拍車をかけるのは、土の壁の向こうから3匹目のファイナケルベロスが現れたことだった。否、3匹目どころではない。
ファイナケルベロスは最初に破られた土壁の穴から、わらわらと這い出て来た。
その数は8匹。
燃え盛る炎を勢いよくさせ、すべてが丘陵を目指して駆けあげりはじめた。
静かな絶望が激しい死に変わった瞬間であった。
「グジュロォォ!」
「グジュルロォォォォっ!」
「ガジャラっ…!」
「ジュルロォォ」
この世の物とは思えない死の咆哮がこだまし、その隙間を縫うように、人間の悲鳴がとびかった。
ヴォルゲル王は絶句し、頭をおさえる。
マーヴィンは目を見開き、王の代わりに陣の中枢の指揮系統をつかい各軍に迅速な撤退を命じた。
王陣の伝令待たずに、各軍はすでに敗走を始めていた。
民兵らは死に物狂いでファイナケルベロスらとは反対側へと走りだし、騎士たちは上官の命令を待ちながら「命令をッ!」と指示を仰いだ。
「魔導砲なら攻撃を通せる! 魔術も用意せよ!」
決死の覚悟で各軍大将はその場に踏みとどまり、起死回生の一撃を狙った。
キンドロ率いる第3軍のまえにもファイナケルベロスが迫って来た。
「撃てぇえええ!」
50mまで引きつけ、そこでようやく砲が放たれた。
稲妻のごとき炸裂音を響かせ、恐るべき怪物へ飛んでいく。
ファイナケルベロスは砲弾を見切ったように、機敏なステップで弾を避けてしまった。1発かするが、その程度でまるで勢いは止まらない。
「魔術攻撃展開ッ! 放てッ!!」
キンドロの命で魔術師たち40名が一斉に水属性と風属性、土属性式魔術による攻撃を行った。
高威力の魔術連弾が、まっすぐに軌跡を残して飛んでいく。
対するファイナケルベロスは全身の炎を激しく燃え上がらせた。
肉がただれ、血と溶けた細胞が荒野を穢す。
眉根をひそめるような悪臭を放ちながら、怪物は騎士たちの魔術を、激しい火の魔力で
さらにはそのまま全身を覆う炎を操り、キンドロら第3軍を真正面から火に飲み込もうとする。
魔術師たちは恐るべき攻撃に、魔術をつかってレジストを試みる。
しかし、騎士らはせいぜい二式魔術の使い手であった。脅威度Sのおおいなる怪物の野性的・破壊的・原始的な暴威に抵抗するには力が足りなかった。
必死に魔術をあてながらも、すこしずつ確実に炎の全身を許してしまう。
「キンドロ卿……っ、お逃げください、長くは持ちませんッ!!」
「ぐっ、そなたらの忠義、見事であるッ!」
キンドロは魔術隊を中心に炎を壁としてその場に残し、全軍に撤退を命じた。
これによりようやく騎士たちも逃げることが許され、第3軍各隊の裁量のもとでの撤退がはじまった。
一方、王陣でも撤退がはじまっていた。
しかし、ファイナケルベロスはすぐそこまで迫ってきている。
「王よ、お逃げください。私が殿を務めさせていただきますゆえ」
「マーヴィン……」
「どうか剣を持って行ってください。これを貴族軍に奪われるわけにはいきません」
言って、『王の剣』マーヴィンは参謀へガーディアン・オブ・ローレシアを託した。代わりに部下から三等級の最高級の剣を受け取る。
「では、どうかご無事で」
「お前の国への忠誠、忘れはせん」
王陣はマーヴィンら30名ほどの騎士を置いて撤退をはじめた。
去っていく王の姿を見てマーヴィンは「これはあなたへの忠誠です」と寂しげにつぶやいた。
「お前たちもわざわざ残る必要はなかったのだぞ」
「なにをおっしゃるんですか、隊長が戦場にいるのにどうして俺たちだけ家に帰れるんです?」
マーヴィンへそう言うのは魔法騎士隊の副隊長オーランドだ。
精鋭だけが集められた魔法王国でも最強の騎士隊、そこに所属する男どもはみんな隊長であるマーヴィンのことを厚く信頼して来た。
その信頼が窮地ではもっとも重要になる。
だからこそどんな過酷な戦いでも彼らは生き残って来たのだ。
「で、どうしますか、隊長。騎馬もみんな持っていかれちまいましたよ」
「持っていかれたんじゃない。持っていかせたんだ。どうした? もう怖気づいたのか、オーランド。俺たちに逃げるとという選択肢はないんだ」
「あーやっぱ帰ればよかったかなー?」
魔法騎士隊の男たちはドっと笑い声をあげた。
「さて仕事をしようか。人間法違反は重たい。きっと彼らが落とし前はつけてくれる」
「狩人協会ですか? どうにも最近の彼らは信用できませんがねぇ」
「大丈夫だ。きっと考えあってのことだろう。……たぶんな。まあ、とりあえず、あいつらには必ず天罰が下ると信じておけ。そのうえで俺たちがここで戦うと思えば、幾ばくか溜飲は下がるだろう?」
「本当にやりたい放題の貴族軍にゃあ、ぜひとも俺たちの手で一発斬り込みを入れたかったのが本音ですけど、まあ、それで許してやりましょうか」
マーヴィンとオーランド率いる魔法騎士隊は王陣へ登って来ながら、いまも虐殺を続ける怪物を目標にとらえた。
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