荒野への足掛かり


『アーカム、起きろ、起きるんだ、アーカム、いま起きないと間に合わない』


 湯船を漂っていたような意識が浮上してくる。

 俺はゆっくりと目を開いた。

 知らない天井だった。

 薪の爆ぜる音がパチパチと聞こえている。


 直前までなにをしていたのかを思い出して、俺はハっとして上体を起こした。

 

「痛……っ」


 全身にミシっと軋んだ。

 出来の悪いスクラップ人形かと思うほどに、身体がガタガタしていた。

 とてつもない痛みに、思わず声がもれた。顔もぐしゃっとしかめていたことだろう。

 

「動くな。死ぬ」


 声が聞こえ、俺は視線を明るい方へ。

 暖炉の近く、ほんのページをぺらぺらめくる男がいた。

 銀色の髪をオールバックにした壮年の男。

 丸眼鏡をかけている。俺の父アディと同じ感じの眼鏡だ。


 気絶する直前、見た光景。

 そのなかに彼の姿があった。

 狩人だ。


「きゅ、吸血鬼は……絶滅指導者は……」

「もう滅んだ」

「あんたたちが、殺したん、ですか」

「そうだ」

「……」


 思考がふわついている。

 あの絶望のような怪物が死んだ?

 嘘を疑うわけじゃないが、とても信じられないことだ。

 どうやってあんなバケモノを……いや、彼らは狩人だ。

 この世界を2,000年間守り続けて来た人類保存ギルドだ。

 たかだか15年ばかり生きた俺に推し量れるものではないのかもしれない。

 

「アンナ・エースカロリから聞いた。お前はアーカム・アルドレアだそうだな」

「っ、アンナは生きてるんですか?」

「質問に答えろ。問うているのは私だ」

「……すみません。アーカムは俺です」

「2年前までテニール・レザージャックに師事し、バンザイデスの駐屯地で3年ほど鍛錬をしていたか」


 その後、ごく簡潔な質問をくりかえされた。

 

『お前の正体を知りたがっている。こいつはアヴォン・グッドマン。師匠の弟子のひとり。当代の筆頭狩人で、見た目通り神経質な男だろう』


 俺の直観が迸るおかげで、相手の正体を知りつつ、俺は質問に答えていた。

 これまでどこにいたのか。どのような旅を経てここへ戻って来たのか。

 空間転移してしまったことと旅のことを教えた。

 はやく質問から解放されたかったが、相手が兄弟子であり、筆頭狩人であるという事実が俺に強気な態度をとることをためらわせた。

 

「2年前、お前は絶滅指導者を討ったはず。なんでお前は倒れていた」

「それは……俺はもう、あの力をつかえません」

「……」


 ハイパーモードの先。

 俺でさえ、いまだにあの力の奔流がなんだったのか、定かではない。

 その力で俺はたしかに絶滅指導者と渡り合い、そしてさらにその先の力を深淵の渦との名状しがたい契約行為をおこなって手に入れた。

 俺はそこで本来終わるはずだった。

 きっと俺が深淵の渦に差し出したのは、俺のすべてだったのだ。

 俺はあの瞬間、すべてを失ってもいいと思った。

 絶滅指導者クトゥルファーン。彼を殺すために俺は死んだのだ。


 だが、いくつかの奇跡が俺を繫ぎとめた。

 血界を不完全な形で破壊したことによる長距離転移したこと。

 漂着した先でゲンゼが腐り崩れた体をなんとか修繕してくれたこと。


 俺はもう二度とあの力を使う事は出来ないのかもしれない。


 今回、絶滅指導者に殺されかけ、思い知った。

 本来はこうなる運命だった。2年前のバンザイデスも。

 だが、俺は運命をねじまげた。法外な代償を払って。

 

 俺はそのことをアヴォン・グッドマンに説明した。

 彼は表情ひとつ変えずに聞いていた。


「そうか。お前にもう絶滅指導者を殺す力はないのか」

「……すみません」

「最後に訊こう。師匠はどうだった」

「師匠は……あ、師匠はどうなったんですか? 転移先に見当たらなくて……まだ行方不明なんですか?」


 アヴォンは質問のなかで、俺のことを探していたと言っていた。

 ならば同じように転移に巻き込まれた可能性の高い師匠も探してくれていたのではないだろうか。あるいは師匠なら自力で狩人協会のネットワークに接触したかもしれない。


「……。テニール・レザージャックは死んだ」

「……ぇ」


 淡々とした声で言った。

 師匠が死んだ? あの精強な戦士が、最後までまるで敵わなかった、あの死ぬイメージなどまるで浮かばない老人が……。


 ただ、なんだろう。

 俺は勘がいいからか、どこかではそのことを疑っていた。最後に見た師匠は満身創痍で、傷は深刻で、あの時の顔はどこか達観していた。


「そうですか……」


 アヴォンは立ちあがり、部屋を出て行こうとする。大きな喪失感から呼び止める気にはならなかった。


 俺は弱く、筆頭狩人たちに尻拭いをされた。

 巨大な危険を前にした時、俺はあまりにも無力で、何もすることができなかった。


 どれだけそうしていただろうか。

 

「アーカム」


 アンナが部屋に入ってきた。

 見た感じ平気そうだ。


「アンナ、無事だったんですか」

「うん。あたしは平気」


 アンナがベッド横に座る。


「アーカムの平気そう」

「吸血鬼の血を打ち込まれたと思ったんですけど……なんか助かってました」

「アヴォンが協会製の治癒霊薬シリンジを打ったらしいよ」


 シリンジ、注射器のことだ。

 正直もう死ぬと思ってたけど、こうも効き目が強いなんて。一般的な治癒霊薬のポーションと比べたらその効果は破格に思える。


「それよりアーカム、キサラギのことを」

「っ、あの子はどこに?」

「そこ」


 アンナは俺のベッドの足元辺りを見やる。

 見ればキサラギがぐったりして床のうえにおしりついて置かれている。

 ブラックコフィンの残骸も置いてある。

 回収してくれていたようだ。


 俺はすぐにキサラギの様子を確認した。

 パーツ自体はそこそこそろっている。どれも破損がひどいが。

 最大の問題なのは胸部の穴だ。

 マナニウム電池が怪物的攻撃によって貫き抜かれてしまっている。

 

「ん、でも、ひとつは胸に残ったまま……」

「兄様」


 キサラギが目を覚ました。


「え、お前……それまだ喋れるんですか? 大丈夫ですか?」

「兄様が無事でよかった、とキサラギは兄思いの妹ムーブを行います」

「なに言って……無理してるなら喋らなくていいです。必ず直してあげますから」

「心配には及びません。致命的な損傷を受けたことを否定しません。ですが、キサラギは作業を行うための諸パーツが完全な状態で生き残っていることを確信しています。キサラギはキサラギのボディを自らの手で修復します。逆に言えば、兄様では直さないと思います。だから、絶対に余計な手を加えないようにお願いしておきます。かえって状態が悪くなると推測できます」

「そ、そうですか」


 思ったより元気そうだった。

 キサラギは俺が思ってるより丈夫なんだな。


「アーカム、ちょっと話が」

「?」


 アンナは手招きしてきた。

 建物の外へ出てくる。

 そこに馬が何頭も繋がれている。


「これは霊馬。狩人だけが使える異次元を駆る駿馬。アーカム、はやくこれを」

「……これを使えば、もしかしたら」

「霊馬の速さは表世界の馬の比じゃない。泣き声の荒野へもきっと間に合う」


 アンナは厳しい表情で言った。

 俺の為に探してくれたのか。

 でも、この馬は狩人たちの……。


「奪うつもりかな。あんまりおススメしないよ。アヴォンはすごく怒るんじゃないかな」


「「っ」」


 俺たちの背後、月明かりの影から声が聞こえた。そこに梅色の髪をした女がいた。

 美しい女性だ。見覚えがある顔つき。

 思わず横のアンナを見やる。

 似ている……?


「アンナ、この人……」

「姉だよ」


 まさかの事実。

 アンナの姉……筆頭狩人だったのか。

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